2011年02月28日
先日、サクシードバンの部品を探していた時の事です。
ふと目についた商品で、その時は通り過してしまいました。でも、後になって「?」と思い返し、もう一度商品ページに戻ってまじまじと商品説明を見直してみました。で、結論。
「これって結局、メーター巻きます」ってことだよなあ?
ありていに言えば、クルマの走行距離計のメーターを巻き戻すことを商品として掲載しているわけです。もっとも、私自身でその内容を確認したわけではありませんので、誹謗中傷である可能性もなきにしもあらず、ということで何処の商品かはここでは記しません。
今までに何度かメーター巻き戻しのクルマに遭遇したことはあります。たしかに、「この状態で、この仕様で、これでメーターさえそこそこの距離だったら良い金額つくのになあ」ということも何度かあります。
でも、私自身が乗るのならばともかく、お客さん的には「距離計」しか程度を判断する指標がないので、何でもかんでも「とにかく距離が少ないモノを」という要望はあるものです。
逆に、短期間での過走行のクルマは外装の程度は比較的良いものです。お天道様の下にある期間は少ないですから。適度なメンテナンスさえ施してある個体ならば低走行の放ったらかしより遥かにマシという意識もあります。もっとも、過走行車のオーナーであればあるほど、ある程度のメンテナンスはしているのが普通ではありますけど。
却ってあんまり乗らない人のほうが無頓着な傾向は強いかなあ、という気はします。
たかが距離計・されど距離計。
でも、どうせ中古車であることに変わりはありません。そんなに程度のいい車が欲しいのであれば新車を買えばいいだけの話です。もちろん現行車に限る、ということはありますけど。
でも、敢えて「買ってあげない」という選択肢だって面白いじゃあないですか。
何年か経過していて、新車じゃあ欲しくても450万もするんで買えんかったあのクルマが。
5年もしてみたら、あっという間に値が下がって実は100万円以下で買えました、なんてこともあります。ベンツCがそうでした。
でもね。
やっぱりいくら程度が良くっても、新車じゃあないんですよね。そこは間違えてはいけません。求めるのは新車の雰囲気や新車相応の程度ではなく、買った金額相応の程度なんです。その落ち幅を考えれば納得出来るというか、納得しなくてはいけません。所詮中古車なんですから。
でもそこさえ間違わなければ、中古車も含めた車選びは相当に選択肢の広がる娯楽になり得ます。
ボリュームゾーンと同じ志向で選ぼうとすれば、それなりに高額なものになる可能性はあります。でもコチトラへそ曲がりですから流行りものには目もくれず、ひたすら「セダン・クーペ」とかで選択肢を絞ると世の中ミニバン一辺倒。そこはそれ相場の世界ですから、不人気車種はそれなりにお安く買えるものですよ。
で、
そうしたところで
「ポンコツで結構、飽きればまた替えればいい」位の軽やかな気持ちでもって、予算も軽やかなレベルに抑え、次から次へと楽しんでいくのも「これまた愉し」。
いちいちメーターや程度を気にして歯ぎしりするよりも「50万くらいなら、このくらいで十分」という買い方のほうが心も穏やかで広やかでいられるってもんです。だって、損したところで上限50万ですからねえ。
ちょっと補足しておきますが、ここで軽やかな気持ちで行くためには「買おうと思えば新車でもいいんだけど.......」という金額を以てして臨むということも大切です。ハナからぎりぎり50万ではなく、100万、200万という金額は手元にあるんだけど、敢えて50万円程度しか本体予算には割かない。ここが気持ちの余裕に繋がります。不意の出費があってもこれなら耐えられますからね。
今時の車はちょっとばかり乗っていたところですぐにヘタルほどヤワじゃあありません。平成ヒト桁の頃に比べれば日本車も車体剛性感のオチも遥かに少なくなりましたからねえ。
また、程度程度って言ってみたところで100万円のクルマと150万円と値札を外されて比べたら「よくわからんかった」なんてことは良くある事です。
それとは逆に35万円のクルマと50万円のクルマとの比較となると物凄く違うことはよくありますけどね。
もっと肩肘はらずに車選びをしてもらえる雰囲気が広がれば、メーター戻しなんてセコい事も減ると思うんですけどね。無くなるとは思えんけど。
Posted at 2011/02/28 10:50:40 | |
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2011年02月27日
「腰痛は頭で治す」とかなんとかいう本がありました。著者は元Jリーガーのナントカさんという方だというトコロは私的にはワリとどうでもいいところなんですけど、気になったのは「頭で」というところ。
最初に本屋さんで見たときには立ち読みでパラパラとめくっただけなのですが、やはり気になって後日、まだ本屋さんにあったので買ってきました。内容の大意をものすごく大雑把に言うと「痛みの走る理由を理解して、そうならないように日常気をつける」ということでしょうか。
腰が痛くなるのには理由があり、その理由の殆どは体の使い方に無理がある事に起因している。無理な使い方とは、理に適わない体の動かし方に理由があり、それは無用な筋肉の緊張を体に強いることに繋がっている。そうした無理な動きや無用な筋肉の緊張は、待機状態にある日常の生活時の姿勢の崩れから始まっている例も多い。
