現在、この橋梁では一径間分の橋桁がなくなっています。これは被災や落橋によるものではなく、橋の下を道路が通っているため、安全上の理由から撤去されたものと考えられます。実際、日高本線の他の橋梁でも、下に道路が通っている場所では同じように橋桁が撤去されているのをいくつか確認できました。
全長355メートルという長大なガーター橋は、現在でも十分に迫力があります。かつてここを列車が走る光景を想像すると、現役時代の雰囲気が手に取るように伝わってくるようでした。
●静内駅
「いや、これ廃駅じゃないでしょ!」と思わず声に出してしまいそうになるのが、静内(しずない)駅跡です。現在でも建物には「JR静内駅」の表示が掲げられたままで、駅としての存在感は十分です。
この駅舎は2001年に建てられた比較的新しい建物で、今も観光案内所やバスの券売所、土産物店などが入っており、廃駅の雰囲気はまったく感じられません。
駅前ロータリーにはバス乗り場が整備され、花壇の花もきれいに手入れされていました。ロータリー中央には馬を象ったモニュメントが置かれ、馬で知られる日高地方の玄関口であった往時を思い起こさせます。
残念ながらホームには立ち入ることはできず、駅名標も撤去されてしまっていました。しかし、柵の隙間から覗くと、駅の雰囲気は今なおよく残っていることが感じられました。
●新冠川橋梁
続いて訪れたのは、新冠川に架かる「新冠川(にいかっぷがわ)橋梁」です。静内川橋梁と比べるとやや小ぶりな印象ですが、川を渡った先には「判官館」と呼ばれる太平洋に突き出した岩峰がそびえています。廃線となった日高本線の線路は、この岩壁を貫く判官館トンネルへと続いており、橋梁とトンネルが織りなす独特の廃線風景を見ることができます。
同じように見える橋梁跡でも、立地や周囲の様子によって様々な個性が感じられるように思えるから面白いものです。
●大狩部駅跡
日高本線の廃駅の中でも、ちょっと異質な雰囲気を持つのが「大狩部(おおかりべ)駅跡」です。コンクリートブロックを積み上げただけの簡易な建物が、かつて待合所として使われていたようです。
現在でも待合所前まで車で乗り入れることができますが、国道をくぐる狭いボックスカルバートを通り抜ける必要があります。5ナンバーサイズの車幅(1690mm)しかない日産ノートでも、ミラーを畳むほどではありませんでしたが、かなりギリギリの通過でした。
待合所から下を見下ろすと、そこがホーム跡です。駅名標の枠が残されており、ここがかつてホームだったことを示しています。
ホーム上や線路跡は草に覆われ、手入れはされていませんでした。路盤の隣に設置された鋼矢板の向こうには、すぐ太平洋が広がっています。
実は大狩部駅付近は2015年、発達した低気圧による高潮の影響で線路の路盤が流失する被害を受けました。その後、被災箇所は復旧されることなく、この高潮被害も一因となって日高線は廃止されることになります。
海の真正面に立地する風光明媚な大狩部駅。結局はそれが原因で廃線の憂き目にあってしまったと聞くと、何もわざわざこんな海に直面した場所に線路を引かなくてもよかったのでは?と思います。しかし実は、この辺り一帯は海岸浸食が進行していて、日高線敷設当初の海岸線は線路からもっと離れた場所にあったそうです。
国道336号線をさらに西へ進むと、様似町の中心部に入ります。今回の北海道ドライブ3日目のメインテーマは、この日高本線の廃線跡を辿り、残された鉄道遺構を巡ることです。
日高本線は、かつて苫小牧から様似までを結ぶ全長146.5kmの路線でした。しかし、高波や台風など度重なる自然災害の影響で、様似~鵡川間の116kmは2021年に正式に廃止されました。廃線としては比較的新しいものですが、その分、駅舎や線路跡など鉄道の痕跡は現在でもはっきりと残っている場所が多くあります。廃線マニアにとっては「寝かせた」状態の方が趣深いこともありますが、私のような気軽な探訪者でも比較的容易に遺構を見て回れるのはありがたいところです。
