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猛走峠のブログ一覧

2015年10月15日 イイね!

メモ:南雲忠一さんは 本当に無能だったか?:日米の情報、技術、戦略格差などの論考

この記事は、興味深いやりとりが書かれていたので、

南雲忠一さんは 本当に無能だったか?:日米の情報、技術、戦略格差などの論考
ユニーク視点による歴史同好会:ゆったり まったり 新基軸
をメモしています。



南雲忠一さんは 本当に無能だったか?:日米の情報、技術、戦略格差などの論考



とも

11/19 19:20
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先月、りんすさんとパトレイバーのことを話したとき、忠一さんの話になった。

また、batuさんのブログコメントで、空母の戦略の話(ヤマトだけど)がでていた。

南雲忠一さんは、定説は、切れ者から第一航空艦隊司令長官、開戦時の成功と詰めの甘さ、ミッドウェイでの鈍重さと判断ミス、第三艦隊長官としての少しの挽回。

映画で描かれるのは、愚かな装備転換と大好きな空母群の撃沈。(実は、これは、トラウマのように、ともの心に刺さった棘)

この点で、当時の米国の驚異的な技術力、組織としての諜報能力と暗号読解能力、対する日本の状況など、もっと大きな枠組みを見逃していないだろうか。

ひょっとすると、忠一さんは無能ではなく、与えられた状況の中で、最善のことを行ったのではないかとの疑念も。(結果は無残ですけど)

この点について、興味がおありでしたら、少し語りあってみませんか。

(まさかと思いますけど、 りんすさんは マラソンが終わってから ね。)

コメント (20件)
投稿順で見る







[ 1 ]

とも

11/19 20:58
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とりあえず忠一さんの略歴

南雲忠一(1887-1944)

生まれは米沢市。
旧米沢藩士・南雲周蔵の次男として生を受ける。

米沢中学より海軍兵学校へ(1941.11卒)
水雷術専攻、1920年(大正9) 海軍大学卒業

その後、いくつかの勤務を経て
巡洋艦 高尾、戦艦 山城などいくつかの艦長を歴任
(この頃の噂は確か切れ者だったのよね)

1935(昭和10) 将官に
第一水雷艦隊司令官
第八艦隊司令官
海軍水雷学校校長
第三戦隊司令官
海軍大学校校長

そして運命の時が近づく

第二次世界大戦開戦時は、第一航空司令長官
真珠湾攻撃、空襲を指揮
その後、ミッドウェイ海戦で惨敗
(胸が苦しい)

その後、第三艦隊司令官長官として南太平洋海戦に
中部太平洋方面司令長官時、サイパン島にて
米軍と抗戦 自決 (1944年7月8日 享年58才) 死後特進で大将に

「今や止まるも死、進むも死」 (サイパン島にて)

墓地は鎌倉の円覚寺

(『国史大事典』、『日本人名大辞典』などより とも 作成)
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batu



[ 2 ]

batu

11/19 22:44
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本当にともさんは、半端じゃなく凄いですね。時代を選ばない博識さに脱帽致します。

大東亜戦争におけるミッドウェー海戦の大敗北は、その後の地獄の入り口となる大戦の転換期となっているだけに戦犯扱いとなるのは致し方がない面もあります。

しかし、平和ボケ全盛の現代日本人が断罪することは許されないような気もしています。

何せレーダーも無い時代なので全くの手探りの状態で戦闘に突入するのですから、不安と恐怖との戦いでもあります。潜水艦にも注意しなければなりませんし。ミッドウェー海戦で潜水艦が活躍したのは日本軍の方でしたが。

よく小学生の時に大日本帝国海軍の艦艇のプラモデルを作りました。で、大人になって兄に連れられ模型の展示会に行って気付いたことがあります。(ちなみに今年の春の話です)

精密に作られた艦艇を見ると通信系の配線が張り巡らされているのです。そこまで復元するモデラーの凄さにも脱帽ですが・・・

気付いたことというのは、対空戦闘に突入すれば、対空砲火を撃ちまくる訳で、すると配線が切れまくるのではないか・・・・と思い至ったわけです。

そして調べてみれば案の定でした。レイテ沖海戦において栗田艦隊が謎の反転をしたのも状況が全く把握出来なかったことも影響したと云われています。通信不達説です。

災害時の日本の復旧作業の早さは海外でも有名ですが、勿論この時も素早く線を繋げたでしょうが、刻一刻と変化する戦況を把握出来なければ作戦遂行する上では致命的です。

また、爆弾から雷装へと変換したタイムロスを非難される南雲中将ですが、それ以前に情報軽視の日本の体制にこそ問題があったのではないかと思います。

アメリカは情報戦の重要性を認識しており、戦う前から戦術上の敗北を喫しているわけです。
. .

batu



[ 3 ]

batu

11/19 23:04
.

