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トヨフリのブログ一覧

2009年09月01日 イイね!

軍艦島

軍艦島「軍艦島」という名前を聞いたことがあるでしょうか?

実は日本には「軍艦島」の別称を持つ島はいくつかあるのですが、その中でもっとも有名なものが、長崎県長崎市高島町の端島だと思われます。

軍艦島の詳しい説明はwikipediaとか、こちらのサイトにありますので、興味のある方はご覧いただくとして・・・

簡単にさらっと説明しますと、三菱が海底炭鉱を採掘する為に岩礁を埋め立て鉱業所を作り、そこに社宅を隣接させたことで日本一の人口密度を誇った人口の島なんですね。
たった周囲1.2kmしかない島(おまけに半分は鉱業所)に最盛期で5,300人以上もの島民が生活していましたので、当然ながら社宅は上に積み上げるしかなく、鉄筋コンクリートの高層アパートが林立し、おまけに鉱業所の採掘用櫓がそびえ立っていたこともあり、島の姿はまさに軍艦と言う面持ちだった島です。

昭和49年1月に端島炭鉱は閉山になり、その3ヵ月後には島民が全員退去と言うことになったのでそのまま35年以上無人島になっている島です。
このため、廃墟マニアからは聖地と呼ばれ、建築マニアからは大正年間の初期の高層アパートのサンプルとしてやはり聖地とされています。
また、そういう建築的な見地から最近は産業遺産として注目され、世界遺産登録の活動も活発化していますね。


その一方、私がこの島に興味を持ったのは、車はおろか自転車すら必要の無い超過密都市であったことです。
自動車害悪論者達のお題目のように決り文句としている自動車通勤への非難ですが、そんなの公共交通機関を使ったって環境負荷なんて所詮五十歩百歩。
理想論は職場と住居が隣接していることで、これをかつて非常に重視していたのが三菱グループな訳ですが、その過程で知ったのが軍艦島なんですね。

私自身、建築(特に住居)に昔から興味がありまして、この島を知った段階で虜になってしまったわけです。

なので、私は廃墟としての軍艦島にはほとんど興味がありません。と言うか廃墟に興味ないし。
願わくば操業当時の端島に上陸してみたかった、と思っているぐらいです(閉山したの生まれる前だけどね)。


画像は以前上陸した時に撮ったもの。
いろんなサイトで写真は公開されていますが、このアングルは多分ほとんどないはず。
最大のアパート65号棟南棟屋上から日給社宅や3号棟方面を撮影したものですが、この島の立体構造振りがよくわかるアングルだと思います。
ついでに右手に海面が見えるあたり、この島が離島だということがわかりやすいアングルともいえるかも。
Posted at 2009/09/01 22:19:29 | コメント(2) | トラックバック(0) | 鉱山住宅 | 日記
2009年09月01日 イイね!

一応ノアのご先祖様

一応ノアのご先祖様母親の実家のお墓があるお寺前で物置になっていたYR21Gタウンエースワゴン中期型。
グレードは2.0ガソリンEFI2WDスーパーエクストラツインムーンルーフですね。
スーパーエクストラ2WDで純正アルミ装着車はかなり珍しいです。最上級のロイヤルラウンジならそれなりにいましたけど。

R2#系タウンエースは1982年に登場。
クラッシャブルゾーンを確保する為、長めのノーズを採用したシャープなフロントマスクは、それまでの1BOX車の野暮ったいイメージを覆すスタイリッシュなもので、その後登場するアメリカのミニバンにも影響を与えたと言われています。
当時の国産他社1BOX車はどれも商用車候の野暮なデザインばかりでしたので、ある意味初めて1BOXのピープルキャリーをファミリーカーとして認識させた車だといえます。
つまり、国産ミニバンの元祖はこの車にあると言ってもいいですね。

R2#系は85年によりシャープな顔つきにビックマイナーチェンジした後、その3年後の88年には再びビックマイナーチェンジを敢行します。
この88年のビックMCバージョンが一般的に中期型と定義されている、画像のデザインの仕様になります。

この頃には他社1BOXもスタイリッシュなデザインが増えてきており(日産バネットラルゴ、マツダボンゴ、三菱デリカスターワゴンetc・・・)、スタイリッシュ1BOXのパイオニアたる意地を見せる為に、フロント周りを当時トレンドになりつつあった曲面を大胆に取り入れ、フォグランプ内蔵の透明アクリルラジエーターグリルで先進性をアピールしたデザインに変更したのです。
当時小学生の私は、この中期型タウンエースのデザインに度肝をぬかれたクチなのですが、間違いなく当時の1BOX車の中ではダントツにスタイリッシュな車でしたね。

その後92年にはさらにビックマイナーチェンジでリア周りにも大幅に手を入れてフラッシュサーフェス化され、97年のSR40/50系タウンエースノアにモデルチェンジすることになります。

この中期型当時は最上級のロイヤルラウンジが300万円クラス(当時のマークⅡグランデG並)と高価だったせいか、後継者たる現行ノアと比べると高級感が強いデザインやカラーリングだったんだな、と改めて思った次第。
Posted at 2009/09/01 01:11:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 町で見かけた旧車 | 日記

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HNトヨタフリークとして活動を始めて早10年以上。 現在は略称の「トヨフリ」をHNとしております。 インターネット接続を始めた頃はネット上でのトヨタファンっ...
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