プリンス・スカイウェイは、スカイラインをベースに開発されたライトバン及びピックアップです。
スカイライン発売から2年後の、1959年4月に登場しました。
「稜線」を意味するスカイラインの車名を生かしながら、「航空路」という意味の
洒落たネーミングが与えられています。
高級車ベースの貨客兼用車は、ほぼ同時期にトヨタからも登場しており
そちらの車名もクラウン・バンではなく、”マスターライン”の名を冠していました。
デビュー当初、車名は「スカイウエイ」と表記されていましたが
途中で「スカイウェイ」に切り替わっています。
こちらは初期型のスカイウェイ2ドア・ライトバンで、日産の座間記念庫に保管されている車輌です。
ミラーは本来、殺人ミラーが右側に装着されるのみです。
ホワイトウォール・タイヤも純正ではなく、本来は黒タイヤとなります。
デビュー当初のラインナップは、2ドア・ライトバンと2ドア・ピックアップでした。
車輌型式はライトバンがALVG-1、ピックアップがALPE-1となります。
ライバルであるトヨペット・マスターラインと違い、シングル・ピックアップが用意されずに
6名乗車のダブル・ピックアップのみの展開とした点に、プリンスの狙いが見えてきます。
純然たるトラックとしての役目はマイラーに一任し、スカイウェイは飽く迄も貨客兼用車としての
性格を強く打ち出そうとしたと考えられます。
これは先代に相当するプリンス・コマーシャルバン/コマーシャルピックアップから
引き継がれた方向性です。
国産最高級乗用車を標榜するプリンスが、乗用車ベースで開発したモデルに
「乗用車ライクな貨物車」ではなく「貨物も積載できる乗用車」という性格を与えようとし
商用車に抱かれるタフながらスマートさに欠けるイメージを嫌った為と思われます。
グリルはスカイライン・スタンダードと共通ですが、大きくリファインされたリヤのテールフィンに
合わせて専用意匠のベルトラインが奢られています。
リヤゲートは上下開きで、現在のガラスハッチのようにアッパーゲートだけを開くことも可能です。
バックランプは、フロントのターンシグナル・レンズと同じく砲弾型です。
ルーフエンドの控え目な鍔が可愛らしいです。
ロワーゲートの右下には、当時クラス最強を誇った「70馬力」のエンブレムが誇らしげに輝いています。
特筆すべきはリヤのテールフィンの大胆なデザインで、ベースとなったスカイラインよりも
大きく派手なものが採用されています。
一般的な貨物車であれば、荷室容量を稼ぐためにサイドをフラットにしますが
スカイウェイでは大きく張り出したテールフィンによって
内寸を犠牲にしてでもデザインを優先したことが見て取れます。
1957年4月に登場したスカイラインは当初、控え目なテールフィンでしたが
1959年4月に登場したスカイウェイでは、当時の米車のトレンドにあわせてより
ダイナミックなデザインを採用しています。
商用車にこのようなアバンギャルドなデザインを採用したのも、プリンスの狙う乗用車的としても
まったく恥ずかしくない、スマートな貨客兼用車というポジションを明確にするためでした。
ライバルのマスターラインが、クラウンに与えられたテールフィンを採用せず
保守的なリヤビューとなっているのと好対照です。
ウェストラインからリヤエンドまで勢いよく伸びた羽根は、初代スカイラインの後期モデルと並ぶ
テールフィン時代の国産車の傑作と云えるデザインです。
積載量は500kgで、エンジンはOHV1484ccのGA30型 60馬力で最高速度は110km/hでした。
プリンスは頻繁なマイナーチェンジを実施し、最終的には91馬力に達しました。
価格はライトバンが84万円、ピックアップは83万円となっていました。
ベースとなったスカイラインは、デビュー当初デラックスが120万円、スタンダードが93万円で
1958年11月にそれぞれ115/90万円、1959年8月には108/87万円に価格改定されて
いますから、スカイライン・スタンダードとスカイウェイの価格差はあまり大きくありません。
デビュー約1年後の1960年2月には、初めてのイヤーチェンジを実施。
乗用車初の4灯式ヘッドライトを採用したグロリアに続いて、商用車としては国産初となる
4灯式ヘッドライトを採用し、カタログでも大々的に「4ランプ」を謳いました。
4灯式となったスカイウェイ・ピックアップ。
ミラーが運転席側にしかないことに注意です。
リヤのサイド・ウィンドウは、スライド式で開閉が可能です。
こちらはライトバンで、ピックアップよりも乗用車的な性格が強く
ツートーン・カラーが採用されている点にもそれが表れています。
タイヤは素っ気ない黒タイヤですが、ボディ同色のウィールがクロームのハブキャップを
引き立てて豪奢な雰囲気を演出しています。
ライトバンには従来2ドアしかなく、乗用メインで使うには不便であったことから
右側1枚/左側2枚の変則3ドアを採用し、利便性を向上させました。
型式もライトバンがALVG-2改型、ピックアップがALPE-2改型に変更されました。
価格は据え置きでしたが、1960年8月にライトバン80万円/ピックアップ79万円に価格改定され
続いて1961年4月にはライトバン2ドア76.5万円・3ドア79.5万円/ピックアップ75万円へと
さらなる値下げに踏み切りました。
この時のマイナーチェンジではフロントが4灯式に変更されただけなので
カタログのイラストは、ライトを4灯式に手直ししたものが流用されています。
興味深いことは、同時に行われた乗用車のスカイライン・スタンダードのマイナーチェンジでは
4灯式が採用されず、1960年9月まで2灯式を採用していたことです。
乗用車のスタンダード・モデルより、貨客兼用車に豪華な装備を与えた点にもプリンスの
「トランクの大きな乗用車」という企画意図が見えてきます。
