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猛走峠のブログ一覧

2010年03月31日 イイね!

「巣立ち」+対マーチ戦線死闘編(県道35号新雛鶴トンネル)

「巣立ち」+対マーチ戦線死闘編(県道35号新雛鶴トンネル)←県道35号「新雛鶴隧道(トンネル)神奈川県側」

「三月」というのは、「巣立ち」の季節といわれます。
「巣立ち」というのが、卒業の場面で、「自立・独立」という趣旨で使われることが多いと思います。

しかし、この「巣立ち」という語を、
今、
問いたい。
特に、
これが、「数量計算」の観点から、正確であるのか?
私は、問いたい。
鳥、特に渡り鳥は、主に越冬するために日本にやってきて巣をかける。
で、こうした鳥たちの生態を見る上で、
「巣」というのは、どれほど実態に相応しい単位なのか?

今の私の個人的見解としては、
おそらく、あまり適切な指標ではない、と。
特に渡り鳥の集団においては、
大空に舞い上がり、編隊飛行しているときこそが、
その「むれ」の姿であり、
そのときの数こそが、
鳥の生態と極めて近似した数値なのではないか、と。

これについて、「野鳥研究家」の方々のご意見を伺いたいところでもありますが、
私が察するに、
そういった方々の「数量把握観念」は、上記のようなもので間違いないようです。
トリたちが、池に着水すると、

まず、
(概数計測)
10羽を数え、それをモノサシとして用い、
20、30、・・・・だいだい100、
100をモノサシとして用い、200、300・・・、
あー、だいたい600羽の集団ね。
と概数把握してかかるのが、一般的なようです。

続いて、
(精密計測)
紅白歌合戦でお馴染み(笑)、カウンター計測の登場。
カチカチカチ・・・・・。

と、まあ、
「巣」というのは、彼らにとって、地上で生計をするための「便宜上の単位」であるらしいのですが、
我々ヒトの目線では、
「巣」がひときわ強く目に映るので、
(特に、人家の軒に巣を掛け、親がヒナに口移しで餌を与える、ツバメの巣)
「巣立ち」が、
「成人」「独立」「今までの集団から出てゆく(←完全なる誤解と思われる)」
と捉えられ、
かつ、
ヒトの目線でそう語られるのですが、
ツバメ類での「巣立ち」の正確な意味は、「編隊飛行が出来るようになる」とするのが、正確であるようです。

では、
「今までの集団から出てゆく」
「親もとや母校を離れて自主独立」という、
人間が使う意味の「巣立ち」という現象は、
ツバメのような鳥の世界では、
何時、
どのようにして起こるのか?
私は、
それを知りません。
少なくともそれは、「巣立ち」とは違う呼称である気がしますし、
たぶん、
その呼称は、
あるんだろうけれども、
どちらかといえば、
「恐ろしい響き」の属性の言葉である気がしています。

そう、
「人間が言う意味の巣立ち」は、トリたちはしていないことが多いのかもしれません。
また、
大東亜戦争期以前の「家制度」では、形式上、「巣立ち」は否定しているわけです。

この「甲州街道四十四次」のカテゴリーでは、
「クニ」「ムラ」「有事」という一定のパターンを以って、色々語ってきましたが、それらを踏まえた上で、
今、
言いたい。

現代、
人間たち、
特に我々日本人という集団には、
「人間が言う意味の巣立ち」が、
「集団として必要」である、と。
それが、どんなに「恐ろしい響き」の属性の言葉となろうと、
それが、必要でありましょう。


さて、
(以下は半ばフィクションです。)

甲州街道は、猿橋以東では、桂川の左岸(北側)に位置しているとみてよいだろう。
国道20号の現道も、旧甲州街道もそちら側だし、犬目宿もそちら側にあるから、近世以降は、桂川左岸のルートと見て間違いないだろう。
しかしながら甲州街道、実質上の甲州街道は日々変遷している。
大垂水本線よりも相模湖ルートの方が一般道として多く使われているということは、前に書いた。
だから、「近世より前は県道35号のルートに甲州街道があった」と言って誰が否定できようか?
また、
少しだけ見方を変えれば、甲州街道とは多数の「抜け道」「裏道」「副線」を持った道であるということができる。

実際、今でも、県道35号線は、
「甲州街道の抜け道」として知られている。
「三ヶ木へ行くには35号が早い」
道に慣れた人々はこう言う。

県道35号線は上野原で甲州街道本線から分岐し、桂川を対岸へと渡る。そして山間部の集落を結びながらカセイへと至る。

そんなわけだから、
だから、「近世より前は県道35号のルートに甲州街道があった」と言って誰が否定できようか?

