(前回の続きです)
③ BS国立独身者アパート=青年会館(1956)
ひと言でいえば、コルビュジェの5原則(「ピロティ」「屋上庭園」「自由な平面」「自由な立面」「水平連続窓」)を具現化したものと思われます。
<追記>
下にも紹介した「35周年 会社概況(1966)」には反対面も掲載されていました。更にますますコルビュジェです!
④ BS横浜工場 殿ヶ谷アパート(1955-56)
個人的な感想としては、やや奇をてらい過ぎたデザインのようにも思いますが・・・
VIDEO
https://twitter.com/YujiHasemi/status/1367280735053221900
などをみるに、当時建築関係の方には高い評価を受けた作品のようです。実際の住み心地はいかがだったのでしょうか・・・なお、
http://kashiocho.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/K1001_Part4.pdf
によれば1992年解体とのこと。
また同工場の「舞岡アパート」についても、「菊竹らしさ」みたいなものはあまり感じられませんが、事務所に設計書類が残っていたようです。
⑤ BS久留米第17号・18号アパート
わたしが「BS旭町アパートメント群のうち数棟が菊竹デザインである」と以前に知った時、それは、
階段開口部の処理がカッコイイ、これらの建物だとばかり思っておりましたが(そしてその可能性も全く否定はできませんが)、
ここに書かれてある第17号・18号アパートというのは・・・
どうも、これらの建物であったようです。
昭和30年代の集合住宅建築の中には、
(2000年代の初め頃まで残っていたようですが現存せず。北九州もこの20年で、レーモンドの大谷体育館や安川電機本館、八幡や小倉の村野藤吾の諸作、山田守の九州厚生年金病院など、数々の名建築が喪われてしまいましたね・・・)
柴岡亥佐雄氏の旭硝子社宅を筆頭に、バルコニーを廃してサンルームとすることでフラットな連続窓を形成し、コルビュジェの5原則を達成しようと試みたものが時折みられ、これもそういう系譜の建築でしょうか・・・勿論とっくに解体済みです。
<追記>
「35周年 会社概況(1966)」掲載写真より引用。より解像度の高い写真でみると、他のアパート群とは全く異なるデザインであると分かります。
⑥ BS広島アパート(1956)
詳細不明にて写真のみ掲載。これもバルコニーを廃したつくりのようです。
⑦ BS高松支店(1957)
これはやや「謎」な物件でして、「25周年誌」には2階建て建築として紹介されていますが、「会社概況」では3階建てになっております。短期間で増築したものでしょうか? さらによくみると前者は「加工写真」のようにも思われ、実際のところどうであったのか、少しだけ気になります。
⑧ BS横浜第3工場、および付属施設(1957-60)
「会社概況」掲載の地図によると、第3工場というのは写真奥側・一番高層の建物であったもよう。建築様式としては久留米工場などと似たようなつくりのようです。
さらに、上掲の写真では建設中であった青年会館(単身者共同宿舎)や体育館については、前者が、
プールに接したこのような建築だったようです。後者については、
https://gengo-matsui.musalab.co.jp/pdf/works007.pdf
にて紹介されていますが、当時一世を風靡したサーリネンにインスパイアされたと思しき「吊り屋根」構造の建築であったもよう。残念ながら現存しないようですが・・・
⑨ 梅林寺ティハウス(1957)
今も現存し、近年紹介されることも多いのでこの1枚のみで割愛させて頂きます。
⑩ 久留米市長公舎(1957)
1957年に竣工し、石橋正二郎より久留米市に寄贈されたこの建物も「石橋記念くるめっ子館」の名で現存しますが、当時の建築雑誌への掲載はなかったもよう。「スカイハウス」などとは対極的な、尖ったところのない様式です。
⑪ BS名古屋支店・広島支店・仙台支店(1958)・札幌支店(1959)
これは当時の一般的な商業ビル建築のようですので写真掲載のみにとどめておきます。札幌支店の控えめなカンチレバーの表現が、しいて言えば特徴でしょうか。
<追記>
「35周年 会社概況(1966)」掲載写真でみると、さきに掲載した広島支店の写真は完成予想図みたいなものだったようで、実際に完成した建物は角を斜めに切り落としたデザインであったようです。
⑫ 荘島小学校石橋記念講堂(1958-59)
後日紹介予定のため今回は詳細割愛。
⑬ 有馬記念館(1959)
これも現存しており、先日は入館料まで払って訪問してみました。が、開口部や窓面積の少ない、やや武骨な建物という印象でした・・・
当時の「和モダン建築」の第一人者であった大江宏氏の諸作などと比べ、菊竹建築は「武骨だけどダイナミック」、悪く言えば「土臭い・田舎臭い」ところが特徴(あるいは魅力)だと個人的に思っておりますが、本作はやや中途半端な印象を受けます(偉そうにすみません・・・)。
⑭久留米教育会館講堂(1959)
これも石橋正二郎による寄贈物件で、建築様式としては「正二郎好み」全開のレンガ造のものでしたが、残念ながら2016年頃取り壊されてしまいました・・・(ストリートビューでは2015年まで現存、2017年時は消滅)。
⑮ BS奥多摩会館(奥多摩園;1962)
この建物は「25周年誌」や「会社概況」発刊後の建築、かつ当時の掲載雑誌も未読のため現時点で断定的なもの言いはできないのですが、上記のようにネット検索して引っかかった建物、窓割りの感じがなんとなく(あくまで「なんとなく」ですが)、
後年の久留米市庁舎の低層階のそれと同じ「かおり」がすること、また、
http://riderv3.blogspot.com/2021/12/blog-post.html
仮面ライダーV3によると(笑)1973年以前に既に存在していること、より、この建物が菊竹物件である可能性は高そうに思われます。
旧車で奥「たま」を爆走(?)する機会のあるみん友様がおられましたら、是非リサーチして頂けると幸いです(苦笑)。
<追記> どうにも気になったので(苦笑)色々調べ・・・・
某所でこういう書籍を発掘してきました!
「30周年(1961)」では掲載されていなかったこの建物が「35周年(1966)」に掲載されているという事は、やはりこれが1962年築=菊竹建築ということで間違いなさそうに思います。
⑯ 石橋文化ホール(1963)
BS関連物件の大トリを飾るのがこの建物。ただしこの建物の真骨頂は外観もさる事ながら、石橋幹一郎氏がこだわった音響の良さにあることはつとに有名です。
とはいえ私、かつての市民会館は1978年のピンクレディー久留米公演(笑)、高校の文化祭のコーラス大会等で何度も行った事があるのに、文化ホールは幼稚園の時に見た、かげ絵の上映会1回きりなんですよね・・・
VIDEO
名曲「筑後川」の初演がこのホールで行われたことは、もはや伝説のレベルです。
皆様もこの圧倒的な感動を、ぜひお聴き頂ければと思います・・・
(後編に続きます)
Posted at 2023/04/06 01:24:43 |
BS関係 | 日記