そもそも、人間の脊椎というのは4足歩行時代に成立し固定化した「S字」に湾曲した形態がそのまま引き継がれているため、実はこれが2足歩行に完全に馴染んだ形とは必ずしも言えないということもある。更に近年の生活習慣として、特に椅子に座っている時間が長くなっている事もあり、ますます脊椎の自然なカーブが変形している傾向にある。
ま、こうした脊椎の周りを取り囲む筋膜の無用な緊張を取り除き、固まってしまった筋肉を適度に緩めることを意識して出来るようにしましょう、ということかな、と。で、それ以上の内容はまあ、本を買ってあげてください。
私の場合、背が高いこともあって無意識に背を屈めるクセが昔からありました。
今は中腰で作業することも少なくなく、昨日のサクシードの作業、特にナビや地デジの取り付けなどは中途半端に腰を捻ったままで作業することも多いものです。無理な姿勢をとり続けると、確実のその日の夜は腰がパンパンになって動きが大儀になるのが常です。
このため、先にシートを外して、車内をがらんどうにしてから作業を開始したのも「無理な姿勢をとらなくてもいいような環境を整備しておいた」ということもあるわけです。
この腰が痛くなる、ということについて。イコール自然なS字の湾曲が維持できていれば.......、という話なんですが。そもそも正しい姿勢とか、そこから見えてくる正しい体の動かし方というものを意識的に強制させられた記憶が自分自身に殆どありません。お箸の持ち方も自己流で固まっちゃったしね。
武道を嗜んでいる人は姿勢がいい、とか挙措動作がキレイである、という話はよく耳にします。元々武道を習うということ自体が効果的な打撃であったり力の出し方だったりという「力学的に理に適った体の動き」を繰り返し繰り返し自分自身の体に覚えさせる反復練習が主でしょうから、必然的にそうなるのでしょう。
逆に言えば。
なかなか、理に適った一連の動きであったり待機姿勢などであったり、というのは自然に出来るものではない、ということなのかもしれません。2足歩行動物故の動きの自由度の高さと、4足歩行生活から一歩踏み出して2足歩行生活を始めてしまったという成り立ちが、実は骨格的にはまだまだ2足歩行に順応しきっていないということであったりとか。
まあ、今ある材料(身体)を活かすには、自分の体の名操縦士になるしかないのでしょう。
さてさて、こういう話題を強引に車の話題に持っていくとどういうお話になるか。
私が大型二輪の卒業検定に合格したときのことです。実は、というか大型二輪まで持っています。
そのとき、教習所の教官に言われたのは「ここを到達点だと思うな」という戒めでした。「最低限、実際の路上に出るための許可証なんだ」とね。ちなみに4輪の卒業検定で同様なことを言われた記憶はありません。
F1と違い2輪のレースの方が、ドライバーの技量の差が如実に結果に現れる、とはよく言われます。クルマは黙っていても転ぶこともなく、屋根もありますから天気の心配もありません。2輪は、間抜けな運転をしてると転びますからね。私も何度も経験がありますけど。仕組みが単純な分、奥が深い。
4輪の場合は、運転する人にやさしい分、今まで長々と書いてきた基本姿勢・基本動作に該当する部分が多少ないがしろにされても、何とかなってしまっている部分が相当にあるような気はします。
もちろんそれは自動車の設計技術や制御技術の結晶でもあるわけですけど、「アイサイト」について触れた回で書かせていただいたように、「優しい」のと「甘やかす」の境界線を何処とするのか?という非常に微妙なおはなしでもあります。
以前、障害者の方にも運転の楽しさを、という記事を目にしました。
もちろん、障害者にだって運転を楽しめるものなら楽しめるようにするべき、ということを否定するつもりはありません。
ですが、だからといって猛獣を道路に放つようなことをし、しかもそれを周りの一般市民の丸腰の善意でもってカバーさせる、というのには無理がありすぎるように思います。そこまで運転したいのならフライトシュミレーターとかバーチャルシステムで満足しておいてもらいたいと思うのは私だけではないと思いたいなあ。
最も、健常者であるはずの方々にすら基本姿勢を忘れさせてくれるほどの快適性能が詰め込まれた現代(ヒュンダイではありません)の4輪車です。今一度基本姿勢・基本動作というものを意識してみるのもいいのでは?と、ふと思います。
Posted at 2011/02/27 08:43:51 | |
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2011年02月26日
やっと本日、サクシードの地デジ化が完了いたしましました。やっぱ何回やってもフィルムアンテナの貼付けは緊張するわー。受信も良好です。テストも完了いたしました。
昨日のうちにシートも全外しして、オール水洗いもしました。もちろんシートの無くなった空っぽの室内には絨毯爆撃を敢行しましたのでものすごく清潔感溢れる室内カーペットになりました。逆に言えばそれまではものすごく汚なかったわけですけど。やっぱりシート外すと前オーナーの使用状況がよくわかります。
まだ全然乾いてはいませんが、とりあえず今のところ生乾きの状態でシートはフッティングをしてあります。だって、運転席ぐらい付いてくれていないとクルマが動かせませんから。
でも、今更のように気が付きましたが、シートを洗うとタバコ臭が嘘のように消えるのは気持ちのいいものですl.
