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2022年12月18日 イイね!

幼少時の追憶 その①;「開かずの踏切」とサシ481-9


 ご覧の皆様、先日来の書き散らし拙ブログへの多くの「イイね!」、誠にありがとうございます。

 こちらも皆様への御礼訪問&イイね!付けをやってしまうと泥沼にはまるので(汗)、十分時間のある時にしかそれは行えません事、悪しからずご了解下されば幸いです・・・m(_ _)m 。


 さて、またまた昔話の鉄ネタをば。






 全国各地に「開かずの踏切」というのは存在しますし、幼少時のわたしの身近に存在したのは、


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 このカオスのような西鉄花畑踏切でありました。が、F県K市にはもうひとつ有名な「開かずの踏切」がかつて存在しました。





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 それが、国鉄K駅そばの「京町踏切」。とくに昭和49年に長門石橋が開通してからは交通量が激増し大きな問題となり、昭和50年代前半に立体交差工事が行われた結果、現在のような姿に至っております。


 時を遡るは自分が幼稚園の年長くらい=昭和51年頃。まさに長門石橋が開通してから立体交差工事が行われるまでの期間でのできごとです。当時「川向こう」には


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 リバーサイドパレスという娯楽施設があり、とくにK市に中央市民プールのなかった時代には夏休みの子供たちの遊び場のひとつとなっておりました。

 ある日、母や兄とタクシーに乗ってこのリバーサイドパレスに出かけたのはいいものの、この踏切超えにえんえん時間を費やしたものです。そしてタクシーが踏切の最前列で停車したところ、久留米駅に向かってすべるように走ってきたのが特急「有明」でした。勿論先頭は赤スカートのクハ481!



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   (写真は同型車のものを当時の雑誌写真より拝借)


 そして編成の中にわたしが見た食堂車・・・そう、それが「サシ481-9」であったことだけは、当時のその他の記憶がきれいさっぱり喪失しているにもかかわらず、何故だかどうしてか、わたしの脳裏に焼き付いているのです(苦笑)。





 ちなみに昭和52年頃の有明は10往復中、食堂車を営業していたのは3往復分のみであったそうで、54年頃に見た編成は既に「食堂車抜き」であったような記憶があります。そして55年10月のダイヤ改正で有明の食堂車は全廃。サシ481-9を含むサシ481初期ユニット群も廃車の運命を辿りました。





 この名著によると、サシ481-1~9 までの全車が鹿児島で終焉を迎えたとの事です。







 ちなみに当時の某誌より。これでは廃止されるのも仕方ありませんやね・・・







 さらにさらに時は流れ、昨年3月のダイヤ改正では、とうとう「有明」自体も廃止となり(写真は昨年3月12日に撮影した最終列車。酷い写真ですが「撮り鉄」ではないもので・・・)、今では全てが追憶の彼方です。






 貴重な写真を残して下さったup主に感謝申し上げますm(_ _)m 。ではでは。

Posted at 2022/12/18 00:03:46 | | 日記
2022年12月03日 イイね!

小ネタ連発 その③;キハ82は、国鉄DC界のキャデラックである。


 小ネタの第3弾です・・・m(_ _)m 。


 国鉄車両の名設計者であった星 晃氏。長命を全うされて、早いものでまもなく10年になります。
(星氏のご業績については、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E6%99%83 などをご参照下さいませ)







 中学生の頃に買って以来、わたしの鉄道観のバイブルとなった「回想の旅客車 特ロ・ハネ・こだまの時代」。結婚~実家の取り壊しの際に(今となっては超貴重な文献・資料の山々と一緒に。。。)処分して以来なかなか再読する機会がありませんでしたが、某図書館に蔵書がある事を知り、「読みたい発作」が出るたび時々借りてきております。





 そんな星氏の晩年の著作であるこの本、わたしも大好きなキハ82について・・・・




 このような記述がなされておりました。
 フツーの人であれば「そうかそうか」と読み飛ばすところでしょうが、「50代になっても廚二病」のわたしはひと味違います!(あいかわらず偉そうw)。






