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2017年11月22日 イイね!

みん友様のブログ記事を拝読して・・・








 最近、本業の方がいきなり多忙をきわめるようになり、またメンタル的にも沈滞期にあった(というか、今も・・・)せいもあり、しばらくご無沙汰しておりました・・・m(_ _)m 。







 それでも色々ネタを仕込んではおり、ぼちぼち暇をみてブログでも書いた方が気分的にも良いかもしれない、と思っていた矢先・・・しばらくの休養期間を経てこのたびみんカラ活動を復活されたみん友のkotaro様のブログ記事;

 https://minkara.carview.co.jp/userid/176891/blog/40736883/

に大いに啓発されましたので、御礼を兼ねて雑感を述べさせて頂きたいと思います。


 尚、これはあくまでも感想記事であり、kotaro様や他の特定の方々への批判ではありませんし、見ず知らずの方がこの文章を読んで不快に思われたり炎上したりするのは本意ではありませんので、拙ブログは暫時コメントオフとさせて頂きます。








 あくまで私見ですが、古い車・古いものを愛する人の「古典的・伝統的」マインドというものは「時代の流れの中で消えつつある、古いけれどもうつくしくて素晴らしく、情緒の奥底を刺激されるような何か」を愛惜し、微力ながらもその維持保存に努めていきたい・・・・と「決意」し実行する、そんな心持ちだと思います。


 そしてそのマインドは、みずからが生まれ育った国・地域・環境などの文化的コードに強く関連しているため、たぶんに「愛郷的」「愛国的」「歴史継承主義的」であり、かつ「反体制的」「マイノリティ」だとも申せましょう。


 例えば、われわれの多くは地元で長年活躍した電車の引退を悲しく思い、写真に撮ったり保存を希望したりもしますが、外国のなんとかトレインが引退しようともそれほど心動かされたりはしないでしょうし、社会のマジョリティが自分達と同じようなマインドを有しているのであれば、日本はいまのようなスクラップ&ビルド社会にはなっていないでしょう・・・・


 また旧車乗りの世界において、「当時ナンバー」「ディーラー車」「未再生原型車」といったキーワードが魔法の呪文のような価値を持つのも、このような文化的コードが背景にあるからだと思います。







 ・・・といった背景を「前提」に、kotaro様の仰る「自分たちは“崖っぷちの裏側”に立っている」という言葉の意味を考えたいと思います。



 拙ブログ:

 https://minkara.carview.co.jp/userid/549571/car/1357988/4162588/photo.aspx

等で以前から述べてきたことではありますが、日本社会と日本人は、1980年代のバブル経済に代表される拝金主義と東京一極集中、不治テレビをその典型とする「軽チャー・軽薄短小」文化、また戦争経験世代のリタイヤといった時代の流れの中で大きく「変質」「断絶」し、そしてそれはよほどの事でもない限り元のようには戻らないのだろうと諦観しています。


 この「流れ」を主導した、いわゆる「団塊世代」を中心とする上の世代は、さきの戦争の敗戦により「愛国心」「日本という国の歴史的正統性」を感じることを、生まれた時から否定されて育った世代でもありました。

 

 そしてこの30年間を通じ、日本では東京、九州では福岡市を中心とした一極集中の経済・文化・ヒューマンリソース的「支配と簒奪」はほぼ確定し、その裏返しとしての地方都市の衰退と若年層のそこからの「逃亡」も進み、それは(さきほど説明した文化的コードの背景となる)「愛郷心」や「郷土の歴史の継承を自らも紡いでいく」といった心情の減衰に繋がっているのではないかと、個人的に思っております。


 またバブル経済以降の「規制緩和」「都市開発」「大店法」etc. はいずれも社会のスクラップ&ビルド化を推進・推奨し、みずからの地域にある古き良きものを残す・・・といったマインドとは真逆の方向性をいまだに向いたままのように思われます。










 さて、クルマの世界でも例えば、戦前生まれの「大御所」の自動車評論家の面々は、それぞれベクトルは違えども基本的には日本のクルマとクルマ社会を良くしようといった「愛国心」と「見識」をもって活動されていたと思うのですが、1980年代 、「日本カー・オブ・ザ・イヤー」が始まり、ト○タ・電痛による札束・接待攻勢で初代ソ○ラが受賞した後、有象無象の評論家から骨太のマインドは福野氏のような一部の例外を除き感じられなくなり、それは自動車雑誌・自動車評論、ひいては日本の自動車業界の「ゆるやかな自死」への流れを表しているものと、個人的には思います。



 自動車メーカーもまた、グローバリゼーションや企業収益を「言い訳」として、日本人のために、日本の環境・風土・嗜好に適合した良質の商品を提供しよう・・・といったマインドは、軽自動車やコンパクトカー以外からはだんだん感じられなくなっている・・・・といった印象です。







 いくらわたしが日産ファン、大排気量車好みといっても、北米・中国市場向けに開発された全幅1850mmになろうとする巨体に、500万以上の金額を払って乗ろうという気には、なかなかなりませんやね・・・・




