今回はいすゞの小型トラック「ワスプ」及び、そのベースとなった「ベレット」を御紹介します。
ベレットは新車当時から欧州調グラン・トゥリズモとして人気が高く、現在も愛好家が
多く存在し、資料や現存台数も多いです。
しかしワスプに関する資料は少なく、ネット上でも詳細なデータなどは見当たりませんでした。
偶然にも新車発表時の記事が掲載された自動車専門誌を持っていたので
まずはそれを御紹介します。
※以下、鉄道日本社発行 自動車工学 第十二巻・第八号 昭和三十八年八月号より抜粋
ページの左下には”需要家の利益を保證し業者の信用を高める!”という
ヘッドコピーが印象的な、ベアリング・メーカーの広告があります。
現在では、ベアリングやガスケットといった部品の広告は一般紙では見かけませんが
当時はエンジンO/Hが珍しいことではなく、交換が前提となる
こういった部品の広告も多く掲載されていました。
右下には、ニッサンディーゼルの8トン車”T80”と、6トン車”UG680”が掲載されています。
T80は、日野の”剣道面”デザインに強い影響を受けたことがわかります。
同時期の、G30系ニッサン・セドリックとも共通するイメージの縦目配置が特徴的な
UG680型は、トミカ・リミテッド・ヴィンテージで立体化されたことで有名です。
※以下、記事本文
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新小型商業車 いすゞワスプ
いすゞ自動車が発表した1トン積みトラックのワスプ
(WASP。蜂のことで小さいながら力の強い勤勉な働きをするものの意味)。
同時に発表された新乗用車ベレットのスタイルを基調に乗用車感覚を十分盛り込んでいる。
1325cc、58PS(5000rpm)、最大トルク 9.8mkg(1800rpm)のガソリン車(KR10型)および
1764cc、50PS(4000rpm)、最大トルク11.2mkg(2000rpm)のジーゼル車(KRD10型)がある。
軸距が2.5mで最小回転半径は5.2mと小回りがきく。
前照灯は4つ目。走行燃費はガソリン車13.5、ジーゼル車17km/l。
車両総重量2150kg。
ボデーは全鋼板プレス製で、箱型断面梯子型のサイド・メンバとクロス・メンバを組み合わせた
フレーム上に搭載され、トーションバー式前輪独立、後輪は板ばね懸架で、デフに
ハイポイド・ギアの採用、半浮動式リア・アクスル等、1トン車として十分な堅牢性を誇る。
なお、ガソリン車は2連気化器を採用して最高速度 116km/h、ジーゼル車も 104km/hをマーク。
4段変速機と相まって加速性も優れている。
そのほか、ボール循環式ステアリング、前後輪共デュオサーボ・ブレーキ等が機構上の特徴。
■主要諸元■(カッコ内ジーゼル)
全長4095×全巾1525×全高1615mm
軸距・・・・・・・・・・2500mm
輪距・・・・・・・(前)1220mm (後)1200mm
最低地上高 205mm
荷台内側寸法 長1745×巾1355×高380mm
車両重量 1040kg(1100)
最大積載量 1000kg
乗車定員 2名 登坂能力(Sin θ) 0.275(0.272)
変速機 前進4段(2速以上シンクロ) 後進1段
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ワスプは1963年6月17日、のちにいすゞを代表する乗用車に成長することになる
ベレットと共に発表されました。
両車のイメージは似通っており、ドアパネルやフロントフェンダー、インストゥルメント・パネル
などは共通で、リヤフェンダーのラインも同じデザインで仕上げられています。
乗用車とのパネルの共用は、ライバルの日野・ブリスカ(2代目・H100系)も行っています。
車名は蜂を意味し、いすゞの”働きバチのように活躍する”という願いを込めたネーミングでした。
外観こそベレットと共通のイメージが与えられていますが、乗用車と貨物車という