---つづき---

ミッドウェー海戦前、アメリカは日本の攻撃目標がどこか掴めないでいました。そして偽の情報を発信しました。ミッドウェー島の水道が壊れたというものです。

するとすぐさま南雲艦隊は○○の水道が壊れたという暗号を打電してしまい、○○はミッドウェー島のことだったか・・・という具合に帝国海軍の作戦目標を掴んだわけです。

戦術云々以前に日本の戦略に問題大アリという印象は拭えません。

しかし、爆装から雷装に換装しタイムロスした結果、爆弾、魚雷を搭載した艦載機が飛行甲板にひしめいている状態で攻撃を受けてしまいました。

この負け方が余りにも絶望的だったので、日本人としてはどうしてもifを考えてしまうのでしょう。歴史では禁句のifを・・・

もし、あの時、爆装のまま攻撃に出ていれば・・・と。

昭和によく日米合作の戦争映画が作られており、TVでも映画ミッドウェー海戦を放送していました。それを見る度に地団駄を踏む思いをしたものです。

話は逸れますが、ブログのコメントでも述べたミッドウェー海戦を見た感想をちょっと述べますネ。

この映画で敵機動部隊を発見した攻撃隊パイロットの姿が日米で対照的なのが大変気になったのです。

アメリカパイロットは「ヒャッホー」「ゲハハハハ」とハイテンションかつ下品なのに比べ、日本人パイロットは指を指して無言で突入して行きます。

その日本人パイロットの姿が格好良いと当時小学生の私は感じました。しかし、最近の邦画に出てくる(ドラマもアニメも)日本人の姿があのアメリカパイロットとだぶるのがとても残念です・・・
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とも



[ 4 ]

とも

11/19 23:43
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すごい。潜水艦の配線、対空放火で切れるんだ。なんて、バカな設計。
設計者、実戦考えてなかった訳ね。。 市場を考えない設計するから日本は負けるの。えっ 何の話って、、、、そりゃ。。。

せっかく米海軍護送空母群に対し戦果を上げた栗田艦隊。その後の独断専行、誤報におどらされたと言うよりも、情報が途切れていたことが根幹にあったかもしれないわけね。そう。

そそ(ゆかっちさん風)、米国は情報戦をかなり重視してたの。でも、出撃前にミッドウェイだとつかんでたというのは、batuさん説によると、確信がなかったということね。

うん、やっぱり忠一さんの責任にするのは酷かも。そう、とももね、映画を見るたびに、どうして、そのまま出撃しないのって、悶えてたの。だから日本は通産省の大型プロジェクトせっかく良いところまでやってたのに、インターネットに敗れたんだって、、、関係ないよね、いま。

そう、そのパイロット、品性疑うよね。でもそれも現実かも。アメリカの街、実際、いるもん。そんな人。とももニューヨークでひどい目にあった(白タクの話ね)。でも、そんなタイプの方、日本人でもよくお見かけすると言えば、見かけますよね。残念なことに。というより、そっちが普通なんでしょうね。それをベースに考える米国はシステムを重視し、そうでない日本人は理想を設定し、痛い目に遭うと。。。

あっ 今回、意見と言うより。感想になっちゃった。でも、面白かった o(^-^)o

ありがとう! 別の説、つかんだら、また書きますね。根拠が不明なネット情報だったらあるんだけど。でも、本気で調べようと思ったら防衛庁の資料室に潜入しないと厳しいかも。。。スパイ容疑で逮捕。きゃー。。。
. .

batu



[ 5 ]

batu

11/20 00:23
.

