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猛走峠のブログ一覧

2011年05月31日 イイね!

明けない夜はない!

明けない夜はない!この記事は、【御礼】いつもご覧いただいているみなさまへについて書いています。

そろそろ・・・何としても、補足・追加する必要性を感じているカテゴリーがある。
今年2011年の初っ端、
このブログの書き手は、そのカテゴリーで、あまりにも恐ろしい表現をしすぎているためだ。



「この後私は、失意の中、15時間以上睡眠継続したため、
1月1日の日の光を目にしていない。

この年、私に1月1日の陽は降り注がなかったのである。

・・・実際問題、この地球上に、「明けない夜」などない。
・・・しかし、人生の中には、稀に、「明けない夜」というものがあったりするのだ。

あの時の俺たちは、あの年一番の朝日を拝むことが出来なかったのだった。
そして、あの年、朝日を拝むことが出来なかったことについての根本的な原因は、
私たちに・・・何より私に、
「バックミラーを見渡す技能が無かったこと」だったのだ。
あの時、私は、来るべき旭日に向けて、前ばかりを見ていた。
後ろを全く見ていなかったのだった。

結果として、あの年の1月1日、
俺たちに夜明けは来なかった。
「新春初日の出暴走」は、確かに、「大失敗」したのだった」
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/21048962/


「環状論」のカテゴリーは、読み返すせば読み返すほど、自分自身がゾッとするような表現が多様されている。

全然笑えない話だが・・・、
例えば・・・、
↓コレで、

□ □ □ □

今、2011年5月31日現在、何を連想する?
ってな話で。

「5台中4台が破損」残った一台も1月中に廃車・結果として、「全滅」で、
「6台中4台が破損」でなかっただけ、
まだよかった。

縁起でもないことを書いてしまうのも、「職業病」の一種だと思ってどうかそれはお許し頂きたい。
しかし、これ↓だけはわかって頂きたい。

「このブログの書き手が、そういう縁起でもない表現をするから、大きな不幸がやってくる」のではなくて、
「何かの気配が近づいてくるから、単にそれを感じて、近い表現をするようになる」
というだけだ、ということを。


「・・・なるほど。
ようやく俺も、「峠族」の端くれに成れてきた、というわけか。
峠の中に、車がいるか、対向車なのか先行車なのか、
峠のどの辺に鹿などの動物がいるか、小動物なのか、群なのか、
そういうの、
だいたい、
勘でわかってくるようになってきた。
ようやく、少しはわかるようになってきた」
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/18551981/


つまり、↑これら↓は「職業病」だ。
「何かの気配が近づいてくるから、単にそれを感じて、近い表現をするようになる」



そんな書き手の話は置いておくとして、
「環状論」のカテゴリーの「主人公」は考えます。



では、
そんな21世紀を走り抜けて、(私は勿論、今いるほとんどの人は、生きていないだろうか)
22世紀になったら、どんなことが「正統化」の「根拠」となり得るか?
そういうことに思い至ったのは、それからずいぶん時間が経っていたが、
その「正統性」の「根拠」なるものが、
「前・始まり」と「後・終わり」とで「同じもの」である、ということにも気づいた。

○→●→○

https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/21086197/



何やら、妙な思考でありまして、
「考えれば考えるほど、思考が怪奇になっている」ようにも見えます。
もっと直情的な表現を使った方がいいかもしれない。



「なで肩の男は、どうしてもその後ろ姿にひ弱さが表れるという。
しかし、それでも私は、自分の後ろ姿がカッコいいと思われたい、と願った。
肩と、その線から印象付けられる後ろ姿がひ弱さを表してしまうというならば・・・、
それは腕を鍛えるしかないだろう。
肩形状は骨格の根本的な設計からくるのだから変更不可能である。
だったら腕っぷしを鍛える他なかろう。
特に、「腕前」を鍛える他なかろう・・・。


