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ちゃぐ爺のブログ一覧

2026年07月06日 イイね!

🎵聴き放題ドライブ #102

🎵聴き放題ドライブ #102Third Degree / Johnny Winter (1986)

米国テキサス州生まれの白人ブルースマン、ジョニーウィンターが、1986年にリリースしたアルバム「サードディグリー」です。

ミュージシャンだった父親の薦めで、7歳の時からギターを弾きはじめたジョニーは、1962年、弟のエドガーと初めてのバンドを組み、6年後の1968年、アルバム「The Progressive Blues Experiment」をリリースします。



その後、アルクーパーらのフィルモアイースト公演に参加したことなどから注目の的となり、大手レコード会社の激しい獲得合戦の末、1969年、CBSからアルバム「Johnny Winter」でメジャーデビューします。

CBS時代のジョニーは、会社の意向もあったのでしょうか、ロック色の濃い作品が並びました。



この時期が、日本では最も人気があったように思います。

その後、ドラッグにハマったりしての低迷期を経て、1980年代、シカゴの老舗ブルースレーベル「アリゲータ」と契約し、3枚のブルースアルバムを残します。その最後の一枚が、この「サードディグリー」という訳です。



いろいろご意見はあろうかと存じますが、アリゲータ三部作はサイコーにイカしてるし、個人的には、ジョニーのピークのひとつだと思います。

タイトル曲「サードディグリー」イントロでギターを弾きながら、ジョニーが呟きます。「イェー」、「これ、イイよな」、「だろ〜よ」。ブルースが好きだったんですね^_^

2011年の東日本大震災の後、多くの外タレが日本公演を取りやめる中、ジョニーウィンターは、初めて来日してくれました。もう椅子に座ったままな健康状態だったようですが、12年にも、14年にも日本でコンサートを開いてくれました。よっぽど日本が気に入ってくれたんですね。

1980年代後半、ジョニーが3枚を作った「アリゲータ」レーベル40周年の記念アルバムが、Spotifyで聴くことができます。



こちらも絶品です♪
Posted at 2026/07/06 08:14:21 | コメント(0) | トラックバック(0)
2026年07月05日 イイね!

日航123便墜落の晩にあったこと

日航123便墜落の晩にあったことたかぴよさん、ちゃぐ爺です。コメント、ありがとうございました。コメントへの返信が長文では書きにくかったので、ブログに書かせていただきます。

あの日、1985年8月12日、翌日からお盆だということで、ボクは仕事を早めに切り上げて帰宅し、自宅でまったりとしておりました。両親は親戚宅に行っており、妹はすでに嫁ぎ、他所に住んでいましたので、家には自分ひとりという状況です。ちなみに自宅があるのは、埼玉県北部の、暑いので有名な、あの町です。

すっかり暗くなった頃、玄関のチャイムが鳴りました。出てみると、大学時代の後輩三人がいました。訊けば、軽井沢に遊びに行った帰りとのでした。急ぎの用事がないなら泊まっていけばいいということですぐに話がまとまり、後輩二人に泣く泣く万札を2枚ばかし渡し、近所のスーパーで好きな酒と肴を買ってくるように命じました。

残りの後輩の一人とテーブルの準備をしていた時、彼が、帰り道、機体の形がわかるくらいのところを飛んでいる飛行機を見た、というようなことを話しました。ボクは、へえ〜位に聞き流しました。

買い物の二人が帰ってきたので、宴会を始めました。乾杯をしてテレビをつけると、なんだか異様なことになっています。逸見政孝さんだったでしょうか、アナウンサーが深刻な顔で喋っています。頻繁に速報が飛び込みます。どうやら、日本航空の旅客機が行方不明になっているようでした。

もしかしてお前たちが見たっていう飛行機じゃないか?

だいぶ遅くなってからだったと思います、長野の山中で炎が見えるという速報が入りました。彼らが飛行機を見たのは、安中から富岡の間あたりだったというので、やっぱり別の機体だろうとなりました。

ところが、実際の墜落現場は群馬県側でした。だからといって、後輩たちが目撃したのが日航123便だったと断定はできません。でも、四人で過ごした生々しい夜のことは、今でも忘れられません。

墜落現場となった上野村には当時、年に一回はいとこと一緒に渓流釣りに行っていましたが、秘境然とした山村でした。道は悪いし、人の数も少ないしで、地元の人たちは大変だったと思います。外野のボクたちは、お盆のあいだ中、テレビに張り付いていればいいだけでしたが。

もう40年前のことですので、時間の経過など、記憶のあやしい部分もありますが、たかぴよさん、その晩こちらでは、そのようなことがありました。
Posted at 2026/07/06 06:10:57 | コメント(1) | トラックバック(0)
2026年07月05日 イイね!

