
(承前)
ワークス・ポルシェと共に成長し、世界の頂点をつかんだ最初の十年。
実はこの間、マルティーニはポルシェとの活動の合間を縫うように、他のモータースポーツへのスポンサードも行っていました。
またポルシェ後の十年は、あのモンスターマシン達が激闘を繰り広げたフィールドへも進出...
MARTINI編最終回は、そんなマシンたちにスポットを当てたいと思います。
ポルシェがヨーロッパでのレース活動を休止した'72年。
マルティーニ・レーシングは、新たなフィールドへと活動の場を拡げました。
モータースポーツの最高峰、フォーミュラワン世界選手権です。
マルティーニが初のF1スポンサーの対象に選んだのは、スイスのコンストラクター “TECNO (テクノ)”。
自社製シャシーにこれも自前の12気筒エンジンを搭載する、野心的なチームでした。
ナンニ・ガリ、デレック・ベルがドライブしましたが、戦績はいまひとつ...(^ ^;
レースごとに仕様変更され、ボディのバリエーションがいくつかあったようです。
画像は最初期のバージョンで、テクノPA123-001と呼ばれるもの。
イエローのヘルメットは、ナンニ・ガリです。
マルティーニ・レーシングが二度目のF1に挑戦したのは、'75年。
この時も、ポルシェは翌年の世界メーカー選手権の準備で一年お休みでした。
今度のマルティーニのお相手は、フォーミュラカーの名門ブラバム。
ホワイトのボディを流れるマルティーニ・ストライプ...美しいマシンですね (^ ^
フォード・コスワースのV8を搭載した、ブラバムBT44B。
カルロス・ロイテマン、カルロス・パーチェがドライブ。
シーズン中、二度の優勝を含め幾多の入賞を重ねました。
'76~'77年も、マルティーニは引き続きブラバムとのタッグでF1世界選手権に参戦します。
この間は世界メーカー選手権のワークス・ポルシェと、二束の草鞋。
マシンはブラバムBT45、エンジンがアルファ・ロメオ製の12気筒に変更されました。
やっと出てきました*、アルファ・ロメオ (^ ^;
ボディ塗色は、イタリアのナショナルカラーの赤に。
ロッソコルサにマルティーニ・ストライプ...これもまたイイですね b(^ ^
画像はカルロス・ロイテマンの7号車。
12気筒の重さが祟ったのか、前年ほどの成績を残せなかったのがザンネンです。
*
「ワークスチームにおけるカラースキーム考察その壱」参照
意外なところでこんな組み合わせも...
“史上最も美しいF1マシン” と称されるロータス79 (黒いJPSカーですね) の後継機種として、'79年に誕生したロータス80。
79のグラウンド・エフェクトをさらに発展させ、開発段階ではウィングレスだったという、コーリン・チャップマンの野心作。
(実戦ではさすがに無理があり、前後にウィングが装着されたようですが ^ ^;)
ポルシェとの関係が終わった翌年、なんとロータスとそんなことになっていたとは...
知りませんでした (^ ^;
ブリティッシュグリーンのマシンにマルティーニ・ストライプ...これも新鮮。
MARTINIロゴマークの映えるシルバーのヘルメットは、マリオ・アンドレッティです。
'70年代がポルシェとフォーミュラワンの時代だったとすれば、'80年代はランチアの時代と言えるでしょう。
1982年からランチアとタッグを組んだマルティーニ・レーシング。
グループCマシンによる長距離耐久レースもありましたが、印象深いのはやっぱりコチラ。
ランチア・ラリー037、ミッドシップ後輪駆動のグループBモンスター。
ワルター・ロール、マルク・アレン、アッティリオ・ベッテガらを擁し、グループB元年となる'83年世界ラリー選手権 (WRC) を制覇。
後輪駆動車としては最後の、WRCタイトルホルダーとなりました。

その後はアウディ・クワトロやプジョー205ターボ16といった過給器付き四輪駆動車勢に勝てず、'85年最終戦で後継のツインチャージド・ミッドシップ4WD、ランチア・デルタS4にバトンタッチします。
オペルから移籍したヘンリ・トイヴォネンの天才的な走りもあり、デルタS4はデビュー戦でワンツーフィニッシュ、翌年の選手権奪還は確実と思われました。
しかし'86年5月2日のWRC第五戦ツール・ド・コルスで、トイヴォネンがクラッシュ炎上、還らぬ人に。
これを機に、ハイパワー競争激化で事故が相次いでいたグループBは廃止されることになりました。
'92年まで続いたランチアとの十年を一区切りに、マルティーニは大規模なワークス活動へのスポンサードを取り止めました。
以降は、再びプライベーター達へのスポット的な援助が中心に。
たとえば'93年のWRCサンレモで、プライベーターながら優勝したジャンフランコ・クニコのフォード・エスコートRSコスワースとか...
ヘリコプター事故で右腕切断後、奇跡の復活を遂げた元F1パイロット、アレッサンドロ・ナニーニが参戦した'95年ドイツツーリングカー選手権 (DTM) のアルファ・ロメオ155V6TI。
マルティーニ・カラーを纏ったアルファのレーシングカー、あったんですね (^ ^
調べてみるとマルティーニ・レーシング、ポルシェやランチア以外にも、いろんなメーカーと関わりを持ってきたようです。
そういえば先日高速で遭遇したアルファは、'96年発表の丸目四灯アルファスパイダー。
年式的にもばっちりで、ビアンコの車体にマルティーニのモディファイ、頷けます b(^ ^
同時代に活躍したレーシングカーへのオマージュ。
時代考証も鑑みた “通” なモディファイ、という視点でいけば、'70年代のポルシェと'80年代のランチアはテッパンとして...
ピンポイントで'75年式の白いフォードや、'76~'77年式の赤いアルファにマルティーニ・ストライプも、カッコイイかも知れませんね。
'79年式のロータス・エスプリ...ブリティッシュグリーンの個体はなかなか無いか !?
あとは、'76年式の “黒い” ポルシェ...とか (←コレはぜひ誰かやってほしい : ^ ^)
こうして、さらなる妄想が芽吹いていくのでした (苦笑
MARTINI編、おしまい。