すべてが未熟すぎた。技能が足りな過ぎたのだ。
そして、相対的に新しかった4台は廃車。残った一台も1月中に廃車となった。
結果として、「全滅」だ。

それでもあいつらは、私に「ついてきたい」と言ってくれている。
こんな、なで肩の男である私の、後ろ姿が、他の奴にはないくらい良いのだと、
走る車両の後ろ姿が良いのだ、と

しかし現実問題として、「走る者」としての技能が・・・腕前が・・・皆無であったのだ。

誰よりも何よりも、私に、皆無だったのだ。
だからそれには、「なりたい自分たちの姿」「なりたい自分の姿」を現実のものとするには、「走りの技能」を・・・「走りの腕前」を磨くことが必要不可欠なものであることが明明白白であったのだった。

「走る者として」・・・それはつまり「走り屋」と呼ばれる者であることに他ならなかった。

私は「失格」のところからスタートした。
無論、「走り屋失格」だった。
それどころか、暴走族としてさえ、失格だった」
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/21062133/


あいつらには、
闘志・・・実のところ私以上に盛んな闘志を持ったあいつらには、
自信と尊厳を与えてやりたい。
何も恥ずかしがることなく、「俺たちは世界最強だ!」と言えるようにしてやりたい。
羞恥心を払拭するための(具体的)根拠を与えてやりたい。
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/16147327/


「そして、私の魂にも僅かな希望が出来るとするなら、そのとき何をするべきか?
答えは明白だった。

・・・それは、走り屋としての技能を磨かなければならない、ということだろう。
誰の? 私のだ」
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/21084738/


(↓この部分は「アイデアメモ」という形で作成されていた)

「走り屋」、特に「日本の、峠の走り屋」というのには、ある「特別な意味」が含まれていた。

ギャンブル界の中心地がラスベガスであるように、
ミュージカルの中心地がブロードウェイであるように、
金融界の要衝がウォールストリートであるように、
モード界の最高峰がパリコレであるように、
庭球大会の最高峰がウィンブルドンであるように・・・、

いや・・・それら以上のものかもしれない・・・、
世界における、クルマの走りの中心は、日本の「峠」であるという。
「私」は気づいたら「その場所」にいた。
「日本の走り屋」という「特別な称号で呼ばれる者」となっていた。

21世紀初頭の世界において、
「日本の峠の走り屋こそ世界一のHashiriyaである」、という話がまことしやかに言われていた。
「世界一の走り屋」・・・それはもはや「神聖視」されていた。

ある意味、「本物の神様」だ。

「全知全能の絶対神」という意味ではない。
それは・・・ギリシャ神話だの、日本の古代神話だのに出てくるような、
「神々の伝説」という意味において・・・「本物の神様」と言って何らの差支えもないのだ。

ただただ「天上天下唯我独尊」と叫び狂うことによっては達成されない。
あくまでも、具体的神技と、そうした具体的根拠を持った伝説によって、
他者が認める、
主として、後世の者達によって語られる「神々の伝説」に他ならない。

しかしそれは、
「世界一の走り屋になる」ということは・・・すなわち・・・、
神になろうとして・・・それでもそれは困難で・・・日々、思い悩み、魂の限り苦闘し、その苦悩が続く、
という、いつ明けるともしれない旭を目指して暗黒の道をさ迷うが如きものだ。
しかし、気づいたら「その場所」をさ迷っていた。
気づいた時には、「日本の走り屋」という「特別な称号で呼ばれる者」となっていた。

その始まりが「いつだったか」はハッキリとは記憶していない。

(ここで、「主人公」は、環状線においてクラウンを失い、チームも失って数か月後、
「多摩湖道」にやってきたことを思い出します)



缶コーヒーを飲み終わると、俺は叫んだ。
「オラー、環状あがっぞー!気合いれーッ!」
自分の心の中に。
自分の心の中だけで。
自分の心の中だけで叫んでいる点が、平成元年頃の大阪環状族との大きな違いであろう。
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/15266538/


そう。もっと厳しい言い方をするなら、
その背中を猛追するチーム員も、今はいない。


しかも、そこでは、
「確実なコントロールがもとめられるわけであり、
ここで行うことが「(神の目からみても)許容されている」のは、コントロールトレーニングだけであって、スピードトレーニングではない」
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/15267981/


そこから、「ゆっくりと走り出した」のでした。
いつ明けるともしれない旭を目指して暗黒の道をさ迷うが如き、長い長い、魂のツーリングへと。


明けない夜はない!