 クルマを作る人、クルマでメシを食う人のいずれもが、日本社会と日本人のために良質な「商品」を提供し、地に足の付いた地道な経営努力を重ね、もって国家の健全な発展を継承していこう・・・といったマインドや見識に乏しく、根なし草的にみずからの短期的・表面的利益のため猛進する・・・






 どこかの自動車メーカーの醜態もまた、これらの「文脈」のうえにあるものと申せましょう・・・・




 ひるがえって、自分も含めたカーマニア集団もまた、そのようなデラシネ的文脈の外にあると誰が言えましょう・・・・






 バブル期以前の「外車乗り」というのは、高い価格、貧弱なディーラー網と整備体制、輸入元やディーラーが突然消滅するかもしれないという恐怖、周囲の人々からの嫉妬や陰口、下取り値が付かない、etc. といった何重もの「障壁」を乗り越え、それでもこの日本の社会で輸入車をみずからの生活にもちこみたい、といった「覚悟」「決意」をもった人だけが到達できる、狭き社会であったと思います。



 つまりは(いくら金持ち・社会的成功者であっても)、自分は「マイノリティ」として存在していくという見識と覚悟と矜持のある者だけが到達できるエクスクルーシブな世界でした。


 そしてそのような人々が旧車愛好家としても活動されていることが多く、もって一家言を形成していたものと思われます。


 逆に言えば金持ちであっても、そのような覚悟・矜持までは持ち合わせずにクラウンやセドリック等の国産高級車に乗る人がむしろ圧倒的多数を占めていたのが、かつての日本の自動車社会でした。



 彼ら往年の外車乗りはスノビズムや排他性が鼻につく面がなきにしもあらずでしたが、それでもやはり、オーナー氏と車が醸し出すオーラにはある種の「説得力」みたいなものがあり、何より国産車ばかりの路上ですれ違うレアな輸入車はそれだけで人目を惹く存在感がありました。








 ところで現代はどうでしょうか?

 輸入車は道に溢れ、その大半は「勝ち組」「ブランド」メーカーであるドイツ車。オーナーにもかつてのような覚悟や矜持を感じる人は多くなく、単にオーナーの経済的・社会的成功(あるいはそうなりたいという願望や見栄)を反映しているパターンか、もしくはオーナーのファッション的表現にとどまっているパターンのいずれかが大部分のように思われます。



 ・・・愛郷心や愛国心、滅びゆくものへの愛惜の念、マイノリティとしての覚悟や矜持、といったものが希薄なデラシネ的浮薄感のなか、金銭的な価値観に囚われたりブランド・ファッション・表層的感覚でものごとに向き合っているように見えるある種のひとびとは、わたしのような「古典的・伝統的」マインドにガチガチにとらわれている古い人間からすれば、それはもう宇宙人のような存在* でして、そういった世代が社会の主流を占めつつある世の中は確かに「自分たちマイノリティはまさしく“崖っぷちの裏側”に立っているなぁ・・・」と感じられることも少なくありません。

*善悪良否を争ったり、自分達を「正義」の側において他者を断罪するつもりではなく、あくまで価値観や立場の違いを述べているものとご理解下さい。




 日本はどこぞの一党独裁覇権強権主義国家とは異なり、公序良俗を守り他人の主権人権を攻撃侵略しない限り、個人の自由があまねく保証されておりますので、同じ旧車乗りの方々の趣味趣向を云々する気は毛頭ありませんし、ひと様が大枚はたいて入手したお車を赤の他人がどうこう言える立場でもありません。

 しかしなお、それでも時々「ああ、歴史の流れの中で生き永らえ、これまで大切に保護されてきたこのクルマに、そんな無体な改造をして毀損しなくても・・・・」と嘆息するような場面も、ときおり目にします。







 kotaro様のブログの締めのお言葉、わたしも深く共感するところですし、その「答え」が何であるのか、わたしもすぐに思いつくようなものでもありませんが、わたしとしては、自分の生まれ育った郷土・国家・コミュニティを(その衰退も含めて)愛惜し、クルマ文化を含めた様々な「歴史」を守り継承していくことの大切さと素晴らしさについて、他者への批判とならない範囲で、少しずつでも自分の言葉で発信していき、それがより「大きな輪」として繋がっていくことを、あまり過剰な期待はせずともかすかに念じつつ、地道に淡々と・地に足を付け・本業を決しておろそかにすることなく生活していくことの延長線上に、わたしのような干からびかけたマイノリティにも未来=生き残る道、は見えてくるのかなぁ・・・・なんて漠然と考えております。




 ・・・・こんな駄文を明け方まで書いてup するのも、本業をおろそかにした大概おろかな行為だと言えますし(爆)、こんな阿呆が書くことですので、皆様どうかお気を悪くなさいませぬよう・・・・(汗)。





 ではでは。




Posted at 2017/11/22 05:44:59 | 日々雑感 | 日記

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