• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

meganetのブログ一覧

2023年04月08日 イイね!

BSにまつわるエトセトラ その② ;BS/石橋家の「後援」こそが、菊竹清訓氏を世界的建築家ならしめた(後編)


 (前回の続きです)


 <その他の建築物件について>

・久留米医大基礎学教室(1956. 現存せず)

alt

 https://minkara.carview.co.jp/userid/549571/blog/45597097/
 にて紹介済みのため詳細は割愛いたします。




・母子寮(1953?1956-57? 現存せず)

alt

 写真引用先の資料によると、母子寮は今でいうシングルマザーとその子供の保養施設であり、元々瀬下町にあったものが火災に遭ったため昭和28年野中町(現在の文化センター共同ホールの地)に移転、昭和55年国分町に再移転するまで使用されたとのこと。ここに石橋正二郎は2回にわたり建・増築資金を寄贈したとされています。
 写真の建物を菊竹氏がデザインしたかどうかは不明ですが、いわゆる「ローコスト住宅」やそのリフォームなどを手がけたという事なのかもしれません。


<追記>

alt

 どうやら、1957年に増築された建物が菊竹氏設計のようです。それが上掲の写真のものか否かは現時点では情報不足でわかりません・・・なお本建築については後年の、

alt

SD誌にて紹介されているようですが現時点では入手/閲覧できておりません。
また母子寮自体は上述のようにBSと直接関連はない施設のようです。


alt

 さらに追記;1966年の「35周年 会社概況」に石橋文化センターの空撮写真がありました。黄色で囲った建物が、もしかしたら「それ」なのかもしれません。「五戸」という建物数も合致しているようですし・・・




・久留米商業高校講堂(1956年. 現存せず)

alt

alt

 これも事務所に設計図が残っていたようです。
 ちなみに久商は石橋正二郎の出身校で、この建物も正二郎の寄贈によるもの。

alt

 わたしは久商の沿革に疎く今まで知りませんでしたが、上に紹介したものと同じ書籍によると、久商は明治~昭和24年までは東櫛原に、次いで昭和24~47年まで「現 えーるピア久留米」のある諏訪野町に存在し(=本建築は同所に存在したもの)、47年に久商が現在地に移転の後は、

alt

 元 陸軍偕行社の建物を利用していた久留米市公民館が、久留米学園の同地への移転に伴い取り壊されたこともあり、

alt

alt

昭和48年~平成13年まで、元 久商の建物を利用する形で久留米市中央公民館として利用されていたのだそうです。国交省の空中写真でみると、少なくとも体育館は後年まで再利用されていたようですが、勿論現在では跡形もありません・・・・。なお、
 https://cocomi.cotton-time.jp/features/40.html
によると、昭和46年建設の現在の久商の体育館も「正二郎氏を中心とした有志が建設・寄付したもの」なのだそうですが、菊竹建築とは無関係のようなので今回は割愛させて頂きます。


<写真追加&解説追記>

alt

alt

 「25周年」と「30周年」を見比べると、両者とも同じ写真にもかかわらず、前者では「大」が講堂、「小」が武道場との説明ですが、後者では逆になっています。中央公民館に関する引用文献まで含め考えれば、「大」が講堂(兼 体育館)、「小」が武道場という事(=「25周年」の方が正しい)なのだろうと思います。



・石橋社長軽井沢別荘、およびBS軽井沢3人の家(年式不詳)

alt

 写真もなく詳細不明ではありますが、少なくとも前者については新築物件というよりリフォームの類と思われます(石橋正二郎は戦前より軽井沢に別荘を構え、とくに戦時中は軍の横槍を嫌って軽井沢に引きこもりがちであったという史実もあります)。後者については「30周年 会社概況」に掲載されていた「軽井沢山荘」というのが、正二郎自身の別荘にしては簡素な印象、かつ写真でみるに複数の建物からなるようであり、これに該当するように思われますが確証はありません・・・




・BS旭町商店街(城南マーケット ? or 生協マーケット?)

alt

alt

 詳細不明にて菊竹建築との確証もないため写真のみ掲載しておきます。


alt

 追伸;上掲の生協マーケットは「社宅地区内マーケット=城南マーケット(現在は”グリーンフィールズ” として上屋は残存)」とは異なり、工場敷地内に存在していたもののようです。デザイン的に「生協マーケット」の方は旧軍 or 進駐軍のカマボコ兵舎の転用物件のような趣であり、まだ「城南マーケット」の方がモダンではありますが、前者が菊竹初期の「木造リフォーム物件」だと言われれば否定もできず、真偽のほどは不明です。



<未調査物件>


alt

・U邸(1956-58):比較的珍しい苗字からすると、BSの幹部であった方の私邸でしょうか?