 1961年にデビューしたキハ82、ライトケース周囲のデザインについて当時の米車をモチーフとしたのであれば、それはおそらく1957~58年式のモデルだと考えられます。というのも、
・当時の米車のデザイン的変遷として、ビッグ3の1957年モデルの一部から4灯式ライトが導入~1958年には大部分のモデルに拡大
・一方で1959年になるとGM系を中心に、いわゆる「フラットデッキ・スタイル」の方向にデザインが変化してくる上、米車の1959年モデルを参考にして1961年式の鉄道車両のデザインを決定するというのは、CADなど存在しない当時としては時間的にあり得ない
と考えられるためです。

 そこで1957~58年の米国乗用車メーカー、すなわち;
・GM系;Chevrolet, Pontiac, Oldsmobile, Buick, Cadillac
・Ford系;Ford, Mercury, Lincoln, そして忘れてはならないEdsel(笑)
・Chrysler系;Chrysler, Plymouth, Dodge, そしてDeSoto
・Studebaker / Packard
・AMC系;Rambler, Nash, Hudson(1957年まで)
・あと、純粋な乗用車ではないけどCheckerも(笑) 
 以上、計19ブランド・2モデルイヤーについて・・・・











 「1958 Chevrolet(*1957年は2灯式)」から始めて・・・「1957 Mercury」・・・「1957 DeSoto」・・・最後は「1958 Checker Taxi Cab(笑)」 まで片っぱしから画像検索した結果、






 1957年のキャデラックが、一番「それらしい」ように思われました!







 もっとも比較してみれば一目瞭然のように、キハ82のライトケースはキャデに「似せた」とか、ましてや丸パクなどでは全然なく、まさしくご本人が仰られたように「切れ長になったようなライトケース」から「デザイン上のヒントを得た」上での素晴らしい創造物、会心の一作であろうと、心から思います。

 また、黄金の昭和30年代国鉄における「特別急行列車」=国鉄DC界の「頂点」として相応しいトップレベルの風格・品格をデザイン面から突き詰めていった際、世界ナンバーワンの米国、その高級車の頂点であったキャデラックからデザイン的なインスピレーションを得た、というのは、まことに頷ける話だと思います。



 いまの鉄道デザインといい自動車のスタイリングといい、ここまで神経を注いだものは、はたしてあるでしょうか・・・・






 ではでは。

Posted at 2022/12/03 00:46:07 | | 日記
2022年11月30日 イイね!

小ネタ連発 その①;今日は何の日?


 皆様こんばんは。鉄関係を中心に少しばかり小ネタが溜まりましたので数日かけて紹介させて頂きます・・・m(_ _)m 。


 さて本日、11月30日はどんな事があった日でしょうか? 大きなものについてはwiki;

 https://ja.wikipedia.org/wiki/11%E6%9C%8830%E6%97%A5


をご参照下されば幸いです。国鉄宮原線の最終運行日(1984年)や0系新幹線の定期運用終了日(2008年)でもあったのですね・・・。



 さらに最近、図書館で借りた某誌をめくっていると・・・


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 1976年11月30日は国鉄急行列車の最後のビュッフェ営業が終了した日だと、はじめて知りました。尤もこのあとも(主にMGの都合にて)サハシ165は営業休止のまま1982年まで急行「アルプス」に連結されていたのは有名な話です。

 九州のサハシ475 455 は残念ながら、わたしがものごころついた頃には既に連結から外されていたため急行サハシの実車を見る機会はなく、それだけに書籍でしか知る由のない往年の急行ビュッフェへの憧憬は尽きる事がありません・・・




Posted at 2022/11/30 01:40:03 | | 日記
2022年11月20日 イイね!