スカイラインを路上で救援する、プリンス・サービスカーのスカイウェイ。
1960年9月1日、道路運送車両法が改定され5ナンバーの排気量上限が
1500ccから2000ccに引き上げられました。
この法改正に伴い、1961年10月のマイナーチェンジでスカイウェイにも
グロリア用に開発された1862cc 91馬力のGB4型エンジンが搭載されました。
車名もこれを強調するべく「スカイウェイ1900」となりました。。
型式はライトバンがBLVG-3、ピックアップがBLPE-3で1500ccエンジン搭載車は廃止されました。
価格は3ドアバンが81.5万円、2ドアバンが78.5万円、ピックアップが77.3万円となっています。
1962年3月には従来の3ドアバンに代わり、利便性を向上させた4ドアバンが登場しました。
3ドアバンは廃止され、2ドア/4ドアバンとピックアップにラインナップが変更されました。
1962年10月、ベースモデルのスカイラインのビッグマイナーチェンジに合わせて
スカイウェイも大掛かりなマイナーチェンジを実施します。
プリンスの車輛型式命名法が整理・変更され、ライトバンがV23B-2、ピックアップがP23A-2
になりました。
型式には「-2」という数字が入っていますが、1型は存在しません。
エンジンも機構的な変更はありませんが、呼称が整理・変更されシンプルに「G2型」となりました。
こちらは海外で現役のスカイウェイ4ドア・ライトバンです。
大変綺麗に仕上げられており、殺人ミラーやウィールキャップも揃っています。
トミカ・リミテッド・ヴィンテージで立体化され、有名になったのはこの最終モデルです。
フロントグリルが、1962年9月登場のスカイライン・スタンダード(S21型)と共通となり
S4グロリア風のフラット・デッキスタイルに改められました。
ターンシグナル・レンズとヘッドライト・ベゼルは、マイクロバスのプリンス・ライトコーチと共通部品です。
フェイスリフトに伴うフロントオーバーハングの延長によって、全長が85mm長くなり
4505mmとなったほか、ベルトラインをスカイウェイ専用の新意匠のものとしました。
ライトバン4ドアが76万円、2ドアが73万円、ピックアップが72万円となっています。
1959年4月のデビューから比較すると、11万円もの値下げが行われており量産効果が見て取れます。
この時期から既に輸出も積極的に行われていました。
日本独自の規格である制約のある貨物と違い、海外では乗用車として扱われ、輸出仕様では
型式もバンを表す「V」に代わり、ワゴンを表す「W」を与えられた”W21B-2”となっています。
1963年9月にはスカイラインがフルモデルチェンジ、ダウンサイジングされて新登場しました。
スカイウェイは4ドアライトバンのみで継続、2ドアバンとピックアップは廃止されました。
車格的に直接の後継となるのは、1964年5月に登場したグロリア6ワゴンV43A-1型です。
トヨタが、マスターラインにライトバンとシングル/ダブルピックをラインナップし続けたことと好対照です。
生涯を通してミラーは運転席側のみ標準で、助手席側はオプション扱いでした。
これは当時の法規では、両側の装着が義務付けられていなかったからです。
スカイウェイは現存数が少なく、日産所有の前期型ライトバン2台、ショップ所有の
最終ライトバン1台、海外の3台ほどしか現存を確認できていません。
現時点では、ピックアップは(少なくとも表には)出てきていません。
もともと、貨客兼用車としての性格が強く打ち出されていた為、ピックアップよりも
ライトバンに人気が集中していたようで、新車販売台数も多くはなかったと推測されます。
雑誌などにも掲載された有名な1台。
こちらは輸出仕様のカタログで、左ハンドルになっておりミラーも左側に取り付けられています。
プリンスの輸出は1955年、東南アジアに2台のトラックが試験的に送られたのが最初でした。
東南アジア向けの輸出車輛には、戦後賠償としての現物償還も含まれていました。
輸出台数は1956年に51台、57年に118台、58年に178台、59年に843台、60年に964台
61年に1035台、62年に1406台、63年に1658台、64年の3713台と年々増加していました。
輸出先のメインは東南アジアで、他に中近東・アフリカ、北米・南米、大洋州(豪州方面)
欧州がありました。
こちらは右ハンドル・英語圏への輸出リーフレットと思われます。
プリンスでは、仕向地によって社名/車名を変更することが珍しくなく
ここでも「NIPPON」というブランド名が冠されています。
こちらは、豪州方面で活動しているプリンス・ダットサンクラブが所有している4ドア・ライトバンです。
両側の殺人ミラーや、ウィールキャップがきちんと揃っています。
後方にはS4グロリアの姿も見えます。
こちらも海外のサイトに掲載されていたスカイウェイ・ライトバンです。
フォグランプはグランド・グロリア用にも見えます。
当時の映画のワンシーンで、最終型のスカイウェイが横転し炎上しています。
もったいねぇ!
御紹介した通り、現存するスカイウェイは総てライトバンであり、その殆どが最終型です。
初代スカイライン系に関しては、国内よりも海外に多く残存していることに驚かされます。
残念ながらピックアップの実車の画像は、ネット上でも見つかりませんでした。
つい最近、みん友さんのおかげでピックアップの実車を拝むことが出来ましたので
近いうちに詳細を御紹介したいと思います。
戦後復興の先駆けとして、小さな翼を与えられたスカイウェイは母国を遠く離れ
当地の大型車とよく斗い、現代も愛好家の寵愛を受けています。
現代の日本車の「利便性は高いが趣味性に欠ける」とはまったく違います。
スカイウェイは「航空路」の名に恥じぬ、美しい翼をもったクルマと云えるでしょう。