
今、
奇跡体験!アンビリバボーを
見ていました。
その中で、
超感動した話があったので
ちょっとご紹介します!
それは、頑張って甲子園を目指している高校球児達の
最後の引退試合のことでした。
ただ普通の引退試合ではなく、レギュラーに入れなかった”補欠部員達の最後の試合”でした。
愛知県の名門”中京大中京高校”と”大府高校”の特別引退試合です。
普段はレギュラーメンバー達の裏方でバックアップしている補欠選手達が、最初で最後の試合。
まじで感動しました~♪(号泣)
以下 番組のホームページより
名門野球部の過酷な青春
名門野球部の過酷な青春 2012年6月6日、かつては県大会の決勝が行われていた瑞穂球場に、授業を終えた大府高校と中京大中京高校の選手達が集まった。この日の主役は両チームの3年生補欠部員達。彼らがいつも担当している雑用から、バットやヘルメットの準備まで、全てレギュラーメンバーが行う。
だが、予選を控えたこの時期になぜこのような試合を行うのか?大府高校は公立ながら甲子園に7度出場した強豪校。部員が80人もいるため、3年間で1度も試合に出れない部員も多い。そんな彼らに花道を作ってあげたいという元監督の思いから2000年に始まった親善試合も今年で13回目。
一方、中京大中京高校は甲子園最多、7回の優勝経験を誇る、全国屈指の名門校。厳しい入部テストに合格した72名のエリート部員のうち、1軍になれるのは約20名。選ばれなければ、例え3年生でも、試合はおろか実践練習にも参加できない。
試合の2日前に、監督から3年生補欠部員に親善試合で背負う背番号が渡された。親善試合に出場する3年生には、あらかじめメンバー落ちが知らされている。吹っ切れた明るい表情で意気込みを述べる3年生達。そんな中、1人だけこらえきれない涙を流す選手がいた。
鈴木大志君、実は、彼は昨日まで1軍にいたのだ。 2年生の秋には背番号5番をつけ、サードでレギュラーの座を獲得。しかし、年明けから調子を崩し、最後のチャンスだった遠征でもノーヒット。このわずか数時間前、メンバー落ちが知らされたのだ。
だが、涙の理由はもう一つあった。岐阜県に住む鈴木君は、毎日1時間半かけて通学。朝6時に家を出て、帰るのは夜10時を過ぎることもある。父の孝浩さんが、朝も夜も最寄りの駅まで送り迎えをしてくれている。
鈴木君が野球を始めたのは、小学1年生の時。父親が監督を務める少年野球チームに入ったのがきっかけだった。父との二人三脚の練習が実を結び、憧れの中京大中京野球部に入部した鈴木君はレギュラーを獲得。しかし、春季大会は予選で敗退し、春の甲子園出場は叶わなかった。だからこそ、甲子園のグラウンドに立つという親子の夢を果すため、最後の夏にかける思いは誰よりも強かった。しかし今回、メンバー落ちしてしまったのだ。やり場のない悔しさを家族の誰もが感じていた。
2012年6月6日、夕方5時30分、3年生補欠部員達による最初で最後の晴れ舞台がついに幕を開けた!ウグイス嬢のアナウンス、さらには電光掲示板に写る自分の名前、彼らの殆どが初めての体験だ。スタンドには我が子を見つめる両親の姿。 そしてこの日は、甲子園を目指すレギュラーメンバーがスタンドから声援を送る。
2回、中京大中京、2アウト2塁3塁のチャンス。ここで迎えるバッターは、不振に喘ぎ、直前でメンバー落ちした鈴木君!!彼は今日の試合、ストライクを全部フルスイングしようと決めていた。ずっと二人三脚でやってきた父と、見守ってくれていた母に、自分の3年間を証明したい。
苦しみ続けた元レギュラー、半年ぶりの3塁打!!それは、苦労をかけた両親に捧げる最高の3塁打だった!
