1959年2月、皇太子殿下明仁親王(今上天皇陛下)の御成婚を祝し
”皇太子の栄光”の車名を奉りて、初代「プリンス・グロリア」は誕生した。
戦後初の3ナンバー大型車にして、皇室の慶事に供するに相応しい品格を備えたものであった。
金色に輝くベルトラインも美しく、鋭い垂直尾翼が航空機の遺伝子を示す
1962年9月14日には、ワイド・ロング・ローのダイナミックかつ細部まで隙の無い
完成されたデザインを実現した、2代目グロリア(S4系)が鮮烈なデビューを果たした。
複雑な曲面によって構成された、有機的なフォルムが個性的なプリンス グロリア・デラックス
5ナンバー規格に収まっているにも関わらず、それを感じさせない見事なデザインを実現し
アメリカ製大型車に引けを取らぬ、威風堂々たるスタイリングを誇った。
内装には日本が誇る伝統の西陣織を奢り、欧米の模倣に留まらぬ
日本独自の美しさ、「和」の世界観を打ち出した。
1963年6月20日には、国産初となるOHC6気筒2000cc・105馬力エンジン「G7」が投入され
総合性能に於いても、世界に名立たるメルセデス・ベンツに伍する国際一級車の地位に到達した。
最高速度155km/hを実現、OHC6気筒ならではのスムースさとフレキシブルさが自慢であった
欧米の一級車と肩を並べる、これらの名車を生み出したプリンス自動車の前身こそは
「東洋一の航空機メーカー」としてその名を世界に轟かせた中島飛行機であった。
プリンスの前身である中島飛行機の代表作、5700機余が生産された一式戰斗機「隼」I型(キ43)
大東亞の空を駆けた、帝國陸軍飛行第64戰隊(加藤隼戰鬪隊)所属の「隼」の勇姿
利益と効率を最優先する、官僚的かつ硬直化した大メーカーが持たざるもの。
最先端分野であった航空機の開発により磨き抜かれた高い技術力。
上司と部下の壁が無い自由な社風、柔軟な発想。
常識に囚われないクォンタム・ジャンプの思想。
これらを以て、日本の自動車産業の発展を力強く牽引してきたプリンス自動車であったが
突如としてその命脈を絶たれることとなった。
1966年8月1日
旧態依然とした、一種の社会主義的な性格を持つ「特振法構想」に端を発する
自動車メーカーの整理統合計画。
これを実現せんと水面下で蠢動せる通産省の思惑により
プリンス自動車は日産自動車と合併するに至る。
こうして、プリンス自動車は栄光と矜持に満ちた歴史に幕を下ろしたのであった。
激動の時代の中で「栄光」の名に恥じぬ旗艦が見せた最期の輝き
それが3代目プリンス・グロリア(S6系)であった。
今回は、栄光と悲劇をその一身に背負いて歩んだ3代目グロリアの生涯を御紹介致します。
文字数制限の関係から、今回は5部構成となっております。
3代目グロリアは一般的に「A30系」と呼称されますが、これは鶴見(日産)側の型式であり
当ブログでは荻窪(プリンス)流儀の「S6系」を尊重し使用しています。
-●本項に於ける、型式記号及び略語の指し示すものは以下の通り--
・S6系(3代目グロリア)※日産側呼称A30
便宜上、本項ではS4/S5系に倣い各生産分を1/2/3型と分類する
1967年4月~1968年9月までの生産分を「1型」
1968年10月~1969年9月までの生産分を「2型」
1969年10月~1971年2月までの生産分を「3型」
・車種/型式対応表
スーパーデラックス:PA30-QM(G7H型搭載車)/HA30-QM(L20A型搭載車)
スーパー6:PA30-D(G7H型搭載車)/HA30-D(L20A型搭載車)
上記2車種について、末尾に”A”の付くものはニッサン・フルオートマチック装着車を指す
グロリア/スタンダード:A30-S(H20型搭載車)/A30-P(LPG車)
バン・デラックス:VPA30(G7L型搭載車)/VHA30(L20A型搭載車)
グロリア・バン/バン・スタンダード:VA30(H20型搭載車)
・輸出仕様
セダン
NISSAN GLORIA DELUXE:PA30-UQ/PLA30-UQ
NISSAN GLORIA/NISSAN GLORIA STANDARD:PA30-U/PLA30-U
ワゴン
NISSAN GLORIA Estate:WPA30-U/WPLA30-U
※Uは輸出仕様、Lは左ハンドル、Wはワゴン、PはG7型6気筒、Qは豪華仕様を示す
・S4系(2代目グロリア)
グロリア・デラックス:S40D
グロリア・スーパー6:S41D
グロリア・スペシャル:S40S
グロリア6ワゴン:V43A
グランド・グロリア:S44P
グロリア6:S41S
グロリア6エステート:W41A
皇室御料車 プリンス・ロイヤル:S390-1
・略語
OD(オーバー・ドライブ/ハイギヤード4速) PS(パワー・ステアリング) PW(パワー・ウィンドウ)
PB(パワー・ブレーキ/倍力装置) AT(オートマティック・トランスミッション) BW(ボルグワーナー)
MT(マニュアル・トランスミッション) WB(ウィール・ベース/軸距)
OHC(オーバー・ヘッド・カム) OHV(オーバー・ヘッド・バルブ)
-●S6系グロリアの概要と歴史的背景--
S6系グロリアの開発がスタートしたのはS4系グロリアがデビューした1962年の秋であった。
