
この県の方とお友達になったので、少し思い出しました。
20歳の頃、パーソナル無線が全盛期で、愛車のスカイラインジャパンは無線のアンテナを高々と上げてた頃です。もちろん携帯など有りません。
僕の勤める会社にFさんが入社。当時僕にはまだ彼女が居たのですが、別れる寸前でした。
1年程後、Fさんとよく話すようになり、車が大好きとか…やがて会社帰りに送ったり、休みに会うようになります。しかし、入社されて1年頃から、会社に馴染めず、地元に帰りたいといつも言われてました。
その想いを知ってたので、辞める決意をされても、引き留められなかった。既にお互いが好きだという感情は人伝えに解ってましたが…
「あの時、想いを伝えてればどうにかなったのか?」
と、今も思います。
ただ、車で色々ドライブしてても、六甲の夜景を見ながら話すのは、地元の女友達や、地元の女の子は皆軽を買ってドレスアップしてるとか…そんな中で告白して、遠距離恋愛なんて考えられず…多分友達と居る方が楽しいんだなと感じた事が、想いを伝えない方が良いと判断したのです。
やがて退職。
その日僕は連休を取り、Fさんを郷里へ送ります。大坂のカップルなら必ず行くという箕面の洒落た喫茶店により、
「傍から見たら恋人同士に見えるかな?」
なんてふざけ合いました。
切ない想いを隠すように精一杯何時もの元気な姿を見せて…
津山ICは以外に早く、もっとゆっくり走れば良かったかなぁ~って…思いながら、Fさん行き着けの店で一服。
目を輝かせて語る彼女に、僕は自身の想いを抑えるのに必死と同時に、もう僕は必要無いと感じました。実家近くで降ろし、買ったばかりのミラで追掛けて来ました。
愛車を見せたかったのでしょう。
僕は早く帰りたかったので飛ばします。何かを振り切るかのように…早く…でも付いて来るので津山駅で一旦止まり、明るくさよならしました。
見えなくなるまで手を振ってくれたFさんとの日々を想うと、帰りの高速は涙混じりでした。
それから何度か、℡や手紙をやり取りし、京都の皆に会いたいと2年振りに来ることになり、新大阪まで迎に行き京都へ連れて行き、友達と楽しく話した後、再び新大阪へ送りました。
表情が随分明るくなっており、安心もしました。やはり環境の違いがFさんにとっては大きな問題だったのですね。
その後、僕も何度かFさんを訪ねて行きますが、当時携帯は無く、実家に電話して留守なら帰り道で待つ…を繰り返しましたが、すれ違いばかり。
おまけに車をRSターボに変えたことを伝えて無かったので逢えずじまいです。
それから僕は本格走り屋時代。Fさんの事を忘れはしませんが次第に追いもしなくなりました。
ところが、友人が津山で同窓会が有るので連れて行って欲しい依頼が有り久々に彼女の街へ。連絡を取り仕事の合間、少しだけ逢う事になりました。
15年振りの再会です。…
Fさんは結婚もし、子供も1人。幸せな毎日を送ってるとの事。少し痩せてましたが、当時の愛らしい可愛らしさや面影はそのまま残ってました。
もう、再会は有りません…たった15分が15年の想いを思い出に変えてくれました。と、思いたい…
15年振りの再会…
あれから8年経ちました…
何の為だったのか、15分で全て解かったのか・・・解かりあえたのかは分かりません…
ただ1つのケジメと言うか、蟠りが取れたというか、心のどこかで少し
荷が1つ降ろせた気がします。
こんな純心な時代もマンセルには有ったのです。
今もFさんの事良く思い出したりしますが、もう思い出に完全に変わりました。
あの日、本当に
「行かないで僕と一緒に居てくれ!」
と伝えてたら、どうなってたんだろう…それは誰も知らないし、永遠に答えは出ないでしょう…
25年前、若さに感けて勢いで…も考えましたが、その人を思い遣る気持ちの大切さに、どこか気付いていたのでしょうか…
引き際の大切さがこんなに辛いと感じたことは無かった…、あの頃の僕です。
オチとすれば、こんな純心な心を持ちながら、Fさんを新大阪に送った2年後には
、不倫をしていた事くらいでしょうか?(笑)
笑えないっつーの!!!
パートⅡ!相手を思い遣る気持ちが有れば、離婚してないっつ~の!!!
懺悔じゃぁ~×××××
長々と読んで頂いた方、有難うございました。これは25年前の話でした…
Thank you!

Posted at 2008/11/28 06:30:49 | |
トラックバック(0) |
過去も僕の人生 | 日記