大学で成績のかんばしくなかった当方、
(まー今でもいろいろかんばしくないですが)
一般教養の単位を落としまくって、
専門教育と教養、両方を受けなくてはならなくなった
大学2年の秋。
今では完全に統合されてますが、
当時は学部間が40キロほど離れていて、
移動に、自転車とJRとバスで1時間以上かかる…
試しに自転車で移動してみたら、2時間かかった…
そんなわけで、エンジン付きの乗り物が必要になりました。
で、当時住んでいた寮で、
放り捨ててあった初代ジョグ…
先輩の持ち物ということで、もらえることになったのですが、
エンジンのかかりが悪く、
当時の技術では修理することができず…
(いまだったら即直せると思う)
で、まだエンジンがかかる状態だったこちらをもらい受けました。
書類がなくて、市役所に通ってどうにかナンバーがついて、
早速「通い」を始めました…
最初は、上り坂で白煙をはいて止まってしまったり…でしたが、
「バイク基本チューニング」という本に出会い、
その本の通り、サービスマニュアルにパーツリストを準備。
親父から譲り受けた工具ではねじもボルトも歯が立ちませんでしたので、
徐々に本格的な工具をそろえ始め、
見よう見まねでエンジンを下ろしたり直したりできるようになり、
調子も大変よくなり、
片道200キロとか平気で走るように…
もちろん通学でもガンガン使いまして
地球1周分以上走ったと思います。
もっとも、1桁国道を原付で走るのは
いろんな意味で危険と隣り合わせでもありました。
車はバシバシ煽ってくるし。
その理不尽な体験が
2種のリード90への移行につながります…。
で、このバイクをいじり倒したことで、
修理技術がずいぶん成長しました。
粗悪品のオイル使うとポートが詰まるとか、
ギヤ比を変えたら、キャブのセッティング変えたらとか
ヘッドの面研もやりましたねぇ。
あんまり効果はなかった気がしますが。
当時宣伝されてたガンスパークも付けました
効果は、あったようななかったような。
ですが、
ちょっと成長しすぎて、
いろんなバイクをタダあるいはタダ同然でもらって
修理して遊んでたら、バイク5台とかいうわけのわからんことになり、
残念ながら、就職のときに手放すことに…
処分料を取られてさようならでした。
でも、最後の日までエンジンは普通にかかってました…
今考えたら、実にもったいないことを…