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よしつきのブログ一覧

2024年07月21日 イイね!

憧れの君との生活がバラ色とは限らない

先日、ウチのチンクの定期点検を受けてきました。
以前ブログにしたように(過去ログ→)、近くというほどでもない場所にあるフィアットのディーラーでメンテナンスの契約をしたので、車検から1年目の点検です。
ですが、ディーラーに行く前にヤボ用でチンクを走らせていたトコロ、インパネに警告灯が点灯し、加速が鈍るという事象がありました。エンジンを切っても警告灯は消えず、だけどその後は加速が鈍るというコトもなく走っていたので、どうせすぐディーラーで診てもらうんだし、いいかと思っていました。

ディーラーに行って、点検の受付を済ませ、警告灯のコトをお知らせしました。
点検は無事終わり(実はオサーンが無茶なお願いをしたせいで、ちょっと長引いたんですが、点検自体は無事終了)、警告灯の件については、警告の意味自体は点火系に不具合が生じたという自己判断で、その不具合自体が収まっていても、不具合が生じましたよというコトをお知らせするため点灯し続けるという。実際、診断機を使って警告灯はリセットされ、その後のチェックでも再び点灯する現象は出なかったそう。
原因としては、ノッキングやミスファイアであろうと。
今後また同じように警告灯が点くようなら、点火系のプラグ、プラグコード、イグニッションコイル、最終的にはコンピュータなどにも異常があるかもしれないので、お預かりして診断・修理というコトになりますと説明を受けました。
確かに、点検終了後のチンクに乗り込むと警告灯はついておらず、その時はエンジンオイルを交換した直後はエンジンの回転が滑らかでいいなぁ~とルンルン気分で家路についたのです…が。

次の日。また点いてしまいました…orz

1速から2速で、アクセルベタ踏みでもまったく加速しません(ToT)
ただ不思議なコトに、その状態がずっと続くかというとそうでもなくて、普通に加速するようになったり…。まぁ、とにかく異常だってことは間違いない。

ディーラーに電話したところ、今すぐお預かりしても代車が用意できません。代車が用意できるのは早くて8月初めの頃。
もし仮に平日代車が用意できたとしても、今度はオサーンが退勤後ディーラーに行ったとしてもサービスの受付時間の17:00には間に合わない。
ではディーラーで代車が用意できるまで、このまま乗り続けるしかないのか?と訊くと、任意保険のサービスでレッカー手配してチンクをディーラーに送ってもらって、代車も保険会社に手配してもらってはいかがですか、との答え。契約してる保険会社に問い合わせしたところ、レッカーでディーラーまで届けるコトはできますが、代車を用意するサービスはありません、とのコト。

結論:警告灯が点いたまま乗り続けるしかない…orz

これが国産車なら、他の店に行くという手もあるんでしょうが…。
とりあえず走れるからといっても、点火系に異常を抱えたままではエンジンに負担がかかるというハナシですよね?
これも輸入車のオーナーになるという覚悟への試練だとでもいうのでしょうか?
Posted at 2024/07/22 00:02:56 | トラックバック(0) | マイチンク | 日記
2024年06月23日 イイね!

アジサイ2024

アジサイ2024遅れに遅れていた関東の梅雨入りがようやく宣言され、まだなのかまだなのかとヤキモキしてはいたのですが、でも梅雨入りしたらしたで鬱陶しい季節にウンザリしてしまうワケで。まぁ、寒い時期はちゃんと寒く、暑い時期はちゃんと暑く、雨が降る時期はちゃんと雨が降らないと困るので、ちゃんと梅雨入りするのはそれはそれで安心はするのですが、昨今の異常気象にはどうにもちゃんとした季節というのが、今でも日本に存在するのかどうか不安になってしまいます。