●様似駅
まず最初に訪れたのは、日高本線のかつての終着駅「様似(さまに)駅跡」です。駅舎は当時のまま残っており、建物には「JR様似駅」の表示が掲げられています。初めて訪れる人は、現役の駅だと勘違いしてしまうかもしれません。
かつては、様似駅から襟裳を経由して広尾町まで延伸し、広尾線と接続して帯広まで鉄路をつなぐ計画もありました。しかし、最終的に日高本線が到達したのは、ここ様似まででした。
駅舎のほかにも、ホームや線路、日高本線の終端を示す車止めも残されており、まるで廃止された当日の光景をそのまま見ているかのようです。駅舎にはジェイ・アールバスの券売所や観光案内所が入っており、現在も現役の施設として活用されています。そのため、この様似駅は単なる廃駅というより、第二の人生を送る現役の駅とも言えるでしょう。
観光案内所ではお土産も販売されており、私は様似駅の駅名標を模したマグネットと、地元名産の日高昆布を購入しました。
●浦河駅
続いて訪れたのは、「浦河(うらかわ)駅跡」です。こちらは様似駅とは異なり、駅舎は完全に閉鎖されており、内部に立ち入ることはできません。現在では人影もなく、無人の廃墟となっています。それでも数年前までは現役だっただけに、外観から受ける印象は様似駅と大きく変わらず、かつての鉄道の息吹を感じさせます。
駅前には浦河市街の案内図が掲示されていましたが、そこに日高本線が現役線として表示されているのが少しもの悲しい気持ちを誘います。
駅舎のすぐ横には、線路を越えて反対側の国道に通じる跨線橋も、そのまま残されています。この跨線橋はもともと駅舎側のホームと島式ホームをつなぐためのものでしたが、後に浦河町に譲渡され、自由通路として国道まで渡れるよう改修されたそうです。よく見ると、途中でつぎ足したような造りが分かります。
跨線橋の中を覗くと、昭和の香りが漂う独特の空間が広がっていました。
外壁には「JR浦河駅」と書かれていましたが、なぜか「浦河」の文字が消えかかっています。経年の影響か、あるいは意図的に消されたのか、その理由は分かりません。
駅舎の脇には、馬産地・日高を象徴する馬型のプランターがひっそりと佇んでいました。
日高地方は馬産地として知られ、車を走らせていると競走馬の牧場が多く目に入ります。広大な牧草地でのんびりと草を食む馬たちの姿は、牛の牧場とはまた違った北海道らしい風景で、観光目的ではない馬牧場という点も、ここ日高エリアならではの光景だと感じます。
●本桐駅
馬たちの姿を横目に見ながら、次に訪れたのは「本桐(ほんきり)駅跡」です。写真に写っている建物が駅舎ですが、ぱっと見た印象では鉄道の駅とは思えません。地域の集会所か、あるいは少し立派な物置小屋のようにも見えます。
こじんまりとした駅ではありますが、廃止された現在でも駅周辺は丁寧に手入れされており、ホームや線路の跡もはっきりと確認できます。目を凝らすと、まるで今にも向こうからディーゼル車が滑り込んでくるのではないかという錯覚に陥るほど、当時の面影が色濃く残っていました。
現役当時の姿をそのまま残す本桐駅ですが、残念ながら駅舎内は施錠され立ち入ることができません。
●蓬栄駅
本桐駅よりもさらにこじんまりとしているのが、「蓬栄(ほうえい)駅跡」です。正直に言うと、建物を初めて見ると、物置小屋どころか、公園の片隅にある小さな公衆トイレのように見えてしまうほどです。この建物こそ、かつての駅の待合所でした。
ホームは現存していますが、ホーム上も目の前の路盤も草に覆われており、まさに「廃駅」といった雰囲気です。車道側の防護柵は、工事現場で使われるパイプを組み合わせただけの簡易なもので、どうやら現役時代からこの姿だったようです。
ホームから一段下にある待合所には、ホーム側から出入りできる出入口があり、内部には10人ほど座れるベンチが設置されています。造りは簡素で、鉄道の駅としては少々頼りなげに見えますが、現在はバスの待合所として利用されているようです。バス待合所として見ると、途端に立派なものに見えるのは不思議なところです。
北海道ドライブもいよいよ3日目、そして最終日。
この日は帯広の宿を出発して南下し、日高沿岸部を回りながら千歳空港へ向かいます。走行距離は今回の旅で最長になりそうです。
午前6時前、まだ街が眠っている時間にホテルを出発。今日も見学予定はぎっしり詰め込んでいるので、早朝からのスタートです。
まずは国道236号線を南下し、帯広川西ICから帯広広尾自動車道へ。ここは無料で走れる自動車専用道路で、国道236号線の一部にも指定されています。
ところがナビの案内で中札内ICからいつの間にか下道へ…。少し戸惑いましたが、下道も流れが良かったのでそのまま並走する国道236号線を走ることにしました。
最初の目的地は「旭浜トーチカ群」。第二次世界大戦中に造られたコンクリート製の防御施設が、海岸沿いに今も点々と残されているそうです。
途中、道路脇には案内板もあり「観光地化されているのかな?」と思いきや、現地に着くとそこはただの海岸線。
砂浜に、ぽつんとコンクリートの塊が立っていました。これがトーチカです。
保存や整備はされておらず、かといって立入禁止でもない。戦後80年の風雪で一部は崩れ、中には砂が吹き込んでいますが、まだその姿を保っています。
見渡すと同じようなトーチカが海岸線に沿って何基も…。まるで戦争当時の空気が、まだこの地に残っているかのようでした。
トーチカを後にし、広尾町で国道336号線へと進んでいきます。この辺りからは海沿いの絶景が広がるドライブにはもってこいなルートとなります。
海と断崖に挟まれたこの道は「黄金道路」と呼ばれています。日高山脈が海に迫る厳しい地形のため、覆道やトンネル、桟橋、護岸が随所に造られ、建設には「黄金が敷き詰められるほど」莫大な費用がかかったことからこの名が付きました。
クルマを停めて遠くから眺めると、確かに崩落の跡があちこちに見え、維持管理の大変さが伝わってきます。
それでも走ってみれば、絶景続きのシーニックバイウェイ。北海道らしいダイナミックな海岸線を満喫できるルートです。
ここまでやって来た観光客のほとんどは立ち寄るでしょうが、今回は泣く泣くスルー。森進一さんに怒られそうですが(笑)、その代わりに向かったのは…。
●かつてのプレート境界
ここは太古の昔、ユーラシアプレートと北米プレートがぶつかり合っていた場所で、今もその痕跡が地上に露出しています。見た目は地味ですが、地形好きにはたまらないスポット。
そのプレート境界は地上だけでなく、海の中にも続いているそうです。
ここに地球規模の力が働いていたことを想像すると、悠久のロマンを感じずにはいられません。
さらにその近くには、明治・大正・昭和と3つの時代に掘られた隧道が残っています。
昭和の山中第二隧道は現役の車道、大正トンネルは歩いて通行可能。明治隧道も貫通していますが、漁具が置かれ、片側は崩落で半分以上埋まっていて入りづらい状態です。
日高耶馬渓のように地形が急峻な場所では、かつては海上交通での行き来が主流でした。それでもこの場所には明治期には早くも隧道が掘られ、その後も大正・昭和と3代にわたり新たなトンネルが造られ続けています。それだけ、この地が交通の要衝だったということの証左に他なりません。
今でも日高山脈を越える道は数えるほどしかありません。北海道の東と西を結ぶ大動脈として、沿岸部のこのルートが選ばれたのは、まさに必然だったのでしょう。
ここまでで、まだ午前10時。
このあとは、本日のメインイベントとなる、あの廃線跡を探訪しに行きます!
タウシュベツ川橋梁をじっくり堪能したあとは、名残惜しくも帯広の宿へと戻る帰路に。
その途中、ちょっと寄り道をして訪れたのが、かつての士幌線・糠平駅跡です。
●糠平駅跡
この場所には「上士幌町鉄道資料館」が併設されており、当時の路線図や保線用具、現役時代の映像などが展示されているとのこと。とても楽しみにしていたのですが…あいにくこの日は休館日。
仕方なく、糠平駅跡の周辺だけを散策することにしました。
跡地には、線路や踏切、駅名標などが残されています。ただし、これらは当時のものではなく、廃止後に観光トロッコ運行のために再整備されたものだそう。
それでも、線路が一本そこにあるだけで、かつて列車が走っていた気配がふっと感じられるから不思議です。
線路脇には、ちょうどルピナスの花が咲き誇っていました。花に包まれたこの光景、当時の士幌線もこんな風景の中を走っていたのでしょうか──
そんな想像にしばし浸ります。
●帯広駅周辺
夕方、17時前には帯広の宿に到着。
この時期の北海道はまだまだ明るく、せっかくなので駅周辺を散策してみることに。
宿泊したのは、帯広駅からすぐの「ホテルグランテラス帯広」。駅チカで飲食店も多く、駐車場完備ということでレンタカー旅にもぴったりの宿です。
駅前に向かおうとホテルを出た瞬間、「パッカパッカ…」という軽やかな音が聞こえてきました。
振り返ると、なんと馬車が目の前をのんびり通過中。
調べてみるとこれは「馬車Bar」といって、馬車に揺られながら帯広の街並みとお酒が楽しめるというユニークなサービスとのこと。
駅前ロータリーは広々としていて、十勝地方の中核都市であることを感じさせます。
とはいえ、夕方の時間帯にもかかわらず、人も車も意外なほど少なめ。
タクシー乗り場には数台がぽつんと待機しており、広すぎるスペースがやや寂しげにも見えました。
駅構内には「とかち食物語」という地元物産のエリアがあり、名産品やお土産が並びます。食事処もあり、旅行者にはうれしい施設です。
そろそろホテルに戻ろうかと駅前を歩いていると、ふと足元に2本のラインが。最初はデザインかと思って通り過ぎかけたのですが、なんだか気になる…。
目を凝らして確認すると、どうやら本物のレールのようです。
レールの終端は駅前の北洋銀行の目の前で途切れています。そこから反対を振り返って見ると、レールは北西方向へとまっすぐ続いています。
周囲に説明板などは見当たらず、詳しいことはわかりませんが、帯広駅の北側からこの方向──根室本線と並行するように北西へ延びる線路といえば…まさか士幌線の跡?
足元のレールが、十勝の大地を抜け、タウシュベツ川橋梁へとつながっていたのでは…? そんな想像がふくらみます。
夕陽が沈みゆくなかでの、偶然とも思えない出会い。
「このレールが、あの橋へ続いていたんだ…」
今日という一日が静かに、でも印象的に締めくくられていく瞬間でした・・・。
──と、ここまでが現地での私の感動だったのですが、後日調べてみたところ、この線路は士幌線の跡などではなく、根室本線が最初に敷設された場所に復元されたモニュメントだったようです(なお現在の根室本線は高架化済み)。
・・・あの感動を返してくれッ!! orz
タウシュベツ川橋梁の展望台から少し北へ進むと、橋へと続く林道の入口が現れます。ですが、すぐには橋を目指さず、まずは士幌線の終点へと向かい、廃線跡をたどってみることにしました。
次に訪れたのは、第五音更川橋梁と幌加駅跡。
士幌線の遺構は、地域でも観光資源として活用されているようで、国道沿いには橋や駅の跡を案内する看板や駐車スペースが整備されており、気軽に立ち寄れるようになっています。
●第五音更川橋梁
第五音更川橋梁は、旧士幌線に多く見られるコンクリートアーチ構造。これから向かうタウシュベツ川橋梁も、同様の工法で建造されたと考えられます。
橋の上からはすでにレールが撤去され、草が生い茂っていて渡ることはできませんが、途中に残る待避所のような構造から、かつての姿がふと目に浮かびます。
●幌加駅跡
幌加駅跡はガイドブックにでも紹介されているのか、観光客の姿も多く見られました。
駅構内はきれいに整備されていて、ホーム跡やレール、ポイント、枕木などが当時の雰囲気を色濃く残していました。東大雪の山中にあった駅の姿が、ここには今でも確かに息づいているように感じられます。
●十勝三俣駅跡
さらに先へ進み、士幌線の終着駅だった十勝三俣駅跡に到着。しかし、ここでは駅舎もホームもすでに撤去され、路盤跡も判然としません。
それでも辺り一帯は谷間に広がる平坦な土地で、山深い場所とは思えないほど空が開けた、まるで高原のような清々しさに包まれています。
人が生活を営むには最適な場所だったのかもしれない──そんなことを思わせる風景でした。
近くには柵に囲まれた廃屋がひとつぽつんと残っていましたが、これは十勝三俣駅からさらに奥地へと伸びていた森林鉄道に関連する施設だったようです。
こうして旧士幌線を終点までたどりきった私は、いよいよ今回の旅の最大の目的地、タウシュベツ川橋梁へと向かいます。
国道から林道へと折れ、しばらく走ると写真のゲートが現れました。通常、一般車はここで通行止めですが、今回は事前に通行許可を取り、鍵を借りています。
※タウシュベツ川橋梁へと至る林道ゲートの鍵は、以下のサイトから予約することができます。
タウシュベツ川橋梁「林道ゲート通行鍵」予約ページ/上士幌町タウシュベツ川橋梁観光
ただし、この周辺はヒグマの生息地でもあり、つい数日前にも出没情報があったとのこと。ガクブル・・・。
橋への期待と熊への不安が入り混じる中、鍵を使ってゲートを開け、許可証を掲げて林道を進みます。
林道には水たまりや勾配のきつい区間もありましたが、路面は比較的フラットで、日産ノートでも車体の底を擦ることなく走行できました。
15分ほど走ると林道脇に広めのスペースがあり、ここに車を停めて橋へ向かいます。
そこから先の通路は、かつて士幌線の路盤だったようで、掘割がきれいに残されており、列車が走っていた面影が感じられました。
そして、その湖面を横断するように──
森が開けた瞬間、草木ひとつない風景が広がり、その中に佇む橋の姿が見えました。
●タウシュベツ川橋梁
湖の水位によって姿を現したり沈んだりするこの橋は、激しく風化が進行し、他の士幌線の橋梁群とはまったく異なる、朽ち果てた姿をしています。
一部ではコンクリートが崩れ、アーチは「首の皮一枚」で繋がっているような危うい状態。
それでもなお、湖面を対岸までしっかりと結んでいるこの橋は、凛として誇り高く立ち続けているようでした。
コンクリートが剥がれ落ち、中の鉄筋がむき出しになってもなお、橋としての矜持を失わないその姿に、心を強く揺さぶられます。
今でも人ひとりくらいなら対岸へと連れて行ってくれそうに見えますが、もちろん橋上への立ち入りは禁止。
鉄道がこの谷を越えていた頃とはまるで変わってしまった風景の中で、それでもこの橋が見ているもの、想っていることは、きっと今も昔も変わらない──そんな気がしてならない、まさに魂を揺さぶる絶景でした。
♠警告灯点灯【ウインカーハイフラ現象】 カテゴリ:その他(カテゴリ未設定) 2025/06/15 06:25:47 |
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