2012年12月18日
選挙結果。
また大きく前回選挙との開きがある結果が出ました。
しかし前回は「民意の勝利です」とのたうったマスコミ連中が今回そう表現しなかった事のダブルスタンダード/二枚舌っぷりには相変わらず辟易しますね。日本の癌はやっぱコイツらだわ。
投票率と数字的に、前回マニフェストの大嘘に踊らされてヘラヘラ投票しに行った無党派層…いや、自分はこう表現したいです、「無責任層」と。その無責任層が前回は精査せず無責任な投票をし、今回は無責任にも投票に行かなかっただけ、そういう結果だと思います。
民主党の一番の敗因はその無責任層を政治に興味が出るように出来なかった事、コレだと思います。
ただそれは無理と言うもの。なにせ無責任層は完全に人任せなのだから。そしてバラまくエサも無く、さらに現実は出来ない、決められない、逃げ回るという醜態…ハッキリ言って彼ら無責任層そのまんまの姿がそこにあったのですから。
しかし彼らは言いますよね、「一票では変わらない」だの「政党の違いがわからない」だの。これ、自分の趣味に当てはめて考えた事、あるんでしょうかね。
例えばクルマなら、「どのクルマも一緒だよ」と言うのと同じです。
例えばサッカーなら、「ただ玉蹴ってるだけでしょ」と言うのと同じです。
例えば俳優に、「どいつも同じ演技じゃん」と言うのと同じです。
例えばアーチストに、「似たようなの歌ってるだけじゃん」と言うのと同じです。
どうです?こういうのドヤ顔で言われたら。スルー耐性が無い自分だったらこう言いますわ「ロクに知らねぇクセに!」と。
つまりは無知って事なんですよね、こういう事を言えるのは。
しかも政治ってホントに政治家にでもなるんじゃなければ、そんなに難しい話は少ないんですよ。その本質は、ホントにシンプル。
富山一区で落選した村井候補。自分はこの候補者は政策的にも、思想的にも、政治手腕的にも、そして人間的にも評価はしていません。が、落選した以上はもう比喩も批判もしません。
その彼が落選の報告の時に「自分に慢心があった」と言いました。だが彼に慢心はなかったと思います。彼の敗因は、富山県民でありながら富山県民の本質を理解していなかった、その一点だと思います。
先に進まぬ高邁な思想よりも、歯を食いしばりながらの確実な一歩一歩…それを重んじる富山県民と、体現し地元に根ざして汗している現役世代を軽く見た結果がそこにあると思います。
今回当選した田畑候補には、その辺りを熟知し、地元にしっかり根ざし、その強い根を持って幹を伸ばし、それから日本を良くして欲しいと思います。
そして大勝した自民党。これからが本当に大変な時期だと思います。
この失われた3年間は近代日本史上に残る極めて大きい傷ですから。
そんな中で自分達がこれからやらねばならぬのは、
マスコミの卑劣な上げ足取りからは彼らを守る事。
そして同時に、
政策や方針が日本の為になる事か十分な監視を行う事。
この二つです。
投票したらハイ、オシマイ、では無いんです。
ここからが、大事。
日本の、為に。
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Posted at 2012/12/18 07:34:01 | |
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時事 | 日記
2012年12月10日
選挙。
さて、3年近い政治空白でしたね。
効果的な対策も提示せず、文句を垂れ流しているだけの連中に何が出来るか、正直見物でした。そしてその寄せ集め集団が何かしようとすれば半年も経たずに内部に亀裂が生じ、自壊するものだと読んでおりましたが、まさかまさか、2年以上も「何もしない」とはさすがに思ってもいませんでした。
この3年間のまったく無駄な時間、当然日本以外の国は動いているわけですし、あまつさえ東日本大震災があり、もう完全に日本は置いていかれるどころか破綻していてもおかしくない状況ですよ。
それを下支えしたのが、日本が何故強いかの理由でもある「中間層のレベルの高さ」であったと思います。部下を持つすべての働く人達、中間管理職のレベルの高さこそが、日本の底力。これはずっとずっと昔から、です。
しかしさすがに、そろそろ限界です。
パフォーマンスだけの無知な事業仕分けでJAXAにしても女子サッカーにしてもスパコンにしても、意地の渾身の一撃までは為し得ましたが、そこから先はやはり予算が無いと不可能です。
民主党に何も出来やしないのは解りきっていました。恥も外聞もなく居座るという行為以外、まったく予想通りです。
出来もしないマニフェスト、ありもしない埋蔵金、そして売国。
前回の選挙で民主党に投票した人、まさか自分が「騙された」とか「裏切られた」とか思っていやしないでしょうね?
