
今回のブログは暗い話しが含まれますので、そういうのが嫌いな方は、今回のブログは読まないでください。
先日の父の日…の、およそ1ヶ月程前。
オールフェアレディミーティングのビンゴ大会でいただいた出光のオイルを手に、
僕)お父ちゃん、どうせマーチのオイル交換なんてしてねぇべ?
オイル貰ったからマーチのオイル交換すべぇや。
と言ったのですが、
父)まだこないだ(オイル交換を)したばっかだから まだいいよ。
との返事でした。
『ぅんじゃぁまぁ来月に父の日があるから そん時にやればいいべ♪』
なんて言葉をうっかり愛娘の前で言ってしまい…、
娘)お父さんさぁ、なんで父の日のプレゼントをタダで貰った物で済ますの!?
と叱られました。
( ̄▽ ̄;)、
オイル自体はいただいた物ですが、工賃は僕負担…。
(もちろんオイル交換くらいは朝飯前ですけどw)
娘もなかなか手厳しい事を言うなぁ…、と思った僕は静岡県内では比較的有名な【田子の月】の【富士山頂】といったお店の看板商品を手土産に遊びに行きました。
とは言え僕の父は口数が少ない上に口下手…。
僕自身も饒舌では無いので会話のキャッチボールはすぐに落球…(笑)。
それでもとりあえずは仲が良い方なのかなぁ~?って感じの距離感を保っています。
(;^_^A
で、こっからが暗い話し…。
実は僕の父は昔、かぁなぁりぃぃの 博奕打ち。

(画像はイメージです・笑)
それを知ったのは、僕がある程度 歳を重ねて母から聞いたからでした。
(先日、成人式ネタを上げた、とある事情により転校ってのはこの事なんですよね…・汗)
僕が小さい頃の記憶の中に、当時の三島市立病院の前のお店で父が買って来てくれた\300-のグリコ(大・オマケ付き)を貰った喜びのまま、
『お父さんは友達のお見舞いに行ってくるから、ここで待っててな…。』なんて事を言われたのかな?
しばらく待ち続けても まだ帰って来ない父…。
病院のロビーが見える所に 乗っていた車が停まっていたので、ロビーに人影が見えると…、
『あれがお父さんかな?』
『あ、お父さんだ…。 なんだ違うかぁ…。』
『(ロビーの電気が消えたので)暗くなったから そろそろ帰って来るかなぁ…?』
(\300-のグリコも食べ終わっちゃったし、オマケのおもちゃで遊ぶのも飽きちゃったなぁ…。)なんて思っていた頃、僕を迎えに来てくれたのは母が乗る自転車でした。
父はクリーニング店を営んでいたのですが、職人としての腕は良かったので店はそこそこの繁盛店でした。
しかしそれが災いとなってしまい、日々の賭け事に使う種銭に困る事は無く、また 外交と言って顧客廻りをするという口実で外に出る事も多くありました。
もちろんちゃんと顧客廻りをしていたとは思うのですが、僕や弟を連れて仕事に出たはずなのに、やっぱり帰り際に遊びに行ってたんでしょうね。
父が遊びに行く時は家族に隠れてこっそりと出かけたり、
父の友人が遊びに連れ出したりと、出かける口実は様々…。
父が遊びに行く賭場はあちこちにあったらしく、母は父が帰って来ないと父を探し歩く日が多々あったようです。
今でも覚えているのが、やっぱり車の中に置き去りにされている僕を見つけて、
『寒かったでしょ?これを着な。』と、母の着ていた上着を僕に着せようとし、
『まだ寒い?』と、母は自分が履いていたストッキングさえも脱ごうとした事です。
それから僕がもう少し大きくなった頃、自宅兼店舗の店舗部分を改装する事になりました。
今思うと、その改装費用はかなりの額がかかっていたと思います。
そのお金はきっと取引先の銀行からの借り入れたお金だと思うのですが、悲劇はこの後から少しずつ起きてきました。
店舗改装後から数年経った後の とある晩…。
父の友人が自宅に来ました。
その父の友人の名前は丸木(本名)。
その丸木が営む小料理屋(?)【丸新】の改装費用を銀行から借りる為に、父に連帯保証人になって欲しいと頼みに来ました。
お人好しの父はその頼みを断りきれず、連帯保証人となってしまい、それからしばらくしたあと丸木は夜逃げをしました。
丸木の借金を丸かぶりした父、いろいろと支払いが滞ったみたいで、先ず電話が止められ、次に電気が…、ガスも一回止められたのかな?
