この記事は、
常時と非常時の行動規範と、第三者証明性(例えば校正)について書いています。
■コメント返答をしようと常々思っているのにまた余計なことが浮かんだ・・・
猛走峠のブログが既に暴言化の世界に入っていることは明らかだ。
何故なら
ホントにホントに「(人類)全体が危険になる事象」⇒水爆と隕石のみ。
その他は、「全体としては安全」とか言った時点で、
「それを言っちゃ―オシメエよ」のレヴェルのアフォな話になっているからだ。
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たしかに、
[実態・事実・真実]として、
大抵・・・如何なる事象が起きようとも、
「全体としては、安全」――――ということは、覆しようがない。
ところが、
「(人類)全体が危険になる事象」のみを「非常時」と定義すると、
「非常時」というもの
それ自体が存在しない・「非常時」と位置付けられている物事が、
すべて「非常時ではない」とかいう、 チャンチャラおかしいことになってしまう。
■いつを持って非常時であり、いつを持って常時と言うのは難しい。
「非常時」と考えると難しいのだが、
「常時に非ざるとき」「常時ではないとき」「常時の反対概念」と考えるとそれは簡単だ。
2013年現在、
常時は―――法律において―――
「全体としては、安全」――――などという考え方は、多くの何かの判断基盤には用いられていない。
たとえば工場の排気でも、そういった考え方は用いられおらず、
人体を損壊することがないレヴェル、
被害を出すことがないレヴェル以下に抑えた規制値が適用される。
それが、常時の状態。法律を守ることの出来ている状態。
ところが、福島第一原発事故もそうだが・・・
大規模環境汚染事故(事件)が起こった場合・・・というのは・・・
その「常時の状態」が破られるとき、
法律が――大規模に守れない状態・大規模に破られる状態となるとき―――
といってよいだろう。
そうなると、通常は―――
■「リスクを低減させる」
⇒介入・保護・回復策を執る
現代の法律の範囲内に戻るようにする
(非常事態から抜け出すための、防護策・回復策を実行する)
ということが模索される。
だが一方で、
■「全体としては、安全」――――
⇒別に^^; (特に何もしない。)
19世紀までの汚染垂れ流し、捨て放題、ばい煙出し放題の状態と同じになる。
↑こっちを取ることも アリ なのだ。
↑こういう「二択」があるのだ。本質的には。
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■武田先生と副島先生の場合、
常時と非常時の考え方をそれぞれ強調した。
■武田先生は、 常時・・・法律、常識、一般ルールに従うべきだ、そのレヴェル・・・1ミリシーベルト/年の枠内に押し戻す策を、ただちに執るべきだ!!と主張した。
■副島先生は、非常時・・・法にとらわれないで己のルールを適用すべきだ!!100ミリシーベルト/年までは、著しい悪影響は認められにくい!!と主張した。
そして、「1ミリシーベルトという(常時の)法律が人を殺している!!」と論陣を張った。
『原発事故・放射能ケンカ対談』をみれば明らかだが、
副島先生は、
いたるところで、
「庶民は身体を犠牲にして労働対価を得るしかない、という現実がある!」と説き、
たとえば、福岡のダム建設でも、必ず作業員が死ぬ。
福岡の都市部には、そういった家庭の未亡人がやっているスナックが、多数存在するのであり、
生命身体を犠牲にして労働対価を得るしかない庶民の現実を無視し、
1ミリシーベルト/年という、
全ての人の人体を護ろうとする常時の法律を主軸とすることを、著しく糾弾した。
庶民は、生命身体を犠牲にして労働対価を得るしかない、
それが現実なのだから、
1ミリシーベルト/年という、全ての人の人体を護ろうとする常時の法律の恩恵など、ろくに受けることは出来ていないのであり、
そんな空想的な法律を重視しようとする のだから、
そういうことを主張するヤツは 身勝手な 「お公家さん」 だ、と言い放った。
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■もちろん、
警戒区域なんか汚染管理区域で居住禁止指定がされ、
その為に政治のシステムが既に働いている、
居住禁止措置がされ、国際政治のシステムの介入によって、
デインジャー指定されているのだけれども、
それも、認めず・・・
「自分ならそこに住める!!」ということで、
「総理の、胸算用によって、住む家を追われた人々が大量に出た。
これは、平成の強制連行だ。
ただちに、家に戻すべきである」
という元も子もない話をした方々も現れた。
■まあ、↑それは国際的な制度もすべて除いて考えれば――――ごもっともで――――
