2012年12月07日
トンネル崩落。
中央道笹子トンネルの崩落事故。
ただしくは中央道笹子トンネルの換気通風区画を兼ねた天井が落下した事故、と。
まだ正確な原因調査も終わっておらず、聞き伝えられる限りではそのコンクリート(PC板)を吊っている金具のボルト(ケミカルアンカー箇所)が抜けたのでは、という話。
ケミカルアンカーで構造体を吊るのか、とも思うがPC板の重量が1枚1.2トン程度と軽く、それも片方はトンネルの構造体に乗せられ片方がその支持金具という構造の話を聞くに、現在ではあり得ないにしても、建設当時では支持金具側がケミカルアンカーで…というのもトンネル本体の構造物を最重要視する現場ではそうなのかもしれない。
とはいえこの手の構造物の構成の一つとしてはさほど重い部類に入らない1.2トンの天井板だが、当然、これは普通乗用車一台分ほどのコンクリート板であり、これが上から降ってこればどうなるか、想像がつくだろう。
ああ、そして間違いなく現場の惨状はその想像を上回るものだったろう。
そうなると出てくるのが、この惨劇を防げなかったのか、という話。
ケミカルアンカー施工の表面のボルトの劣化具合なら、目視確認でも解る。アンカーそのものはよほど内部のコンクリートとの隙間が出来ていれば、打音確認でも解るが…そうでない場合、超音波なりの各種非破壊検査となる。これがまたイイ値段を取っていく。そしてアンカーボルトの数となると…当然100や200じゃない。
そういう保守費用、事前対策に対して、世間一般は非常に無理解だ。
点検が終わり「異常ありませんでした」という言葉をどう感じるか。
異常なしという事に対してイコールで点検コストが無駄であったと考える人がいる。壊れてもいないのに見て回ってお金かけて税金の無駄遣いだわ、と。
まぁしかし確かにこの「異常ありませんでした」という言葉の使い方にも問題はあるのだ。現状の規格性能は維持していますが何%の劣化が発生しています、などと本来は表現すべきなのだが、上記の人々も、お上の方々も、その劣化という存在から目をそらしたがる。
経年劣化は絶対するべきものであり、しないものなど存在しない。そんな当たり前の事が、通用しない。
もう一つは日本の誇るべき「もったいない」という文化。だが、この「もったいない」を大きく勘違いしている輩が多すぎる。経年劣化したものを致命的に壊れる前に入れ替える、至極当たり前の事だが、そこに「もったいない」という言葉を使う。
「何かあった時に備えていて、そのおかげで犠牲者が出なかった事」はかんたんに忘れ去られる。
その何かの時に為に備えた人達の苦労はまったくどこにも残らない。
そして何かあった時に言われるのは、今まで何をしていたのか、と。
そ れ 以 外 の 所 を 直 し て た に 決 ま っ て る だ ろ が 。
ある日突然と補修や改修を出来る技術者が湧いて出てくるとでも思っているのだろうか。むしろ補修や改修は新造よりも高度かつ繊細な技術力を要求される。そういう技術者がそこらにウロウロしているとでも思っているんだろうか。
公共事業ってのはな、そういう普段から高度な技術者を保持・育成するって意味でも大きなものなんだ。そんな当たり前のことも知ろうともしない無知な連中が投票権を持っている事に大いに疑問を感じる。一票の格差?日本の将来を真剣に考える人間と、ヘラヘラと風見鶏のようなバカとが同じ一票を持っている事の方こそ本当の一票の格差だ!と声を大にして言いたい。
おっと、話が逸れた。
誰かが犠牲者にならないと、その事が理解されない現状に大いに腹が立つ。
亡くなられた方々の辛く苦しいご遺族の心情、自分には口が裂けても軽々しく理解出来るとは言えない。
ただ彼らが何の犠牲になったかは、例えば特定の組織の誰々が悪いという軽薄な話ではない事だけは、よく解る。ここ最近の日本の本質的な問題がここにある。
この事故から生還した方のクルマが話題になっている。
ボディ上部左側が大きく歪んだインプレッサSTiの動画や写真を多くネットで見かけた。インプレッサ“だったから助かった”とは思わない。例えアロンソ+エンツォフェラーリだろうとタイミング悪ければ助かりようのない事故だ。が、助かった要因の一つであった事は間違いないだろう。
もちろん一番の要因は上に書いたようにタイミング、つまり運だったろう。が、インプレッサというクルマとそれを選んだドライバー、そして瞬間の判断でアクセルを踏んでいける技量はこれも少なからずの比率を占める。
自分が一番驚いたのはアクセルを踏んでいった、という事だ。普通ブレーキを踏んでしまいがちではあるが、確かに現実、事故回避においてブレーキが有用な場合とアクセルが有用な場合、これは五分五分であると思う。
こういう事故は極めて希有な例としても、そういう時の瞬時の判断は普段から鍛えられていないと絶対に不可能。スポーツカーに乗り、運転技術を磨く事は、さも無駄かのように言われているが…これ保守点検と本質的な同じ事だと思うんだよね。
何かあった時じゃ、もう遅い。
そしてその時にならないと、その意味が理解されない。
その何かあった時に備える事を軽視する風潮、それらが幾重にも重なっている事故だな、と自分は思う。
犠牲者の為にも、それらの風潮を一人一人が否定していかねばな、と。
あともう一つ。今回の事故の件でトンネルを通るのが怖いって言っている人見かけるけど…普通に走ってる時の交通事故の方が確率的に圧倒的に“怖い”のだけど。
そもそもトンネルの天井が落ちてくるのを怖がる前に、自身の運転技術の未熟さを怖がれ、と言いたい。だいたいこういう事を言う人(本質的な危険を理解して無い人)の運転技術って対したこと無いんだよ。
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Posted at 2012/12/07 17:05:49 | |
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