
Way to longer・・・
18歳から何度ここ花脊峠を走ってるでしょう。
九十九折れの勾配路、
何処にでも有るような峠道ですが、
何時もチャレンジングし甲斐が有ります。
確かに登山でも上りは斜めに上る事で、
直行するより楽ですね。
ダブルヘアピンが何箇所も有る事で、
ここに道を作った方々は、考えて、苦労して岩を砕いたんでしょうね。
割と地盤は固いようで、災害も少ないんですが、
昨年の台風18号で1箇所崩落補修が未だ続いてます。
来た事有る方は、なんじゃ!あの道!離合する所も少ないやん!
って思われる方も多いですが、
子供の頃から慣れ親しんだこの道は、僕は大好きです。。
京都市内の真ん中をぶち抜く花脊峠。
太古はどんな集落だったのか?
奥には、平清盛が建造を指示した峰定寺という寺も有り、
修験道として盛んだったようです。
落ち武者集落とも言われる所以は、京都から山を越えて逃げ込んだり、
福井・滋賀からの合戦後に行きついて、ひっそり時を過ごし、身を隠すには持って来い。
又、日本海からの鯖街道の1本でも有り、別名塩街道とも・・・
花脊を通って京の都に魚や塩を運んでたようです。
山深いので炭焼きも盛んで、鞍馬まで季節問わず、足しげく担いで運んだとか。
その日は鞍馬で泊めてもらい、味噌とか食材と交換で帰路についたとか。
当然、雪深い日は、行き倒れてしまった方も居られたようです。
道が整備されてない頃は、桂川で筏を組んで、木材は川を下った・・・
それも、お隣の京北でバトンタッチ。京北から宇津,宇津から保津、
保津から嵐山の材木問屋と何日かに渡ってだったらしいです。
僕が小学6年生の頃に全線舗装が完了したくらいなんで、舗装は40年くらいの歴史しか、
有りません。。。
小説でも、「花脊峠に鬼が棲む。夜な夜な京に舞い降りて、都人を喰い荒らす」
なんて、有りました。
今は花脊峠から以北は外灯も灯り、携帯電話のエリアも拡充されました。
住む人々には不便以外には無いですが、今は車が有ります。
住民も減り、高齢化も進んでます。
しかし、そこに道が有るかぎり人は走る。
花脊峠・・・花を持った花売りか花摘みの女性の後ろ姿だとか、
京の都(花の都との解釈)に背を向けてる所だとか、
言い伝えは何個か有りますが、どれが本当の由来かなんて解りません。
そこに峠は存在し、花脊と名付けられてます。ただ、それだけ。。。
Posted at 2014/05/26 23:59:18 | |
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花背 | 日記