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2011年10月29日 イイね!

初ハーフ・和歌浦ベイマラソンに出たはなし

初ハーフ・和歌浦ベイマラソンに出たはなし一週間近く前の話しですが,初ハーフマラソンに出場しました。その顛末や記録などをしておきたいと思います。

本番の話しをする前に,スタート前のトラブルの話しを…。

このハーフマラソン,スタート地点が和歌山港なんですが(ゴール地点はマリーナシティ),微妙に交通の便が悪い。色々事情もあって結局,JRの宮前という駅から3.8kmぐらいの距離をウォームアップでスロージョグしつつ行くことに決めました。

で,機嫌良くスローなテンポでスタート地点にむかってちんたら走っていたのですが,なんと,スタート地点に着く手前で,道がないことを発見! 実は,事前に確かに道がなさそうなことはグーグルマップで分かっていたのですが,地図で道がなくても航空写真みると道がありそうなので,突っ切れるだろうと思ったのです。下の図の,ピンクの矢印が最初に想定したルートです。

f:id:ultravisitor:20111029013956p:image

ところが,いざ現地に行ってみると,そのピンクの矢印の部分は,花王の工場内! グーグル地図をよくみりゃ「花王」って確かに書いてあるんですが,よくわかってなかった。さすがに工場の敷地を通るのはまずいし,通り抜けの道がない可能性もあるので断念。

そこで回り道をしてスタート地点に向かおうと思ったのですが,この最後の最後で,どうやら丘?が行く手を阻んでいて,回り道するにしてもものすごーく遠回りをする必要がある。上の図で言うと,まともに回り道すると,青色の矢印のコースを通る必要がある。

最初は回り道コースをあせって小走りで行きましたが,しかし,9時半スタートのレースで,時間はすでに9時6分ごろ。おいおい,この青色のコース行くと,スロージョグなんて悠長なこと行ってられねえ,レース前に全力疾走しないと間に合わん! しかしそんなことしたらレースで死ぬ!

…と気付いたので,ちょうど畑仕事している地元のじっちゃんに道を聞いたんですわ。「中央卸し市場(=スタート地点)に行く近道ありませんかね?」と。

するとじっちゃんは親切に地図に載ってない裏道を教えてくれました。道なき道をかきわけ,めでたくショートカットに成功。上図の赤色の実線が実際に走った道です。なんとかスタートの10分前に着くことができました。ありがとう,じっちゃん!!!

しかし,これだけで5.7km走ってしまいました,ハーフマラソンの前に。こりゃウォームアップにしてもやり過ぎだよな…。

泣き言言うひまもなく,スタートの号砲。

事前に30kmジョギングも二回やっていたので,ハーフマラソン完走には不安は感じてませんでしたが,関心事はどれぐらいのペースで走れるのか。

前半は特に可もなく不可もなくというペース。コースは海沿いを含んでいるものの,前半は産業地帯なのでいまひとつ殺風景。

そうこうするうちに10km前後で,延々続く「魔の上り坂」が。ここがちょうど「和歌浦(わかのうら)」で,景色は素晴らしいんだけど,いかんせん上りが長過ぎるのでしんどい。もちろん予め分かっていたので,あきらめて,ムリのないペースでチンタラ登っていきましたが,それにしても皆さん元気ですね。ここで鬼のように大勢の人に抜かされまくりました。

後半もタイムは伸びず。いや,後半タイム落ちるのは普段の練習から織り込み済みなんですが,タイム落ちるにしてももう少し落ち幅が小さくなると見込んでいたんですが,自己計測ラップでは6分/kmをオーバーするラップも。走りながら「タイム伸びねえ!」と思っていたのですが,あとから考えると,レース前に「ウォームアップ」で期せずして5.7kmも走った影響があったのかも…。

とりあえずボロボロになりつつ無事ゴール。(冒頭画像ピンクのがオレ)