すみません、配線の説明が足りませんでした。潜水艦ではなく、駆逐艦や戦艦等の艦艇に張り巡らされたアンテナ線です。

潜水艦には対空砲火はありません。潜って隠れるのが基本ですから。

こういうネタは軍事機密ものが多いので、本当のことは確かに分かり辛いです・・・また、戦後余りにも当時の軍人たちの言論封殺を我が国はし過ぎました。まだ戦艦大和の乗組員が数名存命であるので、大事な証言をもっと取り上げて欲しいですネ。

ちなみに最近また書籍名を忘れちゃいましたが、なでしこジャパンの澤穂希のほまれは誉エンジンが由来であるという記事を読みました。

記事も関係者から聴いたことなので、真偽の程は確証を得ていないとの断りがありましたが、大変興味深い内容でした。

誉エンジンとは日本最優秀機として名高い陸軍四式戦闘機「疾風」のエンジンです。

完全に南雲ネタからそれちゃいましたが・・・続けちゃいます(こうなったら勢いで)

疾風は戦時中は624㎞の最高速度を誇りましたが(日本最速)、戦後アメリカがきちんと整備し、質の良い燃料を入れると687㎞の速度を叩き出しアメリカに衝撃を与えたという傑作機です。

この「ほまれ」がドイツワールドカップでドイツ、アメリカ相手に大暴れしたという記事は、澤選手を疾風に、ドイツ、アメリカの選手を同国の新鋭戦闘機に見立てているのが面白かったです。

完全に趣旨から逸脱して申し訳ありません・・・
. .

とも



[ 6 ]

とも

11/20 05:01
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とものバカ。そう。おかしいと思ってはいたの。実戦を知らない設計者って批判が、とも自身に降りかかっちゃった。恥ずかし。。。 穴があったら、、、、(//・_・//)

でね、とも自身にとっては、これは大きな意味でこのネタなの。つまり、問題意識で「米国の脅威の技術力」、日本との比較ってあげたけど。感心としては、日本の戦闘機およびそのエンジンなどの作り方と、米国での作り方の差異。これに関しては全く手元資料がないので、推測ベースかつ根拠のない話になってしまうのだけれど。

う~ん、うまく説明できないけど。たとえばね、疾風の誉エンジンってすごいって言うでしょ。どこまで正しいか( http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/cl-pln/FR047.html)。でね、品質のばらつきとか、生産性とか、そんなのどうだったのかなって。たとえばそこのサイトで出てくる疾風って、すごくフォルム素敵でかっこいい。だけど、ボディはどう見ても、造船と同じように、職人が板金をコンコンって感じで作ってそうでしょ。機械じゃないよね。プレスとか。エンジン見えないし、見えてもきっと、どうつくったかわからないけど。素材は何だったのかしら。アルミなんてその当時使ってないよね。じゃ鋳物?木型つくって、砂固めて、鉄流す方法?まさか鉄を削りだしてつくったちしてないよね。

ごめんね。何言ってるかわからないよね。あのね、噂書くなっていってともが書いてごめんね。え~っと、日本は個別戦闘機はすごかったかもしれないけど、品質のばらつきと量産効果では米国に及ばなかったって聞いたことがあって。だから開戦当初、米国は戦闘機を多くなくしたけど、あっと言ういう間に本国でたくさんつくって巻き返したって。で、戦闘機の作り方が違うかったから、あっという間に作れたってのもあるって。

これに関して、何か、信頼の厚い資料とか、ないかしら。ちょっと根拠のないお話になっちゃってるけど。。。 あっまた (//・_・//)

ちょっと支離滅裂なともなのでした。。。
. .

とも



[ 7 ]

とも

11/20 08:58
.

batu さん! 誉のエンジンとかみれますよ! 疾風搭載じゃないけど。 datezoさんという方のブログの記事で http://ameblo.jp/datezou/entry-11028613892.html#main

河口湖自動車博物館飛行館( http://www.car-airmuseum.com/)で撮った写真ですって。 あっもうすぐ9時。ちょっと離れますね。
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とも



[ 8 ]

とも

11/20 09:03
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疾風エンジン 見つけた! さっきのdatezoさんの記事!


11622086466
. .

ゆき



[ 9 ]

ゆき

11/20 11:46
.