そう信じて。
それは、このブログの書き手もそう信じている、ということを記しておきます。
「環状論」のカテゴリーの続きがいつ再開するか、
は不明ですが、暫定的に、こう記しておきます。(2010年5月31日編集)
Posted at 2011/05/31 19:28:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環状論 | 日記
2011年05月31日 イイね!

邪馬台国物語。そして、炉(←あ、変換ミス汗)「路(みち)」。

この記事は、ひみこさまー!!(c)ハイキングウォーキングについて書いています。

ミツオカの新型オープンカー「卑弥呼」には、よく見ると旧型MINIの


キセノン



ヘッドライトが使われてたので、叫んでみた。



「キセノン」の語も妙に気になってしまう今日このご炉。

<続きは後日に追記します>
Posted at 2011/05/31 17:21:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 路(みち)(2011年5月) | 日記
2011年05月31日 イイね!

コンドラチェフ!!

この記事は、訳の分からない連鎖を断ち切るために【解決編】について書いています。

昨日付のブログに、伊勢神宮の「遷宮」の話をようやくアップしまして、
chocovanillaさんからコメント頂戴しました。
「日本の伝統って大事ですよね。スクラップビルド、何気に適度なスクラップビルドは
経済的な効果も抜群ですし」
これに対して、私は返答します。
「スクラップ&ビルド。ココに技術の進化もあるわけですからね。三菱車系のみんカラ用語では「エボ」でしょうか笑。
武田カリフは「福一原発の古さと事故の因果関係」を否定してますが(たしかに、直接的には否定されますが)、根本的なところでは、あると思います(日本が本気で原発のエボを繰り返していたら、それはおそらく原潜に近いものとなっていたのではないでしょうか)。
経済的な効果も・・・なんというか・・・(公的企業でかつ、大きな黒字を計上していた東電ともあろうものが、)福一原発を60年使うぞ!!って経営決定をしてる時点で・・・、こういうことだから、ずーーーーーーーっと長期不況が続いていたわけですね。やれやれ、今になってハッキリと見えてきた、という皮肉」
とか、少しオマヌケな返答をしました。

伊勢神宮とかいきなり言い出して・・・もう・・・だから私は抜けてるんだよ・・・。
20年・・・長期不況・・・エボ(リューション)・・・スクラップ&ビルド・・・。

がぁーーーーー!!!!!
何でココの話してて「伊勢神宮」まで話を持ってくワケ!!! 私ゃ!!!!汗。


とある政治経済テキストからの引用↓(経済学の理論)

景気循環の類型 ~景気循環の4つの学説~
① ジュグラーの波(主循環)[周期:約10年/要因:設備投資]
② キチンの波(短期循環)[周期:約40か月/要因:在庫投資]
③ コンドラチェフの波(長期循環)[周期:約50年/要因:技術革新]
④ クズネッツの波(建築循環)[周期:約20年/要因:住宅建設]
(a)米国の経済学者クズネッツが、約20年周期の経済循環説を主張。
(b)要因・・・住宅建設の更新、すなわち住宅の建て替え需要の変動によるもので、人口・鉄道建設・資本輸入・貨幣供給量の増加などと深い関係にあるとされる。

[参考]イノベーション(技術革新)
 米国の経済学者シュンペーター(1883~1950)は、主著『経済発展の理論』の中で、資本主義発展の推進力として、企業家のイノベーション(技術革新)に注目し、銀行家との協力により経済発展(非連続的で「創造的な破壊」)を可能にするとした。彼は、イノベーションを、新生産方式の導入、新市場の開拓、新供給源の獲得、新組織の形成など、商品の供給体制の変化を意味する包括的な概念として提示し、これを「生産要素の新結合」とした。


