
今回の未曾有の巨大地震において、被災された多くの方々へ心よりお見舞い申し上げます。
とにかく、一日も早い救助の手が差し伸べられ、そして復旧復興を祈りつつ、はたして自分たちに何が出来るか、良く考えつつ行動したいものだ!
さて、巨大連鎖地震から44時間を経過したところで緊急発進、R286笹谷トンネルにて山形から宮城県へ救援に出撃! この時点では、途中、川崎などで段差が少しある程度で、普通に仙台方面へは行くことができた。
小学生の時に青森県で十勝沖地震、大学生の時には宮城県で宮城県沖地震と二つの大地震で、凄まじい揺れの恐怖と、水も電気もガスも数日間完全ダウンでの二度の困窮生活の実体験ある私としては、今回の山形の状況は水も使えて煮炊きも出来たので、多少の落下による破損と停電でしかなかったのだから、ボーイスカウト風に言えば、単に冬季の舎営にしか過ぎず.....申し訳ないが、職場や地域周りの反応には辛口にならざるを得ない。
ほんとうに大問題で、寝られなかったのは、大津波により壊滅された三陸および宮城の沿岸部に住む親戚、友人、知人達の安否である。
とりわけ、10mを越す大津波で壊滅状態となってしまった宮城県名取市・閖上(ゆりあげ)に住む、うちのカミさんの両親がどうなったのか.....!?
各種通信手段はじめ、方々手を尽くして情報収集を試みても地震当日には消息が掴めず、さらに巨大地震から一晩明けて翌朝の讀賣新聞第一面、大きな写真がまさにその閖上が大津波に呑まれた上に火災が発生している悪夢のような光景を大写しにしていたものだから、これはやはり.....など不吉な思いも頭をよぎりはじめたころだった。 しかし、そうこうしてるうちに、うちのカミさんへ、辛うじて、間一髪、胸まで津波に浸かり流されかけながらも、なんとか生き延びて、今は避難所に居る!!との報が、宮城県角田市の義妹からあった!!!
こりゃ、もう、緊急発進で救援に向かわねばと! :-0
まずは朝に職場での対応を済ませバタバタと帰宅、山形で10Lだけに販売制限されたガソリンを近所の穴場的スタンドで詰めてHonda全輪駆動LA-RN4中型攻撃機にカミさんと疾風@黒柴♂搭乗で、とにかく避難所へ急行すべく、離陸。
さんざん通い慣れたR286は途中の川崎あたりで隆起&沈降で軽い段差が多少あったが、崖の土砂崩れや落石に注意しつつも、スムーズに走れた。
まずは災害対策本部の名取市役所に…しかし、メチャ情報交錯してて埒あかず、遺体の安置所情報やら避難所の情報もメチャクチャ、なんだか最初の避難所から移動の話も飛び交ったり、とにかく全く張り出されたバラバラの掲示メモを、それこそ虱潰しにすべて見なければ何も確認できず!?!?
この状況の中での混乱は解るが、それにしても、あまりにおそまつ、なんともはやメチャ酷すぎる自治体の情報処理能力&訓練不足!!!!!!!!!!!!!ではないかと、現場になんとか辿り着き&駆けつけ、我が身に起きた悲惨な状況の中で肉親を捜したり、あるいは親とはぐれて行方不明な母親を泣きながら捜す子供たちの姿を自分の眼で見ていると.....つい、思わざるを得ない.....いや、皆さん頑張ってくれてるのだが.....。
発電機回ってるんだから、複数台のNotePCとエクセルで集約アップデートし、地区名や避難者指名など何通りかでソーティングしてA3に大きく分割プリントして、それらを複数枚にて何カ所にも掲示張り出すくらい何とかならんのか!? 老兵MacPlusだってこんな時は役に立つぞ!などと古い林檎印偏愛者としてはこれまた辛口になってしまうが、いやいや、市の職員の皆さんも一所懸命に頑張ってくれてはいるのだ。 自転車のロングライド大会やヒルクライムレース、あるいは市民マラソンなどの開催経験がある自治体なら、数千人単位のゴールタイムの集計&リザルトのプリントアウト&掲示などの現場での即時情報処理能力、あるいは炊き出し給食の支援体勢などでも、こういうときに真価を発揮出来るものなのだが.....。 (ぜひとも、このあたりは各自治体でもタイムを競い、結果集計を短時間で処理したり、健康管理&補給が不可欠なスポーツ系イヴェントに積極的に取り組むことを検討し、訓練しておいて欲しいものである。)
ならば、もう、まず最初にまだ居るかもしれない避難所、名取一中へ行ってみるしかないと。 とにかく、歩いて歩いて、探して探して..........。
で、遂に、なんとか無事に会うことが出来て、激ホッとすることが出来た!! ;-D
義母は本当にあと数秒遅かったら今頃は.....という生死の境を越えかけたらしく、津波で一番怖い流木で手に直撃を喰らい、酷く腫れ上がってますが、骨に異常はなく、傷口もすでに少し回復してきてて診療チームからは、まぁ大丈夫でしょうと。
逃げるときに使った車も、すぐに津波に呑まれて流されたようだが、運良くこれまた流されてきた漁船にぶつかったおかげなのか、ぽっかりと打ち上げられてたと、義父があとからETCカード回収に行ったらしく、そう言っていた。 TVや新聞の写真でも義父のクルマは全国に報道されてた!? もちろん、うちのカミさんの実家は跡形もなく津波に呑まれ流されてしまい、一瞬にして全てを失ってしまったのだ。 うちのカミさんは、嗚呼、私の過去も全て綺麗さっぱり消されたのね!?と嘆いて......。
ともあれ、無事再会できた義父母をそのまま山形の我家へ収容し、まずは風呂を沸かし、生きてることを実感してもらい、昨夜は鯛の兜煮&麦酒+米酒+芋焼酎にて皆で無事を喜びあうことが出来た♪
あの翌朝の讀賣新聞一面大写真の大津波と火災に襲われる名取市閖上を見て驚愕してからというもの、本当に、これはもう奇跡としか思えない!!!!!
しかし、同じように津波に流された4軒となりの叔父叔母夫婦は、依然として行方不明…、なんとか何処かで生き延びてて欲しいと祈るばかりだ.....。
さらに、石巻高校OBな当方としては、東松島と石巻の友人多数が今も未だ音信普通で.....彼の地の詳しい現況を知っている方には是非ともinfo.願いたい.....。(激涙&超溜息)
Posted at 2011/03/15 01:39:38 | |
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