用途の違いから、機構的には大きな差異があります。
軽量なモノコック・ボデーと独立懸架のベレットに対して、ワスプは堅牢かつ多種多様な
ボデーの架装が容易なフレームシャシーと、大きな積載に耐えるリーフ・リジッドの
リヤ・サスペンションを持っています。
ワゴン版である「ベレット・エキスプレス」も、外観はベレットと共通のイメージで
仕上げられていますが、ワスプと共通のフレームシャシーを持ち、生産ラインも
ベレットはいすゞ藤沢工場、ワスプ/エキスプレスは大和市の車体工業と別になっています。
1967年7月に登場した”ジープ・ルック”のオープン・トラック「いすゞ・ユニキャブ」の
シャシーは、ワスプ/ベレット・エキスプレス用のフレームを短縮したもので
前後サスペンションも流用されています。
ワスプは、ディーゼル・エンジンを搭載したエルフの成功で勢い付くいすゞの意欲作で
あったものの、トヨタですら攻略できなかった当時の市場の覇者、ダットサン・トラックの
牙城を崩すことは叶いませんでした。
自慢のディーゼル・エンジンも燃費面では有利であったものの、振動・騒音の点で不利でした。
当時は技術的な問題から、小排気量のディーゼルは普及が進んでいませんでした。
少なくともこのクラスに於いては、ディーゼル搭載車はガソリン車に対する圧倒的な
アドバンテージがあるとは言い難く、販売は伸び悩みました。
ワスプは、ベレット譲りのその姿が乗用車感覚を強く打ち出していたことも
かえってマイナスになってしまったのかも知れません。
1972年には後継車としてファスターが登場、ワスプは1代限りの車名に終わりました。
後継車のファスターは、ベレットの1クラス上の乗用車であるフローリアンがベースです。
ファスターはワスプと同じく、乗用車であるフローリアンのパネルとデザインを共用しつつ
フレームシャシーを与えられたトラックでした。
GMとの提携によって兄弟車としてシボレー・LUVが登場、日本でも
北米嗜好のマニアから人気になりました。
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こちらは解体屋で新たなるオーナーを待っている、希少なワスプです。
1966年4月のマイナーチェンジで、ベレットBタイプと共通の異形2灯ヘッドライトに変更されるので
1963年6月のデビューから、MCの1966年4月までに生産された初期モデルと思われます。
フロント・フェンダーから始まる、抉られたプレスラインは荷台まで続いています。
これには、キャビンとベッドの一体感が演出する効果があります。
実用性が求められるトラックでありながら、セダン譲りのデザインを尊重した
そのスタイルは、まさにセダン・ピックアップと云った雰囲気を醸し出しています。
さしずめ「ベレ・カミーノ」と云ったところでしょうか。
リヤ・フェンダーに刻まれた、疾走感溢れるサーフィン・ラインは
スピード感と力感を感じさせるデザインとなっています。
しっかりした造りの鳥居や、荷掛けフックが良心的です。
基本ボディの低床1方開きで、タイヤハウスは積載容量の数値よりも
実際の使い勝手を考慮した角型となっています。
ベレット譲りの丸っこいキャビンは、洒脱な雰囲気を漂わせています。
ドアには、今ではほとんど見かけなくなった「自家用」の文字が記されています。
バンパーは本来、白色ですがボディ同色に塗られています。
新車時の写真を見ると、グリルもバンパーと同じく白で塗られており、ヘッドライトベゼルは
クローム掛けされていますが、この個体はボディ同色に塗られていました。
インストゥルメント・パネルの形状は、ベレットと共通で輸出を考慮した左右対称型が特徴です。
現在では多くのトラックがフロア・シフトを採用していますが、当時はこのクラスのほとんどが
コラム・シフトを採用し、3名乗車と乗用車感覚の運転を実現していました。
カマボコ型のホーンリングや、スポーティーな丸型2眼メーターがカッコいいです。
ピアノの鍵盤のような配列のスイッチ類も、いすゞの謳う
