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闇一郎のブログ一覧

2016年07月29日 イイね!

日本100名城 第97番 鹿児島城

今年の夏の陣は鹿児島から。


100名城の登録名は「鹿児島城」だけど、地元民には通称の「鶴丸城」の名で浸透してるみたい。

鶴丸城は関ヶ原合戦以後、島津家久が築いた平城で郭は本丸と二の丸のみ。天守はなく、居館が建つのみという簡素な城郭。
島津家当主の住む城としては、意外なまでに防御力が薄い。。。
この理由には諸説あるようだけど、この城にたどり着くまでの要所要所に幾重にも支城がめぐらされていたので、本城の防御を考える必要がなかったというのが有力だそうで。
鹿児島は日本の南端。
北方に対してのみ注意を払っていれば良かったはずなので、これで事足りたという事か…


大手門虎口

いちおう枡形にはなってますが、これより他にはないので防御は弱そう。
他の城では何重にもなってるものなんだが。。。
往時には馬出しくらいあったのかな。。。


大手門城外より望む。

堀もあんまり幅がない…

その堀には、、、


蓮がびっしりと生い茂る。
石垣自体は全て切込接ぎで、ここはイイね♪防御的に。


石垣の隅に切欠きが設けてある。
これは城の鬼門にあたる北東部に角を作らないことで鬼門封じとしております。
よその城にもよく見かけられる。


本丸に建つ黎明館

どの城にも大概ある歴史資料館で、100名城スタンプもここにあります。
この資料館、かなりの広さがあり、全て見るといつのまにやら時間が経過してました…(^_^;)

さてここから、お城周辺を回ります。

鶴丸城の後背には城山という小高い山がありまして、明治期には西南戦争時の激戦地にもなったところ。

西郷隆盛が籠ったとされる洞穴跡。
当時はもっとたくさん穴があったそうだけど、今は2つだけ。



「おはんらにやった命」
近くに鹿児島弁でしゃべる自販機があったのですが、何言ってるのか分かりませんでした…(爆)


西郷さんの像があちこちにありました。
地元で愛されてるのがよう分かる。

ここからくねくね道をてくてく歩いて、城山山頂を目指します。




鎮魂の為でしょう。
地蔵が大勢、野末を見つめる…

暑いので、ゆっくり歩いて山頂付近へ到着。

ここからもう少し歩いて展望台へ移動。



城山の尾根には西南戦争時に防御陣地が築かれたそうで、この道もその一部だったんだろう。


城山展望台より桜島遠望

桜島、こないだ爆発的噴火があったと聞いてたので、火山灰など心配だったが、全く気にする必要もなかったな。
それにしても雄大な景色…♪

この後、麓まで降りて、照国神社へ参拝。



幕末期の薩摩藩主、島津斉彬公をお祭りしてあるとのこと。
大きな鳥居は山頂からも見えてましたが、規模の大きい見事な神社ですな~(^^♪

御朱印を頂いて、これにて鶴丸城の探索終了。





日本100名城スタンプは55個目。
残り45個。
Posted at 2016/07/31 22:07:50 | コメント(2) | トラックバック(0) | 城攻め | 日記
2015年07月31日 イイね!

日本100名城 第41番 駿府城

山中城の次は、静岡駅で下車して駿府城へ。


巽櫓 with 弥次さん喜多さん

東海道の主要都市でもあるので、弥次さん喜多さんの銅像が、撮影スポットになってます。
バックに映る巽櫓は現存建物ではなく、近年、木造で復元されたもの。

ここを横目に堀端をぐるりと1周。



途中、明らかに積み方が違う石垣を発見。
右が打込接ぎ、左が切込接ぎ。
切込接ぎの方が新しい時代の物になるので、後年修繕した址だろうか???


