次回はエンジンではなくパワーユニットについてでしたが、まだ知識が不足してるので、急きょ他のお話です。
近年のF1マシンはホワイトカラーだと識別は困難なほど同じに見える。レギュレーションと空力トレンドで同じになってしまうのであるが、依然は各チーム独創性と奇行とも思えるデザインやメカニズムにあふれていた。タバコ広告が規制される前は非常に美しカラーリングもF1ファンは楽しんでいた。
今回はF1創世記から、少し前までのF1マシンを紹介する。
まずは奇抜なマシンを・・・
ティレルP34

前衛投影面積の減少とフロントが4輪になることのグリップの向上をねらった。後輪が通常の径のため、当初期待された前影投影面積の低減は得られなかったが、むしろドライバーにとっては6輪のためにブレーキ性能が上がり、コーナーの奥深くでブレーキングできる副次的要素のほうが好評だった。しかしタイヤの開発等問題もあり結局、1勝に留まった。これの影響のため、フェラーリ、マーチ、ウイリアムズが後ろ側を4輪にしたマシンを開発したが、いずれも実戦には投入されず、1983年の車両規定改正で「車輪は4輪まで」と明文化され、6輪車は禁止された。
ウイリアムズFW08B
BT46B(ファン・カー)

駆動力ではなく、大型送風機(ファン)を取り付けて車体の底から空気を吸い出し、負圧を発生させるという方法を用いたマシンで、デビューウインを飾ったがBT46Bは違法ではないものの「安全上の見地から」即刻使用禁止とする裁定が下された。スウェーデンGPの優勝は公認されたが、BT46Bは出場1戦1勝(勝率100%)というリザルトを残して選手権から排除された。
前年のBT46は三角断面モノコックの側面にアルミ製の薄いヒートエクスチェンジャーパネルを並べ、ボディ表面を流れる気流でエンジン冷却水とオイルをクーリングする方式とした。冷却や構造上のトラブルを抱え、実戦投入は見送られたが、ファンカーといいマーレーは個性的なアイデアとレギュレーションの盲点を突く意外性に富んでいた。
ロータス56B

1967年のインディでガスタービン旋風を巻き起こしたSTPのボス、アンディ・グラナテリが、翌68年シーズン用としてロータスに依頼して製作したタイプ56。ツインラダーフレームをもつメインモノコックに、500bhp以上を発揮するプラット&ホイットニー製のSTN6B-74ユニットを搭載。駆動系にはSTPスペシャル同様、ファーガソンの4WDシステムが組み込まれた。しかしながら、ガスタービンエンジンのレスポンスはF1には不向きで成績は低迷。プロジェクトは打ち切られてしまった。
フェラーリ・126C2

ハーベイ・ポスルスウェイトがデザインしたマシンで、1982年シーズン、ロングビーチでおこなわれた第3戦アメリカ西GPで、2枚のリヤウイングを前後にずらして互い違いに装着し、ウイングの幅をマシンの全幅規定いっぱいとした「ダブルウイング」を投入。リヤウイングの幅は1,100mm以下との規定を拡大解釈したものだったが。これは当時流行った水タンクを使用した車重の軽量化に抗議するものだった。結局3位フィニッシュしたヴィルヌーヴは失格となった。
ティレル・019

最大の特徴は車体前半部分にみられる「ハイノーズ」と呼ばれる斬新な空力デザインであった。ティレルはノーズを上方に持ち上げ、モノコックの下側に空間を作ることで、車体の底へ気流を流し込み、路面との間でより多くのダウンフォースを発生させることを狙った。宙に浮いた格好のノーズは、イルカの頭部に似ていることから「ドルフィンノーズ」と呼ばれた。この状態では「フロントタイヤの後端からリアタイヤの前端までの部分は、車体下面を平滑な面にしなければならない」とされるフラットボトム規定に抵触してしまうが、019ではアンダーパネルをフロントタイヤの前端の位置まで突き出すことで規定をクリアしていた。またフロントウィングは、それよりも上方にあるノーズコーンに取り付けるために根本付近が斜めに湾曲しており、「アンヘドラル(下反角)ウィング」と呼ばれた。あるいは、かつてのアメリカの戦闘機「F4U コルセア」のような逆ガル翼形状であったことから「コルセアウィング」とも呼ばれた。
マーチ711