*2025年追記;

alt
alt

 この作品集によりますと、U邸の建築主はやはり、当時BSの幹部であった方で間違いなさそうに思われます。屋根の形状などは後のスカイハウスや「京都信用金庫」の支店群を髣髴とさせますし、何より今更ながら気づいたのですが・・・

alt

 この作品紹介には「家具 井上猛」と(わざわざ)特筆されています。

 んん? 「家具 井上猛」+「BS」といえば・・・・アッ!!!


alt
  (写真は https://response.jp/article/2023/10/08/375696.html よりキャプチャーしました)

 プリンスの名車、スカイライン・スポーツや1900スプリントで有名な、あのお方ではありますまいか!!
 本建築を印象付ける雨戸など、もしかしたら井上氏の手によるものかもしれませんね。しかもしかも、

alt

 この斎藤らの論文によれば、本作品は現存している可能性がありますし、もしそうであるとすれば、これはもう是非、藤森大先生あたりに探訪して頂きたいものです・・・



alt

・水戸BSビル(1958)、東京・市ヶ谷にあったらしいBSセールスビル(1959)、BS埼玉エバーソフト(1960)などは、現時点で写真を確認できておりません。


 *追記;市ヶ谷のBS社屋については、Google Map で検索すると、

alt

alt

数年前まで外堀通り沿い・新見附橋付近に存在していたようです。ただし写真の建物はどうみても1980年代以降のもの。普通ならここで諦めるところでしょうが、「市ヶ谷 昭和」をキーワードとして画像や動画を執念深く(苦笑)検索したところ・・・

alt
 https://www.youtube.com/watch?v=JDB4ZE-hIgs

 この動画の2分55秒〜3分5秒あたりに、それらしい建物を見つけました!

alt

 この当時は、右側に縦書きで「ブリヂストン」、左上にBSマーク、真ん中にタイヤの広告が書いてあったようですね。別にどうということもない建築ではありますが、ひとつスッキリしました(笑)。



alt

・その他、1958年に竣工した久留米保健所(かつて合川町に存在)も、菊竹建築であったようにどこかで聞いたような気がするのですが、ソースがはっきりせず確認がとれておりません。

*2025年追記:さきに紹介した
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/88/804/88_707/_pdf
の論文によれば、

alt

やはり旧・久留米保健所は菊竹建築で間違いなさそうです。

 さらに追記;偶然発見した、

alt

alt

 この書籍によれば、「福岡県建築部営繕課」の設計となっております・・・
 基本設計を菊竹事務所で行った後、図面等を県に引き継ぎ、細部設計や施工監督を県で行ったという事なのでしょうか? もう少しリサーチできれば良いのですが。。。




alt

・K医大 看護婦宿舎というのは、わたしの大昔のうろ覚えな記憶では、〇で囲んだこの建物であったような気がするのですが、全く自信はありません・・・そのうちリサーチしてみます。

*2025年追記;どうにもしつこい性分ですので(苦笑)色々検索したところ、

alt

alt

alt

alt

 このような書籍を発見・確認しました。やはりあの建物(写真⑬)が当時の看護婦宿舎であり、後年になり(看護学生寮として増築されていた)屋上(4階)部分の木造プレハブを撤去、看護婦宿舎としての機能は隣に建設された(写真⑭)建物に移され、建物全体を看護学生寮に転用された後、1990年代のはじめに取り壊されたようです。
 さらに言えば、この建物全体が「菊竹デザイン」であるとは到底思いがたく(当時のうろ覚えですが、とても古典的なデザインであったような記憶があります)、「菊竹デザイン」はむしろこの・・・

alt

建物全体のデザインとはかなり異質な、4階の木造プレハブ部分(のみ)ではなかったかとも思われます。初期の菊竹ワークスはBS関連の木造・リフォーム物件が中心であったことは有名ですし、石橋正二郎は当時のK大学理事長でもありましたので、話の整合性は十分ありそうですが、いかがでしょうか・・・