🎵聴き放題ドライブ #101

🎵聴き放題ドライブ #101Waiting For Columbus / Little Feat (1978)

思いつきで始めた「🎵聴き放題ドライブ」は昨日、なんとか目標の100回を達成できましたので、もう終わりにしようと考えたのですが、気が変わり、もう少しだけ続けてみることにします。

このシリーズの趣旨は、音楽配信アプリ「Spotify」の無料サービスで聴ける楽曲の中から、ドライブにぴったりだと思うものを独断でピックアップして紹介するものです。なにぶん高齢者なもので、古い音楽がメインになりますが、介護感覚で暇な老人の昔話にお付き合いいただければ幸いです^_^

101回目に選んだのは、1回目にご紹介した、アメリカのロックンロールバンド「リトルフィート」のライブ盤です。

音楽誌「ローリングストーン」の「史上最高ライブアルバムTOP50」では、49位にリストされたようです。

アメリカの大手レコード会社ワーナーブラザーズは、1977年、売り出し中の所属アーティストを引き連れて、イギリスで大規模なプロモーションツアーを行います。

大看板はドゥービーブラザーズにタワーオブパワーなどの面々で、どう贔屓目で見ても、まともなヒット作など一枚もない、我がリトルフィートは悲しき「その他」という感じでした。

ところがどっこい、8月1日から4日にロンドンのレインボーシアターで行われたフィーツのライブは、ジミーペイジら錚々たる有名ミュージシャンがお忍びで聴きに来るなど、主役たちも真っ青の大ウケとなりました。

また、「アポリティカルブルース」という曲には、こんな謎の男が飛び入りで参加しています。



当時のアルバムジャケットには「バッグマン」とだけ紹介されていましたが、その男の正体は、元ローリングストーンズのミックテイラーでした。

そんなこんなの大好評だったロンドン公演と、帰国後ワシントンD.C.で行われた凱旋コンサートの模様を集めたライブ盤が、この「ウェイティングフォーコロンブス」です。

アルバムタイトルには、コアな人気はあるものの、さっぱり売れない自分たちを誰か見つけてください、「僕らはいまコロンブスを待っています」、という願いが込められていました。その思いが叶ったかどうかは分かりませんが、リトルフィートのアルバムの中では最高のセールスを記録しました。

タワーオブパワーのホーンセクションも加わっての当盤は、個人的には、今でもナンバーワンのロックライブ盤です。ぜひ一度、ドライブのお供に回してみてください。ちなみに、レインボーシアターでのコンサートは、YouTubeでも見られますよ♪

と、持ち上げるだけ持ち上げておいて何なのですが、1977年当時、フロントマンのローウェルジョージはドラッグに溺れ、その健康状態はすでに最悪でした。もし、絶頂期のローウェルのプレイをお聴きになってみたい方がいらっしゃいましたら、こちらあたりをお薦めします。





1973年と74年に行われたライブの海賊盤ですが、どちらもSpotifyに載っています。「ウェイティングフォーコロンブス」と併せてお聴きになった貴兄が、令和のコロンブスになって下さったらサイコーです^_^




蛇足

再結成後もリトルフィートのアルバムは聴いて来ました。けど、ケイジャンだか何か知りませんが、新生リトルフィートの音には、どうもピンと来るものがありませんでした。

ところが、2000年リリースのアルバム「チャイニーズワークソングズ」に収録されている「リオエスペランサ」にはヤられました。



リードボーカルは、クラプトンと共演したキャリアもある女性歌手ショーンマーフィーです。

すべてを捨てて各地を彷徨った男が、とある川の岸に立ち、その向こうにある故郷の町を想います。彼はそこに帰ることを決めています。

それは敗北かも知れません。ですが、ショーンは、その決心を「甘い降伏」と歌い、その川を「希望の川 / Rio Esperanza」だと歌いました。夢破れて山河あり。

この素敵に美しい「リオエスペランサ」は、ショーンマーフィーとビルペインの合作のようです。かつて愛した「ローウェルジョージの」歌ではないかも知れません。でも、初めてこの曲を聴いた時、ボクは決めました。いつか自分で映画を作る日が来たら、そのエンディングで絶対この曲を流すぞ……こんな馬鹿老人の妄想を叶えて下さる若者がどこかにいないかな。

理由はそれぞれに、一本道で迷子になった挙句、甘い降伏をしてルビコン川を渡ろうとする人は、ボクのほかにもいっぱいいると思います。もしかしたら全員なのかも^_^!
Posted at 2026/07/05 04:41:17 | コメント(0) | トラックバック(0)
2026年07月04日 イイね!

