11月23日は「いいニッサンの日」! 80年代の日産の名車5選
今なおファンに愛される懐かしのクルマたち
11月23日は語呂合わせをすると「いいニッサン」ということでスカイラインGT-R32に乗っている私から良い時代の懐かしい日産車5選をお届けしよう。
(1)ニッサン・フェアレディZ(Z32型)
フェアレディZの初代は、1969年に登場したS30で、現行のZ34は6代目。
初代の存在感は圧倒的なので、ここではあえて4代目Z32に注目。
デビューはR32GT-Rと同じく、国産車のビンテージイヤー=1989年。
当時、看板にしていた「走りの日産」のツートップとして、GT-Rとともに牽引する役割を与えられていた。
その証拠に、搭載されたVG30DETTは、国産車初の280馬力エンジンで、シャーシも2シーターと2by2の2本立て。
ホイールベースが違うので、設計から製造まで別々というバブリーさ。売れたのは圧倒的に2by2だが、2シーターは、全長、全幅、ホイールベースといったディメンションは、マツダRX-7(FD3S)とほぼ同じでけっこうピュアなスポーツカーだった。
エクステリアも評価が高い。
空力性能に優れていて、最高速は同パワーのR32GT-Rより10km/hは伸びた。
このZ32のヘッドライトが、ランボルギーニ・ディアブロに流用されたのも有名な話。
モデルライフが長く、2000年まで生産された。
(2)ニッサン・パルサーGTi-R

4代目パルサーをベースにした、WRC(世界ラリー選手権)をターゲットにした一種の奇形モデル。
全長3975mmのコンパクトなボディに、直4、2リッターターボのSR20DETを搭載。
当時では脅威的なリッター100馬力超=230馬力を誇り、パワーウェイトレシオは、R32GT-Rとほぼ同等の5.30kg/ps!
それをフルタイム4WDで地面に伝え、インタークーラー、4連スロットル、LSDと、スペックだけは文句なし。スペック番長として「ラリーの日産」を復権すべく、WRCにデビューしたが、結果はトホホ……。
敗因は、まずディメンションの悪さ。FFベースの4WDでとにかくフロントヘビーで曲がらない。
ボディがタイトなので、タイヤサイズも限られて、冷却性能にも苦しまされた。
そういう意味で、スポーツカーにとって、重要な要素を教えてくれた貴重な一台。
なおチューニングベースとしては、けっこう人気があり、4連スロットルなどは、同じSRエンジンを積むシルビアなどにも流用された。
(3)ニッサン・シルビア(S13)

1988年にデビュー。「アート・フォース」というキャッチコピーで、ちょっとイタリアンなスタイリングに、淡いメタリックグリーンのイメージカラーがよくマッチしていた。
デートカーとも称されたが、AE86無き後、貴重なFRスポーツということで、硬派の日産ファンや走り屋からも支持された。
その点で、デートカーのライバル、ホンダ・プレリュードとは一線を画していた。
MT(マニュアルトランスミッション)率も高いクルマで、当時としてはシフトフィールのよさも評価されていた。
リヤには新開発のマルチリンクサスペンションが採用されたが、フロントはストローク不足のストラットだったのが残念なのとターボモデルがあったこともあり、チューニングも盛んに行われた。30万台近く販売された大ヒットモデル。
(4)パイクカー
初代マーチをベースに、デザインありきで企画されたBe-1/

パオ/

フィガロの3兄弟。

1985年のモーターショーにコンセプトカーとして登場し、話題沸騰。
ちょっとレトロで、かわいらしさ、ユニークさ、珍しさを前面に出したところ、限定1万台を大きく上まわるオーダーが入り、抽選会に……。
関連グッズが売られるほどの、人気車種となった。
「走りの日産」「技術の日産」らしからぬ遊び心が何よりの意外性だった。
のちにパルサーをベースにした、商業車のエスカルゴも登場したが、