 さらに追記;さきに紹介した、
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/88/804/88_707/_pdf
の論文によれば、

 alt

わたしの推測は間違っていなかったようです♪。





alt

・その他K市内の物件では、H内科医院、K邸などが詳細不明のままです。前者については当時の建築雑誌に掲載されていたようですので、そのうち発掘できれば・・・と考えております。

*2025年追記;

alt

 この作品集によれば、久留米市内に建てられた菊竹氏の個人向け住宅というのは(おそらくご親族のための)赤枠の物件のみのようであり、「K邸」とはこれを指しているものと思われます。かなり後年の作品だけに、ひょっとしたら現存の可能性もあるかもしれません。そのうちリサーチしてみようと思います。




 <追記>

alt

 BS関連ではありませんが、1960年代の菊竹建築の名作・代表作の1つともいえるT寺納骨堂。物件が物件なのでかなりの画像処理をしたため見にくい写真で恐縮ですが、現状はかなり老朽化が進行しており、またほぼ一般非公開のようです(写真は敷地外より撮影)。市が助成金を出してでも補修・保存する価値のある建築だと個人的には思っておりますが、色々難しいのかもしれません・・・



 <2024年追記>

alt

 この「BSタイヤゴルフクラブ」、おそらくは鳥栖の現・ブリヂストンカンツリー倶楽部」を指しているものと思われますが、


alt
alt

 1957年完成の初代クラブハウスなのか・・・


alt
alt
 1965年竣工の2代目なのか、私には分かりません。時期&デザインテイスト的には初代の方が菊竹建築、2代目は他社のように思われますが・・・




 <推察>「もしかしたら・・・」な物件について

alt

alt

alt

 1967年、石橋正二郎の寄贈により竣工したK大学医学図書館(氏は当時の大学理事長でもあったそうです)。昭和38年に氏がBS会長職となり、社長の座を息子の幹一郎氏に譲って以降、菊竹-BSのつながりは急速になくなっていきます(その理由は色々と考えられますが「下衆の勘繰り」となりそうですのでここでは省略)が、正二郎氏個人の寄贈によるこの建物は、
・柱による垂直性の強調
・張り出された談話室
・段差や階段による高低感の表現
などの点が、当時の館林市庁舎や(菊竹事務所出身の建築家による)北九州ユースホステルなどとの関連を(個人的な印象ですが)感じられ、また、
・一方で、1階部分のレンガ風タイル張りにより「正二郎好み」をさりげなく取り入れるなどした「手練れ」さ
・当時は、菊竹建築である上述の基礎学教室と渡り廊下でつながっていたこと
などとあわせると、これが菊竹建築である可能性はないでしょうか・・・

 専門の方にご調査・ご教唆頂けると幸いですm(_ _)m 。  

 
 <追記> 同時代の建築物に、

alt

というものがあり、なんとなく雰囲気は似ています。この設計者は丹下研出身、当時KS大学工学部建築学科の助教授だった方とのことで、F県の大学つながりという事も含め、もしかしたらこの方の設計かもしれませんし、菊竹スクールの若手のどなたか、あるいは単純に企業系(例;松田平田など)によるものかもしれません。もう少し調査してみたいと思います・・・



 <結語>
 以上、BS・石橋家・K市関連の初期の菊竹建築について私見を添えてまとめてみました。
 これらの建築物の中には、石橋文化センター美術館や国立青年会館、殿ヶ谷アパートに代表される、作家性を表現したもの=「表・菊竹建築」も若干数存在するものの、千栄禅寺や久留米教育会館などに代表されるように、石橋正二郎/BSの意向に沿って己のカラーを消した建築=「裏・菊竹建築」が大半を占めます。このような建築物件を数多くこなしていくことについては当時の菊竹氏自身、

alt

といった葛藤もあったようですが、しかしながらそれら多数の物件をこなしていくことにより、氏のスキルアップ(と安定した収入・生活)につながり、氏が世界的建築家に飛躍する一助となったのかもしれない・・・と考えると、それもまた興味深いものがあります(終)。

Posted at 2023/04/08 08:28:32 | BS関係 | 日記
2023年04月06日 イイね!

BSにまつわるエトセトラ その② ;BS/石橋家の「後援」こそが、菊竹清訓氏を世界的建築家ならしめた(中編)


(前回の続きです)


③ BS国立独身者アパート=青年会館(1956)

alt

  ひと言でいえば、コルビュジェの5原則(「ピロティ」「屋上庭園」「自由な平面」「自由な立面」「水平連続窓」)を具現化したものと思われます。


<追記>

alt

 下にも紹介した「35周年 会社概況(1966)」には反対面も掲載されていました。更にますますコルビュジェです!