とは言え、ちゃんと梅雨入りしたので、アジサイとチンクを絡めた写真でも撮ろうかと、以前スイフトで行ったコトのある紫陽花園(過去ログ→ もう12年も前だ!! しかも、ブログアップした日付けが6/23で同じだ! ナニコレ、怖っ!Σ(゚Д゚))に行ったのですが…。
なんていうか、確か自治体が管理している公園のハズなんですけれど(市のHPにも載ってますが…→ 掲載されている画像は平成21年のモノで、オサーンが以前行った時よりさらに前のヤツ!)、まー管理が行き届いてなくて花が全然キレイに咲き揃ってないんですわ。駐車場やそこに至る道は掃除がされておらず、落ち葉や枯れ枝が残ってもう腐葉土のようになってたり。アジサイとともに植えられた木々の枝も伸び放題で、アジサイにかかってるような始末。
せっかく、株の数が多くて、そこそこ広さもあるのに台無しです。

それでもなんとか、チンクと絡めたのを1枚。

あとはアジサイだけの写真を少々。








行ったコトはないけれど、TVとかで観る鎌倉の明月院(通称、紫陽花寺)なんてそれは見事な咲きっぷりですよね。観光客もひっきりなしに来るくらいの。それと同じようにはできなくても、せめて自治体のHPに載せるくらいの観光スポットだったら、ちゃんと管理してあげなきゃ、アジサイたちもかわいそうです。
Posted at 2024/06/24 00:27:14 | トラックバック(0) | ただ写真だけアップするブログ | 日記
2024年06月09日 イイね!

バッテリー交換

バッテリー交換当ブログでは、過去の話をブログネタにするのも結構当たり前のようになっていて、申し訳ないというか誰に対して申し訳ないんだか判らないから、まぁ別にいいかと思ったりして。
そんなコトはともかく。
もうだいぶ前のコト、チンクをディーラーで点検してもらったところ、バッテリーが弱っていると診断されました(過去ログ→)。今すぐどうこうというコトではいだろうけれど…という話でしたが、なにせバッテリーは突然ダメになるコトもあるうえにクルマにとっては最重要パーツのひとつ。不安を残したまま運転を楽しむコトはできないので、早急に交換しようと思っていたんですが…。
ディーラーでの点検後の説明の時に、ちなみに…とディーラーで純正バッテリーと交換した場合、いくらかかるか?と訊いたところ、¥6万くらいだと…∑(◎Д◎)
こーゆートコなんだよなぁ、輸入車に乗るっていうのは…(-"-;)
カー用品店で交換しようと思い、それから自宅から行ける範囲のカー用品店を片っ端から巡ってバッテリー売り場を漁ってみたんですが、備え付けのメーカーカタログの適合表を見ても、チンクに合うバッテリーが売り場には置いてない店ばかり。しかも、どうやら純正相当のバッテリーはそれほど選択肢がないようです。みんカラのクルマ別パーツレビューを見ても、ほぼほぼ一択のようで、コレは輸入車だからなのかチンクだからなのか、どうにも融通がきかない印象。
まぁ悩んでいても仕方ない。選択肢がないのなら、逆にそれしか選べないワケだから悩む必要はない。というワケで、鉄板中の鉄板、
ボッシュ BLACK-EFB BLE-60-L2 をチョイス。
…したんですが、コレがカー用品店だと取り寄せで、かつお高い! メーカー純正ほどではないにせよ、まぁ高い!!(>_<) だけど、なぜかネット通販だとバカみたいに安い。タイヤとかもそうだけど、こういうのの値段ってどうなってんだろ?と不思議でならない。
とは言え、ネットで買ったヤツはカー用品店では面倒みてくれないって言われたので、自分で交換もできないし、クルマ側のメモリー保護や廃棄バッテリーの問題もあるしで、カー用品店で取り寄せ・交換をお願いしました。

で、交換した後のチンクは…
まー、アイドリングストップを積極的にやるコに豹変しました。
交差点の赤信号で、右折レーンで停まると当然のようにアイドリングストップ。信号が青に変わって、右折側もちょっと前進して反対車線のクルマが途切れるのを待つので一時停車すると、またアイドリングストップ。
商業施設の駐車場で、バックで駐車枠に入れようと切り返しとかしてると、ギアがニュートラルになった瞬間たまたまクラッチから足が離れていると、ほぼ停車状態ならすかさずアイドリングストップ。
とにかく隙あらばエンジン止めようとしてくるのよ(^_^;)
まぁ、クラッチを踏みさえしなければエンジンスタートはしないので、停車中はサイドブレーキ引いてブレーキペダル踏みっぱなしにはしないオサーンにとっては(←ホントは停車中はブレーキペダルを踏んで、ブレーキランプを点灯させなければダメです)、ラクなタイプのアイドリングストップなのですが。
だとしても、そこまでアイドリングストップに執念を燃やさなくてもいいんじゃないかなぁと思う。エコとか地球環境へ積極的に配慮する姿勢は、今時のクルマに求められるスペックではあるとは思うんだけれども。