坤櫓

これも近年再建された櫓で、内部は資料館になってます。


二の丸東御門

先ほどの巽櫓と連結されておりまして、これも再建されたものになります。
内部は有料の資料館となってまして、木造建物を堪能できるようになってます。


東御門の枡形虎口
この角度からだと、東御門が高麗門(四足の門)になっているのがよく見てとれる。

残念ながら駿府城には現存建物が残っておらず、城内は近代的な都市公園として整備されており、見どころが少なめですね。。。
家康公の隠居城であったので、敷地はかなり広く、天守の規模も相当なものだっただけに非常に残念…



日本100名城スタンプは51個目
残り49個

Posted at 2015/08/06 00:24:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 城攻め | 日記
2015年07月31日 イイね!

日本100名城 第40番 山中城

長篠城の後、その日のうちに静岡県は三島市まで移動しましてここで一泊。
翌朝早く、三島駅前からバスに乗り、国道1号線を箱根峠へ向けて30分ほど走ると、、、


山中城に到着。

この城は、豊臣秀吉の小田原攻めの際に北条が築いた防衛拠点で、箱根峠よりもやや西寄りにあります。
北条の築城術には独特のものがありまして、この山中城はその粋を結集したものに仕上がっております。

100名城の中で一番見たかった城。
さっそく探索開始!



ますは、1号線をはさんで西側の尾根に広がる「岱崎出丸」から。
岱崎(現在は台崎と表記)というのはこの当たりの地名。
出丸とはその城の本丸、二の丸、三の丸とは別に、独立して築かれる迎撃用の郭のこと。
要するに城を守るための砦ということになりましょうか。



岱崎出丸は東西に長細く作られてまして、写真のように周囲を土塁で囲ってあります。
この土塁の外側は、、、



7~8mほどの比高差がある堀があるのです。
この堀から土塁への斜面も北条式築城術の特徴がよく出てます。
この時期の城なら石垣にするのが殆どなのですが、北条式では土のみで作るんですね~。
しかしこれでは登りやすくて、防衛的に難があるので、、、



堀の中に幾条もの畝を構築して、敵の動きを制限できるようにしたんですね。
これも北条式の特徴の一つで、畝掘といいます。
ここにハマった足軽は横移動が制限されるので、なす術もなく矢にさらされたことでしょう。


岱崎出丸の最先端のすり鉢曲輪

半径10mほどの半円形曲輪で、中心から放射状に傾斜が付けてありまして、まさにすり鉢状になっている曲輪です。
しかも死角になっている場所に武者だまりが設置してあります。
ここに敵が入ると、先に進むためには傾斜を登らなければならず、負担になるうえ、付随している武者だまりから伏兵が現れるというオマケ付き。
よく考えてあるな~…

ここから、、、


旧箱根街道を通って、本丸方面へ。
城内に主要街道である箱根街道を取り込んでいるのも特徴的ですね。
これなら完全に往来を把握できます。


三の丸堀

かなり長く掘ってあります。
掘った土は、そのまま盛って土塁にするので、堀切の規模はその城の土塁の高さに比例します。
山中城の土塁は、けっこう高い。

そして、ついにオレが一番見たかったものが眼前に!









山中城最大の見どころ、、、障子堀

先ほどの畝掘を発展させ更に複雑な形状にしたもので、前後左右の動きを制限させる堀となっております。
戦国期の土木建築技術の高さには驚かされる。
それに今となってはなんとも美しいではないか…
築城当時はそんなこと何も考慮せずに作ったはずなのに、この美しさ。。。

刀などの武具もそうですが、人を殺すための道具や物は、時として美しさを孕むことがありますね。
不謹慎かもしれんですが…(^_^;)



日本100名城スタンプは50個目。
残り50個
Posted at 2015/08/04 11:14:24 | コメント(2) | トラックバック(0) | 城攻め | 日記
2015年07月30日 イイね!

