2011年10月04日
えー。ここに来て、次々と保険会社の保険料の改定が矢継ぎ早に行われようとしています。
関係者からすればそれは今に始まった事ではなく、既に2年ほど前から話題に上りつつ密かにジワジワと実行はされてきていました。
ありていに言ってしまえば、いち早く料率改定に動いたのは一番人件費の高いと言うか固定費イコール平均給料の高い東京海上です。次に三井住友。リーマンショック以降、会社の行き先が「どうする?」状態の長かった外資系のAIUもシェアはマイナーながらも料率引き上げには積極的で、いち早く高齢者割増を導入し収益改善を図った損害保険会社の一つです。
そこに加えて、先日新聞報道されたのが「前契約期間中に事故のあった場合は3年間「事故履歴アリのペナルティ割引率を適用する」というものです。つまり、無事故等級の割引率が今までは「前年の事故履歴の有無に関係なく一律」であったものを過去3年間の事故履歴により「事故履歴の有る割引率」と「事故履歴のない割引率」の2本立てとします、という内容です。
念のため注釈を加えますと、全社一斉にこれに切り替わるという訳ではありません。ゆくゆくはこういう体制に切り替わっていくのでしょうけど、何時この体制に踏み切るかは各社時期を見計らっている、というのが現状です。
先ほどの高齢者割増料率にしても今の所、全社一斉採用というわけではなく個別に見切り発車している所もある、というのが実情で、保険料引き上げによる営業成績への影響を固唾を呑んで見守っている、というのが実際のところです。どこも料率改定には及び腰で「おっかなびっくりしている」というところでしょう。
さて。これらの状況をかいつまんで自己流の解釈を加えると
20等級の人とはつまり最低でも13年間無事故(7等級からはじめたとしても)でないと到達できない領域です。この為、恩典の意味も含めて20等級の人たちが事故をして翌年の無事故割引等級が下がったとしても、ほとんど翌年の保険料には影響が無いような割引率が今までは設定されていました。
ところが。
近年「高齢者=最高割引等級保持者」に於ける事故件数が妙な感じで、おそらく二次関数的に増えてきて。
事故を起こして「保険金は払ってるんだけど、翌年の保険料の割増分で、その分の補填がまったく出来ず」、あまつさえ「更に翌年も事故を重ねる」なんていう事態も少なからずあったりして。
以前あった「等級プロテクト特約」も、結局はこういう経緯(保険金支払い分を翌年の保険料割増分で回収できない)で消滅してしまった(現在は新規契約があっても謝絶される、という状態)ワケですし。なんだか変な方向に転がっていかなければいいのですが。
これは想像になってしまうんですが、得てしてこういう人たちって。
事故の発生状況からすると100:0でこちらは無過失なんだけど、普通に考えたら「どう見ても危ない運転をしている人」っていう割合が非常に高い気がします。
いるんですよ。こういう妙に「当てられるばっかり」な人って。
普通に考えれば確率的にそうはある訳が無い筈ですから、
これは偶然の産物というよりも必然の産物に違いないと考える方が当然です。
高速道路で逆走なんかしている連中も然り。
普通に考えればハナから排除されるべき運転技量・感覚の人たちなんですが、何故かそういう人ほどゴールド免許保持者である事も珍しい事ではなくって、しかも性質の悪いことに「俺はゴールド」という根拠の全く無い自信なんか持っていたりなんかして。
それこそ以前書いた事のあるように「地雷の信管むき出しにして、全身に散りばめた人が路上をうろついている」状態というね。普通に考えれば当然排除すべき対象でしかないわけですが、何故か今の日本では「排除をしてはいけない」ことになっているようです。
もう、馬鹿にははっきりと「お前がこっちに来ると迷惑だから来るな」と引導を渡すべきなんでしょうけど、何故かそういう馬鹿を擁護する事が収入の道に直結する商売もあるようなんですね。差別と区別は全く違う謂いの筈なんですけど、そうした連中にとっては敢えて混同する方が都合のいいことが多いらしくって。
なんだか書く方も馬鹿馬鹿しくなってくるので、このことはこの辺で止めときましょうか。
高齢化社会は今に始まったことではありません。でも以前はここまで酷くはなかったと思うんです。という事は、危険領域に突入する人がここ数年で飛躍的に増えてきた、という事なんでしょうか?
