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さすがのブログ一覧

2010年05月11日 イイね!

FORD RS200

FORD RS200グループB末期、アウディやプジョーのラリーカーがスポイラー類を全体に纏いまさに怪物のようになっていた時、突然フォードからレーシングカーのようなラリーカーが誕生します。
このRS200はランチアやプジョーが自社の市販車に似せて(中身は別物ですが)車を開発したのに対してデザインも車名も専用となっている事が特徴です。
設計をしたのは当時F1やル・マンのマシン開発で有名なトニー・サウスゲートが、流麗なボディはカロッツェリアのギアのデザインになります。
メカニズムもかなり異色で前後の重量配分を50対50とするためにギアボックスを車体前方に搭載すると言うミドシップ・トランスアクスル式4WDを採用しています。トランスアクスル レイアウトの為2本のプロペラシャフトが往復するという変わった構造になっています。 また、4WDの作動を手動で切り替えるレバーがありそれで駆動力の配分をコントロールする事ができ、それぞれ、後輪寄り4WDと、直結4WD、後輪駆動と3種類の駆動系を選べます。これは当時のフォード首脳陣がグラベルなどのラフロードでは4WDの優位性はあるがターマック等のグリップレベルの高いステージではまだFRの方が有利だと考えていたかららしいです。ロードカーでもこの切り替えレバーはついているそうです。
エンジンは伝統のコスワースBDAをベースにギャレット製ターボで過給した直4エンジンで、排気量は1.8リッターです。BDAベースと言いますがほとんど新設計と言っていいほどパーツの互換は無いそうです。市販車は250ps,300ps,350psの3種類が販売されて、ワークスカーは公証450psと発表されています。また RS200Eと呼ばれる競技用エボリューションモデルも開発されていて排気量は、ターボ係数1.4を掛けて3リッター未満となる2.1リッターにUPされて公証650psを発生する予定でしたが、コスワースエンジンのチューンで名高いブライアン・ハート社によってそのエンジンは製作されていましたが、開発が遅れ結局、ホモロゲーションに間に合わなかったためWRC実戦への投入はされませんでした。
RS200は85年にテストとして英国国内ラリーに参戦、そこで圧倒的速さを見せました。
同年のWRC最終戦RACにていよいよWRCに本格参戦の予定でしたが生産台数が不足しており出走ができませんでした。
翌86年の第2戦スウェデッシュラリーから参戦したもののテスト不足で信頼性の低さを露呈しリタイアとなり、第3戦ポルトガルでは、コース上の観客を避けた時にコントロールを失い、観客に突っ込んでしまう事故を起こしてしまいます。この事故の為フォードワークスは一時活動を停止してしまいます。
その後、アクロポリスとRACには参戦しましたが、前述のエボリューションモデルの投入が出来ずに苦戦してしまいます。また、ランチアのH・トイボネンがコルシカでコースアウトして死亡してしまう事故をきっかけにグループBは86年で終了が決定されてしまいRS200は戦う場所を失ってしまいます。
もし、後数年グループBが存続していたらRS200はWRCに記録を残せたかもしれません。
Posted at 2010/05/11 21:27:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミニカー | 趣味
2010年05月10日 イイね!

FORD ESCORT COSWORTH

FORD ESCORT COSWORTHエスコートRSコスワースは、連続する12か月間に5000台以上(1993年より、2500台以上)生産された4座席以上の車両がホモロゲーションの対象となるグループAのレギュレーションに対応する為にFFモデルしかなかったエスコートに、WRCで勝利する為に、シエラサファイアRS4×4の4WDコンポーネンツを押し込み、またフロントに縦置きに搭載された名前の由来になるコスワース製YBTエンジンは直列4気筒で排気量1993ccからギャレット製ターボとの組合わせで227馬力、最大トルク30.4kgmを発生させ、足回りはシエラRS同様、Fマクファーソンストラット、Rセミトレーリングアームを採用していました。
市販モデルは1992年にヨーロッパで販売され、豪華仕様のラグジュアリーと競技仕様のスタンダードの2グレードでした。ちなみに特徴のあるリアスポイラーは本国の英国ではオプションでした。
日本には正規輸入はされませんでしたが、結構な台数が並行輸入されています。

WRCには1993年モンテカルロから投入され、終盤までトップを快走しますが、結局2位と3位になりますが、その速さにトヨタ等ライバルチームは衝撃を受けます。
初勝利は第3戦ポルトガルでF・デルクールが1位、M・ビアシオンが2位とワンツーを決めます。
その後もこの年は勝利を重ねますが、マイナートラブルが響きメイクス、ドライバーともに2位に終わります。
翌94年は開幕戦モンテカルロで優勝を決め幸先の良いスタートを切りましたが、エースのデルクールがプライベートで交通事故を起こしてしまいWRC終盤まで欠場してしまいます。
また、フォード・モータースポーツチーム(通称ボアハム)の運営の悪さと開発力の低下も影響し特にチーフエンジニアがジョン・ウィラーからフィリップ・ドゥナビンに変わってからは、ドライバーが希望したセットアップで走れない事態が発生し、勝てるラリーを落としていきます。
結局96年までエスコートは参戦し全7勝を上げましたがその内5勝がデビューイヤーと言う結果はマシンの熟成が出来なかった結果だと思います。
その一方で、このマシンが低迷していたフォードワークスを再びWRCでトップ争いが出来るまでに回復させたことも事実であり、 ワークスに限らずプライベーターにも多数使用されました。特に1993年のサンレモでは、ワークス勢が全滅の中、イタリア人ドライバー、ジャン・フランコ・クニコが、プライベーターによる勝利を記録しています。その他にもスポット参戦ですが、1994年1000湖におけるT・マキネンの勝利や、1995年のツールドコルスでは、B・ティリーが最終レグのトラブルまでトップを走るなどの活躍を見せました。
画像は1994年のモンテカルロでの、F・デルクールのエスコートとMINICHAMPS製の市販車です。

Posted at 2010/05/10 00:22:16 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミニカー | 趣味
2010年04月18日 イイね!