ちなみに今現在、家庭用の除湿機を車内に設置しフル稼働させてあります。
乾くまでにどれくらいかかるかなあ。
空き時間もフル活用して今日のうちに車体の外装半分ほども磨き直ししおておきました。白は磨き直しが楽で好きです。
ああ。やっと何となく先が見えてきた。でもまだ半分半分。
でも、ふと思ったのですが。
結局、商品化するときのような切羽詰った状況にもならないと、満足の行く具合にまで磨いたことがないなあ。
あれやこれやと妄想はしますけどね。
もっと自分の手の内にあるときにこれくらいにまで仕上げられておけるといいんですけどねえ。
Posted at 2011/02/26 19:25:57 | |
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2011年02月24日
朝TVをつけるとニュージーランドの地震のニュース一色で占領されている。でも失礼だけど別にどうでもいい。だってなんだかんだ言っても国外のお話だし、大橋巨泉のお店がどうのこうの言ったって、私には何の関わりもない。あの人の生活費を稼ぐためのお店と思えば、テレビ関係者にはお世話になった人も多いだろう(例 小倉)から、そのことを取り上げることもあるだろうけど、やはり私にとってはどうでもいいなあ。
さて、その前にテレビ番組を占領していた記事がパンダ。
パンダが可愛いか可愛くないかという議論は措くとして、今回のパンダ外交はタイミング的に、いかにもあからさまでありすぎます。しかも日本人の目を欺くにはこれが一番だろう、という中国人の薄ら笑いがパンダの画像の向こうに透けて見えるようでパンダには悪いですけど唾棄したい気分にもなります。
こんなモンでだまされるなよ日本人
&
騙せると思うなよ報道関係者
という感じ。
尖閣事件を発端に一般日本人の対中感情があまりよろしくなくなってきた辺りからまたぞろ「戦争責任」だの「謝罪が足りない」だの、お決まりの対日批判を中国は意識的に出し始めました。
ただいつもと違い、何となく一般世論がなびいてこないを事を中国としては感じたあたりでロシアが北方領土関係で動き始めました。領土問題に関しては日本を抑えこむ、という方針に於いて両国の思惑は一致しますから、両者の動きは一連の動きであるに決まっています。つまり関心の矛先を他の国に向けさせた、という事。
今まではそれなりに国内をまとめて来ていたっぽい日本政府ですが、ここにきて明らかに使いものにならない政府首脳陣にあきれ果てているアメリカとしては、このままならこれ以上日本に肩入れするのは危険と看做すのも当然でしょう。金づるにもならず手駒にもなりそうもなければ彼らにメリットはありません。
相変わらず真正面から「拉致被害者」だの「国連の常任理事国入りを」などと言っているのも、いい加減その神経を疑っているだろうなあ、と思います。鳩は相変わらず馬鹿な事をあちこちで言い放っているしね。
国連って「戦勝国(第二次世界大戦の)連合」というのが実体で、国連の規約の中に「旧敵国(ありていに言えば日本とドイツを指している)条項」なる規約が未だにあるってことをどの程度承知している人がいるんでしょうかねえ?
しかも、日本を陥れることが中国とロシアにとってはそのまま権益というか拡大主義の原理に馴染むということになれば、彼らを牽制したいアメリカをバックに付けておくという意味は決して少なくない筈なんですが。そのための沖縄の基地であり、横須賀や三沢だと思うのですけど。日本人が思うほど世界は平和ではない、と思います。
まあ、それらはさておき、お話はパンダです。
頭の中がお花畑の日本人にパンダは効果テキメンです。ありがたくも中国様が絶滅危惧種のパンダを寛容なる御心を以てして我が国に遣わしてくださった。
しかも「レンタル」で。
確か繁殖の成功の暁には、さっさと中国に赤ちゃんパンダは持っていかれるという内容も付いていなかったかな?