団塊の世代なり、そのもう少々上の世代位からが飛躍的に劣化してきているという事なのか、ただ単に「世代毎の劣化している人の割合はほぼ一定数」という仮定が当たっているとすれば、人数の多い世代の人がそういう年齢に指しかかってきている、という時代なのか?
もっといえば、そういう年代の人たちに育てられた子の世代や孫の世代も危ないという事なのかなあ、と思うと空恐ろしくもなってきます。
なんだか真面目に保身という事を真剣に考えなければならない時代になって来たという事なんでしょうかねえ?
Posted at 2011/10/04 20:40:08 | |
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2011年10月02日
ここのところ忙しいです。もちろん「ありがとうございます」、という事でもあるのですが、それ以上に家に帰ると何にもする気になりません。困ったものです。頂いたコメントへのご返事も、ブログの更新もままなりません。そこまでの体力が残っていないので。
さて。そんな忙しい中でも色々とネタは潜んでいるものです。
以前ブルートゥースのハンズフリーについて書きました。
あの時はスマートフォンとのペアでの話でしたが、スマートフォンを止めて以前の携帯に戻してからも警察の取り締まりは相変わらずですので使ってます。ハンズフリー。
で、実際に使ってみてて思うんですが、ハンズフリーフォン。たしかに電話には触らず通話できているのはたしかなんですけど。
でも却って電話で通話しているよりも、より意識が聴覚に集中しているんじゃあないのかなあ、と思う事もあったりします。頻繁に使っている者からするとですね。
ハンズフリー器機を使うことで事故が減る、という具体的な実験数値が本当に存在するんでしょうかね?
結局、運転中の携帯での通話は、お巡りさん自身も回避できない重要な仕事になってしまっていて。で、結局のところ「電話を触っていなければヨシとする」という、非常に根拠の甘い所に軟着陸しているのでは?と思えてなりません。
ここしばらく、ひっきりなしに運転中に通話していて思う、ハンズフリーフォンの「こうなってくれたら良いな」的な理想像を夢想してみました。
早い話、電話を使った通話と比べてハンズフリーフォンが劣ると思われる点ということになるんですが。
ます第一に、誰からの着信なのかがハンズフリーだけだと判りません。これは意外に痛い点です。
今時では、デジタル方式の携帯が主流になってから以降、通話相手が誰だか事前に判っているのが当たり前になってしまいました。この為以前では当たり前の通話マナーであった冒頭の「○○です」と自分の名前を先ず告げるセオリーがほぼ崩壊しかかっています。
電話を取る前から相手がわかっている、という状態が当たり前になると「あらかじめどういう用件の電話か?」という先読みをしながら通話する事とか、あらかじめ「相手の情報がわかっている上で気持ちの事前準備を終えた状態で通話する」ということも可能です。
ところはハンズフリーでは「いきなり用件から入られる」事も珍しくないので「この人は誰だ?この声って誰だっけ?」という事で通話に集中せざるを得ないことも多く、逆に危険だなあ、と。
第二に、ブルートゥース器機が小さすぎるので、本当に相手に聞こえているのかが実感できないままの通話となること。却ってオーバーアクションな通話になりがちなので危険。
こんな事を感じるようになってきました。
近頃のナビゲーションでは音声操作のためのマイクが装備されている事も少なくありません。またトヨタのG-bookみたいな携帯電話とナビの連携操作を模索する機械もあるようです。もう少し、通話を意識しないで通話できるシステムを探さないといかんなあ、と最近は思っています。
もちろん、最強の方法は止まって通話する事なんですけどね。メモも取れるし。
Posted at 2011/10/02 18:27:08 | |
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