先日予告していた内容についてです・・・
「 F31 のすべて本」を参照し要約すると、F31前期は、
・採用デザイン原案;桑原 二三雄氏
・デザイン・ディレクター;園 勲夫氏(B310サニー、歴代ブル、Y32セド/グロ等を担当)
・インテリア・デザイン;森 勇輔氏
(現在は http://www.kait.jp/ug_gr/undergrad/creative/car_system/academic/mori.html としてご活躍のようです)
が、主なデザイナーであったようです。
F31前期のデザイン・ディレクターであった園氏が、歴代ブルーバードのデザイン担当でもあったのを知ることで、「F31 のテールランプ周囲のデザイン処理は、なんかU11 のそれに似たテイストだな~」という自分の印象は間違ったものではなかったと確信しました。
また園氏はY32セド/グロでもデザイン・ディレクターを務めており、歴代ブル→F31前期→Y32、とくれば、基本的に角ばった、スラントノーズではないデザインが氏の好みなのだろうなと推測することができます。
いっぽう、われらが F31後期に関する情報は極めて乏しいのですが・・・
1990年前後の他の日産車の「すべて」本で、今回借用可能であったものを読む限り、若林 昇氏のみ、「F31前期レパードのすべて本」 に名前が出てこないのに「F31のエクステリア・デザインを担当」 した旨の記載があることから、自分は若林氏が後期F31のデザイン修正に関与しているのではないかと推察いたしましたが、真相はどうなのでしょうか・・・
C33 も F31後期も、ヘッドライト~逆台形で大き目のコーナーランプの上縁からフロントフェンダーにかけて、「擬似フラットデッキ」 のように稜線がすうっと繋がっていく感じが共通しており、これはもしかしたら若林氏のデザインテイストなのかもしれません。
どなたか、是非真相を明らかにして頂きたいものです。
*2017年追記;最近、大変興味深い記事を発見しました。
http://kesuikedaema.blog.shinobi.jp/01_anokoro_nissan/wakabayashi_2_20161209
・・・やはり若林氏が F31 のデザインに関与していたのは間違いなさそうです。
F31 に関する発言内容がオフレコに近いのであくまで推察ですが、「これはね、オリジナルがとても良かったんですよ」 という氏のお言葉、なんとなく、あくまでなんとなくではありますが、「他人=桑原氏や園氏?」 のオリジナルデザインを賛美しているようなニュアンスに感じられ、それを自分が(後期型のマイチェンに際し?) 手直しを試みたものの、色々な意見に妥協してしまった結果うまくいかなかった・・・という風に解釈もできるように思いました。
私の推測通り、もし本当に若林氏が F31 後期のデザイン担当者であったとすれば、「Y31型セドリック・グロリアのデザイン時と同じ「アブナイ」こと」とはどういうものであったのか(推測;S13 をさらに洗練させたような、プロジェクターランプを並べたフロントフェイスとか・・・)、また数々の「横槍」、「ご意見」 とはどのようなものであったのか(推測;北米輸出の予定があるからプロジェクターランプはダメ! とか、高級車なのだからグリルのメッキやレパードのバッジがないとダメ! とかでしょうか・・・)、実に気になるところです。
前田さまには、是非取材続報をお願いしたいですね・・・・・
また経年的に当時の「すべて本」を読むと、1980年代の日産デザイン部の「空気の変化」 というものが感じられます。
例えば、U11やZ31の「すべて本」 のデザイン解説の頁では、造形スタジオの主任クラスの名前が 2, 3名出てくるのみです。
・・・恐らく、1985年頃までの日産では、たとえデザイン原案が別の人物の手によるものであっても、「担当デザインスタジオのチーフ」を、その車種の公的なデザイナーとするという不文律が存在していたのではないでしょうか?