自分の人を見る目が無かった
自分が馬鹿だった
こう思えないのなら、もう人間として終わっていますよ。
よく「一票の格差」ってのありますよね。数字的なアレ。でもね、自分にはちゃんと日本の将来の事を考え、地元に根ざし、やるべき事やる人を選ぶ眼を持つ人間と、ロクに人も見ず、見え見えの嘘八百な公約を鵜呑みにし、ヘラヘラ投票するだけの人間と、それが同じ一票を持っている事の方が選挙の本質的な意味での格差だと思いますわ。
強要される平等は不平等である。
あと、投票すべき人がいなければ白票を入れればいい、という意見を散見します。自分も昔はそう思っていました。でも今はそう思いません。
「ぼくのりそうのすぽーつかー」と一緒です、そんな全てが理想に当てはまる事なぞ、無いんです。無い中から、自分が絶対に譲れない事を決め、そしてそれに該当する人を選ぶんです。大事なのは、その過程で得られる知識。深く考えれば白票に意味があるとは思えません。白票を入れておけば義務を果たして好き勝手文句も言える、そんな甘い甘い考えは捨てるべきです。
自分は子供がいます。
その子供の将来の為に、一票を投じます。
自分は日本が好きです。
郷土富山の、その風土が、その文化が、その方言が、好きです。
その富山を内包する、日本の文化、風土、価値観が大好きです。
暴力や痛い事は嫌いです。戦争は怖いです。
でも力が無ければ何も守れないという現実も知っています。
口先だけで何か出来ると思うほど、幼い考えはもっていません。
脱原発だとか卒原発だとか、そういう言葉遊びにも興味はありません。
この問題で成すべきは次世代技術への投資のみ、と思います。
税金は納めます。
だからもっとしっかり、日本国内の為に、真面目に働く日本人の為に使って欲しい。
コツコツ働く人が報われる、そういう世の中であって欲しい。
この日本を一番守ってくれそうな政党・政治家に自分は投票します。
Posted at 2012/12/10 17:04:41 | |
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時事 | 日記
2012年12月07日
トンネル崩落。
中央道笹子トンネルの崩落事故。
ただしくは中央道笹子トンネルの換気通風区画を兼ねた天井が落下した事故、と。
まだ正確な原因調査も終わっておらず、聞き伝えられる限りではそのコンクリート(PC板)を吊っている金具のボルト(ケミカルアンカー箇所)が抜けたのでは、という話。
ケミカルアンカーで構造体を吊るのか、とも思うがPC板の重量が1枚1.2トン程度と軽く、それも片方はトンネルの構造体に乗せられ片方がその支持金具という構造の話を聞くに、現在ではあり得ないにしても、建設当時では支持金具側がケミカルアンカーで…というのもトンネル本体の構造物を最重要視する現場ではそうなのかもしれない。
とはいえこの手の構造物の構成の一つとしてはさほど重い部類に入らない1.2トンの天井板だが、当然、これは普通乗用車一台分ほどのコンクリート板であり、これが上から降ってこればどうなるか、想像がつくだろう。
ああ、そして間違いなく現場の惨状はその想像を上回るものだったろう。
そうなると出てくるのが、この惨劇を防げなかったのか、という話。
ケミカルアンカー施工の表面のボルトの劣化具合なら、目視確認でも解る。アンカーそのものはよほど内部のコンクリートとの隙間が出来ていれば、打音確認でも解るが…そうでない場合、超音波なりの各種非破壊検査となる。これがまたイイ値段を取っていく。そしてアンカーボルトの数となると…当然100や200じゃない。
そういう保守費用、事前対策に対して、世間一般は非常に無理解だ。
点検が終わり「異常ありませんでした」という言葉をどう感じるか。
異常なしという事に対してイコールで点検コストが無駄であったと考える人がいる。壊れてもいないのに見て回ってお金かけて税金の無駄遣いだわ、と。