「ともかく、アレ系のマーチには手こずっていた」。

マーチに乗って峠道に繰り出している人々は、本当に闘争心が強い。
こと、
デミオやヴィッツ、スイフト、コルトのようなコンパクトカーに対しては、
道を譲ろうとはしない。
パッシングをすると、右ウインカーを点滅。
「譲らないぞ」
と明確な意思表示。
マーチは猛烈に増速。

県道35号で、
軽快にかっ飛ぶマーチもまた、
例外ではなかった。

この時期、
とあるコルト乗りにとっては、
「対マーチ戦線・死闘編」ともいえる日々が続いていた。
相手のマーチは、
こちらより排気量が劣るのに、
軽量ボディが味方していた。
加速してゆくマーチの速さは、
時には、カーブへの突っ込み、旋回性能も半端ないクルマもあった。
こと先々週、
檜原村で遭遇した乗り手は、
物凄かった。
火を見るより明らかな敗北。
これ以上、マーチのファイターに対して、黒星を増やすことは、できない・・・。

だから先週、
車両チューンを進めた。
プラグを交換。熱価を
マフラーをトラスト製に交換し、
エアクリーナーもシグマスピード製のものに交換した。

これによって、吸排気の性能、つまり加速性能は劇的に上昇していた。
しかし、犠牲にしたものもあった。
どんなに、乱暴にアクセルを踏もうが、
16km/ℓはあった燃費が、10km/ℓ程度に、
歴然と低下していた。

そんなことはどうでもいい。
今晩遭遇したマーチもまた、
こちらに道を譲るつもりがない。
それどころか、
自らの速さを見せつけてさえいた。

だが、
上り区間。
コルトの一回り大きな排気量がモノを言い、
マーチを抜かさんばかりに迫りつつある。
向こうよりこちらの出力の方が明らかに上であることが、ありありとわかる。
そりゃそうだ。
もう、
このコルトは、「エコカー」ではなくなっているんだから。

しかし、カーブ連続区間が故、
あと、少し、
抜くには、届かない。

コイツ・・・、
絶対に、
抜かす!

この先、長いストレートになっているところが一箇所
(新)雛鶴トンネル。
トンネルはストレート。

そこで、
抜かす!!

対向車は、ない。
2台並んで、雛鶴トンネルに突入。

アクセルを目一杯踏み込む。
シグマスピードのエアクリーナーから、
口笛のような呼吸音を伴って空気が取り込まれ、
エンジンが咆哮する。
トラストマフラーからイジェクトされ、
トラストマフラー独特の排気音がトンネル全体に反響した瞬間、

コルトが、
一車身分、前に出る!

抜いた!!

マーチが失速。
コルトがトンネル中にエグゾ―ストを轟かせ、
ハザードを、一度だけ点滅。
Posted at 2010/05/04 06:05:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 甲州街道四十四次 | 日記
2010年03月30日 イイね!

東八道路・野川 ~野川ゼロヨンと『首都高速トライアル4』の一場面~

東八道路・野川 ~野川ゼロヨンと『首都高速トライアル4』の一場面~東八道路は「第二甲州街道」とも呼ばれており、
日野バイパスと同じく、
いずれはこちらが甲州街道現道・国道20号になるといわれている。

その東八道路に「野川」と呼ばれる区間がある。
ここで片側2斜線の東八道路は、窪む形で野川公園内を横切っている。
だが、フェンスがあり、道路上を3つの歩道橋が通っているので、道路に飛び出してしまうというような危険はない。

実は、
「私」が免許を取得したのも、このエリアで、「検定車」は「真っ白の三菱ランサー」であった。
東八道路で「真っ白の、三菱ランサー」といったら、かなり有名。それは、「検定車」だ。助手席には「警官」が乗っており、運転席の「受験者」に厳しいチェックの目を向けている。受験者は震えながら必死に技能試験を受けている。たいてい、後席には、首をすくめた、次の受験者たちが詰め込まれている。こう書けば、この「真っ白の三菱ランサー」がどこの車両であるのか、おわかりになるかと思います。
東八道路で「真っ白のランサー」を見かけたら、左車線を最優先通行させてあげましょうネ。
と、コレは、2000年代の、昼の世界。


