イラン情勢がまさか愛車にも──ジムニー6か月点検で思わぬ影響 
一カ月ほど前、いつもお世話になっているスズキアリーナ店へ、ジムニーの定期点検に行ってきました。新車購入時に加入したメンテナンスパック(車検なし)も、今回の点検が最後です。内容は通常の6か月点検に加え、エンジンオイル交換も含まれていました。
ところが、昨今のイラン情勢の影響で純正エンジンオイルが不足しているとのこと。なのでこの時は、点検のみを実施しオイル交換は入荷後に改めて行う、ということになりました。
全国的にエンジンオイルが不足しているというニュースは目にしていたので驚きはしませんでしたが、まさか自分のクルマにまで影響が及ぶとは思ってもいませんでした。
もっとも、今回は結果的に都合が良かったとも言えます。というのも、冬の間にあちこち走り回り、前回の交換から5,000kmを超えてしまったため、点検を待たずにカーショップで一度オイル交換を済ませていたのです。そこからの走行距離はまだ1,000kmにも満たない状態でしたので、交換が少し先延ばしになるのはかえって好都合だった、というわけです。
さらに、この点検ではクラッチのレリーズベアリングの異常も見つかりました。こちらも部品の入荷待ちとのことで、部品が届いたら修理を行い、そのタイミングでエンジンオイルも一緒に交換しましょう、という話になっています。
しかしながら、点検から一カ月以上経った今も、まだ連絡はありません。
オイルが入荷しないのか、レリーズベアリングの部品が届かないのか、それともメカニックさんの手が回らないほど忙しいのか……。このディーラーは比較的大きなスズキアリーナ店(スズキ自販系)なのですが、6か月点検の予約を取ろうとした際も、一カ月以上先まで予約が埋まっている状態でした。
幸い、このジムニーは数か月後にノマド(2型)へ乗り換える予定なので、仮に修理が間に合わなくても私自身への影響はほとんどありません。現状では走行に支障はなく、クラッチペダルを奥まで踏み込んだ際に、最後のあたりで「ギギッ」とした感触が出ることがある程度です。
それでも、このジムニーは次のオーナーさんへ引き継がれるクルマです。できれば修理と整備をきちんと終えた万全の状態で送り出せたらいいな、と思っているのですが……。
狭隘隧道の先に眠る特攻基地──宮戸島・第146震洋隊基地跡を訪ねて 
第二次世界大戦中に造られた「震洋」という兵器をご存じでしょうか。爆薬を積んだ小型モーターボートで敵艦に体当たり攻撃を行う、いわゆる特攻兵器のひとつです。航空機による神風特攻隊はよく知られていますが、震洋はその海上版ともいえる存在でした。
その震洋隊の基地跡が東松島市・宮戸島に残されているということで、クルマで訪ねてみることにしました。

ここは宮戸島にある潜ヶ浦(かつぎがうら)漁港の近く。漁港手前の分岐を右へ入ると、この場所にたどり着きます。
道は簡易舗装されていますが、幅員はかなり狭め。6月ということもあって道路脇の草木が大きく茂り、実際の道幅は見た目以上に窮屈です。Tクロスで進入するには少し勇気がいりました。
事前にネットで「小型車でトンネルの先まで行った」という情報を見つけていたため、「Tクロスでも何とかなるだろう。ダメならバックで引き返せばいい」というつもりでここまでやって来ました。
しかし、その先を見ると道はさらに細くなっています……。

草木に囲まれた道は、やがて苔むした砂岩の岩壁に挟まれた区間へ。左右から岩肌が迫り、その圧迫感はなかなかのものです。今にも左右の壁が崩れて押しつぶされてしまうのではないかと恐怖を覚えてしまうほど。
一見しただけでもかなり狭く、本当に通れるのか不安になります。壁面や天井には崩落した跡があり、落ちた岩が路肩へ寄せられているため、実際に走れる幅はさらに限られています。
なお、この隧道は「大鮫隧道」または「大鮫トンネル」という名前が付いているようです。