こんにちは。初コメです。私は理系ではありませんが、感じたまま述べます。外観上から、鋳造、そしてプレス(あるいは手での板金?)ですね。ひょっとすると鋳造ではなく、板を曲げて溶接を施したものかもしれないです。今度、知り合いの理系の方に確認しておきます。板金部分は絞り加工が施されています。どれぐらいの精度かによりますが案外難しいものです。どれぐらい標準化されていたのか、あるいはどれくらい人の勘・コツ・経験に依存していたのか、実際の製作方法ともに非常に興味深いので、少し工学の専門家の意見を聞いてまたコメントします。時間がかかるかもしれません。
. .

とも



[ 10 ]

とも

11/20 12:00
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初コメありがとう。そこが問題ですね。果たして「標準化」がどこまで進んでいたのか。フォード創立は1903年。フォードシステムのミソは「部品標準化」と「組み立てラインの効率化」。太平洋戦争は1941年12月28日。すなわち、米国では部品などの標準化の思想は一般化していたと考えても良さそうですね。問題はその当時の日本の状況、製造思想。ひょっとすると一品特注品で手作り良品の作り込みであれば、物量戦では敗北しますものね。そちら、とも、少し調べてみますね。
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batu



[ 11 ]

batu

11/20 16:16
.

凄い展開になってますネ。

「標準化」以前に製造方法も私は全く解からないので、それは他メンバーにお任せします。言いだしっぺなのにすいません・・・・

確かに大戦中はアメリカの工業力に歯が立たなかったということはよく聞きます。(アメリカは大量生産、日本は手作り)

しかし、規格まで突き詰めて考えたことが無かったもので・・・

艦船や航空機は総合力が要るとよく聞きますが、日本には総合力が足りなかったような印象を受けます。

零戦の20㎜機関銃は使い勝手が悪く、7.7㎜機銃を多用したというパイロットの証言もあります。プロペラも小さかったとか。

調べれば底なしに奥が深い分野だと思います。三菱重工や川重、富士重などで勤務してたら詳細が掴めるでしょうが、社外秘であることだけは確かでしょう(汗)

当時の資料を持っていることが知れたら国に取られちゃうらしいので。

そういえば、中国が盛んに三菱重工にハッキングしてましたが大丈夫なんでしょうかネ?
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とも



[ 12 ]

とも

11/20 16:55
.

面白いですね。できればその20mm機関銃と7.7mm機関銃の話、もう少しお聞かせ頂いてもいいですか。とっても興味深そうですので。根拠がなくてもかまいませんので。(‐^▽^‐)
. .

batu



[ 13 ]

batu

11/20 20:17
.

これについても浅い知識なので手短に述べます。

零戦には7.7㎜機銃×2(コクピット前)と20㎜機関砲×2(主翼)が装備されています。

アメリカは12.7㎜機銃を多数装備。

アメリカの航空機は日本機と違い防弾装備に優れている為、炸裂弾である20㎜機関砲を搭載しました。

しかし、パイロットからは「ションベンカーヴ」とあだ名される位、初速が遅く、当てるのが困難な代物だったらしいです。しかも搭載出来る弾数も少なく無駄撃ち厳禁です。弾道も悪かったんじゃないかと・・・

なので、零戦の撃墜王の坂井三郎は7.7㎜機銃を多用したと著書に書いてあった記憶があります。

7.7㎜は弾道が良く、命中率が極めて高い機銃でしたが、余りに非力なので、パイロットを狙撃するかエンジンに当てないと敵機を落とせなかった為、坂井氏の様なベテランじゃないと戦果が挙がらなかったでしょう。

逆にアメリカ機の12.7㎜×6(主翼)は防弾装備の貧弱な日本機に極めて有効だったようです。弾道も良かったと思います。

零戦の20㎜機関砲ですが、ライセンス生産だったと思います。
. .

とも



[ 14 ]

とも

11/20 21:18
.

いえいえ、batuさん、とっても面白いですぅ。

あたってるかどうかわかりませんが、口径が大きいほど、単位面積あたりの圧力が分散するので、同じ火薬の量なら明らかに口径の小さい方が初速が速そうです。ただ口径が大きいと、弾の持てるエネルギーを大きくできる利点もありますよね (簡単な F=maでも力は質量に比例しますものね)。

薄い装甲、口径だけ大きくてノーコン機銃と、コントロールがよくても弾のかるい機銃。なんてアンバランス。

繊細な体を持った方が、扱えない大きな武器を振り回すか、あるいは小さなナイフでちくちく刺すかってイメージ。それに対して、効率的な米飛行機。

どこか、技術がよくても、全体としてバランスが悪く、韓国製品に後れをとってしまっている現在の日本AV・家電につながるものを感じます。なぜこうなるのかしらね。
. .