タイムは公式に1h58m33s,自己計測のネットタイムではそれの1m減ぐらい。うーーーん,ネットで1h56mや1h55m行きたかったなあ。ま,しゃあないか。

今回の反省点は「必要以上にウォームアップしてしまった」ことと,「スタート2時間前の朝食でパンをたらふく詰め込むように喰ったらスタートしてからすっぱいものが食道を昇ってくる瞬間が幾度かあった」ということですかね。通説通り朝食は3時間前にすませておくべきですね。

ということでこれまでのレース記録のサマリーを記載しておきます,自分への励みのために。

DateNameDistanceRecordNet
2011.10和歌浦ベイマラソンハーフ(初)1h58m33s1h57m23s(自己計測)
2011.4芦屋国際ファンラン10km(初)52m30s51m27s


さ,次は神戸マラソンで初フルdeath。そのまえにあまねさんFight!
Posted at 2011/10/29 02:23:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2011年10月21日 イイね!

マラソン初シーズン

ここんとこ,車と同等の趣味になりつつあるランニング。

思えば,もともとは数年前腰痛対策でジョギングを始めたのがはじまり。一人で走っていることに行き詰まりとマンネリを感じ出した頃,すでにマラソンにハマっていた同僚にそそのかされて今年の4月に10kmレースに出てみたのが間違い?のもと。一度レースに出ると飛躍的にタイムが伸びることに味をしめて,じゃ次はハーフにでも出てみようかと漠然と思っていたとき,また同じ同僚が「11月の第一回神戸マラソン出ましょうよ」と悪魔のささやき。

正直,フルマラソンは自信ないので,ハーフにしておこうと思ったところ,なんと神戸マラソンはハーフはなくて,フルの下はクオーターになってしまう。つまり約10km。

うーん,もう一回10km出るのは嫌だなあと思ったぼくは血迷ってフル出場にOKを出してしまいました。

そしてしばらく,神戸マラソンの抽選結果を待っていると…また同僚が悪魔のささやき。曰く,「神戸マラソンは倍率4倍でとおらない可能性があるから,保険として12月の奈良マラソンにエントリしましょうよ」

それに流されて奈良にエントリして,神戸は落ちたも同然な気持ちでいたら,なんと神戸も通ってしまった。

フルマラソンどころかハーフも経験ないのに11月,12月連続でフルは如何なものかと思いつつ,やっぱトレーニングしないとまずいのでトレーニングしていると,今度はツイッターでランニングの先輩方が色々情報やアドバイスをくれる。

そうこうしているうちにだんだんハマってきて,11月の初フルをひかえて,練習に弾みをつけるためにハーフでも走っておいた方がいいのでは?と思うようになって,10月にハーフをいれました。

これで,10月ハーフ,11月フル,12月フルと予定が入ったわけですが、そうすると今度は「年内はこれでいいとして年明けはどうしよう」と考える自分がいました(。-_-。)。マラソンのきっかけとなった4月の芦屋ファンランはやっぱり出ておきたいから(職場の人間も複数エントリするはずだし),そのまえ,2月ぐらいになんか出ておこうかしらん…と物色した結果,徳島のフルに旅行がてら出ることにしました。

ということでフル出たこともないのにあれよあれよと予定をいれてしまいました。まとめると,



  • 10/23 和歌浦ベイマラソン(ハーフ)

  • 11/20 神戸マラソン(フル)

  • 12/11 奈良マラソン(フル)

  • 2/19 徳島 海部川風流マラソン(フル)

  • 4月 芦屋ファンラン(ハーフ)予定



うーん,どシロートがこんなスケジュール組んで良いものだろうか…と思いつつ,空いている1月に手軽なハーフか10kmあったら慣らしとして出たいなと思う今日このごろ( ;´Д`)

とりあえず今週末は初ハーフ。楽しみです! その前に溜まっているシゴトを片付けねば…。
Posted at 2011/10/21 10:51:47 | コメント(6) | トラックバック(0) | 日記
2011年10月16日 イイね!