クズネッツの波、コレと「遷宮」の周期が同じ。20年。私ゃね、「日本の伝統文化」の業界の人じゃなくてですね、むしろ、米国の経済学とかの方に近い人ですワ。
それなのに、
20年・・・長期不況・・・エボ(リューション)・・・スクラップ&ビルド・・・、
とか聞いて、「あ!クズネッツ!」とか言わずに、いきなり「あ!伊勢神宮!!」とか言って・・・ヘンなトコが抜けてる人でございます。


ちなみに、「遷宮」の周期は、このようなものだそうです。

式年遷宮を行っている神社の例
鹽竈神社(宮城県塩竈市。20年毎。1704年以降は修理のみ)
伊勢神宮(三重県伊勢市。20年毎。690年~)… 神宮式年遷宮参照
神明神社(三重県志摩市。20年毎。1764年~)
豊受大神社(京都府福知山市。60年毎。平安時代~)
住吉大社(大阪市住吉区。30年毎。1810年以降は修理のみ)
出雲大社(島根県出雲市。60年毎)
かつては香取神宮・鹿島神宮・宇佐神宮・春日大社・諏訪大社(⇒御柱祭)などでも行われていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B7%E5%AE%AE#.E5.BC.8F.E5.B9.B4.E9.81.B7.E5.AE.AE.E3.82.92.E8.A1.8C.E3.81.A3.E3.81.A6.E3.81.84.E3.82.8B.E7.A5.9E.E7.A4.BE.E3.81.AE.E4.BE.8B

・・・と、このエントリーとトラバ元とは、
「隣に安全な原発を立てることは重要な事で
そこで作るノウハウを再蓄積し、
壊すノウハウも蓄積する必要があると思います」
の部分しか呼応してませんね 汗。
Posted at 2011/05/31 16:59:52 | コメント(1) | トラックバック(1) | 路(みち)(2011年5月) | 日記
2011年05月30日 イイね!

「遷宮」、evo。そして武田カリフが叫ぶも、政府動かず。危険厨O沢サンもやっぱり動かない。

この記事は、そういえばどうやって注水しているんだろう?について書いています。

かなりぶっ飛んだ話ですが、「伊勢神宮の遷宮」。
アレに思い至りましてね。
トラバ元の記事の写真とかみて、お話してたらですよ。

一義的には、
「古い原発を使い続けることは良いことか?悪いことか?」
⇒「悪いことですね。おそらく」という話です。

昔の原発を使い続けるということは、
「自分が入所したとき、この炉は既にありました。
ココに燃料棒をセットし続けることが自分の仕事です」
ということになりますからね。
こうなると、「過酷な緊急時」に出来ることも、どうしたって制約されますから。

なので、世代交代の時というのか、
どこかで、「自分が全て知っているカマ」が必要となるだろう、と思います。

そこで、思い至ったのが、伊勢神宮。
アレ、20年に一度でしたっけ? 新しく作り直すんですよね。
そのスパンで作り直していくことが、「世代交代・技術継承」の橋渡しに不可欠ってわけです。

あ、当たり前ですけど、「同じのをコピーしろ」とか言ってるわけじゃないですからね。
勿論、20年だかに1回くらい、大規模なエボリューションが必要なわけですよ。
そりゃ。現代技術ですからね。エボですよ。エボ笑。エボの精神(笑)。
みんカラ用語使って笑ってる場合じゃなくて、
逆に、「40年の寿命のものを60年に延長」とかは、完っっっっ全んんんんんに、エボリューションは勿論のこと、技術継承もサボってるわけですからね。