SUBARU IMPUREZA

SUBARU IMPUREZA 市販車として完成していた車をラリーカーに仕立て直したレガシィの時と異なり、市販車の開発の段階からラリーで戦う事を前提に設計がされたインプレッサは、レガシィと較べてボディ剛性が高く、全長で160mm、ホイールベースで60mm短くコンパクトなボディにレガシィで培った多くのメカニズムも継承され、より高い戦闘力を手に入れる事に成功しました。
インプレッサは、C・ マクレーの手によりレガシィが初優勝したニュージーランドラリーの次戦、93年の1000湖ラリーでデビューしていきなりトップタイムを連発しますが、ライトポッド後端が発生させる乱気流が冷却水や雨を室内に押し込んでしまいその為にフロントガラスが曇ってしまうという、信じられないトラブルにより、最終的に2位になってしまいますが、インプレッサの速さをアピールました。
翌94年、スバルは新たなドライバーとしてC・ サインツを迎え、彼の開発能力の高さもありセリカに次ぐWRCのトップマシンに上り詰めます。94年はメイクス2位、ドライバーズもC・サインツが2位と後一歩でしたが、翌95年スバルは遂に悲願だったメイクスタイトルとドライバーズタイトル(1位C. マクレー、2位C. サインツ)を手中に収めたのでした。
翌96年グループA最期の年はドライバーズは三菱の、T・マキネンに奪われますが、メイクスを連覇し、ドライバーズタイトルは、C・マクレーが2位を獲得しています。
インプレッサは当時のラリードライバーからの評価も高く、間違いなくWRCに残る名車の一つだと思います。
画像は1994年のサンレモラリーでの、C・サインツのインプレッサです。
Posted at 2010/04/18 02:32:44 | コメント(2) | トラックバック(0) | ミニカー | 趣味
2010年03月28日 イイね!

CITROEN Xsara WRC

CITROEN Xsara WRCクサラキットカーで格上のWRカーを打ち負かした後、シトロエンは2003年からクサラWRCでWRCにフル参戦を開始します。この車は開発期間を3年近く掛けていたのでフル参戦初年度でもほとんどトラブルを発生させない信頼性の高い車に仕上がっていました。
クサラはその信頼性の高さとそれに加えドライバーを、この年はこの頃急成長して来たS・ローブとベテランのC・サインツを起用し参戦初年度にして5勝、メイクスタイトルを獲得します。また、ドライバーズタイトルもS・ローブがわずか1ポイント差で2位、C・サインツが9ポイント差の3位と参戦初年度とは思えない結果を残します。その後S・ローブは2004年~2006年まで3年連続でドライバーズタイトルを獲得し通産28勝と大成功を収めます。2007年からはマシンをC4変更しましたがシトロエンとローブの勢いは衰える事を知りません。
画像は2003年のモンテカルロでのC・サインツのクサラWRCです。
この頃からローブ&シトロエンが強すぎてWRCが個人的に面白く無くなって来ました。
スバル、三菱と国産勢が勝てなくなって撤退してしまったのも原因にあると思いますが...。

Posted at 2010/03/28 01:14:00 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミニカー | 趣味
2010年03月22日 イイね!

PEUGEOT 307 WRC

PEUGEOT 307 WRC先代206WRCの後継モデルとしてオープンモデルの307CCをベースに開発されたのが307WRCです。
常勝マシンとして一時代を築いた206WRCの駆動系やエンジンを移植したモデルと思われがちですが実はそうでもありません。
307CCと言うオープンモデルをWRCに投入したのは206より大きい車で適当なサイズが無かったプジョーの苦肉の策でした。206より大柄なボディはメンテナンス性や空力では有利でしたが、オープンモデルの為ボディ強化に苦労していたようです。
搭載されるエンジンはホモロゲの切れたXU7からシトロエン・クサラと共通のXU9ベースに変更され新しく開発されています。
後、不可解な事に開幕時にはアクティブデフが全盛のWRCであえてセンターデフに時代遅れのビスカス・カップリングをコレで十分だと使用した事や、トランスミッションを部品点数が少なくトラブルが起き難いと4MTにしたりと素人では解らないモデファイが行われています。
2004年の開幕戦モンテカルロに307WRCは投入されましたがギアボックストラブルで4位入賞がやっとでした。その後もギアボックスが原因でのトラブルが多発し勝てるラリーを落としていきます。
結局フィンランドからは5MTに換装し、そのラリーでグロンホルムが優勝し成績は向上するかと思いましたがその後も低迷したままで、プライベーターの206WRCより遅い時もありました。
翌2005年限りでプジョーがWRCを撤退するまで使用され、32戦でわずか3勝と先代206WRCと比べると失敗作と言われても仕方が無い結果しか残せませんでした。
画像は2004年のフィンランドラリーでのM・グロンホルムの307WRCです。
Posted at 2010/03/22 22:02:17 | コメント(3) | トラックバック(0) | ミニカー | 趣味

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「ダイハツメビウス今日初めて見た~」
何シテル?   06/16 21:36
スバル渾身の迷車SVXに乗っています。 ATが故障した時に何を血迷ったかGDBの6MTに換装する暴挙に出てしまい後に引けなくなってしまいました。 WRCやF...
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