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琵琶湖疏水」は、琵琶湖の湖水を京都へ運ぶために、明治時代に作られた水路だ。琵琶湖から送られてきた水は、水力発電や上下水道、かんがい用水,工業用水などに活用され、東京への遷都で衰退した京都の経済や産業を大きく発展させてきた。完成から130年以上の時を経た今もなお、京都の市民生活と産業を支える生命線として活躍し続けている。
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琵琶湖の湖水は、浜大津付近から引き込まれ、山科、蹴上、岡崎を経由し、鴨川に流れるというルートになっている。この疏水の水路に沿う形で、市民に親しまれる散策コースが整備されていて、今回は「
そすいさんぽ~大津-鴨川コース」を実際に歩いてみた。
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スタート地点の近くに三井寺(みいでら)がある。ここは天台寺門宗の総本山で、正式名称は長等山園城寺といい、多くの国宝・重要文化財を所蔵していることでも有名だ。その三井寺境内に「
開運そば」というおいしい蕎麦屋があるということで、スタート前の腹ごしらえをすることにした。
開運そばは、なんとも風情のあるお店だった。人気店でかつお昼時のため、外で30分ほど待つことに。私は天ざるそばを食べた。そばも天ぷらも美味かった。そば湯を飲んだのは久しぶりだった。
蕎麦屋をあとにして、琵琶湖疏水のスタート地点に向かう。そこには
琵琶湖疏水の観光船である琵琶湖疏水船の乗船場の建物があった。それを横目に見ながら、今回の散歩が始まった。
散歩コースは、水路が見える時はそれに沿うように道があるけど、水路がトンネルに入った時は、案内を頼りに歩くことになる。また、コース上には時おり「琵琶湖から●km」という表示がされていて、歩く際の目安になっている。
3kmほど歩くと、ローソン 藤尾小金塚店がある。散歩時の分岐の目印になっている、コース上にある唯一のコンビニだ。やっとここまで来たかとホッとする。スーパーの跡地を利用しているために、店内が無駄に広い。
ローソンを過ぎると、なだらかな散歩コースが続く。寒くも暑くもない散歩日和で、どんどん足が進んでいく。5kmを過ぎたあたりで、「毘沙門さん」と呼ばれ親しまれている
毘沙門堂の近くを通ったので、ついでに寄る。
7kmを過ぎたあたりで、京都方面から
琵琶湖疏水船が遡行してきた。流れに逆らって進んでいるので、結構パワーが出ている感じだ。かなり楽しそうで、思わず手を振ってしまう。この日の船の料金は9,000円(三井寺~蹴上)だけど、解説付きだし、来年には乗ってみたい。
8kmから10kmあたりは、水路がトンネルに入るので、三条通を通って、蹴上に向かう。三条通には多くの車が行きかっているけど、山越えする辺りに、写真は撮っていないけど、「
粟田口刑場趾」があった。
この辺りは江戸時代の交通の要所として栄えていたこともあり、治安維持の見せしめとして明治維新までに約15,000人!の公開処刑が行われたそうだ。明智光秀の遺体もさらされていたとのこと。「蹴上」という地名も、
処刑を拒む受刑者を蹴り上げながら無理やり処刑場へ連れて行ったことに由来するそうで……うーん、さすが京都。歴史の深みがこわい。
なだらかな下りのカーブを抜けると、地下鉄 蹴上駅に到着。近くに傾斜鉄道として有名な「
蹴上インクライン」がある。
これはインクラインから蹴上の交差点を撮影したもの。左側に見えているのはウェスティン都ホテル京都だ。このホテルは2010年代にはイベントで毎年来ていたので、とてもなつかしい。一度泊まってみたいけどなぁ^^;
南禅寺に移動すると、そこには琵琶湖疏水の水路橋となる「
水路閣」がある。上から見ると、こんな感じで勢いよく水が流れている。南禅寺にある謎のローマ風の建築物は明治時代に作られた水路だった。
そこから北に上がると、
琵琶湖疏水記念館があったので、映像化された歴史を見る。そのすぐそばには、「南禅寺船溜」がある。疏水船の停船場として利用されていたそうだ。それから京都市京セラ美術館を経て、平安神宮の大きな鳥居が見えたところで、今回の散歩は終了。琵琶湖からは12kmほどらしい。
右の茶色ぽく見えるのが琵琶湖疏水記念館
今回のルートは山道ではないし、とてもよい散歩コースだった。琵琶湖から2km手前に少し急な坂があり、そこが唯一のお疲れポイントだったかな。クマの心配をしていたが、クマ出現の案内は一度もなかったし、山科を抜ける際には大勢の人たちがコース周辺にいたので、大丈夫なのであろう。
さて次はどこに行くかな。
Posted at 2025/11/19 15:53:07 | |
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