以下は、夜の世界、しかも少しばかり昔の話。
東八道路は、野川公園内を横切っているけれども、フェンスがあり、道路上を3つの歩道橋が通っているので、道路に飛び出してしまうというような危険はない。
加えて、この区間は1000メートル超の比較的長いストレートとなっている。
それだからか・・・かつてここは「ゼロヨン」の名所だった。
今でこそ二車線に減少することとなったが、かつては、片側三車線ずつあった。
「野川ゼロヨン」
または
「府中ゼロヨン」と呼ばれ、夜になるとどこからともなく沢山の改造車がやってきてゼロヨンを開始した。
特に、上り・高井戸方面行きだと、次の交差点まで緩い上りカーブになっており、スローダウンにも最適だった。
そのため、二車線規制となった今でも、こちら側にはオービスが設けられている。


さて、
(以下は、完全にフィクションに関するお話です。)

平成2~3年頃の話であろうか。
「首都高バトル」全盛期をほんの少しだけ過ぎたあたりの話。

俺は負けるわけにはいかなかった。そしてすぐに俺の凄さを証明してやる必要性があった。
俺の年の離れた弟は小児性癌だ。医者からもう余命数ヶ月と宣告されている。弟は兄である俺が自慢で、あいつも、俺と同じくレーサーになる夢を持っている。
俺は弟の期待に応えるべく、無断で親父の車と、俺のシルビアを売却した。
そして買ったのが、赤いGT-Rだ。
弟がずっと気に入っているトミカと同じ、赤いGT-Rだ。

そういうことだから、今日は、某ゼロヨン会場に赴いた。
今日が、この赤いGT-Rのデビュー戦だ。
相手は、黒いスープラ。コイツは、この、某ゼロヨン会場無敗。
『Option』編集部の記者たちも、集まっている。
ここは東京で最も注目されているゼロヨンレースだ。
この、某ゼロヨン会場無敗の黒いスープラを負かせば、一気に、俺と、この赤いGT-Rの凄さが証明できるのだ!

ビデオ作品『首都高速トライアル4』(日活)より。

こうして、「赤いGT-R」はゼロヨンでスープラに勝利し、雑誌の紙面を飾り、弟の自慢の兄となる。
雑誌を見た父は、釘を刺す。
「そのへんにしておけ。それ以上、危ないところには、入るなよ」と。
しかし、日活映画がゼロヨンで終わる筈がない。
何しろこの映画のキャッチコピーは、「もう、俺を止める事はできない」。
だいたい、日活映画で走り屋といったら、必ず首都高バトルに突入するのが定型パターンなのです。
主人公は、「首都高のキング」の座を手に入れるべく、「首都高コースレコードの持ち主」に決闘を申し込む。
しかし、そのときレーサーとなっていた、その相手の対応は拍子抜けするものだった。
「俺はプロになりたい。だから首都高バトルは、もう、やらない」

断られた。
どうすればいい?

とはいえ、その「申し込み」は意外な効果をもたらした。
主人公のもとに、「願っても無い相手」がやってきたのだ。
白いRX-7(サバンナ、FC3S)。
パッシングして、引き止めると、中から乗り手が出てくる。
「赤いGT-Rだな」
「ああ」
「発進加速を競うだけのゼロヨンなんてぇ、子供騙しもいいトコだぜぇ」
FCのドライバー、やけに挑発する。続けた。
「オマエ、あの元・首都高最速の奴にバトルを申し込んだんだってな?」
「ああ。断られた」
「(ニヤリ)おじけづいた奴ぅ相手にしてても、しょーがねーだろぉ」
「今、首都高で一番速い奴は、誰だ?!」
「(ニヤリ。俺だ、といわんばかりの表情)」

こうして、
「赤いGT-R」対「白いRX-7(現役首都高ランナー)」の首都高バトルが始まった。
(このバトルの結末がどうなるかは、まあ、日活映画の性質上、見えてますが・・・。気になる方、詳しくは、何らかの方法で『首都高速トライアル4』をご覧下さい)
Posted at 2010/04/08 21:55:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 甲州街道四十四次 | 日記
2010年03月29日 イイね!