一方の大府高校にも、ある人への感謝の思いを胸に打席に立った選手がいた。小野雄太君、中学時代にはシニアリーグの海外遠征メンバーに選ばれた逸材。 183cm、83kgの恵まれた体格で長距離砲として期待された。だが最後の夏、メンバーに入ることはできなかった。
一年生時、練習についていけずに倒れ、一時は野球を諦めかけた。それでも仲間に支えられて3年間プレーし続けられることができた。そして、そんな小野君を3年間支え続けたのが、母の利枝さんだった。利枝さんは体の弱い息子のために少しでも体力がつくようにと、昼の弁当だけでなく、1日分の食べ物や飲み物を毎日用意した。
苦労をかけた母のため、そして応援してくれた仲間のために!小野君が打った打球はフェンスを越え、ホームラン!!甲子園の打席は夢で終わった、だからこそ今日打ちたかった。自分を支え続けてくれた人達に送る感謝のホームランを。
午後7時、球場に灯りがともった。と、その瞬間、スタンドからわき上がる大合唱。実は親善試合は、点差に関係なく開始から2時間が過ぎた時点で終了となる。夢の時間に終わりが近づいていた。
最終回、マウンドに中京大中京のエースナンバー、1があがった。田島章博君、スタンドのレギュラーメンバーが一際大きな声援を送る。そして、田島君の親友・栗岡良典君。栗岡君も心配な表情でマウンドを見つめていた。
中学時代はエースで4番だった田島君。高校進学時に10校からスカウトが来た中、スポーツ推薦で中京大中京高校に進学。夢の甲子園に向け、周囲からも大きな期待を受けていたが、2年生の秋に膝を怪我して入院、手術。怪我の影響で満足に練習できない日々が続いた。
一時は野球を辞めることも考えた。だが、そんな彼を仲間達が放っておかなかた。仲間達の励ましが、怪我に泣いた田島君を野球に踏みとどまらせた。
試合の前日に行われた、田島君にとっては久しぶりの実践練習。レギュラーにはなれなかった。でも、仲間達ともう1度野球ができることが何よりも嬉しかった。
練習後、田島君を食事に誘った栗岡君には、どうしても伝えたいことがあった。 それは「明日は楽しんでやっているところが見たい」ということ。
夢見た甲子園のマウンドではなかった。だがピンチを迎えても、仲間達との約束通り、田島君の顔には笑顔が溢れていた。
最終回、大府高校の攻撃は2アウト満塁。試合前、「最後、三振で締めます」と豊富を語っていた田島君。そして、思いを込めた1球は・・・渾身のストレート!!田島君は宣言通り、最後の打者を三振で締めくくった。
出場した3年生補欠部員、両チーム合わせて20名。甲子園を目指すグラウンドには、もう立てない。だが、悔いはない。それぞれの想いを胸に全力でプレーする。苦楽を共にした仲間とプレーできる喜びを噛み締めながら。
試合時間、2時間。親善試合は、どんなに点差がついても引き分けと決まっている。それぞれが、高校野球にかけた3年間を完全燃焼した2時間だった。
中京大中京高校のロッカールームでは、試合に出た選手達が何かを取り出して読み始めた。実は昨日の練習後、キャプテンの武藤将司君の呼びかけで、レギュラーメンバーが書いた感謝の手紙だった。
ロッカールームを出た補欠部員を待っていたのは、レギュラーメンバーからの手荒い、だが、心からの祝福だった!そして、最後まで割り切れない思いを抱えていた中京大中京高校・鈴木大志君も吹っ切れた笑顔を見せていた。
3年生補欠部員達の一夜限りの夢は終わった。完全燃焼した達成感と、輝くばかりの笑顔を残して。
2012年6月17日、夏の地区予選を目前に控えたこの日、大府高校ではメンバーが遠征試合で不在のため、1・2年生が実践練習をしていた。その中では熱心にキャッチャーの指導をしていたのは、親善試合でホームランを打った小野君。彼の新しいポジションは後輩の指導係だ。
一方、中京大中京高校では、強化合宿が始まっていた。メンバーが朝食を摂る中、トレーニングルームに鈴木君の姿があった。メンバーが使用しない早朝、後輩の指導をしている。そして、練習前のグラウンドでは、田島君がメンバーのためにピッチングマシーンを準備。
メンバーの練習が始まった。だが、彼らが実践練習に参加することはもうない。すると田島君がグラウンドに駆け出した、ランナー役を買って出たのだ。激しい練習をこなすメンバーに鈴木君が駆け寄り、激を飛ばす。立場は違っても、思いは一つ!!彼らの夏は終わっていない!!
とても良いこと(試合)だと思います。
一生懸命頑張っても、レギュラーになれなかったメンバーに最初で最後の晴れ舞台を
作ってくれる。
本当にすばらしいことだと思いました!(ウルウル)