2016年08月15日
長男と市役所の出張所に向かう途中に前に見慣れない車が
何と330セドリック

ナンバーも330
拘り
ホイールはRSワタナベのゴールード、フロントがローダウン、リヤがチョッとアップしている
かなり年配の男性がレイバンっぽいサングラスをしてゆったりと走っていました。
懐かしいし、カッコイイ!!
何か得した気がする!!
Posted at 2016/08/15 19:48:03 | |
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車 | 日記
2016年08月12日
本日、次男がブラジルから帰国するので、成田国際空港に家内と迎えに行って来ました。
東関道から駐車場に入ろうとしますが、お盆の為か駐車場が満車で閉鎖されていて駐車場に入れません。
第5駐車場:予約専用駐車場 しか空いていません。
しょうがないので、そこへ
定刻通り、飛行機が無事に到着し、次男の自宅に向かい、自宅前でキリ番をゲットしました。

Posted at 2016/08/12 20:33:05 | |
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車 | 日記
2016年07月13日
ブルーバードの名前の由来は、メーテルリンクの童話『青い鳥』にちなむ。古来より欧米では青い鳥は「幸せの青い鳥」として幸福の象徴とされてきた。当時の川又克二社長によって命名された。当初は「スノーバード(ユキホオジロ)」と命名されるはずだったが、これがアメリカの俗語で「麻薬常習者」を意味していたため、改名せざるを得なかったと言う逸話がある。もっともアメリカ市場では単に「ダッツン」の名で販売された。また、2代目以降のスポーツグレードに与えられる「SSS」とは「Super Sports Sedan」の頭文字を取ったものである。

ポアロとペコとお散歩に行き、お散歩コースの一つにある、コーティング専門店の『コブラ』さんの前にこんなのが置いてありました。

ダットサン・ブルーバード 410型 2代目
足立 5 のシングルナンバー

2代目 410型系(1963年 - 1967年) ウィキペディアより出典
後にブルーバードのイメージを牽引することになるSSSが設定された初めてのモデルでもある。日産初のフル・モノコック構造の車体を採用、当初のボディタイプは、4ドアのセダンとエステートワゴンのみ。先代に引き続き北米輸出が図られたほか、新たに欧州へ輸出されている。スタイリングはピニンファリーナによるものであったが、欧州調の尻下がりラインが不評で、販売台数で初めてコロナにリードを許す。エンジンは当初先代からのキャリーオーバーであるC型1000cc45馬力とE型1200cc55馬力であったが、電源は310系までの直流発電機(ダイナモ)から、交流発電機(オルタネーター)に変更し、発電性能を向上させている。トランスミッションは310型系以来のフルシンクロの3速MTで、1200ccには「サキソマット」のオートクラッチの設定もあった。グレード構成は、1000ccはSTD、1200ccはSTDとDX、ファンシーDX、エステートワゴン。
1963年9月 - 発売。
1964年3月 - ブルーバード初のスポーツモデルとなる「1200SS(スポーツセダン)」を追加。E型1200ccにSUツインキャブ65馬力のエンジン搭載。
1964年9月 - マイナーチェンジでフロントグリルの意匠を変更。1000ccモデルが廃止され、2ドアセダンが追加。
1965年1月 - リクライニングシート車設定。
1965年2月 - 「2ドア1200SS」追加。
1965年5月 - マイナーチェンジで411型となった。また、1200ccモデルは1300ccJ型62馬力に変更となり、電装系をマイナスアースに変更。1300バンを追加。同時に「1600SSS」を追加。SUツインキャブ付き1600ccR型90馬力のエンジン、ポルシェシンクロの4段ミッションを装備。
1966年 - メキシコ日産のクエルナバカ工場にて生産を開始。
1966年4月 - マイナーチェンジで、評判の良くなかった尻下がりのボディ形状を改める大幅な変更を行った。この変更でテールランプが独特の形状であった通称「鍵テール」から平凡な形状に変更された。「1300SS」と「1600SSS」は専用フロントグリルに前輪ディスクブレーキを装備。
1966年6月 - ボルグワーナー製の3速オートマチック設定。
モータースポーツ1965年3月 - 「第4回ナショナルストックカーレース」(於: 川口オートレース場ダートコース)スポーツマンクラスにて「1200SS」が優勝。ドライバーは長谷見昌弘。
サファリラリー1964年 - 4台で参戦したが、リタイア。
1965年 - 3台で参戦したが、リタイア。
1966年4月 - 「第14回東アフリカサファリラリー」に4台の「1300SS」(ダットサンP411-TK)(1299cc)で参戦。グリンリー/ダンク組が5位で完走し、クラス優勝[注 5]。
モンテカルロラリー1965年 - 1台参戦、リタイア。
1966年 - 1台参戦、総合59位。
1967年 - 3台参戦、総合58位、2台リタイア。
Posted at 2016/07/13 05:59:10 | |
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