とりあえず、これでまたひとつ不安は取り除かれ、しばらくは安心してチンクを転がすコトができます。
Posted at 2024/06/09 23:42:08 | トラックバック(0) | マイチンク | 日記
2024年05月19日 イイね!

三陸辺りに行ってきた③

三陸辺りに行ってきた③1週間空いてしまいましたが、東北行その3、最終回です。
やっぱりウィークデイは仕事から帰って、食事用意して録り溜めたアニメ観ながら食べて、風呂沸かして入って、明日の仕事のために早く寝て…なんてやってるとブログ書いてるヒマなし。毎日ブログアップしてるヒトってホントスゴイ!(アニメ観ながらダラダラメシ食ってるのがよくないんじゃあ?)
とか、言い訳は置いといて。
3日目にして、ようやく文句つけようのない晴れっ! ドライブ&観光日和!! ん~、なんかデジャブ? 少しでも渋滞を避けようと、カレンダーとしては黒字の4/30~5/2に出かけたんだけど、その前と後ろのカレンダーとしては赤字の方が晴れ続きという、なんの嫌がらせかっ!?というね。まぁ、天気ばかりはどうしようもないんだけれども。

そんな3日目のスタートは、トレーラーハウス宿泊施設・エルファロのある女川周辺をブラブラ。
最初は昨晩お世話になった「女川温泉ゆぽっぽ」がある、石巻線女川駅の駅舎展望台から

海側を望むと、商店街のシーパルピア女川。山側にはエルファロ。

そうそう、今回泊まったのは108号室。


最初に向かったのは、女川町役場。ダンボルギーニを製作した今野梱包さんがシーパルピア女川から撤退し、展示されていたダンボルギーニを女川町役場に貸与するという形で2023年5月から展示継続しているとネットニュースで見たからだ。
2016年に三陸に来た時は、さぁこれから見に行こうとした朝に急遽帰宅を余儀なくされたので、ある意味リベンジでした。震災後新たに建て替えられた新しい役場のエントランスに、それは佇んでいました。









キングオブスーパーカーの血統を正当継承するランボルギーニ・アヴェンタドールを、ダンボールで作ってしまったと話題になり、我が駄ブログでも度々ネタにしました(過去ログ→)。一目その雄姿を直に眼に焼き付けたいと願ってやまなかった作品です。
ただ、経時劣化なのか、はたまた注意書きが理解出ないバ○のイダズラなのか、所々痛ましい姿ではあります。

キレイな姿の頃のキングにお目通りしたかった所でしたが、それは叶わない願い。それでも、実物を見られてよかった。

シーパルピア女川(HP→)に戻って、お店を見ながらブラブラ。
前の日に東日本大震災津波伝承館の解説員のお嬢さんにオススメされた、蒲鉾本舗・高政。揚げ蒲鉾というのがあって、見慣れないので店員さんに訊くと、「厚揚げみたいなモノです」という。「厚揚げは豆腐ですよね?」と訊くと「あ、さつま揚げでした、さつま揚げ!(笑)」(^_^;)ダイジョウブカ?
お土産に…と思ったんだけれども、やはり生ものなので、天気も良く気温も上昇していたこの日、その日のうちに茨城に帰るつもりではいたけれど、ちょっと心配なので、その場で頂く笹蒲鉾だけ購入。画像失念…(今回こういうのばっかりで、何年ブログやってんだ?とちょっと凹む…)。イートインスペースで頂いた笹蒲鉾はとても美味しかったです。解説員ちゃん、ナイス! 他にも日持ちする海産加工品を買ったり、2014年時には仮設商店街で出店されていてお土産も少々買わせていただいた「みなとまちセラミカ工房」(過去ログ→ お店HP→)がシーパルピアにも出店されていたので、再び小物を購入したり。
シーパルピア女川は多くの魅力的な店が出店しているので、もっとじっくり見てみたいし、美味しそうなモノも多いので食べ歩きもしたいですね。