🎵聴き放題ドライブ #100

🎵聴き放題ドライブ #100Sukiyaki / Kyu Sakamoto (1963)

忌野清志郎いわく「世界で一番有名なロックンロール」、坂本九の「上を向いて歩こう」を、100回目の一枚に選びました。

1961年に発表された「上を向いて歩こう」は、1962年、米国ワシントン州のラジオ局で流されたところ、問い合わせとリクエストが殺到する騒ぎとなりました。

1963年5月3日、「スキヤキ」の名前を与えられて、キャピタルレコードからリリースされます……「坂本」が「坂木」になってますが^_^!



発売開始からわずか1ヶ月の6月15日、「スキヤキ」はビルボードの週間チャートで第一位に輝きます。そればかりでなく、1963年の年間チャートでも第10位となる快挙まで達成してしまいます。

この「上を向いて歩こう」は、当時ヒット曲を連発していた、作曲家中村八大さんのリサイタルのために書かれた歌だそうです。リサイタル当日、本番の2時間前に楽譜を渡された坂本九は、バックビートを効かせた独特な歌い方で披露して、作詞の永六輔さんを激怒させたそうです。



九ちゃんが激怒させたのは、永六輔だけではありませんでした。ファイティング原田のボクシング世界タイトルマッチで、九ちゃんが「君が代」を歌ったのですが、その歌いっぷりが日本中からの大バッシングを招きました。

その試合は、わが家でもテレビで観戦していました。たしかに、坂本九の「君が代」は、「きひみひがはよほわは〜」みたいに聞こえました。
それが国歌だからどうのこうのは分かりませんでしたが、変な歌い方だなと感じたことは覚えています。

この晩の坂本九の国歌斉唱の模様はYouTubeで見ることができますが、これの何処がダメだったのか、今となってはさっぱり理解できません。でも、考えてみれば当時は、ロックンロールが生まれてから10年足らずでしたし、ビートルズもデビュー前でした。日本の一般大衆が、米軍キャンプで歌っていた若者の歌に強烈な違和感を抱いたのも、無理のないことだったかも知れませんね。

「上を向いて歩こう」の世界的ヒットで時代の寵児となった坂本九は、次第に、バラエティ番組の司会などなどに忙しくなり、本人の希望とは裏腹に、音楽活動からは離れていきます。

そんな九ちゃんが、中村八大さんや永六輔さんたちと再びタッグを組んで、本格的に音楽活動を再開しようとしていた矢先の、1985年8月12日、彼を乗せた日本航空123便が群馬県の山中に墜落します。享年44、坂本九は鬼籍の人となりました。



ずいぶん後になって知ったのですが、九ちゃんの遺品の中に、録音機能付きのウォークマンがあったそうです。その中には、自身のメッセージは残されてはおらず、「ウイアーザワールド」だけが入っていたとのことです。

今朝、ラジオで知りました。「上を向いて歩こう」の誕生を描いた映画が、今年の12月に封切られるそうです。



楽しみです♪
Posted at 2026/07/04 10:33:36 | コメント(1) | トラックバック(0)
2026年07月04日 イイね!

🎵聴き放題ドライブ #099

🎵聴き放題ドライブ #099Djangology / Django Reinhaldt (1961)

ジプシージャズを創始したギタリストのジャンゴラインハルトが、1949年にイタリアで行ったツアーを記録したライブ盤。彼の最後の録音となりました。

ジャンゴラインハルトのことを初めて知ったのは、1970年代半ばにFM東京で放送されていた番組ででした。番組は、毎回ひとりのミュージシャンを取り上げて、その人の音楽と生涯をドラマ仕立てで紹介する作りでした。その晩の主人公はジャンゴラインハルトでした。

物語は、ヨーロッパ中を旅するジプシーの旅芸人一座のおばあさんをストーリーテラーにして進みます。ジャンゴの両親もジプシーの旅芸人で、一座と共に旅から旅の暮らしをしていました。



