AI向けのGPUを独占的に供給する大手半導体メーカーとして、2024年6月に時価総額 3.3兆ドル(527兆円)でマイクロソフトを抜き世界首位となったNVIDIA。先週は中国の新興AI企業 DeepSeekショックで、「約88兆円の時価総額が1日で吹き飛んだ!」ことがニュースになっていたけど、現在も
時価総額で3位をキープしている。
NVIDIAの名前は昨今のAIブームの大本命銘柄として初めて聞いたという人が多いと思う。しかし、昔から自作パソコンを趣味にしてきた私のような人にとっては、それこそ30年近く前から知っているブランドだったりする。そんな私でも、創業直後のNVIDIAをある日本人が救ったという話を最近知った。
NVIDIAの最初の製品である「NV1」を搭載した3Dグラフィックスボード「EDGE 3D」は1995年に発売された。「パソコンでセガのバーチャファイターなどがプレイできる」という話題性はあったものの、ほとんど売れなかった。
しかし、これでセガとの関係を築いたNVIDIAはセガの新世代ゲーム機 ドリームキャストのグラフィックチップ開発担当に選ばれる。ところが開発が難航したため、ドリームキャストには他社製のグラフィックチップが搭載されることになり、スタートアップ企業だったNVIDIAは窮地に立たされる。そんなNVIDIAに将来性を感じ追加の出資を決めたのは、当時のセガの副社長かつアメリカ法人の社長であった入交昭一郎であった。
この資金を元手に開発されたNVIDIAのRIVA 128は、1997年に発表されて大ヒットとなり、NVIDIA発展の礎を築く。RIVA 128は当時画期的な3Dベンチマークソフトだった「Final Reality」で圧倒的なスコアを叩き出し、自作パソコン界隈がざわついた。ベンチマークが速い製品はなんといっても正義なのである。当然、当時の私もRIVA128 チップの載ったグラフィックカードを買った。以降自作パソコン界でNVIDIAの認知度は一気に向上する。
その後、NVIDIAは1999年にGeForce 256を発売し、パソコンでのゲーム性能や3D処理の地位を不動にしていく。「GPU (Graphics Processing Unit)」という名称はNVIDIAが提唱したもので、GeForce 256から使われるようになった。
2006年にはGPUの高い処理性能をゲームやグラフィックス以外にも活用できるように、「CUDA」というソフトウェア開発基盤を発表した。これがAIや自動運転、ロボット、データセンターなどへの応用につながっていき、現在に至るわけだ。
入交昭一郎は、39歳でホンダ本社の取締役に就任し、将来のホンダの社長候補と言われた。しかし、同期で後に第4代社長となった川本信彦と副社長時代に経営方針を巡って対立。ホンダを退社し、1993年にセガに副社長として入社したという少し変わったキャリアを持つ。彼がホンダを辞めなかったら、セガとかかわらなかったら、今のNVIDIAの隆盛もなかったかもしれない。
参考情報
・
かつてNVIDIAを救った日本人「入交昭一郎」とは? - GIGAZINE
・
入交昭一郎 - Wikipedia
・Final Realityのベンチマークの映像 (これを見ると今でもちょっとワクワクします)
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Posted at
2025/02/04 14:47:51