昨年あたり物議を醸しだした「S30Zのデザイナーは誰か?」という議論も、こういう観点から考えれば理解できますね(この問題にはこれ以上はあえて触れませんが・・・)。
しかし、低迷によるシェアの低下 → 巻き返しと製品のイノベーションのため、新しい風・若手の意見を大いに取り入れようと画策したであろう日産社内の「空気の変化」を反映してか、1986年以降の日産車の「すべて本」では、若手を含めたより多くのデザイナーが紹介されるようになりました。
例えば、今ではすっかり有名となった和田 智 氏ですが、「セフィーロのすべて」本では、27歳・入社5年目にして、デザイン頁巻頭のサイン入りイラストを含め、かなり破格の扱いでフィーチャーされております。
それだけ当時の社風の変化は大きく、また和田氏への日産の期待も高かったのでしょうね・・・
ちなみにC33ローレルのデザインについてですが、当初は「アッパーミドルサルーンのフリーなデザイン案」 というところから始まり(ここに和田氏などが参加)、途中からそれが C33 / A31 に分派し、
・C33 は主に神宮 秀一氏が、若林 昇氏のディレクションの元、
・A31 は和田 智氏・久保 隆三氏が、大橋 哲夫氏・吉田 章夫氏のディレクションの元、
それぞれデザインを進めていった・・・というのが実情のようです。
最後に、前期F31 のあの「絶壁インパネ」、自分も当時「なんでこうなるの!? 」 と絶句したひとりでしたが、「すべて本」を読んでその意図をようやく納得することができました。
デザイン原案は上の写真のようなもので(そのデザイン意図も「すべて本」 には書かれております)、これが生産化にあたり「角を丸められて」 ああなったようです。
この原案に近い形で生産化されれば良かったのに・・・とも思いましたが、しかし当時の日産のインパネ製造技術を考えれば、こんなデザインで出そうものなら2, 3年でグニャグニャのグダグダになる(苦笑)こと必須でしょうから(とくに警告灯パネル付近がすぐに凸凹になりそうです)、結果的にはあれで良かったのかもしれません・・・。
・・さあ皆様も 「すべて本」を読んで勉強しましょう! 今の時代、
http://www.magastore.jp/magazine/index.php?id=12&_start=31
にて、ネットでダウンロードもできるようですよ♪。
追伸;
かつてのCGテスト車のR30 RS のサスチューンについて、厨坊の時分には全く理解できなかった、リヤサスメンバーのマウントインシュレーターの役割や挿入角、セミトレの後退角の意味、アクセルオフ・トーアウトの原理などについても、(30年経って!!)今更ながらようやく少し理解できたように思います・・・。
勉強の成果についてはいずれまとめてみたいと思いますが、my F31 のマウントインシュレーターの挿入角の設定にあたっての参考として、拙ブログをご覧になっておられるプロの方々へ質問なのですが・・・
他のセミトレサス車、とくに
・R30 の最後期ターボC
・Z10 ソアラ、GX71等のトヨタ車
・F31、Y31、Z31
・HBコスモ/ルーチェ
・オペル・オメガ
あたりの車種の、リヤサスメンバーのマウントインシュレーター挿入角やセミトレの後退角について、ご存じの方がおられましたらコメント欄にてご教唆下されば幸いです。
またハチマル日産セミトレの中で、Z31とS12 だけがバネ/ダンパー別体式に「回帰」しているのですが、その理由についてはこの「すべて本」を読んでも明確には書かれておりませんでした・・。
以前にみん友の yamada 様のブログ;
http://yamada25tm.exblog.jp/14726745/
でも考えてみた事はあるのですが・・・どなたか理由(バネ/ダンパー同軸式と別体式のメリット・デメリット)をご存じの方がおられましたら、同じくコメント欄にてご教唆下されば幸いです。
では、8月の報告はこんなところで♪。
次は、いつお会いできるでしょうか・・・・
* コメント欄はしばらくオープンにいたしますので、皆様のご情報をお待ちしております!!
Posted at 2013/08/29 22:54:25 |
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