東京横浜 弾丸トラベル(3丁目の夕日編2)
投稿日 : 2009年07月19日
1
志茂三丁目児童公園。
通称「さんちょうめこうえん」。
遊具は全部入れ替わって、昔の面影はない。
砂場があって、遊んでいたらしょっちゅう猫の糞を掘り当ててしまったものだ。
そんな砂場も今はない。
やはり猫の糞が原因だろうか。
この向かい側に八百屋があった。
お菓子も売っていた。
10円のオレンジ味のフーセンガムはおやつの定番だった。
その八百屋は跡形もなくなっていた。
訪れたときはなんともなかったけど、こうしてブログにまとめていると目が潤む。
2
3丁目公園の二つとなりにある団地跡。
もっと黒ずんだ外観だったように記憶しているが、外壁は塗り替えられたのだろう。
ここには幼なじみも住んでいた。
今は廃屋となって封鎖されている。
写真の左下、波形トタン板の自転車小屋に、「二岩小 集団登校 集合場所」と書かれた看板が残されていた。
二岩小というのは、第二岩淵小学校(現なでしこ小学校)のこと。
3
旧自宅から数百メートル南に向かうと、大人の草野球チームが練習するぐらいに広い更地があったのだけど、今はマンションが建てられていた。
冬は凧揚げをしに来た。
竹ヒゴと障子紙で作った自作の凧を持ち込んだけどぜんぜん揚がらなくて、べそをかきながら帰ったっけなぁ。
4
日本化薬の東京工場。
怪しげなパイプが頭上に配管されているのが古い工場らしさを出している。
工場の廃熱を利用して沸かした、社員とその家族のための共同浴場があったのはこの辺じゃないかなぁ。
周りに新しい建屋が建って、土地勘を狂わせる。
パイプからもれるスチームの音のなか、夜道を歩いて風呂にでかけたなぁ。
ここは化学薬品の工場で、有機溶剤の臭いが鼻を突いたものだ。
この日もかすかに同じ臭いが漂っていた。
5
今度は自宅から北上して、幼稚園時代に通った通園路をたどる。
着いた先は志茂四丁目の熊野神社。
拝殿のそばに熊野幼稚園があったのだけど、ただの住宅地になっていた。
そこで道の掃除をしている紳士に尋ねてみたら、熊野幼稚園は2年ほど前に閉園したのだそうな。
がっくり。
やさしかった平田先生。ヒステリックで化粧が濃かった益田先生。
今ではもう、いいおばあちゃんなんだろうな。
6
熊野神社の裏の公園。
遊具は昔のままの物が昔のままの場所にあった。
うれしーねぃ。
しかし、ここのすぐそばにあった志茂小学校は廃校になっていた。
志茂小のグラウンドでは、3丁目と4丁目の合同で地区の運動会があったように憶えている。
7
前述の公園内。その2
左手のぶどう棚の下の円形は砂場だった。
セメントで作られたライオンとラクダとサイのオブジェも昔のまま。
しかし、風化して表面がざらざらだ。
わたしが遊んでいた頃からペイントがすっかりはげていたけれど、当時は子供が触りまくりだったから、つるつるに磨かれていたのだ。
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