
おそらく失礼な言い方・内容も出てくると思いますので、あらかじめごめんなさいと言っておきます。
被災地の映像を見いて不思議なのは、
何で焚き火というか、篝火を焚かないんだろう?というか、何故全くその類いの映像を見ないんだろう、という事です。あれだけ見渡す限り瓦礫の山ばかりなのであれば、焚き付けに使う材料には事欠かないような気がするんですが。ガスが無いとは言いますけど、あれだけ木材が散乱しているのですから、逆にマキには不自由しないだろう、とか。しけって燃えにくいのかもしれませんが、いい加減乾いてないのかなあ、とか。
基本アウトドアって、カタカナで書くとかっこいいかもしれませんが、所詮避難訓練に毛が生えた程度のものです。ちなみに私の近所の浜名湖沿岸ではアサリの潮干狩りのついでにバーベキューをしている光景を目にしたりもしますが、それを見るたびに「そんなに避難訓練が面白いかなあ」と思ってしまいます。サバイバルな連中だなあ、とね。まあ、それはさておき。
一時あれほどアウトドアブームで沸いた世間様ですし、オートキャンプが大流行、なんて煽っていた雑誌もあったりしましたよねえ。その延長でこういうときこそ火を起こして暖をとるであるとか、煮炊きの熱源を確保するとかさ。
それこそ、夜の寒さで凍えてしまって、せっかく助かった人もその所為で亡くなってしまったとかいう記事も目にしました。だから油が足りない・ガスが足りない・補給物資が届かない、というお話に続いていたように思います。
じゃあ、何で火を起こさないんだろう?とりあえずは。
あそこまでボロボロになった元住宅の木材を、今回焚き付けに使ったところで誰に文句を言われることもないと思うのは傍観者ゆえのお気楽な観測でしょうか。それともただ単に見ないだけ?
もしかしたら、勝手に火を焚かれると火事の恐れもあるので危ない、と言われているのかも知れません。でも、もしそうならば、私なら「そこまで人を馬鹿にするな」と言ってるだろうなあ。「それ位できるわ」って。そこまで落ちぶれたつもりはないんですが。
人間は夜寝るのが普通になってしまいましたが、野生動物たちは夜に行動するといいます。これは1つには気温の低下する夜間にじっとしているのが却って体温低下を招いて危険、という事もあるのではと思うのです。で、昼間の気温が上昇している時に体を温める。見晴らしの利いている時の方が逃げやすいでしょうし。
これに倣って、気温の低下する夜間は篝火で体を温めつつ火の番をし、日中暖かくなってから体を休める、というサイクルだっていいじゃあないですか、と思うんですがね。
火が起こせれば、お湯だって作れます。煮炊きだって出来ます。お湯を使えば洗濯物だって汚れがよく落ちます。もちろん体の汚れだって落とせます。
なのに、テレビでは久しぶりに温かい食べ物を口にできた、とか。あれは食べ物がそもそも無かったのか、それともただ単に暖かいものを口にしてなかった、というだけの言葉なんでしょうか。もう少し工夫があってしかるべき、と思うのは不謹慎でしょうか。
ガソリンを給油してもらう為に長蛇の列を作っている映像を目にします。もちろん販売台数の多いミニバンをチラホラ見かけるんですが、もしかしたらあれを一人で使って行動してるんでしょうか?と、ふと思いました。そんな事無いですよね。もちろん乗り合わせて1台で行きますよね?貴重なガソリンでしょうから。被災地では特に。
もしくは、ああいう燃費の悪いクルマはガソリンタンクもでかいのが普通ですから、移動ガソリンタンクとして給油だけはしておいて、避難所に帰ってから、みんなで分け合うようにするとか。燃費のいいクルマに移し変えて、なるべく大事に使うようにするとか。
親族を探しに各避難所を回るガソリンが無い、といっている人もありました。でも、どうせなら各避難所を先ほど登場したミニバンとかで、みんなして乗り合わせて行くようにして、なるべくガソリンを使わずに済ます方法だってありますしね。自治体で乗り合わせの巡回車を出してみるとか?
ガソリンの使い方に文句をつけるつもりはありません。ただ、「少ない・足りない」のならば、節約の仕様だって考えてもいいのかなあ、と。個別にバラバラの行動をしていては、幾ら給油ルートが今後確保されていったとしても、常に足りないと言われるだろうなあ、と。
ちょっとそんなことを思ったわけです。実際、私も極力、単独の用事では動かないようにしています。もちろんガソリン価格が上がっているという事もありますけど、その分他地域への供給分にまわせられればいいかな、と。
よく避難所の場所として体育館が使われている光景が映ります。
もちろん、ある程度の広さがありますから大人数を収容しやすいと言うことはあるでしょう。でも、あそこで寝ることを考えると不思議なのが、天井の高いところは熱の拡散も早いですよね。という事は、寒い時は余計に寒くなりませんか?という事。
アルピニストの野口さんでしたか。「寝袋が欲しい」という、とある避難所の要請を受けて数百個の寝袋を被災地に届けたと言うニュースを見ましたが、おそらく他所の避難所だってそうだと思うんですよね。
だったら、何で救援物資を入れてあったダンボールでもってダンボールハウスを作らないのかなあ、と。床に体操用のマットを敷いたりするとかして。もちろん、ダンボールを何枚も重ねてマットの代わりにしてもいいんですけど。体育館の床にビニールシート敷いて、その上に毛布を敷いただけじゃあ、そりゃあ寒いでしょ。床暖房入っているわけじゃあないだろうから。そりゃあ寝れないよなあ。
4人程度(四畳半程度?)が入れるようなダンボールハウスを体育館内にきちんと並べて作ってあげればプライバシーだって多少は確保できるだろうし、体温だって逃げないようにできるし、何より、誰がどこに居ますっていうのがすぐに判りますよね。
でも何故かそういう光景を目にしないんですよね。
昔ならば誰でも持って実践していたいたであろう生活の智恵というのがあると思うんですがねえ。少しでも避難生活を快適にする為にああしました、こうしてます、というのがどうも感じられないというか。実際の所どうなんでしょうかね。
もちろんこれらは現地にいる訳ではないからこそ言えてる事でもあるでしょうけど、どうなんでしょう?
不謹慎な発言と自分自身も思うところはいっぱいあります。でも、どうもそういう話をあまり目にしないので、ちょっと書かせていただきました。不愉快に思われる方もあろうとは思います。その点は平に御容赦くださいませ。
Posted at 2011/03/28 17:02:10 | |
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