シーパルピアより海の方に歩いていくと、震災遺構の旧女川交番があります。



鉄筋コンクリート造りの建物が、津波の、しかも引き波で基礎部分から引っこ抜かれ転倒するというのは、日本では初めてで世界的にも珍しい事例だそうで、改めて津波の恐るべき威力をまざまざと見せつけられた思いです。それと、転倒した建屋に生えた樹が年月を感じさせますね。

女川を後にして、ちょっと北上。
震災遺構・大川小学校。東日本大震災の津波でで児童74名、教諭10名が亡くなった悲劇の場所です。





校舎は小学校らしくファンシーで、震災前の奇麗な頃であれば子供にも人気のありそうな建物であったろうと思います。それ故に、無残な姿がかえって痛々しさを増しています。大川小学校の悲劇は、教師が高台よりも指定された避難所に誘導したことが被害を拡大させてしまった要因だということです。前の日の「学ぶ防災」でもガイドさんが言っていたのが、防災ガイドでは、まず他の地方から赴任された先生に防災意識を徹底してもらうことにしているそうです。確かに、津波の恐ろしさをよく知り臨機応変に逃げる場所を変える柔軟さがあれば、防げる被害もあるでしょう。そうでなくても、もうしばらくすれば、震災以後生まれの教師が生徒を導くことになるわけで、あの震災を経験しているかしていないかで対応は微妙に変わってくるのではないかと素人ながら感じます。
あの悲劇が二度とおきないよう、大川小学校で亡くなられた方々の犠牲を無駄にしないよう、正しく伝えて理解し準備し行動できるといいなと思います。
大川小学校の近くを流れる北上川の河口、道波湾。

こんな穏やかで奇麗な海から、津波が3㎞以上も遡上して小学校の校舎の2階部分さえ破壊するなんて、誰が想像できる? つくづく人間の想定なんて、自然は軽く越えてくる。大丈夫だろう、なんて楽観は致命的なのだ。

さらに北上して、南三陸町。
ここは2014年、2016年とどちらにも訪れた、南三陸町旧防災対策庁舎がある場所。2014年には周りには何もなく、ただ献花台が備えれているだけの寒々しい印象でした(過去ログ→)。
2016年にはかさ上げ工事が始まり、建屋周辺には近寄れない状況でした(過去ログ→)。

それが今やこんなきれいに整備され、



かつての正面玄関口側は高台になっていて、

庁舎の後方に「祈りの丘」という小高い丘が作られました。旧防災対策庁舎もまとめて周辺を、南三陸町震災復興祈念公園として整備されたのです。

旧防災対策庁舎を背に、舗道と階段を歩いていくと…

庁舎を背に歩いていくんですが、画像は背中を向いてます(^_^;)
遠くに志津川湾も望める「祈りの丘」です。



一瞬で街を薙ぎ払う自然災害もさることながら、2016年着工で全体開園が2020年だそうで、数年でここまでの規模の公園を造ってしまうのもまたすごいなぁと感心しきり。

そして特徴ある中橋を渡ると、

これまた特徴的な建物、

東日本大震災の伝承施設の「南三陸311メモリアル」が立派にそびえてます。この海側に南三陸さんさん商店街。

この中橋と「南三陸311メモリアル」、そしてさんさん商店街は建築家の隈研吾氏による設計だというコトを、今回ブログを書くにあたり初めて知りました。言われてみれば、なるほどです。
「南三陸311メモリアル」内を見学していると、お昼をかなり過ぎた時間帯でした。結構な賑わいを見せていたさんさん商店街でしたので、昼食を静かにとるには丁度良かったかも。
遅いランチに選んだのは、やっぱり海鮮!