④ BS横浜工場 殿ヶ谷アパート(1955-56)

alt

alt

  個人的な感想としては、やや奇をてらい過ぎたデザインのようにも思いますが・・・



alt

 https://twitter.com/YujiHasemi/status/1367280735053221900

などをみるに、当時建築関係の方には高い評価を受けた作品のようです。実際の住み心地はいかがだったのでしょうか・・・なお、
 http://kashiocho.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/K1001_Part4.pdf

によれば1992年解体とのこと。


alt

 また同工場の「舞岡アパート」についても、「菊竹らしさ」みたいなものはあまり感じられませんが、事務所に設計書類が残っていたようです。




⑤ BS久留米第17号・18号アパート
 わたしが「BS旭町アパートメント群のうち数棟が菊竹デザインである」と以前に知った時、それは、

alt

階段開口部の処理がカッコイイ、これらの建物だとばかり思っておりましたが(そしてその可能性も全く否定はできませんが)、

alt

ここに書かれてある第17号・18号アパートというのは・・・

alt

 どうも、これらの建物であったようです。
 昭和30年代の集合住宅建築の中には、

alt
(2000年代の初め頃まで残っていたようですが現存せず。北九州もこの20年で、レーモンドの大谷体育館や安川電機本館、八幡や小倉の村野藤吾の諸作、山田守の九州厚生年金病院など、数々の名建築が喪われてしまいましたね・・・)

 柴岡亥佐雄氏の旭硝子社宅を筆頭に、バルコニーを廃してサンルームとすることでフラットな連続窓を形成し、コルビュジェの5原則を達成しようと試みたものが時折みられ、これもそういう系譜の建築でしょうか・・・勿論とっくに解体済みです。


<追記>

alt

 「35周年 会社概況(1966)」掲載写真より引用。より解像度の高い写真でみると、他のアパート群とは全く異なるデザインであると分かります。




⑥ BS広島アパート(1956)

alt

 詳細不明にて写真のみ掲載。これもバルコニーを廃したつくりのようです。




⑦ BS高松支店(1957)

alt

 これはやや「謎」な物件でして、「25周年誌」には2階建て建築として紹介されていますが、「会社概況」では3階建てになっております。短期間で増築したものでしょうか? さらによくみると前者は「加工写真」のようにも思われ、実際のところどうであったのか、少しだけ気になります。




⑧ BS横浜第3工場、および付属施設(1957-60)

 alt

alt

 「会社概況」掲載の地図によると、第3工場というのは写真奥側・一番高層の建物であったもよう。建築様式としては久留米工場などと似たようなつくりのようです。
 さらに、上掲の写真では建設中であった青年会館(単身者共同宿舎)や体育館については、前者が、

alt

プールに接したこのような建築だったようです。後者については、
https://gengo-matsui.musalab.co.jp/pdf/works007.pdf
にて紹介されていますが、当時一世を風靡したサーリネンにインスパイアされたと思しき「吊り屋根」構造の建築であったもよう。残念ながら現存しないようですが・・・




⑨ 梅林寺ティハウス(1957)

alt

 今も現存し、近年紹介されることも多いのでこの1枚のみで割愛させて頂きます。




⑩ 久留米市長公舎(1957)

alt

 1957年に竣工し、石橋正二郎より久留米市に寄贈されたこの建物も「石橋記念くるめっ子館」の名で現存しますが、当時の建築雑誌への掲載はなかったもよう。「スカイハウス」などとは対極的な、尖ったところのない様式です。




⑪ BS名古屋支店・広島支店・仙台支店(1958)・札幌支店(1959)

alt

alt

 これは当時の一般的な商業ビル建築のようですので写真掲載のみにとどめておきます。札幌支店の控えめなカンチレバーの表現が、しいて言えば特徴でしょうか。


<追記>

alt

 「35周年 会社概況(1966)」掲載写真でみると、さきに掲載した広島支店の写真は完成予想図みたいなものだったようで、実際に完成した建物は角を斜めに切り落としたデザインであったようです。