ミラーと壁の隙間は、左右ともおよそ5cmほど。運転席から見るとかなりギリギリですが、ミラーを畳むことなく何とか通過することができました。
ちなみにTクロスの全幅は1,760mm。普通車で訪れることを考えている方は、一つの目安になるかもしれません。

少し道幅が広くなった場所でクルマを降り、改めて周囲を確認してみました。
壁面から崩れた土砂が路肩に積もり、場所によっては見た目以上に道幅が狭くなっています。クルマの右側には多少余裕があるように見えますが、実際にはこれ以上寄せることはできません。
一方で、高さ方向には比較的余裕があります。Tクロスの全高は1,580mm。SUVとしては低めの車高だったこともあり、頭上を気にする場面はありませんでした。ルーフボックスを装着している私のジムニーだと、幅よりも高さのほうが気になったかもしれません。
ここへ来る途中は「ジムニーで来ればよかったかな」と思っていましたが、実際にはTクロスを選んで正解だったようです。

トンネルを抜けてしばらく進むと、視界が一気に開けます。ここが、第146震洋隊基地跡です。
戦後、この場所は漁港として再利用されていた時期があるため、現在残る構造物のすべてが震洋隊当時のものではありません。むしろ漁港時代に整備された施設のほうが多いのかもしれません。
しかし、その漁港としての役目もすでに終わり、今はひっそりと静まり返っています。

一帯は「鮫ヶ浦」と呼ばれ、宮戸島の中でも複雑な入り江が連続する地形になっています。外海からは見つけにくく、それでいて仙台湾へすぐ出られる位置にあることから、秘密基地としては絶好の立地だったのでしょう。

周辺には数メートルから十数メートルほどの壕がいくつも残されています。これらは震洋の船体を格納するための格納壕です。戦後、漁港として利用されていた頃には漁具置き場としても使われていたそうで、中には大量のゴミが残されたままの壕も見受けられました。

海へ向かってレールが残されていました。ここから台車を使って、船を海へ下ろしていたのでしょう。ただし、このレールが戦時中のものなのか、それとも漁港として利用されていた時代のものなのかは分かりませんでした。
……とここで、天気が急変します。もう少し周囲を歩いてみようと思っていた矢先、遠くで聞こえていた雷鳴が急に近づき、大粒の雨が降り始めました。
この場所へ来る途中にはぬかるんだ路面もあり、しかも帰りは上り坂です。FFのTクロスでは、路面状況によっては登れなくなる可能性も考えられたため、早めに引き返すことにしました。
本当なら、このレールをもっとじっくり観察したり、周辺に残る格納壕を探したりしたかったところですが、安全第一です(ジムニーだったらもう少し長居していたかもしれませんw)。
津波から列車を救った小さな丘──仙石線旧線跡に残る「奇跡の丘」を訪ねて 
東日本大震災発生直前、仙石線・野蒜駅を発車した二本の列車がありました。一本は仙台・あおば通方面へ向かう上り列車、もう一本は石巻行きの下り列車です。
上り列車は野蒜駅と東名駅の間で緊急停車しました。この場所は海に近く標高も低かったため、乗務員は乗客を近くの指定避難所だった野蒜小学校へ避難誘導します。
しかし地震発生から約1時間後、高さ10メートルを超える津波が襲来。停車していた車両は押し流されて大破、そして津波は野蒜小学校まで到達しました。この時、小学校に避難していた乗客のうち、1名が犠牲となってしまいました。
一方、もう一本の石巻行き下り列車が緊急停止した場所、そこが現在「奇跡の丘」と呼ばれています。
なぜ「奇跡」と呼ばれるようになったのか──その理由を確かめるため、実際に現地を訪ねてみました。

こちらは奇跡の丘に設置されている案内図です。ピンク色で示したのが、震災前の仙石線旧ルートで、現在の仙石線は内陸側へ移設されています。
旧野蒜駅、旧東名駅、そして奇跡の丘の位置関係は図のとおりです。また、当時避難所に指定されていた野蒜小学校は、案内図の「キボッチャ」の場所にありました。