かいせんどころ梁(南三陸さんさん商店街HP→)のマグロ三食丼。デザートに月と昴(南三陸さんさん商店街HP→)のクレミア×ラングドシャコーンとかいう聞きなれないオサレなソフトクリーム。おいしゅうございました。
もうひとつ震災遺構を見ておきたかったので、お土産など物色する時間的な余裕がなく次の目的地にチンクを走らせました。

気仙沼市の東日本大震災遺構・伝承館(HP→)は、震災遺構の気仙滑向洋高校旧校舎に併設された施設。

伝承館では震災の記録映像や写真の展示を見学した後、向洋高校へ行って津波被害に遭った当時の様子をそのまま残した校舎を見ていきます。

どの教室もメチャクチャなんですが、隣の公園で御老人たちがゲートボールを楽しんでる風景が、窓ガラスをなくした窓から見えていて、そのあまりのギャップに現実感をなくなるような気がします。まぁ、それだけ日常が戻ったということなのでしょうが。

なかにはクルマが飛び込んだ教室もあったんですが、

実はここ、3階の教室なんです。あらためて、どれだけの津波が校舎を襲ったのか思い知らされます。

4階部分の壁が破損しているのは、津波で流された冷凍工場が激突してできた跡だそう。工場が流されるというのも想像を絶するが、それがぶつかったというのが4階の壁とは凄まじい。

校舎中いたるところに津波の恐るべき爪跡が残る。とても信じられないことが実際に起きたという証拠。
やはりこれら震災遺構は残していくべきものだと強く思う。維持は大変であろうことは想像に難くない。だけれど、人は嫌なことや自分に興味ないこと、不都合なことや面白くないことはすぐ忘れる。でも、こうして実物を目の当たりにすれば嫌でも実感できるだろう。考えたくもないものに目を背けても、事実は突きつけられる。そして、それが判れば対策できる。そのためにも、こういう施設は残しておいて、多くの目に触れてもらって知ってほしい。本当に起きたことなのだと。そして、これからも起き得ることなのだと。

東日本大震災遺構・伝承館を閉館時間ギリギリまで見学したら、最後の目的地・道の駅 大谷海岸(HP→)。
るるぶで見つけたスイーツが狙いだったんだけど

人気があって、午前中で売り切れちゃうんだとか…orz
ま、また来ればいいd…
リベンジの多い旅になっちゃったなぁ(´Д`)=3

それはそうと、この道の駅 大谷海岸は映画『すずめの戸締り』のロケ地でもあったそうで…

新海誠監督のサイン入り、あの椅子の展示がありました。そう言えば、同作品も東日本大震災とは切っても切れない関係でした。
さて、どのシーンで使われたか、判りますか?


なんか全般的に時間に追われて、駆け足で見てる感じでした。2泊3日なんかでは、とても見きれません。ホントはもっと落ち着いてゆっくりまわらなきゃならないほど、見るべき楽しむべきところが多いです。そんな反省と数多の満足とやり残したコトを抱えつつ、帰宅の途につくのでした。
もちろん、また来ればいいだけのコト!



<忘備録>

総走行距離:1,166.3㎞
給油量:60.42ℓ
平均燃費:19.9㎞/ℓ(メーター読み)/19.3㎞/ℓ(実質換算)
意外と燃費が伸び悩んでる感じ。カタログだと、10.15モードで21㎞/ℓらしいんだけどなぁ。インチアップと幅広タイヤのせいかな? 
あと、インフォメーションディスプレイの平均燃費と実質燃費に、あまり差がないのはちょっとビックリ。
あ、レカロシートのおかげで、腰に痛みはまったくありませんでした! やっぱスゲェーわ、レカロ!!
Posted at 2024/05/19 13:21:06 | トラックバック(0) | ふら~り一人旅 | 日記
2024年05月12日 イイね!

三陸辺りに行ってきた②

三陸辺りに行ってきた②ブログトップ画像は2日目の宿、女川のトレーラーハウス宿泊施設・エルファロ。
ここも三陸へ来るときはいつも利用してる宿です。すっかり東北行の拠点になってる感じ。
東北行ブログその2は2日目のコトを書くので、エルファロについては最終盤ってコトになりますが、今回結構写真は撮ってきたんですけれど、チンクの写真は少なくてムリヤリここに貼っておきますって感じです(^_^;)