⑫ 荘島小学校石橋記念講堂(1958-59)

alt

 後日紹介予定のため今回は詳細割愛。




⑬ 有馬記念館(1959)

alt

 これも現存しており、先日は入館料まで払って訪問してみました。が、開口部や窓面積の少ない、やや武骨な建物という印象でした・・・
 当時の「和モダン建築」の第一人者であった大江宏氏の諸作などと比べ、菊竹建築は「武骨だけどダイナミック」、悪く言えば「土臭い・田舎臭い」ところが特徴(あるいは魅力)だと個人的に思っておりますが、本作はやや中途半端な印象を受けます(偉そうにすみません・・・)。




⑭久留米教育会館講堂(1959)

alt
alt

 これも石橋正二郎による寄贈物件で、建築様式としては「正二郎好み」全開のレンガ造のものでしたが、残念ながら2016年頃取り壊されてしまいました・・・(ストリートビューでは2015年まで現存、2017年時は消滅)。




⑮ BS奥多摩会館(奥多摩園;1962)

alt

 この建物は「25周年誌」や「会社概況」発刊後の建築、かつ当時の掲載雑誌も未読のため現時点で断定的なもの言いはできないのですが、上記のようにネット検索して引っかかった建物、窓割りの感じがなんとなく(あくまで「なんとなく」ですが)、

alt

後年の久留米市庁舎の低層階のそれと同じ「かおり」がすること、また、

http://riderv3.blogspot.com/2021/12/blog-post.html

仮面ライダーV3によると(笑)1973年以前に既に存在していること、より、この建物が菊竹物件である可能性は高そうに思われます。
 旧車で奥「たま」を爆走(?)する機会のあるみん友様がおられましたら、是非リサーチして頂けると幸いです(苦笑)。


<追記> どうにも気になったので(苦笑)色々調べ・・・・

alt

alt

 某所でこういう書籍を発掘してきました!
 「30周年(1961)」では掲載されていなかったこの建物が「35周年(1966)」に掲載されているという事は、やはりこれが1962年築=菊竹建築ということで間違いなさそうに思います。




⑯ 石橋文化ホール(1963)

alt

 BS関連物件の大トリを飾るのがこの建物。ただしこの建物の真骨頂は外観もさる事ながら、石橋幹一郎氏がこだわった音響の良さにあることはつとに有名です。
 とはいえ私、かつての市民会館は1978年のピンクレディー久留米公演(笑)、高校の文化祭のコーラス大会等で何度も行った事があるのに、文化ホールは幼稚園の時に見た、かげ絵の上映会1回きりなんですよね・・・






 名曲「筑後川」の初演がこのホールで行われたことは、もはや伝説のレベルです。

 皆様もこの圧倒的な感動を、ぜひお聴き頂ければと思います・・・

 (後編に続きます)

Posted at 2023/04/06 01:24:43 | BS関係 | 日記
2023年04月03日 イイね!

BSにまつわるエトセトラ その② ;BS/石橋家の「後援」こそが、菊竹清訓氏を世界的建築家ならしめた(前編)


 およそ何の領域であっても「上達」への最善の道は、とにかく「場数」をこなすことであると、自らの拙い経験からみても思います。




alt


 K市が生んだ世界的建築家、故・菊竹清訓氏については以前にも、
 https://minkara.carview.co.jp/userid/549571/blog/45597097/
 等で書いたことがありますが、今回、



alt


 先日の拙ブログでも紹介した資料の中に多くの貴重な写真を発見したので報告させて頂きます。
 なお例によって、関係者より問題とのご指摘があれば画像削除、もしくは公開先限定に変更させて頂きますし、皆様どうぞ「イイね!」はなしでお願いいたします。

 また菊竹氏と石橋正二郎とのかかわりについては、
 https://www.biz-lixil.com/resource/pic/column/inaxreport/IR171/INAX171_15_37.pdf
 のインタビュー記事に詳しく述べられていますのでご参照下さい。



alt

alt


 菊竹氏の「公共・大規模建築作品」としての建築界へのデビュー作品は「石橋文化センター」でしたが、


alt


 自著やこの本など各種の書籍等で既に明らかにされているように、文化センターのグランドデザイン自体は「美術、庭園、建築設計が3大趣味」「建築に至っては工場、オフィス、住宅、会館、倉庫、宿舎、その他なんでもござれである。むろん細部にわたって自分でやれるわけでもないが、公私合わせて、私は今までに何万坪かの各種建築物の設計いじりで楽しんできた。恐らく専門家でもこの坪数にはかなうまいと思っている」と公言していたほどの建築マニアであった石橋正二郎その人であり、菊竹氏は石橋美術館など個別建築の意匠・細部設計など、いわば「現場監督」に近い役割であったようですし、


