
映画『すずめの戸締り』を観てきました。
以前ブログで書いたかと思うんですけど、私・よしつきは新海誠氏のファンであります。それこそ、処女作『ほしのこえ』の頃から。
当時、デジタル作画が出始めの頃だと思いましたが、それでもほぼ一人でアニメを一本創り上げた(それも、かなりのクオリティで)という話を聞けば、すごい人が現れたもんだ!と興奮したのを覚えています。
それから新作が発表されるたびに楽しみに観てきました。けれども、これも以前ブログに書きましたが、新海監督の名を世界に轟かせしめたあの超ヒット作『君の名は。』は、普段アニメなんてヲタクが観るようなもんだとバカにしてるような人まで何回も劇場で観たとか自慢するくらいの空前の大ブームで、そういう人たちと同じように見られるのが我慢ならず、楽しみにしていたのに結局劇場には足を運びませんでした。同じような理由でBDやDVDを買うコトも借りて観るコトもなく…。結局最近TVの地上波で放送された時にようやく観たという次第。『天気の子』も同様な感じで…。
アマノジャクというか「拗らせ」というか、まぁメンドクサイ性格であるというのは承知しているんですが、でも判ってくれませんかね? 応援していたアーチストが急に人気が出て、人気がなかった頃からファンだった身からすると、嬉しくもあり悲しくもあり…みたいな感じ。ニワカには判るまいよ、という優越感は結局のところ、自己満足でしかないワケですし…(>_<)
まぁそんな取るに足らないグチは置いていて、久しぶりに劇場鑑賞した新海監督最新作『すずめの戸締り』ですが、まだ公開中なのでネタバレに注意しつつ感想などを。
オサーンのイチバン言いたいコトは、主人公の岩戸鈴芽(いわと すずめ)が可愛かったコトに尽きる!というアホみたいな感想。会ったばかりの見ず知らずの人のために、そこまでする?みたいな単純な疑問はあれど、それはイロイロ雁字搦めにされて保身や後々のコトまで考えて動けずにいる現実の我らとは違って、純粋に人を助けたいと願い後先考えずに動ける鈴芽に羨ましさと眩しさを覚えてしまうオサーンです。冒険活劇の主人公であれば、それこそが主人公たりえるトコロではあるんですが。単純にビジュアル的な魅力もあるけれど、そういう行動的な部分も鈴芽の魅力であると思います。
あと、鈴芽が出会う登場人物が全員イイ人! これも現実にはこんなイイ人ばかりいないよなぁ…とは思うけれど、アニメだから、映画だから、それでヨシ。オサーン、基本的に映画やドラマ、アニメやマンガは現実逃避する場所であり、シリアスでリアルであっても、ドキュメンタリーでさえなければハッピーエンドであって欲しいと思っちゃう人なので。まぁ、これも鈴芽の主人公スキルを発揮した結果というコトかもしれませんが。
肝心の話の内容についての感想はネタバレになるのでここでは書きませんが、オサーンの周りの新海ファンに言わせると、「新海らしくない」だそうです。オサーンは観る前も観た後もネットの情報は入れてませんが、どうなんでしょう? 驚異の動員数を誇った『君の名は。』以降、新海作品はドル箱扱いされて、今回の『すずめの戸締り』もシネコンジャックと言われ、多数の作品を同時に上映するシネマコンプレックスにおいて、ほぼ全館『すずめの戸締り』が上映されたシネコンが多かったというニュースを見ましたが、残念ながら『君の名は。』ほどの観客動員はないように思えます。オサーンが観た回も上映末期とは言えスカスカでしたし(そもそも上映期間も短かったように思える)、上映館もひとつでした。個人的には面白かったし、新海ファンではあるけれど「新海らしさ」を語るほどではない。というか、クリエイターは常にこれまでと同じコトをやっていてはいけない、という考え方があるんじゃないかと思う。それが吉と出るか凶と出るかはフタを開けてみないと判らないトコロであると思うけれど。
それよりも気になるコトは別にあって。

パンフレットの左にある小冊子は、来場特典というコトで新海監督による短編小説。この手の来場特典が、上映開始から一定の期間ごとに変わってるそうだ。今回、オサーンが観た時期はたまたまこの短編小説というコトで、これまでの上映期間中来場特典はコロコロ変わっていたというコトらしい。
当然、マニアは全部の来場特典を欲しがるのだろうし、それを手に入れるためには何回も劇場に足を運ばなくてならない。そうまでして観客動員を増やさなければならないのだろうか? もちろん興行である以上は集客に力を入れるのは当然だろうけれど、こういうやり方は果たしていいのか?と首をかしげる。
さらに言えば、今回オサーンがもらったモノは、新海監督の短編とは言え描き下ろし小説。こういう使い方をされるために依頼されたワケだろうけれど、新海監督は了承しているのだろか? 観客動員数を増やすため…なんて直接的な以来の仕方をしたかどうかは判らないけれど、結果的にそういう使い方されているワケで。すべては興行収入を増やすため!なんて、なんていうか悲しい。
もし、作品自体も興行収入を増やすため、方向性を変更せざるを得なかった…なんてコトになってたりしないか? そこが「新海らしくない」というコトなんだろか? 新海監督も一人で制作していた頃と違って、イロイロなしがらみに縛りつけられてたりするのだろう。原作・脚本・監督のすべてを自分一人でやっているとはいえ、完全に自分のやりたいように出来ているワケではないだろう。
クリエイターである以上、人に喜んでもらうモノ、人の心に残るモノ…などなど、そういうモノを創っているんだと思うけれど、結局は自分が創りたいモノを創ってるんだろうと思う。それがもし歪められたら…。
な~んて、深読みし過ぎなヲタクの勝手な想像でしかないし、そんな想像当たって欲しくない。先にも書いた通り、「らしくない」というのは必ずしも悪いコトではないと思うし、クリエイターである以上、いろんな可能性に手を出す冒険はするべきだと思う(←何様?^^;)。
まぁ実際、新海ファンであっても、すべての新海作品が好きなワケではありませんし、これからも好きな作品そうでもない作品発表されるかもしれませんが、それも含めて楽しみであると思うのです。
Posted at 2022/12/31 02:59:37 |
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