さてその2日目は、2014年に来た時に体験した「学ぶ防災」(宮古観光文化交流協会HP→)を再び体験します(過去ログ→)。実はブログにしてなかった(できなかった)2016年に来た時も、コチラの取り組みを聞いてました。
震災遺構として残っている、たろう観光ホテルを中心に田老地区が東日本大震災の時に大津波に飲まれてしまったコト、どうして津波に飲まれたのか? どうしたら自然の脅威に立ち向かえるか? そして田老地区が取り組んできた震災以降の津波対策と被災の実態を後世に語り継ぐべく、被災者自ら防災意識を高めてもらえるよう活動しています。
また傲慢に聞こえるかもしれませんが、そんな活動を少しでも応援したいという一念から、今回も体験させてもらいました。

ここで奇跡というか、縁というか巡りあわせというか、この「学ぶ防災」というのは語り部ともいえるガイドさんについてもらって、田老地区の防災のコトを聞くのですが、2014年と2016年にガイドしてもらった方が、今回もガイドを担当してくれたのです。ガイドの方は当然覚えてなかったですが、前に来た時名刺を頂いていたので間違いありません。10年もずっと元気でガイドをなさっていたコトに感動しました。
ガイドルートは以前と変わらなかったですが、10年前とはかなり違っていて、やはり復興というか変化というかしているんだなぁと実感。たろう観光ホテルもエレベーターが新設され、脚に障がいがある方でも来てもらえるようになりました、と。ただエレベーターの箱が小さく、大柄(主に横方向に^^)な外国人の方は乗り切れずに困ったコトもあったとか、笑い話も聞きました。
「道の駅 たろう」(宮古市HP→ 「学ぶ防災」の拠点もここ。残念ながら写真撮り忘れ)も住宅地の高台移設に伴い、広く空いた防潮堤の内側の平地に2018年に新しく移設されたが、翌2019年の台風19号の大雨で浸水。防潮堤の水門を閉めてしまったために水が流出しなかったのが原因だったとか。
つくづく自然相手の防災は難しいと呟いてました。田老地区に限らず、近年日本全国で大雨による水害は多発しています。地震や津波に備えられても、また別の自然災害も襲ってくるかもしれないと考えると、際限ないです。
また見た目には復興していても、津波被害がなかった地区と高台移転した地区とでの軋轢だとか、歯止めがかからない人口流出だとか問題は多いというコトも聞きました。それでも田老が好きだから前を向く!と言ったガイドさん。オサーンもそんな人たちが頑張る三陸が好きだから、また来ますよと言って別れました。

そうそう、その立ち姿から震災の津波で損壊してしまったのだろうと言われながら、震災前と同じ姿を保っていたという三王岩(岩手県宮古市HP→)。ずっと見られなかったので、今回は見ておこうと脚を伸ばしました。と言っても、道の駅 たろうからほど近い場所にあるんだけれども。
それがコチラ。

画像じゃイマイチ迫力が伝わらないんだけど、真ん中の岩は全高37mだそうです。
自然の造形、圧巻。スゴイねぇ。ただこの景色を見るには、駐車場から結構な勾配の階段を延々と降りなきゃならない。当然帰る時は延々と登らなきゃいけない。か~な~り大変。運動不足なオサーン息切れ…(>_<)