あの頃へ・・・


 先日の旧博多駅ブログを機に、昔の鉄関係のYouTube をつらつら眺める日が続いております。みん友様の中にもそのような方がおられようかと思いますが、私も過ぎ去りし日の追憶に癒しを求めております・・・


 今回は、とくに自分の心に刺さったものをいくつか貼り付けておきます。








 ブルトレブームと共に育った我々、小学生の頃は「はやぶさ」や「さくら」「みずほ」で東京に家族旅行に行ったものです。(乗った事はありませんが)日立製のナシ20などと比べると無味乾燥なデザインのオシ14も、今思えば懐かしい限りです。





 お次は「はやぶさ」の車窓。18分過ぎからの、旧久留米駅ホームに涙腺ちょちょ切れ。。。また隣のホームの「有明」、AU12クーラー+非ボンネット顔の珍車クロ480の貴重な動画ですね。国鉄カラーと「Red Express」の混結編成も、当時はみっともない感が強かったのですが、今となっては貴重な記録です。







 ここにも旧久留米駅ホームの貴重な動画が。駅に飼ってあった孔雀が懐かしい・・・





 国鉄カラー、ボンネット型としては最晩年の「有明」。これも貴重です・・・






 次は1989年の西鉄大牟田線。旧 天神駅ホーム~薬院の平面交差からはじまり、全てが懐かしいのですが、とくに30分過ぎからの旧 花畑~試験場前あたりの光景は、ただただ感涙ものです。キムラヤパンにやりうどん、西鉄産業へと向かう錆びた線路・・・言葉になりません。





 これも旧 花畑駅と甘木線の200形を捉えた素晴らしい動画! そうそう、踏切のところにはゼネラル石油のGSがあったよなー。。。


 追記;昔の写真を探してみたら、花畑でも電車を撮影していましたが・・・



 何故だか、200形ではなく1000形を被写体にしていました(爆)。好きだったんだよなー1000形や1300形・・・(遠い目)









 最後は、大学生時代の帰省などによく利用した急行「日南」。高速バス(フェニックス号)の方が実際には速く・安かったのですが、この雰囲気が好きなのと、夜、ふらっと●武駅から気軽に飛び乗れる(鹿児島ー宮崎間は普通列車扱い)ので愛用していました。12系客車のシートはオリジナルのボックス席から廃車流用のグリーン車(サロ581あたり?)のリクライニングシートに変更されており、「往年のオロ11などもこんな感じだったのかな・・・」などと夢想しつつ一夜を過ごしたものです。あの忌わしい1993年3月のダイヤ改正で、東京ー九州ブルトレの食堂車営業も、そして「日南」も廃止となり、わたしの「鉄」への憧憬は今に至るまで封印されたままです。


 ああ、あの頃に戻りたい・・・・








 追記;わたしが大学生活のため宮崎に行って驚いたのは、福岡エリアではほぼ絶滅していたカマボコ1ドア・メトロ窓車がうじゃうじゃ走っていたこと。中には確かに「宮崎2」のシングルナンバー車もありました。帰省の際、従兄様にその話をしたら開口一番「フロントウインドウは4枚分割タイプか!?」と(笑)。「そんなんいっぱい走ってますよ」「凄い! 西工のフロント4枚分割窓は1973年か74年で終了した筈だ。製造年は?」「わたしが乗った中で一番古かったのは1973年式だと思う」等々、えらい食いつかれた記憶があります。動画の主みたく写真に収めておけばよかったのですが、当時の自分はナウでヤングな学生生活をエンジョイするため(爆)オタクとバレないよう、バスや鉄の写真を撮ることをほぼ封印していたので・・・どうせネクラ・オタクには変わりがなかったのだから(苦笑)、しっかり記録に残しておけばよかったと、今となっては大変後悔しております。ちなみにカマボコ1ドア・メトロ窓車、最終型は2000年頃まで残存していました。宮交バンザイ!
Posted at 2022/11/20 16:46:07 | | 日記
2022年11月03日 イイね!

