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yama (twingo & up!)のブログ一覧

2012年10月27日 イイね!

75年の重み(創業者編)!?

75年の重み(創業者編)!?昨日から続く75周年のネタで失礼します。
その75年の重みは創業者の想いに遡ることに、その思いを馳せます。「豊田喜一郎」、トヨタ自動車の創業者を考えてみる。ご存じのように有名な発明家「豊田佐吉」の長男に生まれて、何もなければその父親の会社「豊田自動織機(現)」を継ぐ2代目社長だったはずが、豊田家の家訓に従い「これからは自動車の時代、自動車工業に仕えること・・・。に従って自動車製造の事業を立ち上げること。そんな先陣の人々に敬意と感謝を覚えます。

↓実は技術者というよりも、経営者として長けた豊田喜一郎氏に尊敬の念。


↓何よりもこちらの豊田綱領、75年前に設立したとは思えない、今ではグループ指針の根底に感謝!


↓そんな豊田喜一郎さんが立ち上げた豊田自動織機(株)自動車部から会社設立して75年、今では売上20兆円の世界企業に発展して、その敬意と感謝を惜しみません。自ら考えて自ら実行する、日本企業のルーツたるところ、がここにあるように思いました。
Posted at 2012/10/27 19:00:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 日記
2012年10月07日 イイね!

125年の重み感じる人(三河にて)♪

125年の重み感じる人(三河にて)♪カール・ベンツ博士を知っているか!?

----(wikipediaより)----

 カール・フリードリヒ・ベンツ(Karl Friedrich Benz, 1844年11月25日 - 1929年4月4日)は、 ドイツの技術者である。ゴットリープ・ダイムラーと同時期に、世界で最初に実用的なガソリン動力の自動車を発明した。ダイムラー・ベンツ(ダイムラー)の創立者の一人でもあり、メルセデス・ベンツのブランドに名を残している。(中略)。
 ベンツ社は、当初は三輪自動車を中心に開発していたが、しばらくして四輪車の研究に着手し、1890年代には実用的な四輪自動車を生産するようになった。ベンツ製のパテント・モトールヴァーゲンは、当時ダイムラーの後塵を拝していたものの、技術革新で追い上げ、ライバル関係になった。1926年、ベンツ社とダイムラー社は合併し、ダイムラー・ベンツ社となった。カール・ベンツは、合併成立のしばらく後、1929年に死去。

-------------

 ここからは私見。ご存じメルセデスベンツの祖、自動車発明の父でもある。時期を同じくしてダイムラーが2輪車に内燃機関を搭載しているが、自動車の前身でもある内燃機関付きの3輪車(1886年:画像)から4輪への発展させる、その発明にはあまりにも有名かも知れない。また、カール・ベンツの妻であるベルタベンツは、市販しても売れなかった4輪車の販売に奔走してドイツを走っていたらしいので(ベルタベンツ・メモリアルルートとも言う?)、当時としては初めてクルマを運転した女性としても有名とか。

1886年と言えば、もうひとつの自動車の祖「ロバート・ボッシュ(ボッシュ社)」が起業した年でした。
その企業(日本法人)も今では国際色が豊かになり社長も再びドイツ人に。

さて、その博物館巡りから・・・・。

↓そのベンツ1号車、フライホイールが単気筒の回転ムラに役立っていそうな機構。


↓差動装置もしっかり搭載、約130年前にしては画期的は機構(さらに下の画像、4輪車の物)。


↓こちらその8年後1894年に市販化した4輪車(ベルタベンツ女史が奔走したもの?)。


↓こちらその家族の集合写真、中央のヒゲの男性がベンツ氏!?


過去の訪問記はこちらフォトギャラにも。。。2010/3/21(その1)、(その2

↓いつかは行ってみたい「カール・ベンツ博物館」
Posted at 2012/10/07 16:33:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 日記
2012年08月07日 イイね!

回想『荻窪魂』!?

回想『荻窪魂』!?今週の平常業務、今日から復帰。
いつもながら、全く、思うことは周りの志(こころざし)の違い??


画像)そんな時に週末イベントでの「荻窪魂」、懐かしくも羨ましく思えた。 「創造と挑戦」「「今までの常識を離れ思い切った発想」「勇み足を恐れない」「多数に賛意を求めない」「時間を大切に」、いつかの師のお言葉でしたね。

さて、そのパッケージから・・・・。

むかし、荻窪に魂ありき-----------

すでに名前の消えた会社であったが、その存在は確かに語られ続けていた。吸収・合併された後も残ったクルマ群はさらなる輝きを放ち、その会社の前身である航空機メーカーの伝説と気概、そして尊敬と憧憬とそれらがもたらす厚い信頼と共に、静かにそして深く語り継がれていた。日本自動車業界に大きな影響を与えたその会社の技術の伝説は、不滅の輝きを今も放っている。プリンス自動車工業は東京・荻窪にあった。それは、ひとつの大きな魂の所在でもあった。

トミカ・リミテッド・ビンテージ ~栄光のプリンス「荻窪魂(vol.1)」~ より
Posted at 2012/08/07 22:58:00 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 日記
2012年07月29日 イイね!