「元も子もない話」ではあるのだけれども―――――
あの強烈な汚染区域に居住を継続したとしても――――
人がバタバタと死ぬことはない。
一部の個体が発症するだけで――――
全体としては安全。
それは、中国の強烈な大気汚染が――――如実に語っているところでもある―――
あの強烈な大気汚染の中に居住を継続したとしても――――
人がバタバタと死ぬことはない。
一部の個体が発症するだけで――――
全体としては安全。
あれは―――
最近は法律が厳しくなったとはいえ―――
全く遵守されずに―――
「全体としては安全」の論理で、ガンガン排出継続した結果でもある。
経済・・・本当の意味は無視するとして、
とにかく「経済」を上向かせるためだけならば、
すべて環境規制など無力化して、
「全体としては安全」の論理で、ガンガン排出継続すればよろしい。
その結果が―中国のあの大気汚染だが―――
それでも、「全体としては安全」なのであり――
壊滅する ことはないのだ。
だが―――現代の日本に生きる我々として厄介なのが―――
■「全体としては、安全」――――
⇒別に^^; (特に何もしない。)
19世紀までの汚染垂れ流し、捨て放題、ばい煙出し放題の状態と同じになる。
↑これで良いのか―――
↑良いワケないだろ―――
という問題が、あった。本質的には。
だが、福一の事故は、
幸運にも、そういうレヴェルまで逝ったエリア・状況は、かなり限定されたものとなった。
■非常時はある意味、自分の経験値に照らして、
法に違反しようが、無視しようが、
なんでもありな事がわかる。
それは、相当多くの人間に言えることだと思う。
えてして、非常の時とは、独自の世界観を
オリジナルルールとして当てはめるチャンスですが
そこに溺れれば、
良識やルール、更には
法遵守の意識やレヴェルまで、前々世紀の状態まで退化させることになりかねないと言うことです。
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■ともあれ、
日本滅亡がどうたらこうたら~~
マヤの暦がどうたらで人類滅亡ナンタラかんたらーとか
いうものの、世の中、現実は―――みんな思ってるほど面白くないよ―――ってことですね。
まあ・・・そういう意味で―――日本人のおかれた状況ってのは↓これモンです。
■例えば、
「無慈悲な攻撃を~~してやる!!」と毎日のように恐喝してくる
北朝鮮
ノドンは1993年の実験で実は太平洋に落下したのでは無いかとも言われており、技術的には1998年の実験でほぼ完成したと言えるのよ。
そのノドン・・・射程距離は1000~1300kmと言われ、日本全土はほぼ射程内。
つまりだ・・・・
半島北の国のミサイルはとっくの昔に日本を射程に収めている
■例えば、
中国。
そんなのさらに昔に、核武装+ICBM装備してらぁ。
■ちなみに、北朝鮮の将軍様が成功したから、
意地でも
韓国は対抗して 「日本用のミサイル」を作りますか。
中韓、北の全部が、
ナチスドイツみたいなミサイル
(V1,V2)を持つ時代が
近くやってくる
のですね。
状況としては、
「1999年7の月までに、
独裁者のご機嫌ひとつで、
恐怖の大王が、空から降ってくるという状態になる。
1999年7月以降は、
そういう状態の下で、生活をすることになる」
と。 ↑こういう意味では、ノストラダムス大先生のおっしゃったことは――――
日本人にとっちゃあ――――
な――――んにも 外れてない んですが―――(苦笑)。
つまんね――――(苦笑)
これまた―――現実ってのは―――とてもツマランもんでして―――。
これを~~ちょこば流に表現すると、
日本が終わりで時間切れだって
断言させたから、時間来たよー
ノストラダムスかマヤだか知らないけど
終わらないねー
祭典も何も起きないよー(棒)
ってことになるんでしょう。
おなじようなことを
しろにいさん が表現すると―――
誰の目にもハッキリ見えるような「何か」を期待していたのですが・・・そういう事は何も起こんないですね。(´・_・`)
世界を変えるには「正しい道徳教育」しかないのかなぁ?とか、最近思い始めました。
ま、宗教も貧富もバラバラな今、それも難しいですけどね。(´・ω・`)
ということになる・・・ワケで。
何だかんだで、
今日はマヤ暦一周の日
無事この日を迎えることができたことをお祝いしましょう(^o^)ノ
お祝いですね〜(^o^)ノ
というノリのmackenさんが、
一番、ストレスがたまらない、
上手な気の持ちよう であるカンジがするんですわ(笑)。
Posted at 2013/01/21 02:00:59 | |
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