塩尻峠、「全てのドライバーが走り屋となる道」&登坂車線⇒下り最速伝説の虚偽性

塩尻峠、「全てのドライバーが走り屋となる道」&登坂車線⇒下り最速伝説の虚偽性このブログは、4月7日以降に書かれたものです。

本日語られる塩尻峠からは、諏訪湖と諏訪の街が見下ろせます。
絶景なので、機会があれば是非、行って、途中のお店に寄り道して、ゆっくりと景色を堪能したいところですが、今の私は、走ることで精一杯です。

それはそうと、諏訪といえば・・・「御柱」。
幸運にも、TV中継、観ました。
私が観たのは、二本目が、下るところ。
でも、
二本目の丸太、
何―――か、細め。
それだからか・・・、
斧でロープを、ブツっと切るも、丸太が、落ちない・・・。
たぶん、崖に突き出した根元側の太さ・重さが足りなかったからか、結局、最後のもう2~3押しは人力で。
で、
ずるずると滑り落ちる。
かなり安定して滑り落ちる。
御柱に最後まで跨っていれば、後々の時代まで「勇者」として語られるという。
ずるずる落ちる御柱。
ゆっくり、ずるずる。
ガクンと止まるっ。
「定位置」まで落ちきった。
少し細いからか?
相対的に、けっこう、大人しく落ちた。

先頭に跨っていたハチマキおじさんは???
いた!
VTRが繰返される。
んんん???
この人・・・、最後まで、跨ってる???
あの人って・・・「勇者???」

きっと、「勇者」なのです。
後世まで語り継がれるのです。
うーーーーーむ、でも、このVTRは、頂けないなぁーーーー。
落ちるところは、早送りに、すべきです。
「勇者様」のために。

いやいや、でもでも、
あの、「桁外れの度胸」は、それだけで、「勇者」です。
ええ。
文句ありません。
「流鏑馬(やぶさめ)とかは、技術が必要でカッコイイけど、
跨るのに必要なのは桁外れの度胸のみっしょー」
とか、
そーいう無礼なことを、
チラっとでも考えるのは、
私の先天的な血統が、後天的な東京の感性に、冒されているからに違いありません。

そうそう、
実は私の「血統」のうちのひとつは、この辺だったりする。
この辺の生まれの人って、何十体に一体かは、瞳が、青いんですよ。
ええ。
日本人なのに。
たぶん、東北地方の人が、グレーの目の方が結構多いのと、同じ。
でも、そういう系統の人は、要注意です。
白内障とかになりやすい。私の家の人は、そういう傾向です。
私の目の色は、薄茶で、一見すると、平均的な日本人です。
が、どーも、色が、薄い。
もうすぐ白内障に、なるのだろうか???


さて、

甲州街道について続きを語ってゆこう。
大垂水本線、
笹子峠、
と語ってきた。
笹子を過ぎて西へ行くと、
今まで釜無川に沿って緩やかな線形が続いていたが、立場川にかかる瀬沢大橋を渡った先に、立場川の河岸段丘を登るためのヘアピンカーブが現れる。その先は鬱蒼とした森と急な登り勾配が続き、しばらく進むと富士見町市街地に至る。今まで人里離れた少々物寂しい沿道風景であったため、しばしの活気を得ることが出来るが、富士見峠交差点を過ぎると再び鬱蒼とした木々が沿道を覆う富士見峠に差し掛かる。この峠は富士川水系と天竜川水系との分水嶺でもある。峠と言っても笹子峠、大垂水峠のように険しいものではないが、冬期は凍結に注意する必要がある。

そうすると次は、必然的に「塩尻峠」。
塩尻峠を越えて塩尻市に入りると岡谷側と比較して緩やかな下り坂が続き、塩尻IC前を通過したのち片側2車線道路となり、高出交差点で国道19号・国道153号に合流して終点となる。

だが、
甲州街道の話をここまで読んでくると、
もう、わかるだろう。
そう。
「峠」というものは、「なくなっていくもの」なのだ。
「線形改良」によって、
「ルート変更する」
「トンネルをブチ通す」などの方法によって、街道本線から外していくのである。
塩尻峠にも、そうした計画がある。
岡谷塩嶺病院付近に残る急カーブをバイパスする道路の計画が進められている。