alt


傍証として、書籍①の文化センター紹介記事をみても、菊竹の「き」の字も出てきてはおりません。




alt

alt


 一方で、昔の某書籍に掲載されていた「作品年譜」や、「文化庁国立近現代建築資料館の収蔵資料検索システム」;
https://db.nama.bunka.go.jp/index.php/informationobject/browse?collection=140985&query=%E8%8F%8A%E7%AB%B9&topLod=0&sq0=%E8%8F%8A%E7%AB%B9&sort=relevance&sortDir=desc
に記録されている設計図リストをみると、氏の初期建築の多くがBS/石橋家関連のものであることは明白です。


 https://bunganet.tokyo/kurume1/
の方のブログにも記述されておりますが「石橋正二郎は菊竹の才能に目をつけ、若き日の菊竹に数多くの設計のチャンスを与えた。ローコストな施設やリノべーションがほとんどで、菊竹はそのことにより設計の腕が鍛えられたと語っていた」のだそうです。



alt
 (書籍②より引用)


 ときは正に高度経済成長期。BSの売り上げは文字通り「倍々ゲーム」のように増加し、石橋文化センターのみならず、


alt

alt

alt

各地の工場や支店、職員住宅などの新設・増築・建て替え、また、


alt

alt

alt
 (以上、書籍① ②より引用。あの吉阪隆正氏のヴェニス・ビエンナーレ日本館まで石橋正二郎の寄付物件とは!)

K市を中心とした各種建築物の寄贈など、BS/石橋家関連の新規建築案件は枚挙にいとまがなく、若き日の菊竹氏は石橋正二郎からこれら数多くの物件の設計を委託され「場数」をこなすことで設計の腕が鍛えられたのと同時に、安定した収入を得ることもできたのでしょう。




alt

 かの代表作「スカイハウス」も、またその下に駐車している、おそらくは氏の自家用車(ルノー4CV)も、氏に十分な金銭的「余裕」がなければ、実現していたでしょうか・・・





alt


 さて、これら初期の菊竹作品については、上のリンクでも紹介されている千栄禅寺本堂(1959)のように近年になって菊竹作品と判明したもの、また上掲のBS関連物件のように建築雑誌への発表が建設当時なかったものなど、その全貌についてはなかなかつかみ難いものがあります。が、前掲の書籍 ①② に比較的豊富に建築写真が掲載されていたため、今回その引用を中心に「知られざる初期菊竹建築」を紹介したいと思います。




alt



alt
 (追加写真;貴重なカラー写真を「35周年 会社概況」にて発見したので添付)


① 石橋文化センター;これまでにも紹介したので簡単に終わらせますが、前掲の「文化庁国立近現代建築資料館の収蔵資料検索システム」によると、美術館や体育館のみならず、


alt

alt

プールスタンド(1988年解体)や、


alt

alt

なんと日時計までも、菊竹事務所に図面が残っていたようです。


alt

 追記;日時計は形を変え、現在も時を刻んでいました。



alt

② 永福寺幼稚園(1955);これも石橋正二郎による建物寄贈物件。比較的有名な建築、かつ前回の拙ブログでも考察しましたので詳細は割愛させて頂きます(長くなったので次回に続きます・・・)。


 追記;室内写真について、下記のサイトに掲載されておりました。
 https://twitter.com/kosho_yamasemi/status/1615967298401210370

Posted at 2023/04/03 20:19:42 | BS関係 | 日記
2023年04月01日 イイね!

BSにまつわるエトセトラ その①; K市に残る当時のBS社宅 後編(注;「イイね!」はなしでお願いします)
















 (前回の続き)1950年に90棟ほど建造された⑥、これだけが(現在もBS所有なのかどうかは寡聞にして存じませんが)付近の交差点やバス停に名を残し、またストリートビューで見る限り、現在もなお数棟が(若干の改造を受けながらも)建て替えることなく残存しているようです!