石巻行きの下り列車は、地震の揺れによって、この丘の頂上付近で緊急停止しました。
当初、乗務員は指令の指示を受け、乗客を野蒜小学校へ避難させようとします。しかし土地勘がなく、小学校の正確な位置も分からない状況でした。実際、この場所から野蒜小学校までは距離があり、避難の途中で津波に巻き込まれる危険もありました。
そんな時、乗客の一人だった元消防団員が、「ここは野蒜小学校より標高が高い。このまま丘にとどまった方が安全だ」と助言します。
その助言を受けた運転士と車掌、そしてたまたま乗り合わせたJR社員らは相談し、指令との通信もすでにできなくなっていたこともあり、その場で待機することを決断しました。
丘の標高は約10メートル。津波は目前まで押し寄せましたが、頂上付近までは到達せず、乗員・乗客全員が無事に救助されました。
まさに現場での冷静な判断が、多くの命を救った瞬間だったのです。
こうして、この場所は後に「奇跡の丘」と呼ばれるようになりました。
勾配標や法面の形状を見比べると、一つ前の写真の場所こそ、実際に列車が停車していた地点であることが分かります。
線路は緩やかに下りながら右へカーブしており、その先は確かに標高の低い土地になっています。
当時、この列車の約100メートル後方では、写真の左から右へ向かって津波が押し寄せ、線路が流されていく様子を目撃したという乗客の証言も残されています。

こちらは石巻方面です。野蒜駅を出た列車は緩やかな左カーブを描きながら、この小高い丘を登って、そして下っていきました。
乗務員の証言によると、この石巻側からも津波が迫ってくるのが見えたそうです。まさに列車の前後をふさぐように津波が押し寄せており、この丘にとどまるという判断が、乗員・乗客全員の命を救うことになりました。

丘を越えて石巻方面へ進むと、付け替えられた現在の仙石線の高架が見えてきます。旧線ルートはこの高架の下をくぐり、その先で鳴瀬川を渡って陸前小野駅(写真右方向)へ向かっていました。

現在、旧仙石線の線路跡は歩行者・自転車専用道(サイクリングロード)として整備されています。ただ、路面には草が伸び、あまり利用されている様子はありません。この日もサイクリストや散歩を楽しむ人の姿を見ることはありませんでした。

旧線跡を歩いていると、鉄道時代の設備がいくつか残されていました。
写真は勾配標と距離標です。距離標に記された「35」は、仙石線の起点であるあおば通駅から35km地点を示しているものと思われます。
こうした遺物が、ここに鉄道が走っていたという事実を、サイクリングロードの傍らで今も伝え続けています。
旧野蒜駅~止まった時間と、歩き始めた街 
東日本大震災で甚大な被害を受けた路線の一つが、海沿いを走る仙石線(あおば通駅~仙台駅~石巻駅)です。
なかでも陸前小野駅~陸前大塚駅間は津波によって壊滅的な被害を受け、復旧にあたっては線路を内陸側へ移設。その結果、この区間にあった旧野蒜駅と旧東名駅は役目を終え、廃止されることとなりました。
その旧野蒜駅が、震災の記憶を伝える遺構として保存されていると知り、今回訪ねてみました。

こちらが旧野蒜駅の駅舎です。現在は補修・整備され、「東松島市震災復興伝承館」として活用されています。1階は交流スペース、2階には震災に関する写真パネルや映像展示があり、当時の出来事や復興の歩みを学ぶことができます。

駅舎の裏手へ回ると、震災当時のホームがそのまま保存されていました。
この一帯は津波に完全に飲み込まれた場所ですが、駅舎やホームは一見すると、それほど大きな被害を受けたようには見えません。しかし、近づいてよく観察すると、その印象は一変します。