バニ朗ホイール再塗装

バニ朗ホイール再塗装以前にも何回か述べていますが,バニ朗のホイールは,もともとは鉄チンで,素敵な自己流ガンメタ塗装を施してあるんですが,これは冬用で,夏用にはMAKムジェロIIという社外ホイールを装着しております。しかしこのムジェロIIのプレーンなシルバー色と丸いシェイプに不満を感じ,シャープさを出すために去年の秋に,部分塗装を敢行。ところが,曲線を含む部分塗装は予想以上に難易度が高く,遠目にはいいんですが,近くで見ると粗がありすぎ!

その後,曲線部の塗装しなおしを何度か試みたんですが,あまり効果が上げられず,実は最近,新しいホイールに変えてしまおうと思っていました。その候補がMSW 22というシロモノ。

カッコ良くて安くて,パンダにも付けられるとフジ・コーポレーションのサイトにあったので,さっそくフジに行ったのですが…

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フジの人がOZ(MSWはOZのサブブランドなので)に問い合わせたところ,パンダへの適合は微妙とのこと。

えーーーー。

インセットがパンダ純正35のところ,MSW22は38で,内側に3mmほどせりだしてしまうとのこと。ホイール自体は大丈夫だけれどもタイヤを組むとタイヤハウスに干渉する可能性あり。Fiat 500には適用実績はあるようだけれども,500よりもニューパンダの方がタイヤハウスの余裕がないらしい…。

確かに,うちのバニ朗の取り説には,純正ホイール/タイヤでも「スノーチェーン不可」とある。ちょっと冒険できないよなあ…。

ということで,新しいホイールはあきらめて,今のムジェロIIを再塗装することにしました。再塗装というか,全塗装というか。今まで,部分的に黒に塗装していたのを,全部黒にしてしまおうと。

ショップに並んでいるホイールを観察すると,ブラックのホイールは大多数がマットプラック。なるほど,黒ホイールの主流はつや消しか。ということでホルツのつや消し黒のスプレーを2本買ってきました。

スプレー買ってくると,シゴトがたまっていても塗装したくなるのがぼくの悪い癖。さっそく塗りました。

テーマは「時間や手間をかけずにテキトーに!」「剥がれたらペンで塗ってごまかせ!」です。

↓洗車もしていないホイールをテキトーに布で拭く。
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↓タイヤをはずして,ホイールのセンターキャップを取る。このセンターキャップは輪っかがつっかえ棒の働きをしていたので,ドライバーなどでつっかえ棒の輪っかを爪から押し込んで,その後,裏からドライバーなどで押したら取れます。いや,わざわざ輪っかに細工しなくても,裏から強い力を加えれば取れると思います。表からドライバーをねじ込んで取るのは難しいと思います。
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↓次にシリコーンリムーバーで脱脂。
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その後,速攻でスプレー噴射…と思ったのですが,つるっつるのホイール表面を観ているとやっぱり「塗装乗るかなあ…」と不安になり,思わずたわしで簡単に足付け↓
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しかし,たわしで付けた傷は荒いので,塗装しても傷が残るかも…と心配になり,耐水ペーパー600でさらに足付け↓
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「お手軽に時間をかけずに」という今回のモットーを守るためにあくまで適当に足付け。

↓こんなもんで十分だろうと。うん,塗装乗りそう。
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足付けしたら当然塗装クズが出るので,再び脱脂。(てか,それが本来の順番…)

↓ちょうテキトーにマスキングしたあと,ホルツのつや消しブラックを吹き付けます。
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↓ひと塗り目。
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↓ふた塗り目。
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↓さん塗り目。
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↓四飛ばして五塗り目。
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↓ねんのため六塗りして完成。
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この日は15時ごろ作業を始めたのですが,テキトーかつ手早い塗装作業をめざしたものの,作業は17時を超え,季節柄,ぐんぐん暗くなり,17時半にはほんと見えなくなりました(ガレージには照明ありません)。

そこでスーパー同居人ちゃんを召還して(=懇願して来てもらって),iPhoneアプリの懐中電灯を用いて照明係をやってもらって,19時になんとか4本塗り完成。

その日は暗くて仕上がりが分からなかったので翌日,日が照っているところでその全貌をカメラにおさめてきたyo。

↓黒いね~
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↓黒いね~
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↓黒いね~
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てか,洗車してないからタイヤのほうが茶色いな,むしろ。