とも



[ 15 ]

とも

11/21 12:53
.

うふふふふふ。

無駄遣いしちゃった♪

『空の技術』、『三菱航空エンジン史』、『軍用機開発物語』、
『疾風』、『強風、紫電、紫電改』、『彗星』

来るのが楽しみ♪
. .

ゆき



[ 16 ]

ゆき

11/21 14:55
.

ともさんこんにちは。仕事中だよね。ちょっとボクはコーヒーブレイク中。その本、いくつか持ってる。先取りして済まないが、『三菱エンジン史』は興味深いけれど、製造に関しての手がかりはあまりない。『軍用機開発物語』は興味深いもののやはり製造についてはあまり触れられていない。ただ後者は製造現場の写真が載っている。見たところやはり主要な部分は手作りでつくられたように見受けられる。機会があれば、トヨタ自動車博物館に行ってみると良い。初期の自動車の作り方がよく理解できる。また、行ったことはないが、三菱小牧南工場に行けばひょっとすると面白い発見があるかもしれない。各飛行機の本は文林堂の世界の傑作機シリーズのことだと思う。ともさんがどれだけ楽しめるかわからないが、ボクは読んで楽しい。体系的にまとめられてはいないが、文脈を拾っていけば、いくつかの事実がわかる。なにより写真が楽しい。期待していいと思う。
. .

ゆき



[ 17 ]

ゆき

11/21 15:36
.

続きがあった。買った覚えはないのだが積ん読の中に『空の技術』を見つけた。ざっと斜め読みしたが、こちらには製造の記述が少し見られる。ただ、スキンパネルをどのようにして加工したかは記されていない。しかし記述から推測するに、これは現在の自動車製造とは全く別と考えてはどうだろうという気がする。つまり、鉄板の形で存在する薄板を、骨組みにリベット打ちするという方法だ。さっき示した本の写真でも骨組みのしっかりした骨格が見える。つまりそこにリベット打ちする方法ではないか。そうすると少なくともスキンパネルは機械プレスではない。なお、参考までに、16歳の女学生もたくさん動員されていたようだよ。彼女らはハンマー、タガネ、万力、スパナ、エアハンマー、ドリルを用いてと書いてある。やはり骨格へのリベット打ちのようだ。ただこれはアセンブリの部分で、各構成部品がどのように製造されたかまでは記述されていない。本当はそこが重要なのだが。ところで、さっきのシリーズでは欧米の飛行機も取り上げられている。ともさんの興味で言えば、日本だけでなく、そちらも買ってみてはどうだろう。もちろん予算によるが。ちょっと休憩が長くなった。それではまた。
. .

とも



[ 18 ]

とも

11/21 17:43
.

そ そそそそ、そう、、、、、?

ホント?

とも 買っちゃうよ、

ムスタングとか、あ~ A,B,CとD以降にわかれてるょ。

なにこれ。で、、メッサーシュミットとか、あと雷電もある!

これも、、、、 え~5000円!?

ホントにいいの? 信じるょ

必殺 購入ボタン押し~! えい!
. .

ゆき



[ 19 ]

ゆき

11/23 21:11
.

ちょっと気になって文献をいくつか調べたが、どうも新技術の導入で日米の姿勢に差があったようだね。ボクが面白いと思ったのはレーダー。レーダーの差の議論はよくされているようだが、ボクが面白いと感じたのは技術導入の姿勢だよ。米国ではその新技術を未完成でも導入し、日本は導入しなかった。日本は古来の夜襲・鎗戦法から抜け出せなかったようだね。一方、米国は未完成でもレーダーを導入した。真珠湾でも配備されていたようだが、性能が悪い上、担当も訓練不足。マシンエラーとヒューマンエラーが重なったわけだ。しかし米国らしいところは失敗からの学びかな。そもそも日本のレーダー開発自体はべつに遅かったわけではない。1925年には海軍技研に担当部署ができていたようだよ。しかも世界最先端のドイツ教授からの指導も受けていたようだよ。だから技術開発で負けたと言うより、やはり新技術導入姿勢の差かなと思う。現在日本が劣勢に立たされてるのも似た構造が見えるね。興味深い。
. .