今回の東北行、行きたいトコロがひとつありました。2014年に立ち寄った大船渡の屋台村、そこで海鮮丼を頂いた「鮨・季節料理ささき」(過去ログ→) ひょっとしてと思い、店名で検索してみたら大船渡市で店を構えてるじゃあありませんか!(HP→) これは行って出店のお祝いをせねば!と思い、大船渡へチンクを走らせたのでした。
三陸リアスの海岸線を走る国道45号線は、リアス式海岸ゆえにクネクネと高低差のあるワインディングロードで、走るには楽しい路ではあるんですけれど、当然移動には時間が掛かります。でも、料金のかからない高速道路(今のところ)のような三陸沿岸道路は山沿いを走るので、各地区間の移動にはすっごく便利。片側一車線でPAもSAも当然GSもないので注意が必要だけど、ICは細かく設定されていて、すぐ降りられるので困るコトはないと思う。これも生活利用道路なのだろう、リアスの絶景は拝めないけれど、急いでいる時は重宝しますね。
で、田老から大船渡まで国道45号で行くと3時間以上かかるところ、三陸沿岸道路だと1時間半くらいで到着。「鮨・季節料理ささき」もすぐ見つかり、ランチの時間に間に合いました。
店に入ると、カウンター席で御主人が鮨を握ってる所の真ん前に陣取ることができました。料理の手が一段落したところで、「実は10年前に屋台村で御主人が店を出していた頃に来たコトがあるんですよ。海鮮丼に、珍しく上がったからってアブラボウズを入れてくれてね」と声をかけたところ、「アブラボウズねぇ。最近めっきり上がらなくなっちゃったねぇ」と。
いや、そこじゃない。覚えていてくれているなんて思ってない。でも「またよく来てくれたねぇ」くらいの声はかけてくれると思ってたんですけれどもね。以前お会いした時は、人懐っこい笑顔でよく喋っていたと覚えているんだけど、今は仏頂面で言葉少なげ…。ずいぶんイメージが変わったなぁと感じました。この10年で何があったのか、オサーンには知る由もない。
店はキレイで、カウンター席、テーブル席、お座敷とかなり広い。従業員も御主人の他に板前が一人に、給仕の女性が二人。ランチタイムの終わり頃だというのに、オサーンの他に4、5組の客がいた。入り口にはサイン色紙がいっぱい飾ってあって、傍目には繁盛しているように見える。
店は出せたけれども、屋台村で頑張っていた頃とは何かが違うのだろうか。
たまたまだったのかもしれないけれど、何故か寂しい気持ちになりました。また三陸に来ることがあっても、この店に立ち寄るコトはないと思う。提供された妙に味がしない海鮮丼をかきこみ、店を後にしました。なもんで、写真はナシ。でもまぁ、お店の繁盛は祈らせていただきます。

気を取り直して、すぐ近くにあった、お菓子「かもめの玉子」で有名な三陸菓匠さいとうが2017年にオープンさせた直営店、かもめテラス(HP→)でかもめソフトを頂く!

かもめの玉子の黄身餡をモンブラン風に飾り付け、かもめの翼のようなホワイトチョコレートをあしらったソフトクリームです。
お土産用のかもめの玉子をしこたま買って、次の目的地にGOです。

大船渡の次は陸前高田。陸前高田と言えば奇跡の一本松。
2014年の時(過去ログ→)も立ち寄らせていただいた、復興の象徴のモニュメント。その時は、一本松の周りはただただ更地が広がるだけでした。ダンプの代わりに山から土砂を運ぶために、巨大なベルトコンベアがいくつも建てられ、一種異様な風景だったと覚えています。
それが今や、東日本大震災津波伝承館(HP→)と道の駅 高田松原が併設された巨大な施設が建てられ、

その施設から一本松、海と新しく植樹された松原を一望できる防潮堤まで広大な敷地を高田松原津波復興祈念公園(HP→)として整備されてます。
一本松の向こうの海側には新たな巨大な水門も見えます。

展示の仕方も、10年前とは比較にならないくらいキレイになってました。
東日本大震災津波伝承館に入ると、津波に破壊された展示物があります。

驚異的なのは左の展示物で、元は橋桁の一部だとか。厚さ3㎝はあろうかという鉄板が冗談のように折れ曲がっています。このような橋桁が、いくつもの大きなボルトで繋がれていたにも関わらず、ねじ切られてへし曲げられて漂着していたそうです。言葉を失うほかありません。近くにいた解説員のお嬢さんに説明いただきましたが、彼女も被災者だそうです。幸い彼女の家族はみなさん無事だったようですが、この伝承館で働くスタッフも多くは被災者だとか。
オサーンが10年前にもここに来たコトがあると話すと、例のベルトコンベアの話になり、街の明かりがほとんどない中、コンベアの警告灯の明かりだけがやけにキレイでよく覚えていると話していました。それが10年経って、こんなになってしまうんだからスゴイですよね、なんて感慨深げでした。
昨日どこそこ行って、今日はこれからこうこうで、「ああ、あそこはイイですよね」とか「どこそこのアレはお勧めです」なんて他愛のない話をさせていただき、彼女たち被災者も「被災」者でなくなりつつあり、なんでもない普通で平凡な暮らしがようやくできているんだろうなと思いました。もちろん、人によっては悲しみは消えないし、忘れることなんてできないだろう。でも、着実に前に歩んでいけているんだろうと思えました。

