
数年前にラジカセの収集&修理に夢中になっている時期がありました。
私が小中学校時代を過ごした1970年代のラジカセです。
約2年間に入手したのは恐らく80台以上。
最終的なお気に入り機種は、結局はラジカセの「らしさ」と「心地よさ」が大切ということで、画像のsony cf-1400とcf-2550となりなました。
HI-FI、ハイパワーとは程遠い機種です。
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上記が結論です。以下、相変わらずの長文です。一応はクルマと相通じる部分のありそうな内容になってます。
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ラジカセは1960年代中ごろに誕生し、当初は B5サイズからA4サイズであくまでも携帯性を重視したものだったはずでした。
ところが、1974年頃にHI-FI性能を売りに販売を開始したsony cf-1980の商業的な成功以降、業界全体が高音質性、ハイパワーを追求するようになり、それにともない大型化がすすんでいったと言われています。
詳しくは、デザインアンダーグラウンドの松崎順一先生のHPをご覧ください。
https://www.dug-factory.com/
令和の時代に私もこの流れを追いかけるように、高音質、ハイパワー、大型なラジカセを集めていきました。
モノラルは、CF-1980V、CF-9000、RQ-568、Rk-888まで、
ステレオは、CFS-F40(←これは1981年の機種ですけど)まで集めました。
ネットオークションで100円程度のジャンク品を入手し、清掃、修復し、高音質化を期待してコンデンサやトランジスタを高品質なものに交換してみたり・・・
車で言えばファインチューニングみたいなことをやっていきました。
最初はウンともスンともいわないものが、通電するようになり、だんだんと新品当時の性能を取り戻し、更にファインチューニングで性能が高まっていく。
それなりに楽しかったのですが、少し遅れて1970年代のコンポステレオの収集&修理も始めたところ・・・・・
ラジカセでハイパワー、高音質といっても、コンポステレオとは別世界。所詮はラジカセ。入門機レベルのコンポステレオの足元にも及びません。
ここで、ふと立ち止まって考えました。
ラジカセの「らしさ」って何だろう?自分にとっての「心地よさ」って何だろう?・・・求めるべきは、それらなのではって。
その結果、辿り着いたのが画像のsony cf-1400とcf-2550でした。2台ともcf-1980発表の数年前のモデルです。
この2機種の開発者は、ハナからHI-FI性など追及しておらず、限られた条件の中でいかにユーザーが心地よく感じる音を提供できるかを追求していたのではないかと私には感じられます。全くHI-FIではないんですが、とにかく私の性(しょう)に合うんです。完全に「個人的な好み」の問題ですから、 cf-1400とcf-2550を皆様におススメしているわけではありません。「この音の何がいいんだ?」と感じる人がいたとしてもそれは当然のことと思います。
HI-FIは「原音に忠実」ということを意味するワードのようです。
ただ、HI-FI性を高めていけば、ヒトが心地よく感じる音になっていくかというと必ずしもそうではないようです。私はHI-FI性が高いと妙に聴き疲れしてしまうようなこともあります。
何を「心地よい音」と感じるかは人それぞれということのようです。
現代では音分析機器&ソフトを使って原音に対するオーディオ機器の再現度合いを手軽にビジュアルなかたちで分析できるようです(←私は使ったことがないです。その存在を風の噂で聞く程度です)。
その再現度合いを高めるために、オーディオ機器を改造したり買い替えたりする。そして、分析ソフトウェア上でビジュアルに示される再現度が高まればうれしい。
そうしているうちに「分析ソフトウェア上で再現度が高いといわれた音」=「良い音」と考えるようになる。
でも、自分にとっての良い音というのは、もっと直感的なもののはず。分析機械に教えてもらわなくたっていい。オーディオは人間に聴かせるものであって、機械に聴かせるものではないはず。そもそも自分の耳で感じるものですよね。
ただ、私が最後にcf-1400とcf-2550に辿り着いたのは、80台以上を聴き比べ、HI-FI性能を追及して色々と悪あがきをした時期があったうえでの結果です。
誰もがそのようなバカげたことをするわけではないので、お気に入りの機種を選考するにあたって、ある程度はスペックや他人の批評などビジュアルに示される情報を参考にすることは当然とも思います。
これらのことを「みんカラ」ですから強引にクルマに例えてみますと・・・・・
現在のデジタルオーディオが現行カローラだとすると、CF-1980はTE27で、cf-1400はKE20という感じでしょうか。
最初はTE27に夢中になり、チューニングをしながらサーキットでタイムアタックをして、そのタイムに一喜一憂する。
ある日突然思います。なんでタイムにこだわってるんだろう?なんで順位にこだわってるんだろう?って。
自分が心地よく走れさえすればいいんじゃないの?と。
自分にとってのカローラらしさって何だろう、自分がカローラに求める心地よさってなんだろう・・・・って考えた結果がKE20だった・・・みたいな感じでしょうか。
TE27路線の車ばかりを追い求めた私ですが、だからこそなのか今の私はカローラでしたらTE27ではなくKE20を選ぶと思います。
順位やスペックを少しでも良くしたいという欲求は誰にでもあるでしょう。でも、それは車を使って行うものでなくてもよいはず。
もっと安価で安全にその欲求を満たす世界はあるはずです。
1990年代後半、私の周りにはラリーやダートラなどのモータースポーツを本格的にやっている人が沢山いました。
ですが、彼らの中には当時流行した自作PCのベンチテストの競争にハマってモータースポーツをやめていく人が結構いました。
そのやめていく人の中で、もともと車が好きだった人は、競技で勝てる車ではなく純粋に自分が好きな車を選ぶようになっていきました。
別に競争欲求を満たす道具は車でなくても良かったのですね。逆に車を使って競争欲求を満たしていたおかげで、いつの間にかに好きな車を選べなくなっていたということのようです。
知人に、このような話をして、
「なんか通(ツゥ)ぶってる感じでイヤ味かな?」と聞いたところ、
知人からは、
「そういうのを『枯れた』って言うんだヨ」と吐き捨てるように言われました。