
現代世界的に言って昨日は、オリンピックが開幕し、これに関して、「走り」と関係するトピックも起きて(しまって)いるわけですが、
それら個々の話はひとまず置いておいて、
昨日に引き続き、
漫画『日本沈没』と、このブログと関係がある話。
「龍の卵(の破片)」。3巻152ページ以降。
「龍の卵」・・・地震などのきっかけで、ボコボコッと地面から球体で湧き出す。
球体の形を見せるのは一瞬だけで、斜面を転がるなどの衝撃で、「大量の石」にバラけてしまう。(詳しくは漫画を読めば分かりますが)
この「龍の卵の破片」は私も見たことがあります。
破片だけっ!!
長野ではないです。
笹子峠でもないです。
東京域の・・・、どこだったか?
ともかく、林道でした。
私の記憶が確かなら、鋸山林道だった気がして・・・。
時期は確実で、2007年でした。あの年の夏、東京の山間部はコブシ大の雹がしょっちゅう降って、とにかく荒れた年でした。
ああいう、球が砕けたような、尖った石ころの瓦礫。
そう、
色は白の部分と茶色の部分が混ざったような、そういうカンジの石ですよね。
ガラス質と鉄分が、多いのか???
でも、砂ではなくて、やはり岩石。
龍の卵に関する感想。
「なるほど。あの石は、ああやって湧き出してくるのか。
なるほど。アレは龍の卵って名前か!
発生過程が分かってスッキリ!(冗談交じり。この漫画は、どこまでがホントの説・伝承で、どこからが作者の妄想なのかが、ホント分かりにくい・・・汗)」
ちなみに、辰野記者のVitz(新型)は、全損~。(たぶん漫画の迫力確保のために)
ああ、重要なことを書くのを忘れていた。
この『日本沈没』も「D計画(Project D)」なんですね。
『頭文字D』の方は、
Drive,Drift,Dream・・・そのあたりだと思いますが、
『日本沈没』の方は、
●政府のD計画
A、B、C(以上が公開計画)、D(非公開にして、日本政府最後の計画)という序数的意味と、
「ディアスポラ」という意味の掛詞です。
● 郷六郎のD計画
意味は不明。とにかくD。「デンジャラス???」とか言っていたが結局起源不明。
ひょっとすると郷六郎氏が『頭文字D』の大ファンなのかも???
⇒これら「政府のD計画」と「民間D計画」の二つは、当初何の関係も連携も無かったが、巻が進むにつれて、必然的に融合してくることとなる。
うーむ。
D.
コレは原作小説にもあるのか?
それとも漫画オリジナルなのか・・・。
原作小説、読むかな。
今は時間がありませんなあ・・・汗。
それと、
漫画『日本沈没』の感想として、忘れずに記しておきたいこと。
「世界各国の奴隷となる」合意書(詳しい内容は13巻)に関して、
結果的には、施行に当たっては、「世界各国の集まった機関(国連)の奴隷兵となる」という条件に拡張解釈・実質上の修正が加えられているのだけれども、
「文言上(13巻初出時)」は、「各国の判断に委ねる」という、「各国の判断」が絶対化された、それこそ「世界各国(それぞれの国)の」「奴隷となる」という条件提示だった。
このストーリー上、「ある程度のハッピーエンド」を作るためには仕方なかったのでしょうが、
国際条約の性質は、手形・小切手の如く、その「文言性」が重視されるらしいので、こういう良心的な拡張解釈による変更は、残念ながら・・・汗。
とまあ、漫画『日本沈没』の話はコレぐらいにしましょう。
さて、
「平和の祭典」とされるオリンピックが開会した昨日までに、
甲州街道の話は、大垂水本線や笹子峠、上野原近辺、はたまた現代的に名古屋近辺などについて話してきた。本線で残すところは、塩尻峠くらいのものとなったが、
ここで、甲州街道の「深淵」について考えを進めたい。
しかしながらそれに当たっては、オリンピックは、
「平和の祭典」ではあるのだけれども、
「平和」
「peace」とは、
「power」を語源としていること、
なお現実論として、「peace≒power」であるという本質論を、
率直に見つめることの出来る頭脳の持ち主でなければ、
また、
「オリンピックとは擬似戦争である」という言い回しに対して、逐一クレームを付ける考えの方々は、以下の話を読むことは避けた方がいいかもしれない。
甲州街道は江戸を起点とする五街道(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道)の一つで、他の四街道に比べ当初は、道筋の整備がなされていなかったという。しかし約120年後、幕府の直轄地である甲府に甲州金の金座が置かれ、貨幣の鋳造が行われるようになると、街道は経済上、軍事上、重要な交通路となる。
この街道の道程は江戸日本橋から武蔵国(東京都)相模国(神奈川県)甲斐国(山梨県)信濃国(長野県)を通り、下諏訪で中山道に合流する44次、約56里(約219km)であった。
しかも、それだけではない。
甲州街道は江戸城に直結する唯一の街道であった。
これは将軍家に非常事態が起こった場合には、江戸を脱出するための要路と位置づけられていたといわれる。
こうした「脱出路」としての役割は、明治期になっても踏襲される。
明治期・・・、
言い換えれば殆んどすべてのアジア諸国が西欧列強の植民地となって独立を失っていた時期、
つまり、日本が、孤立するかの如くに、辛うじて独立を保っていた時期。
この時期の「甲州街道」の「位置づけ」を、一度でも考えたことがあるだろうか?
それは、「東京が陥落した際、皇室が脱出する道」という位置づけである。
明治期・・・、
それは殆んどすべてのアジア諸国が西欧列強の植民地となって独立を失っていた時期なのであるから、
「西欧列強諸国が攻めてきて、強大な軍事力によって東京を陥落される」
という「最悪のシナリオ」をも、
明治期の首脳部は常に考えていたということである。
それを裏付ける史料はテレビでいくらでも報道されている。
もちろん、「東京が陥落した際、皇室が脱出する道」というシナリオは、本気で考えていたわけではないだろう。
しかし本来、現在まで存在している、「あの種の」「軍事大国ども」と渡り合っていくには、そういう「覚悟の領域」を、
言い換えれば「孤独に耐える覚悟」を、
心のどこかに持っていなくはならないのではなかろうか。
だが、
ご存知の通り、皮肉にも、「最悪のシナリオ」は明治期ではなく、それより後の時代に現実味を帯びることとなってしまう。
しかもその時代は、航空機が急速に発達した時期であったため、こうした「シナリオ」は、相当、「自己満足」の世界に入っていってしまう性質のものとなっていたわけで・・・。
その辺の話に関しては、今の私には、冷静に考えることが、もはや不可能となってしまう。