とも




[ 20 ]

とも

11/24 08:52
.

そう、、。

民族の持つ特性って不思議。

結局人は、変わらない、変われないのかしらね。





Posted at 2015/11/18 07:07:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 護文庫 | 日記
2013年05月05日 イイね!

某雑誌に対する不満など(苦笑)。

某雑誌に対する不満など(苦笑)。この記事は、
過去の記事、

2012年08月06日
山さんw、すんません。私は、あなたが示した ハードルの越え方 を、見落としていた。
の繰り返しみたいなモンで、
「こどもの日」 にピッタリな話。


久々本音w

すっげーおかしいだろって感じてんのは、
足元に転がっている物への対処をないがしろに、「いろいろ行動して頑張ってる」みたいな事いう奴は正直理解できん。
飛ぶときは飛ぶ、でもそれはまだ起こっていないこと。
目の前に転がっている脅威の排除が最優先じゃないの?って思うんだよね。
子供の将来のためにとか言って、
何万もいる
 デモ集団の中に小さい子供を連れて行く(≒全員集合!?)とか、もし機動隊とかと衝突になったらどうすんよって思ったもんね。

子供のことが大事なら、
そんな危険が伴う場所に連れて行くんじゃなくて、
まず子供が遊ぶ場所にある危険を排除することが先じゃねーかって思うんだけどなぁ。(by山さんw)






改めて、おっしゃる通り。

いざ、
「原子力事故が起きた」とする、
大規模な汚染(危険)が発生したとする。

「危険な物質」が身近に、こどもの近くに来たとする。

すると、

如何にして、

いかに早く、
その「危険な物質」を除去し、
「安全状態」を確保するか、

ということが大切なのだが、


そういった活動が、

リスクマネジメントであり、

国防であり、

「こどもの日」っぽく言うなら、

「こどもを護る活動」なのだけれども、



どうやら、これまでのところ、

そういった「防護活動」といった視点・アクションは強調されず、

脱原発!
脱原発!!

で、
脱原発は、既に、ほぼ達成されましたよ(苦笑)。

ええ。

現に、脱原発@日本は、ほぼ達成された状態ですよ。ええ。


脱原発は、ほぼ、達成されたのだけれども、

脱原発!
脱原発!!

それだけ。


で、
実はね、
「使用済み燃料プール」なんてモンがあってね^^;

そのプールの底が抜けるとね、
やっぱり最悪の原子力事故が――^^;

とかいう話は、

もう、どっかへ逝っちゃいました^^;

もうね、
みーーーーんな知ってることなんだけれども、
どっかへ逝っちゃいました。


「使用済み燃料プール」は相変わらず、曝け出しになってましてね、

ええ。

「脱原発」はだいたい達成されましたよ、ええ。

でも、

「危険原因」は改善をみない、という状態ですよ。ええ。


ええ。

現に、脱原発@日本は、ほぼ達成された状態ですよ。ええ。

達成された状態ですよ。ええ。

既に、脱原発してますよ。ええ。

だけれども、

その関連で言われることは、

脱原発!

脱原発!!

脱原発しなければならない!!!!!



