自分の行い。~桶川スポーツランドドリフト走行禁止
桶川スポーツランドのブログ「惑星マリンバ」にこういうタイトルの記事を見かけました。
「ドリフトは本年をもって走れなくなります」
内容を要約すると、
ドリフトでのコース使用の時のマナーが悪すぎて、しかもそれを再三注意したにもかかわらず応じない人間がいて、もう対処のしようがなくなった、との事。
ってか、こういう
レースプログラムを扱っている場所で出入り禁止って、ちょっと普通考えられるレベルじゃありません。
よほど、よほどの事であると思います。
以前見たオートサロン(チューニングカーのモーターショー)の
チューニングショップがクルマの搬入時に係員の制止を振り切って…本人的にはパフォーマンス、世間一般には凶行に近い暴走をやっている動画を見た事がありますが…つまりはこれの「みんなでやれば」状態、なのでしょう。
それではと自分の知っているドリフト好きに聞いてみると…なるほど、少なくとも
自分の常識の範疇からは外れたレベルに基準があるようです。しかもそれよりもっと
「凄い」(自分には「酷い」としか聞こえない)のもいるとか。
桶川スポーツランドのブログから転載させてもらいますが、こうも書いてあります。
「それ以外の普通のお客さんには大変申し訳ないんですが、周りのマナーが悪い人を受け入れている以上、仕方ないですね…」
そう、そこなんですよね。
よく世の中、
「一部の人間」という表現がなされます。が、それは本当に一部の人間なんでしょうか。ではイジメを「見て見ぬふりするのも同罪」というのは、どうなのでしょう。一緒じゃないですか?
見て見ぬふりは、純粋に同罪と考えるべきであり、同じく罰せられる義務がある、と思います。
そしてそのブログではこうも書かれています。
「雑誌などでもマナー向上に向けて特集でも組んでくれないもんですかね……。」と。
確かに自分もマナー向上という記事、見た事ありません。つまりは
少なくとも雑誌やそれを支えているショップの、つまりはビジネスの側としては暴走を止める気、つまり”叱る”気はない、という事ですね。
どのカテゴリにおいても、「一部の人間」という言葉は完全に
逃げである、と思います。そう、
自身らの自浄作用の無さから目をそらす為の。つまりはドリフトというショップ・ユーザー含むカテゴリ全体として自浄作用は無い状況である、という事であり、そこに対して降り注ぐ新たな規制や罰則は全員で当然として受け止めるべきモノである、と思います。
まぁ自分も正直、
「交通ルールを守っているか」という前提で話すと、とてもじゃないけど人様にモノを言えた立場じゃありませんが、少なくとも
「自分達は楽しいけど悪い事をしている」という意識の元、極力他人様の迷惑にならないように、他人様の目に止まらないように、やっているつもりです。だから“まだ”捕まってもいないし、閉め出されてもいません。もちろん
その一線を越せば“それ”はすぐに行われることでしょう。
ただ…その意識が欠如、もしくは麻痺し、なおかつ集団ともなると…止める者がいないと言う状況は
容易に想像がつきます。多分その場にいた一人一人と後から話をすると「あれはやりすぎだと思う」という意見も少なからず出てくるでしょうね。
止められない・自浄作用が無い事に関して、
自分は強く非難をする事は出来ません。多分、自分がその場にいたら、
抗議をせずソッと立ち去るでしょう。
抗議をする勇気は無いですね、きっと。
だから桶川スポーツランドの決定はただ素直に
「そうなのか、なら仕方ないね」と読めます。まぁ抗議するような人はいないと思いますが。
我々クルマ趣味は、根本的に
「カンタンに人を殺せる、自分も死ねる、金属のカタマリを高速移動させている」という原則があります。
一度制御を失えば、そこにあるのは
物理法則だけ、です。
それこそ普段からどんなに運転に気をつけていると語ろうとも、安全運転意識が高かろうとも、交通ルールを守ろうとも、それすらも含めてすべて。
逆に事故さえ起こさなければ普段からどんなに不真面目な発言をしていようとも、交通ルールをやぶろうとも、物理的な変化はありません。
その不条理さも含めて、クルマ、なのです。
ただその不条理が、
「本当に」不条理なのかは、結局は自分自身の行いが全てであると思います。
その「一部の」ではない、その他の大勢のドリフト好きは今回不条理に巻き込まれたんでしょうか?
自分は
違う、と思います。
そうじゃない人もいる、という言葉は、
使うべき言葉では無いと思います。
この『ドリフト』の文字を『スポーツカー』に置き換えて語らざるを得ない時が、来ない事を心より願い、自身も行動したいと思います。
追記。
文間を読めない人がいそうなので書いておきます。
楽しさの中には、背徳が含まれるのもよく解ります。
逆に、背徳が含まれない楽しさに、自分は魅力を感じません。
俺は清廉潔白だとドヤ顔をする人を、自分は好きではありません。
当然、犯罪を助長したり弁護したりする気も、ありません。
ただ、その線引きというのは、自身にあるのではなく、他者にあるという事。
そしてその一線を大きく越えない事が、大事であるという事。
絶対越えない事、ではなく、大きく越えない事。
自分自身が長く楽しむ為にも。
.
Posted at 2013/01/08 08:25:17 | |
トラックバック(0) |
クルマ | 日記