「コージー(居心地の良い、の意)インテリア」の特徴です。
助手席側の窓がわずかに閉まりきっておらず、浸水による錆やカビの発生が懸念されます。
リヤ・フェンダーには、停まっていても躍動感を感じさせるサーフィン・ラインが刻まれています。
この部分だけを見ると、とても貨物車の荷台とは思えないデザインです。
当時のバン/トラックには、現行の”乗用車”とは比べ物にならないほど洒落っ気がありました。
シンプルなフェイスのスティール・ウィールは純正で、本来はクローム掛けの
お椀型センターキャップが装着されます。
凝った造りの、スライド・カバー付燃料キャップはクローム仕上げで、ベレットと共通部品です。
現存するワスプの台数は不明ですが、かなり少ないものと推測されます。
もともと生産台数も多くは無かったと思われる上、こういったトラックは愛好家によって
保存されることなく、スクラップにされてしまう割合が多いのも影響しているでしょう。
大変希少な1台ですので、潰される前に愛好家に引き取ってもらえるように祈っています。
程度も良いので、復活させることは容易と思われます。
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続いてはワスプのベースとなった、いすゞの主力乗用車「ベレット」を御紹介します。
トランクに輝くガーニッシュには、疾走感溢れるレタリングで車名が刻まれています。
ライセンス・プレートは、新車登録時に交付されたと思しき「 北 5 」のシングル・ナンバーです。
長年の風雪によって研磨されたライセンス・プレートは、下地の色が透けて見えることに
よって素晴らしい雰囲気を演出しています。
ベレットは1963年6月に登場、ヒルマン・ミンクスの後継車かつ
いすゞの5ナンバー・フルサイズセダンであるベレルの弟分としてデビューしました。
ヒルマン・ミンクスの生産で培った経験が生かされた、欧州調の小型サルーンです。
スポーティーな「GT」を設定するなど、黎明期の日本のモータースポーツ界で活躍し
大手のライバル車とは一味も二味も違う強い個性が、多くの愛好家を産みました。
ラック&ピニオン式のシャープなステアリングや、優れたコーナリングを可能とする
四輪独立懸架、軽快な加速と高速巡航を両立する4速ミッションなど
ライバルの持たざる機構を多数備えていました。
特筆すべきは上掲の装備が、スポーツ・グレードではなく標準車に装備されていたことでした。
素性が良く、ベーシックなグレードであっても当時の国産車の中では
かなりスポーティーに仕上げられていました。
その一方、より保守的な機構を与えられた「Bタイプ」も追加設定されました。
更に、トップモデルとしてDOHCエンジンを搭載した「GTtypeR」を投入し、その人気は頂点に
達しましたが、GMとの提携によっていすゞはオペルの開発した「Tカー」(世界戦略車)を
生産することになり、ベレットは「ジェミニ」を後継車に指名し1973年に舞台を去りました。
この個体は1500デラックスの4ドア・サルーンで
1966年4月のマイナーチェンジ後のモデルとなります。
外観上の差異として、テールランプが縦に細長い「オムスビ」と形容されるタイプから
幅広い台形型に変更されました
トランクリッドに独立していたバックランプは、テールレンズの下側に組み込まれました。
トランクのヒンジが剥き出しのアウターヒンジなのも味があります。
タマゴ型と形容されたスタイルは、当時の欧州車風です。
ボディに走るプレスラインが、ワスプと共通なのが良くわかります。
運転席側Aピラーに装着されたアンテナがスタイリッシュです。
GTではアンテナが、ルーフ前端のセンターに取り付けられます。
中央に「ISUZU」と刻まれた、純正のウィールキャップは4枚とも欠品していません。
本来はクローム仕上げのハズですが、もともと無塗装のような雰囲気でツヤはありません。
カバーのスキマから見えるスティール・ウィールも、キャップと共通のイメージで