駅名標は歪み、鉄製の支柱は根元から無残に折れ曲がっています。

レールも途中でぐにゃりと大きく歪み、津波の凄まじい破壊力を物語っています。
一見するとちょっと古めかしいだけのホームに見えますが、目を凝らすと、津波の爪痕が至るところに残されていることに気付きます。
駅周辺はがれきも撤去されてきれいに再整備されています。しかしこのホームだけは、津波が襲ったあの瞬間から時間が止まったかのように、その被害の大きさ、恐ろしさを伝えています。
現在はがれきも撤去され、見違えるほど整備されていますが、当時はホームや駅舎の周囲を大量のがれきが埋め尽くし、駅全体が激しく破壊されていたことが分かります(※大き目のファイルでアップしているので、画像をクリックして拡大して見てみてください)。

旧駅舎2階には資料展示室が設けられ、震災当時の記録や写真、資料などが数多く展示されています。

パネルやボタンは見るも無残に壊され、釣銭口には砂が入り込んだままになっていました。津波にのみ込まれたことを物語る生々しい痕跡が、その姿に今も刻まれています。
線路の付け替えに伴い、旧駅から約500メートルほど内陸側、海抜22メートルの高台へ移設されました。津波の教訓を踏まえ、安全性を最優先に整備された新しい駅です。

旧野蒜駅前の駐車場に停めたTクロス。その後ろには、二本の大きな松がまっすぐ空へ向かって伸びていました。
震災当時、この松も間違いなく津波を受けていたと思われますが、それでも枯れることなく、この場所に根を張り続けています。力強く生き続けるその姿は、野蒜の復興を静かに見守り続けているようにも見えました……。
歴史の「if」が眠る、野蒜築港跡へ行ってみた 
この日からは完全に家族と別行動。それでも宿だけは一緒という、なんとも奇妙な「家族旅行」です(笑)。
今日は仙台から北東方向へ向かってクルマを走らせます。
野蒜築港は現在の東松島市、仙台湾に面した一帯で進められた、日本初の近代港湾建設事業です。明治政府が東北開発の中核事業として整備を進めましたが、1882年の完成からわずか3年後、台風で突堤が大きな被害を受け、その後復旧されることなく放棄されてしまいました。

現在は土木学会選奨土木遺産に指定されています。しかし、東日本大震災では津波によって遺構の一部や資料館が被災・流失し、貴重な歴史資料も失われてしまいました。
明治14年には、この地に「野蒜測候所」が設けられ、日々の気象観測が行われていました。港湾を安全に運用するため、当時としては最先端の取り組みだったのでしょう。
野蒜築港のある鳴瀬川河口と、石巻市の北上川を結ぶ全長12.8kmの運河で、築港事業とあわせて開削されました。しかし、野蒜築港の失敗とともに利用する船舶も減少していきます。さらに、運河の底に流入した土砂が堆積してしまい、明治末期にはすでに船の航行ができない状態になっていたそうです。

実際に現地を歩いてみると、3.11の津波被害の影響もあり、かつてここが歴史的な港湾だったことを感じさせる痕跡は、ほとんど残っていません。
写真は、野蒜築港当時の市街地中心部に建てられた碑ですが、周囲には往時の賑わいを思わせるものは何一つありません。
まさに「夏草や兵どもが夢の跡」。
そんな言葉が、そのまま当てはまるような風景が広がっていました。

けれど、「何も残っていない」からこそ、想像は大きく膨らみます。
もし野蒜築港が計画どおり成功し、横浜や神戸のような大港として発展していたなら、この景色はまったく違うものになっていたでしょう。
さらには、東北が日本の工業や物流、あるいは行政の中心地となり、日本という国の姿そのものが現在とは大きく変わっていた可能性すらあります。
野蒜は、日本の歴史における壮大な「if」を秘めた場所。そんなことを考えながら、この地を後にしました。
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♠警告灯点灯【ウインカーハイフラ現象】 カテゴリ:その他(カテゴリ未設定) 2025/06/15 06:25:47 |
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