こちらは今でもときどき街で見かける。
80年代、クルマがモデルチェンジするたびに高性能化していく最中に、「もうクルマに、これ以上の性能はいらない」という時代がくることを予見していたクルマだったのかもしれない!?
(5)スカイラインR32タイプM

GT-Rにばかりスポットが当たり、いささか影の薄い存在だが、GT-Rの名声は、このベース車(標準車)のタイプMがあってこそだ!
当時、日産開発陣が掲げていた「1990年までに走りにおいて世界一を狙う」=901活動の中心が、このR32スカイラインの開発で、具体的には、FRでは世界一のハンドリングとされたポルシェ944ターボに追いつき、追い越すのが目標だった。
その901活動の成果として生まれた、後輪駆動のスカイラインらしいスカイラインが、このR32のタイプM。
「走りのスカイライン」復活は、このクルマの誕生で認知されたといっても過言ではない。
事実、走りのレベルは非常に高く、200万円台だったタイプMを買うか、450万円のGT-Rを買うかを真剣に悩む人は多かった。
なかには、タイプMを買って、フロントグリルとリヤウイングを交換し、GT-Rルックで乗るユーザーもいたが、タイプMはタイプMで、とても完成度が高いクルマなので、誇り高く乗ってもらいたい一台なのだが……。
いまではめっきり街で見かけることも少なくなったが、ごく稀に、コンディションがよさそうな綺麗なタイプMを見かけると、うれしい気持ちで一杯になる。
(文:藤田竜太)
(WEB CARTOP 『WEB CARTOP編集部』)
(以上コピペ・敬省略)
(以下 個人的な感想・笑)
挙げ足を取る訳ではないのですが、この車種のラインナップは80年代というよりは90年代ですよね。
(;^_^A
パイクカーを一括りにするのなら、シルビアを入れた場合やっぱり180も入れないと…。

この2台は兄弟車と言えども、若干性格が違いますからね♪
パイクカーの販売方法に触れていますが、Be-1は当初5,000台の販売予定だったのを、反響の良さに10,000台に増やしたと記憶しています。
そしてパオは期間限定の受注生産でした。
早くオーダーされた方から納車されたので、遅くオーダーされた方は街を走るパオを見ながら、納車を心待ちにしていたとか…。
そしてフィガロはまた抽選に戻り、20,000台の限定販売となりました。
今でもその人気が高く、某オクでは純正オプションが高い物は当時の日産での定価に比べ、2~3倍の値段で取り引きされます。
エスカルゴの販売方法は覚えていませんが、インパネシフトやセンターメーターは、後に他車で頻繁に見かけるようになった装備です。
ただ文中に『今でも時々街で見かける事が…。』とありますが、当時からあまり見かける事は無かったように思います。
パイクカーが集まるオフ会でもエスカルゴが来ないなんて事も…。
(;^_^A
そして実はパイクカーシリーズには第5弾がありました。
皆さんはご存じですか?
実は↓コレ…。

そうです。日産のどこでもドア、ラシーンです。
数年前から日産車を新車で買われた方に送られるオーナーズマガジンにパイクカーの第5弾として、その名を連ねていました。
そして文中に901活動なるキーワードがありますが、ここで忘れちゃならないのがP10プリメーラです。

当時FF最高のハンドリング、もしくはFF下り最速マシンと謳われましたが、エンジンや足回りの良さだけでなく、普段使いの取り回しの良さや居住性の高さも相まって、たちまち人気車に。
セダンのモデルチェンジのサイクルが概ね4年だった当時にあって異例の5年半(うろ覚えw)。
海外のメーカーもプリメーラをパク…じゃなくて、お手本にしたとか。
他の自動車メーカーのファンからは、
『日産のファンはすぐに あの頃は良かったって言うんだよね。』と言われる事もあるのですが、
日産ファンは、
『(今も良いけど、)あの頃の車【も】良かったよね。』という方です。
それだけ日産には熱いファンがたくさんいる証拠なんですよ♪