デザインされたもののように見えます。
また、いすゞ純正の保護紙に包まれた新品のバンパーなど
スペアパーツもストックされていました。
この車輛は中古車販売店の展示場に並んでおり、価格応談となっています。
機関の状態は不明ですが、内外装ともに良好であることから大きな問題は無いと推測されます。
万金を積んでも買うことの叶わない貴重な「 北 5 」のシングルナンバーを
継続できる方が新しいオーナーになってくれるよう祈っています。
シングルナンバーは、気安くナンバーを外せないので、ある意味では重荷にも
なりかねませんが、それ以上の特別な「価値」があると信じて疑いません。
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少し話が脱線しますが、ワスプという言葉には様々な意味があり
スズメバチやアシナガバチといった捕食性の大型蜂や、アメリカの
自動車メーカー・ハドソンの車種名としても使われていました
また「White Anglo-Saxon Protestant」の略でもあります。
そんな中で個人的に「ワスプ」と云えば、コレを思い起こします。
アメリカ海軍・航空母艦 USS Wasp(CV-7)
1942年、それまで欧州戦線にあったワスプは、レキシントンとヨークタウンを相次いで喪失し
活動可能な空母の数で日本軍に対して劣勢となっていた太平洋戦線に派遣されました。
1942年9月15日、索敵中であった日本海軍潜水艦”伊-19”はソロモン海洋上で哨戒機の
収容作業中であったワスプを捕捉、これに対して6本の魚雷を発射しました。
様々な技術的障壁を突破し、日本海軍のみが実戦投入できるレベルに達していた酸素魚雷は
一般的な魚雷に対して、航跡が残らない・威力が大きい・長射程といったメリットがありました。
小型艦船ならば唯の一撃で葬るその威力から、連合軍は酸素魚雷を
「ロング・ランス(長槍)」や「姿なき殺戮者」と呼び畏れました。
伊-19の放った魚雷のうち3本がワスプに命中し、残り3本は遠方に位置していた
新鋭戦艦ノースカロライナと駆逐艦オブライエンに、それぞれ1本ずつ命中するという
驚異的なハットトリックを達成しました。
ノースカロライナは艦首を吹き飛ばされ半年間もの間、修理のために戦線を離脱しなければ
ならず、オブライエンはしばらく後に沈没の憂き目に遭いました。
3本もの酸素魚雷が命中したワスプは、艦内に満載している航空機用燃料や
爆弾が次々と誘爆を起こし大火災が発生、格納庫内は凄惨たる地獄絵図と化しました。
ワスプの指揮を執るシャーマン艦長は、懸命に態勢の立て直しを図ったものの
運悪く消火用設備が破損、被雷直後にダメージ・コントロール機能を喪失しました。
懸命な復旧努力も虚しく、3度の大爆発を繰り返したワスプに遂に総員退艦が下令されました。
ワスプは日本側の手に渡ることのないように、味方駆逐艦の魚雷によって自沈処分されました。
連日連夜、激戦が繰り広げられる中で貴重な正規空母を一瞬で失ったことは
米海軍にとって大きな痛手となりました。
一撃必殺ノ酸素魚雷ヲ其ノ巨体ニ受ケ、断末魔ノ叫ビヲアゲル敵空母。
破孔部カラノ多量ノ浸水ニヨリ、忽チ右ニ大傾斜セリ。
航空機燃料ノ誘爆ヲ起コシ大火災ヲ生ジタル。
ワスプ撃沈は、日本軍潜水艦が無傷の敵正規空母を仕留めた唯一の大金星でした。
しかし困ったことに、1942年9月に喪失したワスプは僅か1年余り後の
1943年11月にエセックス級8番艦として復活しました。
アメリカは、ホーネットやレキシントンなど日本軍によって撃沈された空母の名を
次々と就役する新型空母に与えました。
圧倒的な生産力を誇る米国にしか出来ない芸当でした。
1943年2月には日本軍はガダルカナルから「転進」(撤退)し、戦争遂行能力の限界を迎えた
日本は、坂道を転げ落ちるように後退を余儀なくされます。
それに対して1942年より総力戦体制に移行したアメリカは、次々と航空機や艦船を増産し
徐々に日本に対する包囲網を狭めていったのでした。