黒ってこうしてみると地味ね。でもまあ,ちょっと変わった感じで,そこそこ気に入っています。暗がりで吹き付けたわりにムラもないし,部分塗装のときと違い,アラはあまりないので精神衛生上良い(笑。

でも,ボルト締めるときにレンチを穴に不用意につっこむと速攻で剥げる。すでに経験済み。でも想定の範囲内。きっと飛び石でも禿げるんじゃないかな。そんなこともあろうかと,ホイールペイントスプレーをトランクに入れております。剥げを発見したら塗りゃいいのよ。今日もさっそくボルト穴の剥げをスプレーしたよ。

以上!
Posted at 2011/10/16 23:56:18 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記
2011年10月07日 イイね!

Steve Jobs

Steve Jobs日本時間で今朝,スティーブ・ジョブズが亡くなりました。8月にCEO職を退いたばかり。いつかはこの日が来るだろうと誰もが思っていたでしょうが,まさかこんなに早くその日が来るとは思っていませんでした。多くの人同様,ショックで,悲しい。8月にCEO職を去るとき,「残念ながら,その日が来ました」と述べたときには,今思えば,自分の余命も知っていたのでしょうね…。

ジョブズに特に思い入れのない人には,多くの人がジョブズという一経営者の死を悲しんでいることを不思議に思っているかもしれません。「なんで会ったこともない,外人の,しかもビジネスマンに…」と思われるかもしれません。しかし,ジョブズを失った今の気持ちを分析すると,これは,好きなミュージシャンを失ったときに感じるような気持ちだな,と思います。好きなミュージシャンは友人でも親戚でもありませんが,そのミュージシャンの音楽は個人的な文化・生活に結びつき,思い出と深くつながり,私的な精神生活の一部を形成するものです。だからその人が亡くなると,まるで自分のこころの一部がなくなってしまったかのような気持ちになって悲しくなるわけです。

ジョブズを失う気持ちも同じです。ジョブズの「テクノロジーによって新しいライフスタイルを提案する」というイニシアチブは,ぼくの私的で個人的な文化・生活・精神活動の一部を形成していました。ジョブズが何か新しいことを提案すると,自分の生活にも何か新しいことが起こるのではないか,たとえ錯覚でもそんなワクワクした気持ちにさせてくれた。それがなくなってしまうなんてやっぱり残念だし,それをもたらしてくれた「恩人」を失うのは悲しい。

ぼくが最初に買ったコンピュータは,当時型落ちだったApple PowerBook 180cだった。1995年ごろのことかな。当時まだ出始めであったカラー液晶のノートブック。アクティブ・マトリックスの8.4inchディスプレイはくっきり色鮮やかで美しく,メニューバー左端の虹色の林檎のアイコンが,「テクノロジー」の持つ堅苦しいイメージとはかけ離れた,何かゆる~い雰囲気をかもしだしていて,このマシンを使えば何か楽しくクリエイティブなことができるのではないかという気持ちにさせてくれました。当時はジョブズはいなかったけれども,マジックはまだ生きていました。以来,ずっとMacを使っています。

90年代後半のAppleのどん底期も経験しています。あのころの2ちゃんねるのMac系の板は荒れに荒れていました。世間でも,Mac使っているなんてアホじゃないの?ぐらいの勢い。それでも当時はアメリカの大学院にいて,日本よりは圧倒的にMacユーザが多くて,まだ良かったかな。もしあの時期に日本にいたら,「なんでMacなんて使っているの?」というプレッシャーに耐えられたかどうか。

1997年にジョブズが復活して,既存の製品ラインをばっさばっさ切り捨て始めて,その「荒れ」は最高潮に。当時のAppleは,創業者ジョブズのフィロソフィーを曲げて,互換機ライセンスを行っていたんですが,それも切り,PDAデバイスのNewtonも切り,クアドラ初め,デスクトップモデルも軒並み切り…当時は「殿のご乱心」とか,あるいは「かつて追い出された恨みでAppleを潰そうとしている」などと言われていました。MicrosoftがWindowsのライセンス戦略により結果的に多彩なハードウェアを間接的に提供して成功を欲しいままにしていた時代に,多様性をすべてリセットしようとしたジョブズはいったい何を考えているのか,理解しろといっても無理でした。