そして2日目のお宿に夕方チェックイン。
トレーラーハウス宿泊施設・エルファロでは、翌朝の朝食は宿泊費に含まれるコースで予約したのですが、夕食は自分でとらなきゃいけません。エルファロのカウンターでどこか食べられるところはないかと訊くと、すぐ近くに多数の店舗が軒を連ねる複合商業施設・シーパルピア女川があるんですが、飲食店は割りと早く店じまいをするとのコト。施設案内のチラシをいただき、やってる店を教えていただきました。確かにどこも閉まっているシーパルピアを歩いていると、行列ができてました。ラーメン店でした。
実は2日目は気温が低く、薄手のパーカとTシャツしか着ていなかったせいか、ちょっと肌寒く感じていたのです。日が落ちると、それが顕著になり、ラーメンもいいなぁと。お店は「RAMEN WORKS LINGKAI」(→) 
オサーンもう若くないので、最近は塩ラーメンばかりというオーダーで、ギトギトコテコテは胃袋が受け付けない身体になってきています(^_^;) あまり詳しくはないんですが、ニンニク、背脂、モヤシ…と聞くと二郎系というヤツなのかな? 店に入っちゃってからそれが判っちゃったモンだから、失敗したかなぁと思いながら、まぁ何事も経験と腹をくくっていると、ニンニク、背脂、味の濃さは調整が効くそう。だったらとニンニクも背脂もナシにしてもらいました。

ここに来て、そんなオーダーがあるか!と、周りはほぼほぼ常連らしいお客さんからの心の声が聞こえてきそうではありましたが、店主は気前よく「あいよ!」とオーダーをきいてくれて、一安心。
スープは濃いめの醤油味でチャーシューが分厚い! 麺は太目で食べ応えあり。レギュラーは300gだそうですが、これは標準的なラーメン店の2倍の量だとか。胃袋の小さいオサーンは、あらかじめ半分の150gでオーダー。隣の猛者はレギュラーで替え玉してました…。立ち食いスタイルのラーメン店って初めてでした。
充分お腹が膨れ、身体もホカホカになりましたが、エルファロの近くには石巻線女川駅があり、その駅舎の2階には温泉施設があるのです。
…となれば、さらにポカポカになるべく突撃するしかないでしょ!

「女川温泉ゆぽっぽ」の広い浴槽で、手足を伸ばしてお湯に浸るのはホントにイイ気分。エルファロのトレーラーハウスにも当然浴室はありますが、悲しきかなというか当然というかユニットバスなんですよね。1泊目も泊まれりゃあ何でもいいと予約したビジネスホテルでユニットバスでしたから、やっぱりどうせ入れるんだったら温泉がイイに決まってます。ぬるめのお湯でじっくり入って疲れをとれば、朝までぐっすりです。


…とまぁ、こんな調子では2泊3日の出来事なんてすべて書ききれるハズもありません。この土日でかたをつけようと思ったんですが、大甘でした。
仕方ありません、以降、その3に続く!
Posted at 2024/05/13 01:01:18 | トラックバック(0) | ふら~り一人旅 | 日記

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「やばい!モモにハマってしまった。
モモの皮剥き新方法!モモの表面に十字に切り込みを入れ、熱湯に20〜30秒くぐらせる。
その後氷水でしめると、皮が面白いようにするっと剥けるよ!!
モモ美味い! だけど旬はそろそろかな?」
何シテル?   08/19 21:58
マンガや小説は電子書籍より紙の本! 音楽はダウンロード配信よりCD! 和菓子はこしあんより粒あん! コーラはコカ・コーラよりペプシ! カッコよくって強い...
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2006年3月から相棒になりました。 1.3XG LTD1(2型) FF 5MTです。 ...
ホンダ シビック ホンダ シビック
我が二代目相棒。 1998年6月購入(これまた中古)。 1500cc、5MT。 CR- ...
ホンダ CR-X ホンダ CR-X
記念すべき初めての相棒。 1991年8月購入(もちろん中古)。 1500cc、5MT。 ...
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