伊賀上野城
投稿日 : 2012年07月15日
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三重県にある日本百名城のひとつ:伊賀上野城です。
我が家からは、東名阪自動車道をひた走り、渋滞込みで2時間半くらいで到着します。
上野市の中心部、上野市役所の北にある上野公園内に遺構と天守閣があります。
公園内に駐車場も設置されていますが、台数が十分ではなく、すぐに満車になってしまうため、近隣を探すこととなります。
私の場合も例外ではなく、すぐ近くにあるだんじり会館駐車場に滑り込みました。駐車料金は、どこも500円/日で統一されているようです。
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伊賀上野城といえば、やはり日本一の高さといわれる高石垣です。
本丸の周囲を囲む水堀の内側に、高さ30mの壁がそそりたっています。
私の撮影技術ではその迫力が伝えきれないかもしれませんが、実物はやはり相当な高さです。
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上から見た高石垣。
こうしてみると、その高さと急峻な角度がお分かりいただけるかと思います。
実戦で役立ったことはないようですが、仮にそのような状況となった場合、正攻法での攻略はなかなか難しかったのではないでしょうか。
400年以上も前に、これだけの大建造物を正確に作り上げることが出来た技術には、驚嘆すべきものがあると思いました。
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場内の石畳と石垣の様子です。
実はこの城、遺構があまり残されていないようです。
他の城だと、通路の脇に門の跡があったり、曲輪の解説をする立て札があったりするのですが、ここにはそうしたものがほとんど設置されていません。
門の跡くらいはあるのかなと思って探してみたのですが、それらしいものは見当たりませんでした。
画像下は次の画像6につながる道ですが、石垣の大きな石と石の間に小さな石がはめ込まれています。
当時の技術ではこうした工法を採用していたのでしょう。
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城代役所跡とされた広いスペースがありました。
当時はここに城下町を管理する役所などがあったのでしょうか。
画像下は、そこから上野市の町並みを眺めたものです。
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伊賀上野城は、初代城主:筒井定次によって作られました。
当時は現在とは別の場所に天守があったようで、この画像がその場所です。
画像の奥は切り立った崖になっており、場内で最も高い場所になっています。
しかし残念ながら、遺構と呼ぶべきものは残されておらず、ただ画像の石碑が建てられているのみでした。
画像の左側には浄水施設か何かと思われる建築物が設置されており、甚だ雰囲気を害していました。百名城に選定されるほどの施設ですので、ちょっと残念な気がします。
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天守閣の様子です。
画像上に見るように、白い壁が印象的な優美な建築です。
別名「白鳳城」と言われていることにも納得。
差し詰め、右の天守が鳳の本体、左の矢倉が鳳の尻尾といったところでしょうか。
画像下は、天守閣入口付近にある門にあしらってある瓦の様子ですが、家康の腹心とも言える藤堂高虎が建設した天守であることを誇るように、葵の紋が施されていました。
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天守閣の内部は3つのフロアーに別れており、300点を超える収蔵品が展示されています。
画像はその一部。
左は森田浄雲のものとされる鎧兜。
森田浄雲はWikiで調べても十分な情報が得られないほどのマイナーな人物(失礼)。
よってこの鎧兜も、本当に彼のモノであるかどうか・・・。
右は藤堂高虎のものと伝わる兜です。
大きく左右に張り出した角が、いかにも総大将という雰囲気をかもし出す、豪壮なつくりですね。
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