とはいえ、
現状としては、「その中間」みたいな段階にある。
塩尻峠を越える道路は、勾配の比較的きつい岡谷側の整備が遅れていたが、近年改良工事により登坂車線が頂上まで整備されスムーズな通行が確保されるようになった。

つまり、
上りとなっている区間には、
登坂車線が、
塩尻側の登り、
岡谷側の登り、
の双方に整備されている。
このため、塩尻峠は、実にハイペースな流れとなっている。
登りに登坂車線が整備されていることで、
遅い車は、皆、左側の登坂車線へとよけてしまう。
その結果、
右側の走行車線には速い車ばかりが集まり、
100キロオーバーの速さで峠を駆け上ってゆく。

ひとことでいえば、
「ほぼすべてのドライバーが、走り屋になる峠」
といえる。

昔のイチコクならば、1300CCのNA車ごときは、登坂車線によけていなくては、
200キロオーバーのハイパワーターボにどつかれてしまうが、
塩尻峠は、そこまででは、ない。
しかし、
スカイラインやレガシィ、レクサスなど、登坂が得意な車両は、130キロ程度で登ってゆく。
また、下りのペースも早い。
トラックなどの編隊がなければ、
110~120くらいで駆け下りるのが、ごく普通である。
また、カーブの程度も、
注意深く振ってゆけば、
ノーマルの脚でもその程度の速度で下ることが可能なものとなっている。


ただ、
この峠のペース、構造で思い出さざるを得ないのが、
「下り最速伝説の虚偽性」。
平成元年くらい、
走り屋全盛期では、
登りを全力で攻めていることが多く、
下りも攻めるということは、
そもそも、
「マナー違反」
である、
とのご指摘。

しかも、
「下り最速伝説」でもてはやされる軽量車たちのブレーキの容量は、
「150キロくらいからの本気のブレーキングに対しては、2、3発で終わりだろう」、と。

これについて、
私自身が、実験した結果、
2、3発ではなく、
5、6発だという結果だったが、
結論としては、
「その通り」で、
「下り最速伝説」は、
「主に漫画の世界」、
走り屋全盛期よりも後になって、
文芸作品の影響を受けて興隆してきたものであろう、
というご指摘が正しいかもしれない、
という結論に至りました。

それと、
今思っている、
正直な反省・・・汗。

「そうそう。
塩尻峠とか、イチコク(国道1号箱根峠)とかみたいに、
登坂車線があって、
GT-Rとか、スープラとか、
バァーーーーッとフルパワーで、
タービンの音キュィィィィィィンって響かせて、
全っ力ぅで駆け上がれる場所が、
走り屋にとっての、峠!
アンタがメインテーマで扱ってる、
つづら折れだの、
ヘアピンだの、
なーんてのは、
ハイキングとかの道!
それは、普通の、ドライブ!
クルマの性能100%出してナンボの、走り屋の峠じゃ、ありませーーーーーん」

と、いうようなご指摘を、受けそうで、最近、何とも心苦しい。
Posted at 2010/04/15 21:52:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 甲州街道四十四次 | 日記
2010年03月28日 イイね!

ドリキン、中央高速に出没

ドリキン、中央高速に出没「意外なところ」で、「意外な人」が出てきたりもする。
まあ、明治期とか、そういう「創成期」とかなんて、そういうことが多いようですな。
まあ、平たく言うと・・・、
「その人のキャラクターイメージとは違う場所で、登場してくる」ことが、ある、って話。

具体的に言うと、「ドリキンだからって、ドリフト以外の話で出てこないとは限らない」ってこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B1%8B%E5%9C%AD%E5%B8%82



さて、

D1の起源は、
「(三峰神社)奉納ドリフト」とかほざいてた、バカな走り屋がいたなあ。
「奉納ドリフト」こそが、現在のD1の、真の意味での起源であるといってもよい」

・・・笑わせらぁ。

「君も、ドリフトをやっていたなら、落ち葉拾いはする気だった?」
「ええ、もちろん。自分が、ドリフト族なら、ドリフト族として、限界の美を求めるソリストになるために、オレは絶対にやってましたよ。落ち葉拾い。」