と、この話について、(今日もトラバさせて貰ってます)chocovanillaさんの言をお借りするなら、


「「プラントは造らないと壊せない」が持論ですが、分かりにくくていいたとえ話を探していました。技術の伝承を表すにはこれほどいい話は無いです。福一発電所は、作った人たちが引退していたり、下手すると死んでいたりしますから、現場では分からない事だらけだと思います。

東電の場合は手を合わせたことしかない神主みたいなものですから、神社から恐い恐い竜神様が出てきても、鎮め方も知らなければ、封じ方も知らない。20年に一度、封じなおすとかをサボっているからなんですよね。
そして細分化してマニュアル化しているから考えて仕事をしていない感じがします。
宮大工の生かし方(遷宮)を始め日本の歴史から学ぶ事って色々ありますね。本当に勉強になります」

(「伊勢神宮の遷宮の話ぜひエントリーにしてください」とのお話、随分遅くなってからのエントリーとなりまして申し訳ありません。汗)





さてはて、こうしたことを思っていた今日この頃ですが、
何とも、(しょっちゅう登場する)武田教授が衝撃的な指摘を。

http://takedanet.com/2011/05/post_ec82.html
「今では「福島原発から出ている量」より、「3月に出たものが付近の土の上に乗っている量」の方が格段に多いのです.
福島原発の報道が、今、汚染している土地に関心を向かわせないための策謀か?と私が訝るのは、このことにあります」


なるほど・・・。
打ち水だ、とか、「水で蓋!!!」とかは、
東京多摩地区の私が、嵐でないときの措置を表現したものですからね。

嵐(台風など)のときなど、表土が水もろとも巻き上げられて、「汚染台風」になりますからね。
「台風の前に緊急に政府がしなければいけないこと」
なんですな。「大規模除染」は。
しかし、一日単位で、矢継ぎ早に手を打たねばならないことが、週単位どころか、月単位になっている感がある。
「政府や役所の保身が故」ということだろうが、ここまで来ると、「保身」と「身の破滅」はもはや逆転している(「文部大臣からの被曝」とかいう糾弾を受ける、という話)。

「政府は一刻も早く、土壌の上にシートを貼るとか、濃い放射性物質が乗っているところは土壌を除くことをしないと、福島のみならず、台風が太平洋側を通ると北風が吹いて茨城、千葉、東京へ飛んできます」


なるほど。危険厨のO沢さんが、
「汚染はどんどん広がるだろう。もう(周辺には)住めない。黙っていたら、東京もアウトになる」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110527-OYT1T00952.htm
って言ってた話ですな。
O沢さんにしてみれば、土地たくさん持ってる東京と、地盤の岩手の、丁度真ん中あたりに福島がありますからね。気が気でないでしょうな。
武田カリフみたいに、「政府は」とか言ってないで、早く除染部隊を率いて行って、福島除染作戦を実行しないと・・・、
あ、そうだった!!
危険厨だから、「掃除したら即死する」と思っておられるんだった汗。
Posted at 2011/05/30 05:40:12 | コメント(1) | トラックバック(0) | 路(みち)(2011年5月) | 日記
2011年05月29日 イイね!

「オフロード2輪の人(山さんW)」と「ターマック4輪の人(私)」の人間性の違いは、たぶん、ココです。

この記事は、【原子力事故の恐さ】多彩な場所に多彩な危険性について書いています。

まず、(久しぶりに更新されてた、)山さんwのページ、
https://minkara.carview.co.jp/userid/709167/blog/22579855/
について、です。


何と、久しぶりに反対者の登場です。


たかかか さん。
https://minkara.carview.co.jp/userid/1027557/profile/

「たかかか
2011/05/28 17:19:01
>これ以上ここに留まることはできません。 では、お元気で。

ここでは記事出さないって言っておきながらアップするんだ

だからアンタは信用できないんだよ
本当に原発関連の危険性だけを発信したいなら
新たにブログなりを開設してやるべきでは?

