
この記事は、
リスクマネジメントとスマートグリッドと水素社会
坂本龍一の「たかが電気」は
失言どころか「タヒんでよし、逝ってよし」級の馬鹿話です
キーボードやシンセサイザーをまずやめろ(苦笑)。
について書いています。
↑
実は^^; ワタシの感性では、坂本教授(笑)のことをあんまり憎めない件について^^;
↓この、去年末の週刊文春の記事、
↓小林よしのりもこの間の『脱原発論』で、チラっと取り上げてたんだけども、
↓坂本龍一(←原発反対だ!!の局面)のこと考えると、どうも、
↓これが浮かんできちゃってて・・・^^; あんまり憎めないんです^^;
↓
坂本:この九ヶ月間の国や東電の対応を考えると、頭に血が上ってひっくり返りそうになります。麗しき日本の国土を汚し、未来を担う子どもたちの健康を害しているものに対して、なぜ日本人はもっと怒らないのか、不思議なんです。皇室になにかあったらどうするんですか。これが幕末なら、僕は脱藩浪士になって、桜田門の変を起こしていましたよ。
坂本龍一氏×河野太郎氏 東京電力と放射能の「タブー」をすべて話そう 週刊文春2012/01/05・12号
さてさて、
さっき、
雷雨が凄くなって、瞬停が起こった。
ウチで主力として用いているテレビは、小型の、バッテリー内蔵型なので、家中真っ暗になっても、
テレビは点いたままで、何事もなく受信し続けてた(笑)。
一般的な感性の話としては、バッテリ―内蔵型設備の割合を増やして、
停電に強い社会づくりだ!! とかいう話になるんでしょうが・・・今日は、もっとブッ飛んだ話です。
少し、
浮かんだ妄想があるので、書きとめよう^^;
以下、妄想です。
201×年。
坂本龍一のコンサート。
坂本が、その音楽の方向性について、「トランス状態」を志してきたことは、有名だ。
いわゆる電子楽器類・音響設備を使いまくっていたことも確かだ。
そんな彼が、
「たかが電気」と発言してしまったことが、ある種の転機のキッカケとなったのだった。
↑この発言について、様々な方面から、凄まじい非難の声が寄せられた。
キーボードやシンセサイザーをまずやめろ!!
失言どころか「タヒんでよし、逝ってよし」級の馬鹿話だ!!
と・・・。
そういうワケで、
坂本の音楽活動、
特にコンサートでは 節電 が不可避なものとなったのだった。
丁度、彼は 電気自動車・日産リーフのイメージキャラクターを務めてもいた。
そういうワケだから、
リーフをズラリと並べて、
節電モードでコンサート!!
今、電力会社から電気を送ってもらっていない状態でコンサートしてますッ!!
とかいう状態が続いた。
いや、 今、電力会社から送電受けてないだけだから それ^^;
とか、
もはや、音楽コンサートなのか、自動車の宣伝会なのか、ワケわからんw
とか、
坂本モーターショー(笑)であるとか、
「
たかが電気。
されど電気www」とか、もう、多方面から
嘲笑を受ける始末だった。
とにかく、コンサートの電源には不自由するハメになったのだった。
いつも、
バッテリーがキレて、停電。
暗闇になってコンサート終了――――
という状態であった。
だが・・・
その・・・停電して、暗闇になったそのとき―――
会場全体の人々の 脳波? の、
明らかな差異に―――――坂本は気づいた。
電気が切れて―――
通常ならばやってくるはずの―――
悲鳴、
あるいはざわめき、
光を求める逃避行動、
――――すべてが、消失して、
闇が――――
圧倒的な静寂と 無 に酷似した波動が――――
一体感 以上の何か に―――
会場全体が包み込まれていることに―――
自分自身もその一部分にすぎない存在になっている ことに
――――坂本は気づいたのだった。
つ ま り――― これが
トランス状態 だ――――
彼が、その音楽にずっと求めていた、
彼の音楽活動の帰結すべき状態に、
その本当の状態の入り口に、
ついに辿りついていたのだった―――――
では、
今度は その原因は何なのか―――
彼の探求が始まり――――
たどりついた重大な要因
それは
光
だった。
近代以降、ヒトを人たらしめ、
ヒトの身体を人体として境界を明確化せしめ、
静寂と無我の自然状態 から、 個々の存在「我」をハッキリと意識させるもの
それが―――― 光 であったのだ。
つまり、
音楽によって、脳の本能を掌る部分を活性化させ、
それがピークに達ったところで、
光を、消す。
それが、トランス状態の正体であり、正当なトランス状態の造り方だった。
この 光 を掌っていたのが、電気だったのだ――――。
たかが電気。
されど電気。
あのとき、
たかが電気 と言い放たなければ、
日産リーフが、蓄電池がなければ、
停電がなければ・・・
決して、
たどり着くことは出来なかった境地だった。
坂本の探求はなおも続いた。
では、どうすれば、
この ホンモノのトランス状態を、
容易、
かつ確実に造りだせるのか――――。
その答えはすでに出ているようなものだった。
光 を掌っていたのが、電気だった―――― のだから――――。
2012年06月22日
いつの間にか、あれ、周りにいる人達が変わってる?