「ジプシー」の語源は「エジプトから来た人たち / エジプシャン」で、15世紀にはすでにヨーロッパ各地で漂流生活をしていたそうです。ただ、民族的な起源はエジプトとは関係ないようで、近年では、彼らの自称「ロマ」で呼称するのことが推奨されているとのことです。

さて、ジャンゴですが、彼は旅一座の巡業先ベルギーで、1910年に生まれています。生まれた時に授かった名前はフランス語の「ジャン」だったそうですが、後に、ジプシーの言葉で「私は目覚める」という意味がある「ジャンゴ」を名乗るようになったとのことです。

ジャンゴは、幼い頃からギターやバイオリンの腕を磨いていたのですが、18歳の時、旅一座の馬車で起こった火事を消そうとして、深刻な火傷を負ってしまいます。

番組ではたしか、この火事がジャンゴが所属していた一座で起こったもので、そこにいた少女を救おうとした結果の負傷として描かれていたと記憶していたのですが、ネット上の情報によれば、ジャンゴはその頃すでにパリに定住していたみたいなので、その火事は、別の旅一座で発生した出来事だったのかも知れません。

いずれにしても、この火事でジャンゴがハンディキャップを負ってしまったのは事実で、それは、ギタリストとしては致命的なものでした。ネットに、彼の左手の写真がありました。薬指と小指が癒着してしまっているように見えます。



それでもジャンゴは、独自の奏法を編み出し、ギタリストとしての道を歩みます。そして、アメリカ生まれのジャズに傾倒するようになって行きます。

1931年、ジャンゴは、ステファングラッペリと出会います。時にジャンゴは21歳、ステファンは23歳でした。ステファンは無声映画の楽士でした。当時の映画フィルムには音声を記録するサウンドトラックがなく、スクリーンに映し出される映像に合わせるように、物語を説明する人や楽器を演奏する人が必要でした。ステファンは、映画館でバイオリンを弾いていたとのことです。



意気投合した二人は、パリで、「フランスホットクラブ五重奏楽団」を結成します。



1935年にコールマンホーキンズと共演したりしたことから、アメリカのラジオ局CBSで紹介されるなどして、ジャズの故郷でも知る人ぞ知る存在になっていったようです。

1939年、楽団がロンドンでツアーを行なっていた時、第二次世界大戦が勃発するのですが、ここでひとつわからないことがあります。フランス人であるステファンが帰国を拒んだのに対し、ジャンゴが危険を冒してフランスに戻ったことです。時のフランス政府は、ほぼ無抵抗のままナチの侵略を受け入れましたし、ヒトラーはユダヤ人のみならず、ジプシーも軒並み強制収容所送りにしていたからです。

このアルバムには収録されていませんが、1940年にジャンゴがリリースした「雲 / Nuages」は、ナチ占領下のフランスで国歌並みに愛されたそうです。かのFM東京の番組でも流れていました。素敵に美しい曲ですよ。

ジャンゴは生き延びました。戦後、ジャンゴはイギリスに渡り、ステファンと再会します。また、デュークエリントンに招かれてアメリカツアーもしたようです。しかしジャンゴはその後、購入したキャデラックで荷車を引くキャラバン生活に戻ってしまいます。そして1953年、脳溢血により、43歳の生涯を閉じました。

ジャンゴが創始したジプシージャズは、沢山のミュージシャンに多大な影響を与え、また、世界各地に「ホットクラブ」の名前を冠したジャズクラブやバンドがあるようです。手元に、米国ナッシュビルのホットクラブのライブ音源がありますが、聴くたびに、一度でいいから生で味わってみたいなと思ってしまいます。

ジャンゴの音は、ドライブにもよく合います。ずいぶん前に二足三文で買った、こんなボックスセットは、今でもヘビーローテーションの一角にとどまっていますよ^_^



ジャンゴは若くして亡くなってしまいましたが、盟友のステファングラッペリは長生きして、ピンクフロイドの「狂気」や「炎」の録音にも参加しましたようです。ボクには分かりませんでしたが、貴方の耳には聞こえますでしょうか?

あ、そうそう、モダンジャズカルテット(MJQ)の「ジャンゴ」を忘れていました。



ジャンゴに捧げられためちゃくちゃ美しいナンバーです。もちろん、Spotifyで聴けますので、よろしければこちらも……
Posted at 2026/07/04 06:53:54 | コメント(0) | トラックバック(0)

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何シテル?   07/28 11:22
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