
昨年暮れからずっと悩んでいたこと。
それは32GT-Rを降りるか乗り続けるか。
理由は家族のこと、経済的なこと、将来のことが主な理由ですが、一番の理由は僕の気持ちが追い付かなくなって来たことに気付いたこと。
ここ数年、故障が増え修理費に多額を要することが多くなりました。
もちろんサーキット走行による負担があったのは間違いありません。
当初は鈴鹿での目標をモチベーションに、いろいろと工面しながら直して来ました。
主に自分の貯金を崩してとはいえ、お金はかかるし、長期間修理に出ることも珍しくなく、家族に対して後ろめたい気持ちもありました。
鈴鹿を走る機会が激減してからもマイナートラブル(と言ってもそれなりのお金はかかりましたが)が続き、スッキリとしない日々が続きました。
そうなるとやはり、いろいろと考え悩みました。
家族のこと、将来のことを考えた時にこのままでいいのかと。
正直、このままのペースで維持費が必要となった場合、何時まで32を乗り続けられるのか?
将来が全く見えなくなってきました。
もちろんここ数年で自己資金も大きく減りました。
そんな状況で大好きな32と言えども、このまま大金を投じ続けていいのか?投じ続けられるのか?
長く乗れる車に乗り換えた方が将来的に家族のためにも経済的にも、そして自分の趣味を長く続けるにも良いのではないか?
本当に本当に悩みました。
いつしかその悩みが僕に取って重荷になっていることに気付きました。
また壊れるのではないか、そういった心配事がストレスとなっていました。
以前なら『32が好きだから』その一心で維持して来れましたが、現在の環境を考えた時、これからはそれだけでは難しいなと思うようになりました。
それならまだ維持出来る『今』だけを見るのではなく、現在の環境からこれから先どこまで手をかけてやれるか、維持が続けられるかという『将来』を見た時、32が好きでちゃんとメンテが行き届いてる今の内に手放した方が、自分たちのためにも、32のためにも良いという結論になり、32GT-Rを降りる決心をしました。
もちろん寂しさもありましたが、長い間悩んで来た分、肩の荷が降りたというか、いろいろと抱え込んでいたものが無くなって少し気が楽になったように感じました。
32GT-Rが僕の元にやって来たのは10年前の3月。
僕が23歳の春でした。
平成2年式のガンメタ、走行距離8万キロだったかな?
写真は既にホイール交換後ですが、ほとんどノーマルの32でした。
それでも初めて試乗した時のあの刺激的なエンジン音、強烈な加速Gは忘れもしません。
惚れましたね~
憧れのGT-Rオーナーとなったことが嬉しくて嬉しくて、そして運転が楽しくて仕方ありませんでした。
当時意味も無く仕事が終われば運転してました。
ガソリン代が凄いことになった月も(笑)
結婚する時も婿入り道具(笑)にこれだけはと嫁さんに頼み倒しました(笑)←嫁さんありがとう!!
結婚後、あーる32家の車はしばらく32一台だけだったので、長女なんて生まれて初めて乗った車が32です(笑)
みんカラを知ったのも32を所有してからでした。
お陰で沢山の車好きの方々と知り合うことができ、仲間の輪が広がって行きました。
32保存会の輪にも加わらせて頂きました。
保存会の方々には、本当にいろいろと助けて頂き、感謝してもしきれない存在です。
また32を通じて知り合った仲間とオフ会やツーリングによく出掛けた時期もありまし。
子供と一緒にR's meetingにも参加しました。
娘と一緒にR's meetingに参加できたのは本当にいい思い出です。
サーキット走行を始めるきっかけになったのも32です。
セントラルサーキットでサーキットデビューしました。
『聖地』鈴鹿サーキットも走ることが出来ました。
初走行の時、憧れだった鈴鹿サーキットを走れる嬉しさと緊張でガチガチだったのを覚えています(笑)
一生忘れられない思い出です。
それからというもの鈴鹿サーキットにハマり鈴鹿通いをするようになりました。
コースアウトやスピン等、ホントに沢山失敗しましたf(^_^;
失敗しながら覚え、どうやったら鈴鹿を速く走れるかライン取りやセッティングもいろいろ試しました。
ドライビングやセッティングについて一番考え試行錯誤したのは鈴鹿を走り出してからですし、本当によい勉強、経験になりました。
本当にどんどん鈴鹿の魅力に取り憑かれていきましたね。
走り仲間にも恵まれました。
32と鈴鹿を通じて知り合った仲間は良き理解者であり、ライバルでした。
鈴鹿を走り出してから故障したり、満足に走れなかったり、伸び悩んだり・・・
いろいろありましたが、凄くモチベーションを与えて頂きました。
そんな中で練習の成果が出せた2017年のチャレンジGPは一番の思い出です。
本当に32に乗ってて一番楽しい時期だったと思います。
しかし、もちろん楽しいことばかりではありませんでした。
この年式、この走行距離、そしてサーキット走行の負担。
本当に沢山の故障がありました。
エンジンブローやタービンブローも経験しました。
チューニングやメンテ、修理にどれくらいの金額を費やしたか・・・
計算するのも恐ろしいです(苦笑)
本当に毎年、毎年多額の維持費が必要でした。
でもサーキットを走ることに躊躇いはありませんでしたし、後悔もありません。
僕個人は32は走らせてなんぼ、運転を楽しんでなんぼだと思ってるので!!
またもらい事故もありました。
フロントが大破する大きな事故で流石にもうダメかと思いました。
精神的に一番キツかった時期です。
それでも乗り越えて来られたのは家族の理解や仲間の支えがあったからです。
本当に感謝していますし、本当に仲間に恵まれた32ライフでした。
今、もういつもの場所に32はありません。
思い出がありすぎて、正直喪失感はあります。
この先32を手放したことを後悔することもあるかもしれません。
でも『今』だけを見るのではなく、『将来』を見て前に進まないといけないことも確かです。
最後の日に家族皆で写真を撮りました。
嫁さんが思わぬサプライズをしてくれました。
次女は泣きながらGT-Rとお別れしたくないと言ってくれました。
なんだかんだ言いながら家族皆に愛されてたんだな。
嬉しかったです。
32を所有して丸10年でのお別れとなりました。
この10年、僕のカーライフは32のお陰で本当に濃いものでした。
いろんな思い出がありすぎて・・・
でも今となっては全てがいい思い出です。
恐らくこれからの将来、僕の中で32を超える車は現れないと思います。
名機RB26が生み出す、あの刺激的なエンジン音と強烈な加速G、そして大好きだった後ろ姿と誇らしげなRのエンブレム・・・
絶対に忘れません。
32をGT-Rを所有できたことは僕の誇りです。
そんな車に乗れて本当に幸せでした。
最後に家族で伝えた言葉。
『ありがとう、GT-R!!』