あんたは山さんw教の教祖様をまたやりたいだけだろ?」


実は私はこれ言う人の再来を待ち望んどりました。笑。
まさにこの、「宗教!!」の台詞の再来を待ち望んでいたのです。

セレナのたかかかさんが、どちらにお住まいかはわかりませんが、東日本の居住者はかなり多くが気づいたはずです。「国家権力は、宗教そのものだ」と。

「15条事象の発生⇒通報⇒原子力非常事態宣言発令」。
ここで・・・「お触れ(原子力非常事態宣言発令)」を出した時点で、「迷える羊たち」を導いてゆけなければ、「国家権力」は「カリスマ性」を完全喪失します。
武田邦彦説では、「国を失った日本人(2) 空中分解した国、子供を被曝させる」という言い方になります。

そして、
「国家権力という宗教」が地に堕ちたとき、そこには、数多の「教祖様」が出現する、と。
それは武田邦彦教授(武田宮司?武田神技官??武田カリフ???)のブログ然り、
稲教授(稲宮司???)の「被曝は身体にイイ」説然り。

この、「宗教」に関しては、私のページではこちらですな。
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/22516666/
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/22531662/
「いっそみんなお揃いの「装束」でやりますか?
仮面(ガスマスク)付けて、白装束(防護装備)して、畑やグラウンドの表土削って、
隅に積み上げて、築山つくりましょうか?
んでもって、それ、シートで覆って、
周囲1メートルにロープ掛けとくんですよ。あ、どうせならシメ縄でもいいですよ。
んでもってですね、御札を付けるんですよ。

[☢ 放射線管理区域]

そりゃそうでしょう。この「築山」、ダテに巨大蟻塚みたい形してませんからね。
ちゃんと、不思議なパワー(放射線)を放ちますからね♪」
という話です。


ちなみに、今日のトラバ元のchocovanillaさんの言い方をお借りするなら、
「でもね、最後は学者に学問に戻るべき問題なんです。
これは。
学問の世界から、一般社会に出てこないで。
早く戻って欲しいと思います」
ということで・・・、
これは言い方を変えるのならばですね、

「学問の世界から、一般社会に出てきた時点で、かなり過激かつ反社会的な宗教になる」

ということです。


さて、たかかかさんの話に戻りましょうか。

「ここでは記事出さないって言っておきながらアップするんだ
だからアンタは信用できないんだよ」


「信用できる情報源」をお持ちなら、是非それをみんカラにて教えて下さい♪
また、
お持ちでない・あるいは誰も何も信用出来ない、
であるならば、
そういう人生観と日常を綴った手記(ブログ)を作成してみて下さい。必ず。


ここからは、たかかかさんの話になるのですが、

ひょっとすると、たかかかさんの考え方は、毛沢東あたりに近いのかもしれません。笑。

が、残念ながら今のままでは、たかかかさんは「人格不明のセレナ乗り(?)」です。
重々承知のこととは思いますが、たかかかさんのページを訪問させて頂きましたが、みんカラにおける、たかかかさんの「信用」は残念ながら皆無に近いです。
「日産セレナ」の「一点」にしか「信用情報」がありません(これさえ、確信出来ません。たかかかさんのブログも、車両の個性にかかわる情報が、一つも形成されていないためです)。


また、
「本当に原発関連の危険性だけ」

こうでないことは、そろそろわかってきたかと思います。
今日のトラバ元のchocovanillaさんの言い方だと、

「【原子力事故の恐さ】多彩な場所に多彩な危険性」
「医学、地勢学、気象学、物理学、化学、放射線化学、生物学、工学
非常に大変です。過去の知識と、新しい知識をかき集め、統合し
修正していくと言う作業」

「原子力事故は何て難しいのだろうと思います。
まるで複雑な関数のよう、しかも色々条件付の、
相対性理論のような簡単な式にはならないのです。
(あれは近似式だと思っているんですけど)
つまり放射能事故におけるアインシュタインは出現しない、訳です」