きっちりと実入りも確保している辺り、やはりちゃっかりしてます。
同時並行できっちりと「歴史の教科書」採択問題に関してチャチを入れているらしいところなどもあざとく感じる部分です。
「世故に長ける」とは決していい意味で使われることのない言葉かもしれませんが、人が良いだけでは渡っていくことが難しくなってきたのかな、とは感じます。
江戸時代末期の諸外国によるあざとい植民地獲得競争は影を潜めましたが、現代に於いては企業買収・合併の「M&A」がこれにとって替わっていると感じます。ルノーにおける日産などはいい例でしょう。明らかに本国への送金手段となっているあたり植民地時代におけるインドにあった「東インド会社」と何ら変わることはありません。
人を疑ってかかるのは決して気持ちのいいことではありませんが、相手はそれが生活習慣として馴染みきっているのですから、パンダごときに目尻を下げているようでは「まだまだ甘い」と思われるのは間違いのないところでしょう。
しかし、それに輪をかけてパンダ報道一色に湧いた報道関係者の「中国マンセー」ぶりもきちんと記憶に留めておくべきかと思います。
Posted at 2011/02/24 19:33:23 | |
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2011年02月24日
平成15年頃のことだったでしょうか。私の住む浜松では、市役所の近辺を中心として、通勤・通学時間帯によるバスと二輪車の優先通行の車線規制が行われるようになりました。
で。
なんかやってるなあ、という記憶はありましたが特に気に止めることもなく走っていた私。そういう規制をする前に、左はじの道路だけ赤い舗装にしてみたり、それ用の道路標識を作ったりしているのは風景として目には写っていましたが、それ以上の意識に登ることはありませんでした。
で、ある時のこと。板屋町にあるオフィスに戻ろうと道を急いでいたときのことです。お巡りさんに「ちょっとこっちにおいで」と呼ばれました。
はて?なんかあったのかと思いつつクルマを横道に寄せ、窓ガラスを下ろしてお巡りさんに聞かれた第一声は
「なんで止められたか分かりますか?」
ん?俺何かやったか?と思いました。べつにスピード出していたわけでもなし、携帯にも触っていないし、シートベルトはするのが習慣なのでやってないことはありえないし。で。
「分かりません!!」
と答えると、お巡りさん。ニヤリ、と口の端を歪ませて一言。
「ここの道路の左車線はこの時間、バスと2輪車の優先通行車線になっているのは知ってますよねえ。」
すかさず私は「この次の交差点で私は左に曲がるつもりで左車線に入っていたんですが」
「あのねえ。あなた、50m以上も手前からこの車線にいるでしょう?こっちはずっと見てるんだから。曲がるのなら25m程度手前で車線変更すればいいのであって、ずっと左車線を走る理由にはならないでしょう。はい、通行帯違反で2点減点と反則金の納付ね。今キップ切るから。」
ということで、またしてもゴールド免許から遠のいてしまったエピソードを思い出してしまいました。
こんなことを思い出したのは、高速道路無料化の社会実験で随分高速道路の通行量が増えた、という記事を目にしたからです。
何故か「バカ」や「ヘタ」に無理やり付き合わせられる事になっているらしい道路交通行政ですが、ETC付き車の土日上限1000円政策のこともあり、お金を払って移動時間の短縮分と道路環境の良さを買っていたはずの高速道路ですら、一般道と同様のカオス状態となっているような印象はあります。
もちろん私自身が運転がうまいつもりはありませんが、それでも他の車に迷惑にならない程度にお邪魔させてもらっているという意識で運転はしてはいます。
そんな中で非常に迷惑なのが「追越車線を占拠して延々とノロノロ走る」落ち葉のクローバーを付けた妙に大きい車や軽自動車だったり、若葉マークの軽自動車だったり、若葉マークが付いていることが不自然に思えてならない「元」高額車だったり。
まあ、無理して頑張って走っているっぽいトラックもそれなりに邪魔ですし、先日目にした「私は75キロで高速道路は通行します」ステッカーを付けたトラックも邪魔なんですが、なんで、高速道路で追越車線を占拠し続けるクルマを排除しようともしないのか?一般道で上記のような取締はするくせに。
例えばETC車載器を付けているクルマならばクルマのナンバーの情報は拾えるわけですから、あまりにも追越車線ばかり通行しているクルマを一本釣りすることは不可能じゃあないと思うんですけどね。一定間隔で送受信設備を設置すれば平均速度だって出せるわけだし。オービスやNシステムの設置には熱心なくせに、違反点数と罰金額の低い摘発はやらんのか。
でも、なんぼなんでも高速道路の合流地点で一旦停止した、とかいう頓珍漢な運転手ならば、運転免許の再講習を50時間くらい義務付けてもいいような気もするんですがね。
Posted at 2011/02/24 14:41:35 | |
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