とか、
思い出しながら書いてます^^;
↓
↓
最初から、
電気なしで、
音楽によって、脳の本能を掌る領域を活性化させる。
それが、正統なトランス状態への早道だ。
特に、
リズムを口ずさむことによる振動は不可欠だ。
そして、光を消す。
何とも単純なことだったが、
辿りつく境地 というのはそんなもんだ。
その境地に辿りついたとき、
坂本のコンサート会場からは多くのモノが消えていた。
「坂本モーターショー(笑)」とまで揶揄された、ズラリと並んだリーフばかりではない。
電気そのものが排除され、
楽器の多くも消えていた。
ズラリと並んだ
リーフに代わって、
ビートボックス軍団がリズムを奏でていた。
坂本自身の音楽性は幅広く、クラシック音楽が根幹にあるものの、民俗音楽、現代音楽にも造詣が深く、ヘヴィメタルとカントリー音楽以外はすべて演奏分野の範疇にある。
当然、ビートボックスについてもその演奏の範疇である。
坂本自身は、
「60の手習い(笑)」などと自称していたが、
そのときの、
世界No.1 ビートボックス奏者・AFRA
を真っ青にさせるほどのテクニックを、自ら披露するようになった。
ファイヤーダンスや、
高橋レーシングなどによる
火だるまパフォーマンス(今日のタイトル画像)を用いた、
非電力(←
炎)
による過激な照明、
脳髄に染み渡る
ビートボックスの波動、
それに同化していく観客、
坂本自身、
そして、
最後に訪れる、闇と無音、
トランス状態 御礼。
天災(←才)ミュージシャン、坂本龍一が至った一つのカタチであった。
とはいえ、世の中、皮肉なもので・・・、
作り上げた作品の印象・メッセージが、
作者の思う通りに伝わるとは限らない。
坂本の造り上げたコンサートスタイルについての、おおかたの評価は、
↓こういうものだった。
結局、人間が活動するには、
放射能ばら撒くか、
CO2ばら撒くか、
そのどっちかである
ってコトが、よ――――くわかりました^^;
と―――――。
しかしここまでくると、
天災(←才)ミュージシャン、坂本龍一にとっては、
そんな下馬評などどうでもよかった。
以下は、
■mackenmovさんを持ち上げますと
フリーエネルギーは沢水みたいなもの(チョロチョロ)
とか思い出しながら書いています^^;
まして、
石に漱ぎ流れに枕す(※いしにすすぎ ながれにまくらす)
※負け惜しみが強く、屁理屈をつけて、自分の間違いを正当化するたとえ。
晋の孫楚が「石に枕し流れに漱ぐ」と言うべきところをうっかり「石に漱ぎ
流れに枕す」と言ってしまい、「石に漱ぐのは歯を磨いて丈夫にするため、
流れに枕するのは俗事を聞いた耳を洗うため」と言ってこじつけたという故
事による
るような必要もない。
理解できないヤツには、言わせておけ。
そういった境地にあった。
なぜなら、
坂本龍一は、
さらなる高みを目指して、突き進みつつあったからだ。
フリーエネルギーの、トランス状態への効用
を模索する日々が始まっていたのだった。
↑
画像は、フリーエネルギーで飛行する ベンジャミン・フルフォード氏。
以上、妄想でした。
Posted at 2012/09/19 02:26:00 | |
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