「アインシュタインは現れません。
みんな不完全
救世主や、魔法の人物を求めたくなりますが
そんな奴はいません」

https://minkara.carview.co.jp/userid/863031/blog/22588280/
という話です。

ちなみに、私が思うに、
原子力事故から発生してくる現象全体は、「経済」に酷似しているかもしれません。なので近いとすると、経済学でしょうか。
またあるいは、一部の法律学もこれに近いと思います。


そして、

「本当に原発関連の危険性だけを発信したいなら
新たにブログなりを開設してやるべきでは」

というのも、実は不適である、ということも多くの人に伝わっているかと思います。

この分野は、最初から「みんカラ」が最適な公開系SNSだったのです(みんカラブロガーは基本的に、各々の車両とそれを駆る乗り手の人格が形成されており、各々の人生観・人生論・機械論・構造論などの立場からの意見表明を日々しています)。

・公開系SNSであることが、「万機公論ニ決スヘシ」という「公論性」を帯びている、ということ。
・みんカラブロガーは基本的に、各々の車両とそれを駆る乗り手の人格が形成されており、各々の人生観・人生論・機械論・構造論などに基づいたキャラクターによる意見表明であり、「公論」に耐えうる「人格」を有していること。
(↑2ちゃんとは違うんです。近いとすればアメブロやヤフブロの「アバタ―」ですが、それよりももっと厳格かもしれません)


逆に言えば、
「公論に足るだけの人格形成が必要である」という捉え方が妥当に思えます。

これは、
「クルマを買え」とか「制限速度を守れ・暴走するな」という意味ではありません。

クルマを持たないならその目線から見た手記・価値観の形成・表明が重要であり、
制限速度は守らないことがポリシーである、暴走こそ我が人生だというのなら、その目線から見た手記・価値観の形成・表明が重要だ、ということです。


簡単に言えば、「新規登録者も、ブログくらい作って、人格形成をしなさい」という意味です。
(たかかかさんの場合、また舞い戻ってきてる上、「セレナ」と書いているので、「書きコ会社のエージェント」というカンジはしないのですがね。)


原子力非常事態はあと何年も続くでしょうし、国家権力の空中分解はさらに激化するでしょう。
しかし、今、我々は「迷える羊たち」ではいけません。
中・長期的局面=除染作業の大規模執行が重要・汚染食物の回避と長期的健康の確保が重要な今の局面において、
我々は「迷える羊たち」ではいけません。
3月期のような、「迷える羊たち」であってはいけないのです。「羊たち」であってはいけないのです(よく言われる例でいえば、「ロビンソンクルーソーも日記をつけていた」という話)。

ヒト・人でなければならない。みんカラに集う者は、せめても「人」でなければならない。「公論性」に耐えうるだけの「人」でなければならない、ということです。言い方を変えれば、「自己なくして、他者に絡む資格などない」という話。

繰り返しになるけれども、「新規登録者も、ブログくらい作って、人格形成をしなさい」という意味です(「それ」が、「みんカラ」の「不文律」として存在してきたのですから。2ちゃんとは全く性質が違うんです)。
と、ここまでは「みんカラよ、通常に戻れ」というような話でした。

(もっと厳しい言い方するなら、
「3.11以降の新規登録者(車)、いいんですけど、そろそろ、みんカラの人になってもらおうじゃないか。今のままじゃ、あなたら、わけわからん透明人間で、みんカラにおいては何の価値も無いぞ?」
という話です。)



そしてそして、

「原災法15条事象の発生→通報→原子力非常事態宣言」
コレ:「原子力非常事態宣言」の持つ法律効果です。
「原子力非常事態宣言」発令下において、「みんな、仕事とか商売とかあるんだよ!それ放っぽって逃げろってのか?」←もし、この指摘が有効であるなら、
総理大臣の「原子力非常事態宣言」には、「何の法律効果もない」(←んなわけあるかい!!)という話になる

という私の話に、山さんが返答してくれました。笑。

「仕事を取るか避難をとるか、選択としては非常に難しいことだったと思います。
ただ、言い方を帰れば、
仕事を取るか、今後何らかの障害の発生を長期にわたり受ける可能性を取るか、の2択だったんですよね。
安全というPRが叫ばれる中、迷いはあったと思います」