しかし,半透明の筐体を持ち,モニター一体型でフロッピードライブさえついていない「iMac」が1998年に発表されると事態は変わり始めます。iMacは大ヒットし,当時在籍したアメリカの大学の学内メール端末はあっというまにカラフルなiMac一色になり,iMacのパクリのようなマシンが大量に市場に出回りました。

それでも,人々はまだ疑心暗鬼でした。しょせんiMacは一発屋ではないのか。そのころから,ジョブズのMacWorld Expoの基調講演は有名となり,その話術から,ジョブズは「現実歪曲フィールド」を発生させるとも言われました。当時はAppleの業績がジョブズのビジョンに追いついていなかったので,ジョブズの言葉がどうしても現実味をもって捉えられなかったのであります。

2001年にiPodが発売されたときも,人々の反応は正直「ハァ?」という感じでした。デジタル音楽プレイヤーは普及していなかったものの,当時すでに何社もが出していたし,それに比べてiPodのどこが「斬新」だったのか見えにくかった。5GB, 10GBという容量は当時のプレイヤーとしてはかなり大きかったけれども,「そんなに曲数入れたって聴ききれないじゃん(笑)」という反応が多かった。何より,高かった。

当時のジョブズはMacを「ハブ hub」にするというデジタルライフを熱心に説いていたけれども,それに理解を示す人は少なかった。「ハブとか上手いこと言って,iPod売るために後付けで適当なこと言ってるだけちゃうのん?」と思われていたふしもあります。ぼくもちょっと思っていました(笑。

しかし今思えば,「本気」だったんだな,と。10年まえから,まっすぐ,ぶれず,そこをずっと見据えていたんだな,と。痛感します。2003年にはiTunes Music Store(のちにiTunes Store)を開設,2007年にiPhoneを発表,同時に社名を「Apple Computer, Inc」からComputerを取って「Apple, Inc」に変更。2010年にiPadを出す頃には誰もジョブズを「現実歪曲フィールド発生装置」と呼ぶ人はいなかったし,発表当時冷ややかに観られたiPodと違い,iPadは期待と賞賛で迎えられました。同年にはついにAppleは時価総額でマイクロソフトを抜き,翌年8月には時価総額が全米一になるなど,「Mac使う奴はドM」と言われていた(って,当時は「ドM」という言葉はなかったですが)時代を知る人間にとっては本当に感慨深い。そして同月にCEO退任,2ヶ月後に死去…どんだけ壮絶なんだ,あんたは!

ジョブズが世に送り出してきたものは,技術的にいえばどれも「世界初」ではなかったし,「斬新な発明」でもなかった。アンチAppleな人たちは常にそこを突いていました。しかし,ジョブズが提示した「新しいテクノロジーがもたらす新しいライフスタイルの未来像」は,常に一貫性があり,斬新で,かつ居心地が良いものだった。「良い商品を世に出す」だけではなく,その先にある「人生」まで徹底的に見据えていたのが,他のエレクトロニクス系の経営者と決定的に異なるところだった。

iPhone 4,iPad 2,そしてMacBook Air。ジョブズが残したこれらの最新の三機はそれぞれの分野で最高のガジェットだと,多くの人が認めることでしょう。それを使い倒すのが,偉人ジョブズへのせめてもの手向けだと思っています。

Thanks a million, Steve!!!
Posted at 2011/10/07 01:36:58 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記

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「第42回 カーター記念黒部名水マラソン 走った http://cvw.jp/b/373021/48508614/
何シテル?   06/25 23:55
こんにちは。関西圏在住です。コンパクトカーが好きで(現在の住居の回りの道が細いこともありますが)、かつ、あまりメジャーすぎない方がいいので、自然と輸入車、特にラ...
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