・・・一生やってやがれ。落ち葉拾い。
落ち葉拾いってーか、落ち葉掃きだろが。
クルマに竹箒積んで・・・道の横にせっせこ掃いて。
風が吹くとまた道路に出てくる。
別の場所に片付けない限りな。
一生やってやがれ。
「落ち葉拾い」


D1のきっかけは、「お台場で何かクルマをつかったイベントやろう」、って話を、
当時レーサーの土屋圭市らにもちかけたところ、ドリフトだって話になったっていうのに。
それを「D1の起源は奉納ドリフト」って、コイツはホントに勝手すぎる。


そんな勝手すぎる奴のことはさておくとして、
中央高速に関する情報でも、ドリキンの名を目にすることができる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B1%8B%E5%9C%AD%E5%B8%82
に拠ると、
ル・マン24時間レース出場の為の練習として、中央自動車道を夜間無灯火で走行していた事をフジテレビのジャンクスポーツに出演した鈴木亜久里に暴露されてしまった。鈴木の話によると、六本木へと土屋を誘った鈴木に対し、「今山梨だけどスグ着くから大丈夫」と、制限速度を遥かに超過する速度で走行していたと思われる受け答えをしていたと言う。
とのこと。

↑なるほど、元祖「ブラインドアタック」ってわけですな。


それと、ドリキンの情報において、稲田氏の名も登場する。

それに拠るとこうだ。
過去に峠アタックのビデオ(「ザ・峠」)を発売したが、後に暴走行為を煽るなどと問題になりビデオは発売禁止処分となり、JAFよりライセンスを剥奪されかけた。しかし、稲田大二郎等の弁護による取り成しによってライセンス剥奪は取り下げられている。この事を彼(ドリキン)は今も尚「稲田さんは恩人」として感謝している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B1%8B%E5%9C%AD%E5%B8%82
より。
2010年03月27日 イイね!

RR (伝ぇん説っぅの~♪←某CMソング)

RR (伝ぇん説っぅの~♪←某CMソング)最近、
アイミーブの人のみんカラに、興味があったり。
でも、四人だけ。

走り屋の人とか、いない・・・。
まあ、
それは、「i-MIEV sports」が出てきていないからだけれども・・・、

「峠」とか言ってる者として気になるのは、
機動特性とか、そういうのであります。
RRって、あんまり馴染みがないってゆーか・・・汗。



さて、



どこかの馬鹿な走り屋が、こんな馬鹿な話を書いていたな。




狂犬の如き加速。

トンネルに入って奴の速度は、増す一方。
奴は狂犬の如く走る。

オレンジ色をした、井荻トンネルの空間を、
瞬く間に費消し、
前方に白色の空間、井荻JCTが見えてくる。

あっという間もなく井荻JCTに差し掛かるが、
この狂犬の如き走りでは、
コイツは、
あのJCTを曲がることが出来ない。

やるだろう・・・、
こいつやるだろう。

構造的・本質的なコーナリング性能が、極度に上がる瞬間、
一瞬後にやってくるであろう、
その瞬間と、
こいつの姿勢変化に備えて、

俺は、こいつとの車間を少し拡大し、
すこしラインをずらす。

やはりその瞬間は、やってきた。
テールライトが強烈に輝く。
奴のリヤが僅かに持ち上がり、フロントは沈み込んだようだ。
狂犬の如く、奴が、R200のカーブに突っ込んだ、
その刹那、
奴の頭が急速に右方向を向いたことがわかった。
右前輪が見えるようになる。
カーボンセミメタルがローターを削る音。
ブレーキシステム全体に響き渡り、二つのトンネル全体にこだましているのがわかる。
ローターが、オレンジから白熱電球の色に変わるのが見える。
綺麗だ。
そして豪快なブレーキングだった。
俺の左足に勝るとも劣らないし、ひょっとすると、感覚神経は俺に勝っているかもしれない。


究極のブレーキングによる荷重移動で、奴の頭が急速に右方向を向いたのだ。
練馬トンネル方向へと入ってゆく。

プロフィール

「omnes viae Romam ducunt」
何シテル?   09/26 04:50
今を、近未来を、速く!上手く!美しく!走りたい。どこの歴史上の、どこの伝説の誰よりも。 「数の世界」を愛する者のひとりとして、いつの日にか「私」が「最速」の象...
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