没後40年によせて: ナショナルビルの栄枯盛衰記


 皆様、ご無沙汰しておりますm(_ _)m 。


 さて、以前の拙ブログ;

 https://minkara.carview.co.jp/userid/549571/blog/44981703/

にも記しましたように、わたしは時々「西鉄福岡市内線跡」の探訪を行っております。ほぼ全ての電停とその現在について資料集めと写真撮影も終わっているのですが、50を過ぎてからめっきりパワーが減退し、なかなか書く気力がありません・・・それでも今日は「文化の日」ですので、人間の文化的営みとしてひとつだけ、忘備録的に記録を残しておこうと思います。






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 それが「旧博多駅」のこと。1963年12月に現在地に移転するまで、旧博多駅は現在の「博多区役所入口」交差点付近に存在していました。この写真なんかは、まだ新旧の判別がたやすいと思います。


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 では、某書籍に掲載の「ナショナルビルの屋上から撮影された」という、この写真はどうでしょうか? わたしは最初、これがどういう構図であるのかさっぱり分かりませんでした・・・と同時に「ナショナルビル」という建物にも興味が湧いた次第です。


 という事で、まずは写真の分析から。こういう写真の分析にはやはり、国土交通省の航空写真検索しかありません!おなじみの

 https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1

にて検索すると、1961年の旧博多駅周辺は・・・・


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 このようになっていた模様です。ナショナルビルや、特徴的な「西テツバスのりば」の楕円形の建物から位置関係を推察すると、


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 このような向きで撮影されたものと判断しました。現在とはえらい違いですね・・・




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 それではもう1枚。1975年頃に撮影された写真と現在との対比。
 この写真ではナショナルビルがほとんど見えないこともあり、最初見た時にはピンときませんでした。現在では当時の面影を残すものは全く残されていないように思われましたが、ストリートビューで探索すると・・・


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 この2件の飲食店(黄矢印)は、1975年当時の建物のままのようです(嬉)。
 また目をこらしてよく元写真を見ると、ナショナルビルの壁面がわずかに写っていたのも看取されます。


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 ちなみに1961年の航空写真の再掲。件の飲食店は〇印の場所となります。また飲食店の隣に現在のストビューで写っている「賜天寺仏殿」の場所は、当時はバス駐車場であったことが窺われます。


 追記; 以前「西テツバスのりば」であった三角形の土地ですが、その後は上掲の写真、また;

 https://www.nishitetsu.co.jp/museum/library/03/082.html

 
にて紹介されているように西鉄経営のGSとなった後、現在は「西鉄博多駅前ビル」となっているそうです。いまだにあの土地は西鉄の所有なんですね・・・




 さて最後は、いよいよ今は亡きナショナルビルの話。


 

 ナイトシャッフル、こんなマニアックな番組を作ってたのか、凄いな・・・

 旧博多駅前の(つかの間の・・・)ランドマークとして1954年に誕生したナショナルビルについては、上掲の番組のほか、

 https://blog.goo.ne.jp/mapfan01/e/aa5f370eb2618e66e1ff0d2e9934d7df

 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/716027/

などにも詳しく述べられております。しかし1963年の博多駅移転後はそれまでの注目度から一変し「新博多駅の外れ、大博通りからもちょっと入った」ところにある地味なビルとして、残り20年弱の余生を過ごした模様です。



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 写真は、http://www.kinenkaikan.org/showroom/ に公開されている写真を拡大したもの。おそらく1970年頃のものと思われます。周囲に高いビル群が少なかった頃は、屋上看板(赤字で「ナショナル」と書いてあるように見えますが電光式であったかどうかは不明)もまだそれなり目立っていたかもしれませんが・・・




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 これは1975年の航空写真。この頃には屋上看板も取り払われ、真に「日陰者」のような存在に身をやつしていたようです。

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 そして1982年、ナショナルビルは30年足らずの、ビル建築としては比較的短い生涯を了えたのでありました。今年で丁度、没後40年という事になります。



 しかしながらその「看取り」については、解体施工業者の方が、

 http://www.matsudatoshikaihatsu.co.jp/construct/memory/

 にて鮮明に記憶されているようであり、以て瞑すべしといえるでしょう・・・



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 ナショナルビルの現在地。大通りの喧騒からは少し外れ、出来町公園や神社仏閣にも囲まれた、穏やかで好ましい立地だと思います。


 以上、またまた誰の役にも立たないであろう与太話でした。ではでは・・・





 


 追伸;最近の鉄ピク5月号が博多駅特集で、旧博多駅の写真や蘊蓄も満載でした。興味ある方はぜひご一読下さいませ。

Posted at 2022/11/03 22:55:41 | | 日記

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