「スカイラインと私」・・・本編(その17)「完結編」!?

「スカイラインと私」・・・本編(その17)「完結編」!?いつかの聖地訪問で入手した「プリンス誌」の冊子。
その特集記事から故・櫻井眞一郎氏の手記を綴ってみましたが、いよいよ最終回(その17)、その当時としては先進的な設計主査(今で言うチーフエンジニア)を務めていた、1977年。ケンメリ・スカイラインの頃ではあったが、故人のクルマづくりの思想(考え)が今も伝わってきます。。。。♪
 さて来週はその聖地訪問、また懐かしいクルマと、そのクルマづくりに関わったお方達にお目にかかれるのが今から待ち遠しいですね♪もう過去のクルマかも知れませんがスカイラインは自分にとってそのクルマづくりのルーツでもあります。


「スカイラインと私(17)」・・・・設計主査、故・櫻井眞一郎

人気の”核”をたどってみると、”本質”に触れるのではないでしょうか。

”人気とり”という言葉は悪い意味で使われることが多いのですが、ただ”人気って何だろう”と考えることがあるんです。というのも、よくマスコミが「日本でも最も人気が高いクルマ」を募集しますと、「スカイライン」と多くの方からお応えいただいておりますので。設計者として、そんなに多くの方から好意を寄せられて、こんなにうれしいことはありません。ただ、それよりも重さとして実感できるのは、私なりのクルマづくりがそんなにまちがっていなかったな、ということなのです。先日もお客様から「”なるほど”と感じる所が1つづつわかってくる」と言ってくださいました。それは”こうあって欲しい”ということを単に品物でおきかえるんじゃなくてそういった欲求をクルマ全体のリズムの中に自然にとけ込ませるということなのです。たとえばシートですが、長時間ドライブしていると背中が痛んできますね。ほぼ同じ姿勢を維持しているのですから。その時痛む所とシートの間に手をあててみると痛みをやわらげることができます。そこで、一定の安定感をもたせて背中をホールドし、さらに疲労感の進行を遅らせるような、ちょうど”手”の役割をシートにさりげなく込められないものだろうか----少なくともスカイラインはそういった考え方で設計してきました。ただ、こういったことはカタログに出てくる数字や形で表現できる性質のものではないんですね。これは逆説のようですが、「何がいいんだかわかってしまうクルマ」は底が浅いような気がします。最初の話じゃないですが”人気とり”だと思うのです。少なくともスカイラインはグレードとかセンスをそのような所に求めませんでした。もちろん将来も。
Posted at 2012/07/29 22:24:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 日記
2012年07月22日 イイね!

最終章真近か(16/17まで読破)!?

最終章真近か(16/17まで読破)!?定例の聖地訪問も近くなって・・・。
思いの果てを回想する日曜日(?)
またまた、冊子「プリンス誌」をめくって見た!
(時期良く、みん友さんのシリーズも更新。。。(6))

さて、そんな今から約35年前のスカイライン開発主査(チーフエンジニア)のひとことを綴って最終章の直前(全17話)までやって来た。



スカイラインと私 (16)・・・・日産スカイライン設計主査、故・桜井真一郎(1977年のプリンス誌より)

けれんを脱した、赤裸々な人間の姿をスカイラインに託したかったのです。

スカイラインが誕生して20年、私にとっては”クルマといえばスカイライン”ともいえる20年なわけで、やはり感無量です。第1号から現在まで、1つのクルマだけを長期間設計できたというのはなんといっても大きな喜びですが、ただ私が良かった思うのは中味の密度なんです。その時その時の精いっぱいやってきたという実感ですね・・・。けれどこれは何も私1人がその濃度を維持してきたのではなく、仲間というか終始私と共にスカイラインを開発してきた人々の、”人となりの濃さ”にもめぐまれていたからです。チームワークを組んでお互いが触発し合ってスカイラインに人間の息吹を吹き込みたい、クルマと人間がコミュニケートできるものを---そんな情熱、深い渇望が脈々とうねり続けた5分の1世紀でした。それにはどれだけレーシングマシンの開発から啓示されたかわかりません。サーキットで極限の状況を維持しなければならないレーシングマシンは、すぐれた頭脳や技術、贅沢な資金といったデジタルな要素だけでは完成し得ません。ではメカニズムとして最大限の機能を発揮する裏づけは何かというと、これは開発にたずさわった大勢の人の熱気ですね。形をとるに至ったレーシングマシンには実にムンムンとした人間臭さが融和している---私が特に誇りに思うのは、そうやって結束したチームが同時にスカイラインを手がけてきたことなんです。レースで得たノウハウが培養されてスカイラインに還元されたことはもちろん、機械に血や情を通わせようとする情熱とチームワークをスカイラインにそそぎこめたことは、どんなものさしをもってしてもはかれない貴重な宝だと思っています。
Posted at 2012/07/22 22:24:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 日記

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「燃費記録を更新しました!!45回目の給油(ODO:10,742km、4378円) http://cvw.jp/b/339927/48614670/
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"minimal life" for the end of life planning and decluttering...., still alive in...
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