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2023年08月03日

「是非に及ばず」

「是非に及ばず」

追記(8月14日、2023)
大事なことを言い忘れていました。
このことから得られる(人生)教訓
「弱いものいじめも、ほどほどに」
でした。
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追記(翌々日8月5日、2023)
今度は光秀を改めて考えてみる。
信長を倒せば、自分の生命も一塁の望みも無いことは分かっている。
冷静に損得を考えれば分かること、それなのになぜ信長を襲ったのか。
一般的に言われていることであるが、やはり怨恨説が有力となる。
本能寺事件前あたりに、信長と光秀との間で殺意をいだくほどの相当の確執があったと推定される。真の原因は不明であるが、
なぜ信長は光秀にキレていたのか。
それは信長の異常なまでの嫉妬心から出てきたと思われる。
当時の信長は、自分の右に出るものはいないという状況と心境と状態にあった。
しかし、男前だけはいかんともしがたい。信長より女にモテるいい男がいた。
年はとっているが、それが明智光秀であったのである。
明智は娘に細川ガラシャを持つ、美男、美女系の家系である。
光秀が常に信長より女性にもてたのは容易に想像できる。
これは、信長にとって許せないことであり、光秀を女性の前でいじめ、恥をかかせ、いじめ抜いたのではないかと推測される。
最後の最後に光秀の堪忍袋の緒が切れて、信長殺し至ったのが原因である。
衆目の面前で罵倒され、さらにその衆目の中に、信長も、光秀も一目を置く女性がいた可能性も否定できない。自分が気にする女性の目の前で罵倒されては、男としてのプライドが許せない。殺意まで考えるであろう。男とはそういうものである。
したがって、光秀の謀反は「天下取り」のためのものではなく、第一目標は「信長の殺害」であったのである。信長を殺ろせば、下手をすると天下も取れるのではないかという誘惑もあった。
一方、信長も、ともかく光秀が憎くて憎くてしょうがなかった。「この臆病者(光秀)めが、殺れるものなら殺って見ろ、裸で寝てやるワ!!」という光秀に対する当てつけで、ワザと本能寺を無防備にしたことも理由の一つに考えられる。
さすがに信長も、光秀謀反を聞き及び「少々やり過ぎたか!」
すべては自分の嫉妬心から端を発していること、重々自覚しているでしょう。
「是非に及ばず」、まさにピッタリの言葉ですね(笑
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追記(翌日8月4日、2023)
信長はなぜ無防備であったのかを考えてみる。
信長には近くに信長の嫡男-信忠と五男-勝長は、本能寺にほど近い妙覚寺に滞在していた。どのくらいの兵力であったか不明であるが、少なくと明智軍に対抗できるものでは無かったと思われる。
信忠は本能寺に駆けつけようしたが、事態はすでに決していると諭され、防備に乏しい妙覚寺から二条城に移動することにした。そして明智軍との交戦で猛攻をみせた信忠であったが、力尽き自刃したとされる。信忠、享年26。
それはともかくとして、本能寺はほぼ完全なる無防備に近い状態であった。
信長は意図的に無防備にしていたと考えられる。
その理由は、もともと信長はうつけ者を装ったり、桶狭間の戦いなど、ともかく相手(人々)の寄をてらったり意表を突く性癖がある。
普通に考えれば、宿泊する場所が無防備なんて言うことは考えられない。
そこは信長である。京都を制する者は天下を制する。天下布武のデモストレーションの効果もあって、わざと無防備にして、自分の剛毅さを喧伝したかったのではと考えられる。
予想外の自殺手を打ってきた光秀、100名くらいの武装兵を備えておけば、逃げ切れた可能性もあったことを考えると、信長ならずとも、「是非に及ばず」の言葉しか思い浮かばないであろう。

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「是非に及ばず」 信長の最後の言葉として有名であるが、私のどちらかと言うと好きな言葉でもある。

この言葉は周囲のただならぬ物音に目を覚ました信長に、側近の森蘭丸から明智光秀の謀反であると知らされた時に、発した言葉で、諸説あり、「光秀なら仕方ない」とする何か思い当たる節があったとか、光秀なら本望だとか、真意は不明である。

今朝、ふとんの中でふっと思ったのであるが、この時の信長の心中を察してみました。
つまり、信長は信長で百戦錬磨の武将である。すべてのことは全部考え尽くしている。
当然、光秀の謀反も視野に入っていたと推測できる。
ただ、信長はもし光秀が謀反を起こした場合、すぐにサル(秀吉)や柴田が天下欲しさに反撃するだろう。
そうなった場合、軍勢の配分差(信長はあらかじめそう配分している)から光秀の敗北は必須である。
だから、光秀は謀反を起こすことは無いと、つまりここまで読んでいたのである。
ところが、ここで、光秀が目先の要望にかられ、間違えた(自殺手を打ってきた)のである(結果から見ても)。
信長は光秀の間違えまでも、計算に入れることはできなかったのである。
そこで「是非に及ばず」なのである。
つまり、光秀の謀反に対する善悪よりも、自分の計算違いについてのあきらめだったのではないかと。相手のミスまで計算に入れるというのは至難の業である。
どうでしょうか。この言葉の意味が真に理解できますね。

徳川家康、お城めぐり、の関連で。









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Posted at 2023/08/03 08:33:23

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この記事へのコメント

2023年8月3日 8:47
「光秀なら準備万端だろうから死ぬしかない」という解釈もあったと思います。ああ裏切られたか・・・しゃあないな、という心情だったかも。
コメントへの返答
2023年8月3日 10:22
>「光秀なら準備万端だろうから死ぬしかない」
→この時の光秀の軍勢は武装兵約3千名、一方信長側はお付きの者せいぜい(小姓、女など)4,50人の無防備状態です。
光秀ならぬとも、絶対絶命状態ですね。
2023年8月3日 9:02
ご本人が亡くなられているので真意のほどは知る由もありませんが、聞き手側次第でどうにでも取れる言葉ですね。

まあ、将棋の名人達人でも差し違える時はある。「しまった。やっちまったな。」ですかね。
コメントへの返答
2023年8月3日 10:35
う~ん、単に将棋の差し違えと同レベルに扱っては、信長が可哀そうでしょう。
信長だってそう甘くはない。
私がここで言いたかったのは、光秀のミス(自殺手)を計算に入れなかったのは信長のミスだと言われれば、それまでであるが、それが無ければ、信長は全て(光秀の謀反も含めて)読んでいたのです。
ということを言いたいのです。

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