日本100名城 第46番 長篠城

岡崎城を見たあとは、豊橋から飯田線に乗り換えて長篠城へ。


JR長篠城駅

無人駅ながら史跡にちなんだ造りになっております。
ここから徒歩5分ほどで、長篠城に着きますが、、、

長篠城の遺構はほとんど破壊されてしまっておりまして、、、






目印が立っていてもどれの事かよく分からないという。。。

破壊の最たる例が、、、

城内に通された飯田線
貴重な遺構が…

しかしながら、、、

北側の防備に築かれた堀切

唯一これが良く残っている遺構であろうか。。。


長篠城で有名なのはやはり長篠の戦いでしょう。
日本史の教科書に必ず屏風絵が出てきますもんね。
信長が鉄砲の三段打ちで武田の騎馬隊を破ったという大戦ですが、近年の研究では三段打ちなどやっておらず、圧倒的な物量で勝った織田軍が一方的に勝利したという説が出てきてます。

そんな中にも、英雄譚がありまして。
武田に囲まれた長篠城から包囲を破り、救援を求めるべく岡崎城まで伝令に行った「鳥居強右衛門(とりいすねえもん)」という英雄がおりました。
完全包囲された長篠城から、直下を流れる川に飛び込み、下流まで泳ぎ切って岡崎城まで知らせに走ったという剛の者です。
が、援軍が来ることを知らせに戻ったときに武田方に捕えられ、味方の眼前で磔刑に処せられた非業の人でもあります。

その強右衛門が飛び込んだのが、、、

この辺りだとか。

10m位下に川が流れてますが、切り立った崖で、降りるだけでも難儀しそうです。
驚くべきことに、岡崎城まで無事到着し、援軍を呼ぶことに成功した強右衛門ですが、、、

磔にされてしまうの(T_T)

スネちゃま、無茶しやがって…

強右衛門の墓所が磔刑にあった場所の近くにあるというので、

墓参りしてきた。

スネちゃまの話は伝説となり、後世に語り継がれております。
ここいら一帯は地名でいうと有海というのですが、駅名は、、、

鳥居

戦国時代に名前が決められて、今現在に続く地名は多くありますが、ここもその一つですね。



長篠城を後にして、一路、設楽原古戦場へ移動。
長篠の戦いは長篠城を巡っての戦ですが、主戦場はこちら。




織田軍の秘策、馬防柵

岐阜を出立するときに足軽衆に持たせておいた杭を使って幾重にも柵を構築したうえで、武田の騎馬隊に種子島(火縄銃)を斉射したんですね。

正直、この程度の柵で当時無敵を誇った武田軍を破れるものかとも思いましたが、この周辺はもともと湿地帯で、馬が足を取られて身動きが取れなくなったそうですよ。


ここで散華した、、、

武田家中きっての猛将、山縣三郎兵衛昌景の墓参りにも行きました。

設楽原一帯は、鎮魂の空気が漂っております。
あちこちに塚や供養塔がありますからね。


今でこそのどかな風景ですが、多くの地蔵が野末を見つめております。




日本100名城スタンプは49個目。
残り51個。
Posted at 2015/07/31 00:39:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 城攻め | 日記
2015年07月30日 イイね!

日本100名城 第45番 岡崎城

朝7時、広島発の高速バスが名古屋駅に着いてから、城攻め開始。
まずは、名古屋駅から東海道本線に飛び乗って、一路岡崎城へ!


岡崎城大手門

岡崎城北側に面した通りにあります。
残念ながら現存ではなく復興建物。

ここから場内に侵入。


三河武士のやかた家康館

岡崎城は神君・徳川家康公の生誕地。
江戸時代から幕府によって聖地化された特別待遇の城でもあったとか。
なので場内はあちこちに家康公の展示があります。

最寄りの中岡崎駅から歩き通しだったので、ここで休憩。
夏場のこの時期は、エアコンが効いたこの手の展示館がオアシスとなります(^^♪

ひと心地付いたら、城内を散策。


本田平八郎忠勝像


松平家中随一の猛将。
天下の名槍、蜻蛉切の使い手で有名ですね。


三方が原で大惨敗を喫したのちの家康像

場内には大小様々な石像、銅像が立ち並んでおります。

天守閣に進んでいきますと、、、



中世の築城術の特徴を色濃く残す内堀(空堀)

後に主流となる大きな堀ではなく、小振りな堀切となってます。


岡崎城天守

昭和34年ごろに再建されたコンクリート造り。
ここでスタンプをついて、岡崎城攻め終了。



日本100名城スタンプは48個目。
残り52個。
Posted at 2015/07/30 23:17:02 | コメント(1) | トラックバック(0) | 城攻め | 日記

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