だから、それは、してますよね、と―――。





で、

既に、

脱原発しているのだから、

次は、



いざ、
「原子力事故が起きた」とする、
大規模な汚染(危険)が発生したとする。

「危険な物質」が身近に、こどもの近くに来たとする。

すると、

如何にして、

いかに早く、
その「危険な物質」を除去し、
「安全状態」を確保するか、


緊急事態に、如何にして子供を護るか、

というリスクマネジメント政策へと踏み込まなくてはならない。


が・・・


リスクマネジメントだの、

国防だの、

「こどもを護る活動」だの、というのは、



まーーーったく強調されることはない。



ま、

ときどき、

「こどもを守れ!」という、ひとことだけが発せられるくらい、ですか。

その内容については、相変わらず、謎。







リスクマネジメントだの、

国防だの、

と言っている、とある雑誌も、

この件については、

「脱原発デモだよ、全員集合!」

それだけ(泣笑)。








リスクマネジメントだの、

国防だの、

「児童防護体制」だのについては、

未だ、見せてもらっていない。

若干、
期待してたんだけど、
それは、ワタシがバカだったのだろう。


もうね、

「あー、

ウチは、小学館ですから―




リスクマネジメントだの、

国防だの、

「児童防護体制」だのについては、


実定法や、法制度とか、
ガバナンス論の、
かなり高度な研究・問題提起の部類に入るので―

そういうのは―

有斐閣さんや、
岩波書店さん、
あるいは、ダイヤモンド社さんとかのご専門になるモンで―

ウチは知りませーんw」

みたいな、ね。(↑これは、ワタシの妄想です。)


なんかね、

そーゆー態度に見えてくるんですわー

最近のSAPIOは、ね。



ああ、

なんか、小学館の雑誌を悪く書いてしまった(汗)。
Posted at 2013/05/05 02:55:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 護文庫 | 日記
2013年05月01日 イイね!

「護文庫」

これは、「護文庫(GOBUNKO)」と呼ばれる施設に関する物語?である。



「護文庫」の発生・起源は、
2011年以降、
いわゆる、「東日本大震災」以降の日本において、
であるといわれている。

東日本大震災後の、
改正建築基準法などにより、
いわゆる、「核シェルター」と呼ばれていた装備の設置も増えた。


ただ、
これは、
弾道ミサイルなど爆撃からの防護以外にも、
隕石、
竜巻、
原子力事故、
地震、
津波、など、
あらゆる災厄から人間を防護すること、
あらゆる災厄と戦い、復活作戦を展開する拠点となること を想定して造られた。

こうした施設の構築においては、
危険因子の間口を限定しないこと、がポイントなのであり、

脅威の対象を、
「核ミサイルによる爆撃」と、限定した場合、
立地場所の標高が、海抜0メートル以下となってしまうものが発生し、
津波の襲来を受けることになれば、
水没・全滅、という事態を免れることができない。


また、
脅威の対象を、
「原子力事故による核物質からの身体防護」と限定した場合、
往々にして、「吊天井構造」が採用されてしまうことが多くなり、
地震、
あるいは、「(核)ミサイルによる爆撃」を受けることになれば、
吊天井の崩落、多数の死傷、という事態を免れることができない。



すなわち、
危険因子・脅威想定の間口を限定した場合、
当該設備の堪攻能力は限定される。

例えば、
危険因子・脅威想定を、
「(核)ミサイルによる爆撃」に限定した場合、
当該設備の堪攻能力は、
「津波による天災」に対しては無力となり、

危険因子・脅威想定を、
「津波による天災」に限定した場合、
当該設備の堪攻能力は、
「(核)ミサイルによる爆撃」には無力となる。

これは、
リスクマネジメント活動の努力を無に帰する結果を生み出す、
「設計思想上の欠陥」であり、
例えば、
「故意による敵襲」にはひとたまりもない、という状況をつくりだすものである、として、

危険因子・脅威想定の限定は、
2020年代までには、
忌避される考え方となった。

ともあれ、「護文庫」と呼ばれる非常設備には、

危険因子・脅威想定の間口を広く採ることで、
当該非常設備が無力化・撃滅される因子を減らす、という設計思想が根底に存在している。


その点が、それより前の時代に構築されていた、
「核シェルター」とは明らかに異なるものであった。

シェルター相互が、物資を融通し合うことも念頭に入れて設計してあるのも特徴的で、
「核シェルター」とは、様相のかなり異なる施設様態となっている。

こういうことであったから、
「核シェルター」という限定的な名称で呼ばれるものではなく、
「護文庫(GOBUNKO)」と呼ばれた。

2050年代においては、
「シェルター」「核シェルター」といった名称は廃れて、
「GOBUNKO(護文庫)」という呼び方が一般的となった。
Posted at 2013/05/01 19:54:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 護文庫 | 日記

プロフィール

「omnes viae Romam ducunt」
何シテル?   09/26 04:50
今を、近未来を、速く!上手く!美しく!走りたい。どこの歴史上の、どこの伝説の誰よりも。 「数の世界」を愛する者のひとりとして、いつの日にか「私」が「最速」の象...
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