 しかしながら、なんでこんなに工場から離れたところに、これだけのまとまった社宅を建てたのか、いまいち「謎」ではあります・・・


 以下、わたしの勝手な考察ですが、紫山社宅の建設と同時期に行われたグッドイヤーとの技術提携&派遣外国人の久留米への居住、またここが水明荘/外人社宅にほど近い立地である事からすると、もしかしたらグッドイヤー派遣外国人に関連した特別職員(英会話可能な職員など)・上級職員用のものであったのかもしれません。

 当時の世情を考えると、そのような技能職の多くは東京から、彼等にとって「遠方のへき地」と思われたであろう九州のK市まで移住してもらわなければ確保できなかった筈であり、それに対する不満が少なくなるよう、石橋正二郎が住宅・生活環境に細心の配慮を行ったであろう事は想像に難くありません。



 (「五十年史」 p.160より)

 逆にいえばグッドイヤーとの技術提携は、欧米との技術的格差を痛感していた当時の石橋正二郎/BS にとり、何がなんでも成功させなければならない大事業であったのでしょう。






*2024年追記;もうひとつの背景として、創業者2代目・のちの社長~会長となる石橋幹一郎氏は昭和20~27年にかけ久留米・水明荘に居住し、更に昭和24年には役員待遇(取締役)に昇格したため、氏をサポートする優秀な側近集団を水明荘の近くに配しておく必要があったからとも考えられます。







 また紫山社宅の存在こそが、この近辺に存在する(菊竹初期建築としても有名だが当時の建物は現存せず)永福寺幼稚園、あるいは御井小学校図書館などの、石橋正二郎による建物寄贈(=紫山社宅居住者の子弟に対する近代的幼児/学童教育の提供)にもつながっているのかもしれません。そう考えると石橋正二郎―菊竹清訓―永福寺幼稚園のつながりも理解できるように思われ、なかなか興味深いものがあります(終)。
Posted at 2023/04/01 12:42:18 | BS関係 | 日記
2023年04月01日 イイね!

BSにまつわるエトセトラ その①; K市に残る当時のBS社宅 中編(注;「イイね!」はなしでお願いします)


(前回の続き)


alt

alt

alt

 続いては①の「筑後川社宅」。こちらについては1980年頃までに殆どが取り壊されたようです。



alt

 ④についても1980年頃までに消滅、⑤については詳細不明ながら、遅くとも2000年代には消滅したように思われます。







 (「ブリヂストンタイヤ五十年史」より)

alt

alt








 そして総和28年の大水害の復旧事業を契機とし、戦後のK市の繁栄の象徴ともいえた③についても、1980年代より急速に縮小・建て替え・大学病院外来棟への敷地用途変更などがすすみ、2011年までに昭和30年代の建築物は消滅しました(現在残っている数棟のアパート群はいずれも後年の建て替え物件)。










 また上級職員が住まうエリアとして知られた②についても徐々にゴーストタウン化し、同じく2010年頃までに取り壊され、現在は若干の植栽を残しながらも従業員用駐車場となっているようです。







 しかしながら・・・(続きは後編にて)

Posted at 2023/04/01 11:41:02 | BS関係 | 日記

プロフィール

「久しぶりの同型車、しかも初期型を割とご近所で発見。初期型だともう20年選手になるだけに、my Megane なんかよりずっと維持も大変でしょうが、可能な限り末永く頑張ってほしい・・・って、ヒトの事言ってる場合じゃないか(笑)」
何シテル?   09/23 07:51
ファーストカーであるメガーヌ・ツーリングワゴン1.6(2009年購入、ph. 2.5) に加え、2011年に縁あってF31レパード・アルティマターボを購入し、2...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/10 >>

   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

リンク・クリップ

トヨタしか作れないクルマがある-40年目のクラウン誕生物語 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/04/08 20:12:14
クルマと子育て 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/02/24 00:41:58
ボンネットフードロックのお手入れ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2019/11/29 20:28:02

愛車一覧

ルノー メガーヌ ツーリングワゴン ルノー メガーヌ ツーリングワゴン
2009年よりわが家のアシ車となっているメガーヌワゴン1.6(ph 2.5)です。 簡 ...
日産 レパード 日産 レパード
2011年春に縁あって購入した、1990年式 F31アルティマターボ(希少色の#4G6、 ...
日産 ローレル 日産 ローレル
小生の初の愛車、1984年式 C31 ローレルの4HT 2000グランドエクストラ。 ...
日産 グロリアセダン 日産 グロリアセダン
大昔の愛車、1984年式 Y30 グロリアセダン(V20E SGL、ベンコラ)。 簡単 ...

過去のブログ

2025年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2018年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2011年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation