前回の続き、
赤山地下壕跡から富津に戻る途中、大房岬に寄って色々と見ます。
ここ大房岬(たいぶさみさき)は観音崎や猿島同様戦時中は要塞化されていたようで
各地にその痕跡が残ってます。一時期はその経緯から地図上からすら消されていたとか。
その中の一つとしてこの場所には、特攻兵器「震洋(しんよう)」の格納壕があったとか。
モーターボートの先端に炸薬を搭載した特攻兵器、旧世代の忌まわしき遺物ですね。
海岸に降りてみると「何か」を海に出すためのレールのようなものが見えます。
海の中まで続いてる。
上から見下ろすとこんなかんじ。
この「何か」が特攻兵器だったのか、
そもそもこれはそういう目的の人口構造物なのか、
定かではないです。
そのレールのようなものの目の前の洞窟を見ると、文字が掘られています。
X月、X期、弐号・・?あとなんだろう・・?
他にはアルファベットや
また別の文字が彫られていました。
その近くにはより奥行きのある洞窟があったんですが、
えーと、覗き込んだ時、なんか本能的なものがこれ以上入るのはやめておけと警告していたので、
入り口から中を見る程度に留めておきました。
公園内の他の遺跡を見て回りましょう。
発電所施設跡
コンクリで塞がれて中は見られません。
この中も赤山地下壕みたいに深く長く掘られてるんだろうか・・・?
このビジターセンター脇の遺跡も、
入り口が塞がれてるけど見た目的にかなり奥行きがあったかもと想像できますね。
さりげなく平和的な形に改造されている元砲台跡なんかも。
水没して入れない遺跡もあります。
そしてここが最大の場所、探照灯格納庫跡です。
探照灯、いわゆるサーチライトを格納、及び展開するための施設のようです。
片方には建造物、そして反対には長い廊下があって
それを進むとおそらく探照灯を展開していたであろうエレベーターのような場所につきます。
アッサリたどり着いてるようだけど、実はその廊下が長くてすんごい不気味、
ヒエー!一人で来るとやっぱ怖い!
下は完全に水没してて、どこまで深いのか想像できません。
脇に階段があったから、結構深いのかも?
上を見ると固定用のロック機構がありそうな箇所が。
外に出て回ってくると
その上から見ることが出来ます。
こんなかんじ、高いですね。
昭和3年といえば第一次世界大戦が終わって10年後、第二次との間の時ですね。
色々と考えさせられます。
戦争遺跡といえばなんだか暗いイメージになりがちですが、
赤山地下壕同様、
満足な重機もないであろう当時にこれだけのものを建造できたっていうのはある意味見どころですね。
以上、
さぁ、いよいよ次回は例のトンネルです。
Posted at 2018/03/25 22:21:19 | |
トラックバック(0) |
突撃記 | 日記