まぁしかし確かにこの「異常ありませんでした」という言葉の使い方にも問題はあるのだ。現状の規格性能は維持していますが何%の劣化が発生しています、などと本来は表現すべきなのだが、上記の人々も、お上の方々も、その劣化という存在から目をそらしたがる。
経年劣化は絶対するべきものであり、しないものなど存在しない。そんな当たり前の事が、通用しない。
もう一つは日本の誇るべき「もったいない」という文化。だが、この「もったいない」を大きく勘違いしている輩が多すぎる。経年劣化したものを致命的に壊れる前に入れ替える、至極当たり前の事だが、そこに「もったいない」という言葉を使う。
「何かあった時に備えていて、そのおかげで犠牲者が出なかった事」はかんたんに忘れ去られる。
その何かの時に為に備えた人達の苦労はまったくどこにも残らない。
そして何かあった時に言われるのは、今まで何をしていたのか、と。
そ れ 以 外 の 所 を 直 し て た に 決 ま っ て る だ ろ が 。
ある日突然と補修や改修を出来る技術者が湧いて出てくるとでも思っているのだろうか。むしろ補修や改修は新造よりも高度かつ繊細な技術力を要求される。そういう技術者がそこらにウロウロしているとでも思っているんだろうか。
公共事業ってのはな、そういう普段から高度な技術者を保持・育成するって意味でも大きなものなんだ。そんな当たり前のことも知ろうともしない無知な連中が投票権を持っている事に大いに疑問を感じる。一票の格差?日本の将来を真剣に考える人間と、ヘラヘラと風見鶏のようなバカとが同じ一票を持っている事の方こそ本当の一票の格差だ!と声を大にして言いたい。
おっと、話が逸れた。
誰かが犠牲者にならないと、その事が理解されない現状に大いに腹が立つ。
亡くなられた方々の辛く苦しいご遺族の心情、自分には口が裂けても軽々しく理解出来るとは言えない。
ただ彼らが何の犠牲になったかは、例えば特定の組織の誰々が悪いという軽薄な話ではない事だけは、よく解る。ここ最近の日本の本質的な問題がここにある。
この事故から生還した方のクルマが話題になっている。
ボディ上部左側が大きく歪んだインプレッサSTiの動画や写真を多くネットで見かけた。インプレッサ“だったから助かった”とは思わない。例えアロンソ+エンツォフェラーリだろうとタイミング悪ければ助かりようのない事故だ。が、助かった要因の一つであった事は間違いないだろう。
もちろん一番の要因は上に書いたようにタイミング、つまり運だったろう。が、インプレッサというクルマとそれを選んだドライバー、そして瞬間の判断でアクセルを踏んでいける技量はこれも少なからずの比率を占める。
自分が一番驚いたのはアクセルを踏んでいった、という事だ。普通ブレーキを踏んでしまいがちではあるが、確かに現実、事故回避においてブレーキが有用な場合とアクセルが有用な場合、これは五分五分であると思う。
こういう事故は極めて希有な例としても、そういう時の瞬時の判断は普段から鍛えられていないと絶対に不可能。スポーツカーに乗り、運転技術を磨く事は、さも無駄かのように言われているが…これ保守点検と本質的な同じ事だと思うんだよね。
何かあった時じゃ、もう遅い。
そしてその時にならないと、その意味が理解されない。
その何かあった時に備える事を軽視する風潮、それらが幾重にも重なっている事故だな、と自分は思う。
犠牲者の為にも、それらの風潮を一人一人が否定していかねばな、と。
あともう一つ。今回の事故の件でトンネルを通るのが怖いって言っている人見かけるけど…普通に走ってる時の交通事故の方が確率的に圧倒的に“怖い”のだけど。
そもそもトンネルの天井が落ちてくるのを怖がる前に、自身の運転技術の未熟さを怖がれ、と言いたい。だいたいこういう事を言う人(本質的な危険を理解して無い人)の運転技術って対したこと無いんだよ。
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Posted at 2012/12/07 17:05:49 | |
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