その後、いろいろなゴタゴタもあって両親は離婚。
父方の祖父母とは離ればなれとなり、、僕は中学1年生の夏休みに毎年母方の祖父母の家に遊びに行ってたのですが、その間に家は債権者の手に渡っていて、僕が知らない内に引っ越しが済んでいて、僕と弟二人は母に引き取られ家族は四人になりました。
破産宣告をしたものの、裏稼業の方々からの借り入れもあったので、地元の友達と連絡を取らないでくれと言われた僕は心を閉ざしました。
沼津市を出た僕達家族は母の弟が住む清水市に引っ越しをするも、その隣の静岡市に住む母の叔母から、
『うちにとばっちりがかかってきたら困る!!』と言われてしまい、清水市に住んでいたのは僅か2週間…。
当時、清水市の中学校に転入したものの、1週間もしない内に、今度は御殿場市に引っ越し…。
(この時点で僕はさらに心を閉ざします。)
この頃 改心し真面目になった父とも一緒に住むようになったのですが、それから数ヵ月後に市内の別校区への引っ越しとなり、またもやさらに心を閉ざす事になりました。
転校先では友達なんか作らない…。
そんな態度がにじみ出てたんでしょうねw
学校に僕の居場所はありませんでした(笑)。
もちろん学校はサボりがちに…。
学校では『あの転校生ナマイキだよな…。』みたいな空気が出てきたものの、唯一クラスで仲良くなったのが組番(死語w)のA君。
ところが それから間もなくA君が転校…。
元々A君が怖くてA君に文句を言えなかったやつらが抱えていた不満が僕に向く事になり、その後 僕はクラスからハブられるようになりました。
ただ元々【転校先では友達を作らない】と決めていたので、ちょうど良いや♪と思っていた時、今度は違うクラスの不良から目をつけられました。
(;^_^A
校内を肩で風を切るように歩いて入れば当たり前ですね(笑)。
で、僕をナマイキだと思っていたヤツに校外でバッタリ会ってしまい、すぐに喧嘩w
(;^_^A いゃ~、若かったんですね。
その喧嘩は近くにいた大人に すぐに止められたのですが、翌朝 学校に行くと同じ学年の不良がゾロゾロとやって来て、
『おぃ、転校生!! 出てこいよ!』と呼び出しを喰らって行くと20人くらいが目の前に…、
そんな事になるだろうと鎖を隠し持っていたのですが、僕をビビらせるのが、目的だったらしい20人は始業のベルがなるとそれぞれのクラスに戻っていきました。
おかげで持っていた鎖は使わずに済みましたけど…。
(;^_^A
ところが、しばらくすると 何故か向こうから『よぉ♪』なんて挨拶をしてくるようになりました。
それからしばらくの間何事もなかったのですが、中学三年生になったある日、学校を締めていたK君を怒らせてしまい、シメられてしまいました。
(´д`|||)
ちょっと自暴自棄になりかけたのですが、家に帰ってきた時、まだ3歳だった弟がテレビで【みんなのうた】を見ながら一緒に歌っていたのを見て、
【こいつの為に俺はマジメにならなくちゃいけないんだよな…。】と気付き、それ以来 学校もキチンと(?)通うようになりました。
そしてやっと中学を卒業…。
ヽ(*´▽)ノ♪
まぁそんな暗~~~~~ぃw、中学生活を送って来た僕ですが、その反動でやったら楽しい高校生活を送ってきました。
嫁も同じ高校だった時に知り合ったのがきっかけ。
我が家のかわぃぃ愛娘を産んでくれた愛妻(?w)には感謝しつつ、ツラい時があったからこその今があるんだろうなぁ♪なんて考えています。
父に対して怒りの感情は全く無いのですが、やっぱり丸木に対する怒りは、 まださめません、
父は現在77歳。血圧が若干高い以外は健康です。
いつまでも元気でいて欲しいのと!誕生日がクリスマスなので喜寿のお祝いをしたいと思っています。
アレ?そのタイミングだと78歳になっちゃってるのかな?
( ̄▽ ̄;)、ハ、ハ、ハ、う~ん…。