
鈴鹿サーキットのターン7でクラッシュした、
ビアンキの手術が無事終ったと言うのに、
往年のF1ドライバーの死亡事故のニュース!
アンドレア・デ・チェザリス。
謹んでご冥福を祈ります。
アンドレア・デ・チェザリスは5日(日)にローマで起こった事故で即死と言う報道でした。
デ・チェザリスは1980年のデビューから1994年の最終戦で引退するまで、
F1ドライバーとして活躍し続け、通算208戦の出走を果たしてますが、
勝利に恵まれず、過去最高成績は2位だったと思います。
生涯5度の表彰台を記録したにもかかわらず、今なお未勝利のドライバーとして、
歴代最多出走回数の記録を保有しています。
1982年のモナコGP。最後の周回でラップリーダーのディディエ・ピローニが、
フェラーリマシンに電子系のトラブルを抱えたことから、
デ・チェザリスが先頭に躍り出るも、勝利を目前にしながら、
彼の駆るアルファ・ロメオはゴール手前で燃料が尽きたのを想い出します。
この時のウイナーはリカルド・パトレーぜだったかな・・・
壊し屋の異名を持つくらい、クラッシュが多く、アグレッシブと紙一重でした。
[以降ESPNF1さんの記事より]
F1ではアルファ・ロメオの他に、マクラーレン、リジェ、ミナルディ、ブラバム、リアル、
スクーデリア・イタリア、ジョーダン、ティレル、ザウバーのステアリングを握った経歴を持つ。
ジョーダン時代には1991年にスパでF1デビューしたミハエル・シューマッハの、
初のチームメイトとなった。
F1参戦から最初の2年で荒っぽいドライビングスタイルの評価を得てしまい、
それを一度も払拭できなかったが、それでも彼の長いキャリアは、
彼が与えられたマシンの力を最大限に引き出す能力を有していたことを証明していると言える。
デ・チェザリス逝去のニュースは、マルシャのジュール・ビアンキが、
鈴鹿で開催された日本GPで事故に遭遇し、頭部に重傷を負ってからわずか数時間後にもたらされた。
アンドレア・デ・チェザリスが1981年に初めてフル参戦を果たした際の所属チームである、
マクラーレンとフェラーリは日曜遅くに哀悼の意を表している。
「悲しいことに、かつてマクラーレンに所属したF1ドライバーであるアンドレア・デ・チェザリスが、
本日他界したことを受け、マクラーレンの全員が哀悼の意を表す」とツイートしたマクラーレン。
フェラーリは「デ・チェザリスよ、安らかに。われわれの心はアンドレアの家族とともにある」と述べた。
Posted at 2014/10/06 18:04:11 | |
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NIGEL MANSELL&F1GrandPrix | 日記