なるほど。

東京炭さんの言葉に拠れば、こうです↓。
「SPEEDIの情報を正確に出してある一定の放射線量がある場合には避難か屋内待避かを国民の手に委ねる必要は絶対にあったと思います」

なるほど。
私見としては、
「まー、あの時は、国が機能停止してましたから。そうでしょうね。個人個人の意思決定」
というのが、一義的な感想ですが、

実は、ソコに対する考え方が、山さんWと私の人間性のちがいです。
たぶん、これ、「オフロード2輪の人(山さんW)」と「ターマック4輪の人(私)」の価値観の差そのものな気がしてます。

私は、
「2パターンの人」が「もともと存在しているだけ」だと思ってます。
意思決定・選択の余地はあるように見えて、実のところは、ない。

「2パターンの人」↓。


[原則に従うべき人]:「津波てんでんこ」の論理と同じ。命が最も大切。逃げて生き残るべし。
[戦陣訓に従うべき人]:化学工場や原発など、死んでも持ち場を離れてはならない人。または、一所懸命信者につき、それと同じように行動する人。
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/22401946/

この2種類の人が、「あらかじめ存在するだけ」であり、実は「その場での意思決定」は、

「ない」

というのが、私が思うところです。

後者の[戦陣訓に従うべき人]は、
敵が攻めてこようが、槍が降ろうが、ミサイルブチ込まれようが、津波が来ようが、死んでも逃げちゃダメなんです。
持ち場を離れることは許されません。

これを「戦陣訓」「(企業の)社会的責任論」「一所懸命」、何と表現しても良いのですが、
原発のケースで、よくよくわかったと思いますか、
「化学工場や原発など、死んでも持ち場を離れてはならない人。または、一所懸命信者につき、それと同じように行動する人」
があるのは、わかりましたでしょ。
これは、「その場の意思決定」ではありません。


[戦陣訓に従うべき人]=死んでも逃げちゃダメ・・・、
まあ・・・これが基本ですし、
原発の服務規程などは今後、それが明文化されなければなりません。



ただ、
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/22401946/
において触れました、
「原発の汚染がやってくる化学工場」とかでは、
「退艦令」・「救命艇の法理」の設定の余地があるかと思います。

そう、みんカラでの私は、↑コレの話を残すんですよ。
みんカラ以外での私なら、「戦陣訓の論理」「一所懸命」「社会的責任論」を説いて、それで終わりにするんですが、
みんカラでは、「シップと、救命艇」じゃないけど、そういう脱出路の議論も残すんでございます。


あと、今日のトラバ元のchocovanillaさんの話。

「■稲先生のトンデモ理論も、嘘は言っていないと思います。
天然放射線、外部被曝限定、線量集中なしで
時間が長時間で、
統計学的な有意さが出ない、条件と考えると。

■残念ながら稲先生のおっしゃる条件は、永遠に生まれないし、戻っても来ないだけで。

■学問的な視点から考えると、色んな視点は役に立ちます、
でも、ビーカーや実験室の、固定条件で人は生きていません。
それともそんな人を彼らは飼っているのでしょうか??」


そうかもしれませんよ!!!! 笑。



「でもね、最後は学者に学問に戻るべき問題なんです。
これは。
学問の世界から、一般社会に出てこないで。
早く戻って欲しいと思います」


んーーーーー。
「政権交代」して、(仮定の話としてですが)私が宰相だったら、「ここぞとばかりに、ああいうトンデモ説ブチ撒く人たち」の研究費や補助金なんて、全額「仕分け」しますね笑。

「この数値を認めたら、私の学者生命は終わり(by小佐古教授)」 

って話ですね。
Posted at 2011/05/29 01:37:24 | コメント(1) | トラックバック(0) | 路(みち)(2011年5月) | 日記

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