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イイね!
2024年07月11日

レナウン消滅…

レナウン消滅… レナウンといっても、

???

の人が多い…

だけど

マツダに乗ってる人だと

?でニつ減るかなw
(レナウン娘なら知ってるって?…ああ〜)

ルマンで優勝したマツダのレーシングカー

マツダ787Bのボディには大きく「RENOWN」と書かれてました。

スポンサーカラーのオレンジとグリーン、

そしてこのRENOWNの文字のマツダファン、ロータリーファンは萌えるw

しかしレナウン自身は2020年に破産手続きを開始。

この8月に最後配当を実施して、今年中に破産手続きが終了(Yahoo newsより)

法人としてのレナウンは消滅だそうです。

ちょっと寂しい。。。。。

あっ!

そうそう

マツダに

ルマン優勝30周年メモリアルサイト

ルマン出場車のミニエピソードもあって、

面白いですよ。

例えば

「マツダ737Cのボディが真っ白なわけ」

「マツダ747や777が存在しないのは」

等々

もし、まだご覧になってない方は是非www





ブログ一覧 | 日記
Posted at 2024/07/11 15:40:50

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この記事へのコメント

2024年7月27日 6:03
はじめまして😃

私も当時はマツダ787Bに熱狂しました。

日本の巨大2メーカーも日本車初を目指していましたがマツダにヤラれたって感じだったのを覚えています。

マツダのチーム監督の言葉でニュースで報道されていましたが大橋監督は「戦わずして勝利や栄光はない」と何周も先を走るメルセデスを追撃する指令を出したそうです。

多くのチーム関係者は「無謀だ。このまま淡々とはしり2位を守ろう」の意見が多かったそうです。

レースである以上、相手より早く走り先にチェッカーを受けるのが至上命題でマツダはレースをよく知っているレース屋だったんだなぁと。

もちろん先を走る結果的にはマツダの追撃を振り払おうとベースをあげてエンジンを壊してしまったメルセデスにも私は、さすがだなぁと思いました。

その辺が漁夫の利を得て好結果を得ようとする巨大2メーカーとの違いだったんですね。

最近はル・マンは全く見なくなりましたがメーカーの意地と威信とプライドをかけた戦いに若い頃の私は熱狂していました。
コメントへの返答
2024年7月27日 8:12
はじめまして、コメントありがとうございます。

実は8台目、1966年の第3回日本GP(F1じゃない)をテレビの中継で見ていて、その頃は日産(プリンス)、R380ファンでした。なぜかドライバーは生沢徹が好きな中学生でした。

そのR380のエンジンを積んだスカイラインGT-Rにも夢中になって、部屋にオートスポーツ誌から切り取った写真(その頃はレース結果を広告に使わないと言う申し合わせがあったので、グランプリのツーリングカーレースに出ますと言う予告広告の画像)を貼ってました。

無敵(?)スカイラインGT-Rの連勝を止めたのがマツダのRX-3(サバンナ)で、マツダ?ロータリーエンジン?ということでマツダに興味を持ちました。

そしてルマン挑戦。これもシグマに12Aを積んで、生沢徹が乗ってというので大注目。

マツダスピードとしてのワークス参戦後も、まさかメルセデス、ジャガー、そしてプライベートのポルシェにすら勝てるとは正直思っていませんでした。トヨタでもなく、日産でもなく、地方都市の広島に本社を置くマツダだけが、孤独に開発を続けたロータリーエンジンを積んだ787Bの快挙は、まさに感動でした。
2024年7月27日 8:55
返信ありがとうございます。

ずいぶん昔の事に、お詳しいので私より年上ですかね?

私は昭和36年生まれの63才になります😅

私もオートスポーツ誌は欠かさず読んでいましたしオートテクニック?も夢中で読んでいました。

レースは暴走族の親玉みたいな偏見も当時は強くテレビ放送なども滅多に無かったですから情報など乏しかったですよね。

日本グランプリ(F1ではないほう)の逸話も、ずいぶん後に知ったのですが私が免許を取得して最初の車がRX7でした。

どこまでもストレスなく回り続けるロータリーエンジンが大好きでしたね。

そんな事で私もレースが好きでル・マンでのマツダ787Bの勇姿は直には見てませんが鈴鹿1000キロには毎年、観戦に行ってました。

レース中盤、独走するポルシェがトラブルで後退。

トップにマツダ254iだったかな?

トップでチェッカー目前の最終ラップにトラブルから回復したポルシェに大逆転負けを喫して体が震えるほど悔しかった出来事がありました。

とにかくロータリーサウンドは天使の叫びと言われる程の素晴らしい音楽でしたね。

今はホンダF1のブームに乗ってしまいセナの時代からのホンダファンで車はホンダ車ばかりを乗り継ぎ角田裕毅選手を応援しているミーハーになってしまっていますが😅
コメントへの返答
2024年7月27日 17:06
はい、かなり年上です。

毎年、5月3日、日本グランプリの中継を楽しみに、ちょうど母親の実家のお祭りの日で、親戚の人の呆れ顔を気にせず、真剣に見てました。怪鳥R381、ポルシェカレラ6、そして生沢徹のカレラ10の優勝ゴールシーン、酒井正のカレラ6の事故でボディカウルがばらばらに散る瞬間、全部覚えてます。

兄の嫁さん(実家が三重県白子)の兄がホンダ勤務で、鈴鹿サーキットのチケットをくれる事があったので、鈴鹿へは良く行きましたが、妻が渋滞を嫌がるので、いつのまにか足が遠ざかってましたw

F1はテレビ中継がされるようになってからは全戦録画してました。ビデオテープが大量に溜まって、これも妻のひんしゅくモノでした。それまでは、NHKの1時前の海外ニュースでたまに流れるF1の走行シーンを食い入るように見てた思い出があります。
F1もセナ、マンセル、中島悟の時代で記憶が止まっているかなあwww

2024年7月27日 8:59
生沢さんと言えばヨーロッパF2にも参戦されて後にI&lレーシング?を立ち上げ中嶋悟氏をドライバーにホンダエンジンの支援を受けていましたね。

生沢氏はホンダとの関わりも深かったかなと記憶しています。
コメントへの返答
2024年7月27日 17:13
そうそう、思い出した。

中島悟は生沢徹のチームでF2デビューでしたね。色々あったみたいですが、ホンダとの縁もそこからでした。

ロータスホンダに乗った中島悟のF1初レースのテレビ中継は興奮しました。

(文中敬称略ですみません)

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「[整備] #MAZDA3ファストバック マツダ スピリット レーシング ステッカー貼り付け https://minkara.carview.co.jp/userid/3590904/car/3516055/7989487/note.aspx
何シテル?   10/30 15:52
15年続けたみんカラを辞めて約2年。マツダ3が納車されたので復帰しました。 車歴は…BD赤いファミリアXG、BFファミリアスポルト、カペラカーゴワゴン、初代M...
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