前年度大きな成績を収めたマーチは1971年モデルとして登場したのが、奇妙なウイングをノーズ先端に載せた、タイプ711であった。
空気抵抗(ドラッグ)減少と、後方へのエアの流れ、そして巨大なダウンフォースを得るための前後ウイングの装備であった。しかし成功せず、ピーターソンが2位・4回程度の戦績で終わっており、モンツアでは、取り外れていた。この時期はまだ明確な空力理論がなく、模索を繰り返している状態であった。
ブラバム・BT55

前面投影面積を減らし、トップスピードと燃費性能の向上をねらったマシンである。BT55の開発にあたり、設計者のマレーは徹底して車体の全高を低くするコンセプトを打ち出した。シャーシサイドはドライバーの肩が露出するほど異様に低く、ステアリングはフロントタイヤの高さよりも下にあり、ドライバーは寝そべるような格好で搭乗した。直列4気筒エンジンはV型エンジンに比べると全高が高くなってしまうので、BMWが左に72度傾いたM12/13/1エンジンを開発した。クランクシャフトが車体中央線からずれるため、ヴァイズマンが専用7速ミッションを開発した。コクピット後方の燃料タンクも横長になったので、ホイールベースが延長された。BT55の平たい特異なフォルムは「フラットフィッシュ(ヒラメ)」「ローライン」「スケートボード」などと呼ばれた。
しかし、新開発のミッションは信頼性に乏しく、エンジンもコーナリング時のGで潤滑に問題が発生するなど熟成不足によるトラブルが多発した。さらに、5月のポール・リカールテストでエリオ・デ・アンジェリスのマシンがクラッシュ・炎上し、デ・アンジェリスが死亡するという悪夢にも見舞われた。あまりの不調に第9戦イギリスGPでは、前年型のBT54が投入されるなどシーズンを通して不振に終わり、僅か2ポイントの獲得に終わった。
この失敗によりブラバムを去りマクラーレンに移籍する。
マレーは「完全に私のミスだった」「短時間で多くをやろうとし過ぎた」と回想している。BT55の失敗によりブラバムを去り、マクラーレンに移籍することになるが、BT55のコンセプトの正しさは2年後のマクラーレン・MP4/4で証明されたと述べ、「88年のマクラーレン (MP4/4) はマールボロの皮を被ったBT55だ」と表現している。
モデルカーマニアからは現在でも絶大な人気があり、残した戦績にかかわらずF1の歴史を語る上で重量な1台である。
リジェ・JS5

リジェチームが1976年シーズンのF1参戦に用いたフォーミュラカーである。
この年からF1に参戦したリジェはオールフランスを標榜し、フランスのマトラ製V12エンジンを搭載して、多くのスポンサーからの潤沢な資金でシーズンを戦った。ジャック・ラフィットがドライブするJS5は巨大なインダクションポットを備え、「ティーポット」と揶揄された。第4戦スペインGP以降、レギュレーション改正で高さ制限がされると、巨大なインダクションポッドは姿を消し、コンベンショナルな形状に変えられた。
広告塔という意味ではこれほどスポンサー向けのマシンは無い。
トールマン・TG183

1983年から全車フラットボトム規定に変わり、前年型をレギュレーションに合わせたトールマン・TG183Bを投入。フロントノーズにスポーツカーノーズ内で、床下に完全なベンチュリーシステムとなっていて、巨大なダウンフォースを発生し、リアウィングにアスペクトレシオの大きなフォワードウィングと通常のリアウィングがフラットボトムでのダウンフォース削減分を補うという特徴を持つ。あのセナのデビューマシンでもある。
次回は醜いマシン、美しいマシン・・・
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F1 | 日記
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2013/11/29 02:01:09