長期の開発期間を要する自動車に於いては、新型登場直後に
次期型の開発が始まるのが常である。
S6系の開発に於いては、プリンス初の試みとなる「企画委員会」が編成された。
これはプリンス自工(開発側)と、プリンス自販(販売側)が合同で立ち上げた組織である。
従来の商品企画・開発は、プリンス自工が独自に進めてきたもので
自販は企画・開発には基本的に関与せず、販売・サービスのみを担当する部門であった。
しかし、時代の変化と共に顧客の要望を汲み上げて商品に反映する必要が求められ
ユーザーの声をダイレクトに受け止めることの出来る自販の意見が採り入れられることとなった。
企画委員会の元で順調に進められていたS6系の開発であったが
1966年8月1日の日産による吸収・合併により、当初の構想の変更を余儀なくされた。
日産側の人間が送り込まれ、コスト削減を主眼とした部品共通化やバリエーションの
削減を強要されたが、それでもなおS6系グロリアは優秀なるプリンス陣営の手によって
開発された、紛れも無い純血のプリンス車であることは論を待たない。
--以下、S6系グロリアのカタログから抜粋--
”紳士専用の常用車です”
”こんなに運転し易い車が今まであったでしょうか”
”長距離にも余力をのこし、高速走行にも余裕をたもつ”
”日本の乗用車に誇りをもっていただく、あたらしいグロリア”
”それは、乗ることが誇りである栄光の乗用車なのです”
・・・「静」・・・
いま私どもが考えますことは、高速メカニズムの開発はもちろんですが、同時に、
高速性を十分に支える車の本質をバランスよく向上させることであり、
そこに技術と才能を奉仕させるべきだということです。
新型のグロリア・スーパー6はその問題と真剣に取組んだ解答です。
この開発は地味な努力の連続でした。
ある意味では商品開発というよりも、より学問に接近した研究でした。
疾風のようにハイウェーを駆けるチカラをフルに生かしながら安全性をいかに守るか?
車室に侵入する騒音をどう防ぎ、静かで快適な居住性が得られるか?など
「乗る人」に重点を置いて自問し、技術で自答しようとした結論がここにあります。
日本に初めて誕生した「静粛な車」
知性ある人に選ばれるのにふさわしい充実した車と信じます。
グロリア・スーパー6は「空前の収穫」といわれる車の理想像です。
”ハイウェー建設に先行”
日本は、世界の主要国で最も高速道路建設が遅れていました。
ヨーロッパでは汎ヨーロッパ道路ともいえるE路線(デンマークからイタリーまでを貫通させる計画)
まで着々と実行に移され、アメリカでは90%国庫負担の6万6千キロに及ぶ
高速道路網建設が急ピッチで進められています。
しかし、日本でもようやく名神、東名中央の高速道路が開通し、車の機動力が
充分に発揮できる時代が訪れ、さらに相次いで道路網計画は伸ばされようとしています。
高速時代の到来です。
こうして道路の高速化計画は、私達に時速100キロの世界をもたらしましたが、
心理的にも生理的にも、いままでの車では考えられなかった対策が要求されます。
プリンス車が国際舞台で堂々と欧米車と競ってきたのは、高速道路建設に
先行する技術開発があったからです。
”より安全に、より速く”
それは、高速性能の機構開発と同時に高速運転がもたらす非安全性にメスを入れることでした。
ニューグロリアは世界で最も厳しい規制を設けている米国安全基準を充分に
満足するものであり、さらに独自の安全機構を加えた最新鋭車です。
--引用終わり--
S6系に於いて重きを置いた点は以下の5点
・従来より継承せる技術の玉成と、新機構の積極的な採用により近代化を推し進める
・皇室御用達の名に恥じない、気品ある凛とした外観・内装の仕上げを目指す
・従来から推進せるメンテナンス・フリーの更なる高度化
・ATをはじめとする各種パワー・アシストを中核とした、米車的なイージー・ドライブの実現
・高速道路網の充実と貿易自由化に伴う海外進出に対応した、世界水準の性能と静粛性の実現
◆グロリア・スーパーデラックス(PA30-QM)仕様一覧
全長:4690mm 全幅:1695mm 全高:1445mm WB:2690mm
トレッド:前 1385mm 後 1390mm 最低地上高:175mm
客室(長):1830mm (巾):1420mm (高):1135mm
乗車定員:5名(コンソールボックス付セパレート・シート)
車輌重量:1295kg 車輛総重量:1625kg 燃料容量:50ℓ
ステアリング:リサーキュレーティング・ボール循環式 歯車比 19.8:1
走行装置:前 独立懸架式 後:半浮動式
タイヤサイズ:6.95-14-4P(ホワイトライン チューブレス)
懸架装置:前輪 独立懸架式 ウィッシュボーン・コイル式 後輪:半楕円板バネ
ショックアブソーバー:油圧複動式 スタビライザー:トーションバー式
エンジン:G7型 直列6気筒OHC 総排気量:1988cc(ボア・ストローク:75×75) 圧縮比:8.8:1
最高出力:105ps/5200rpm 最大トルク:16.0kgm/3600rpm
フロント縦置 4バレル2ステージ キャブレター(下向通風式)1基
トランスミッション:オールシンクロメッシュ式3段+OD(オーバードライブ)コラムシフト
減速機形式:ハイポイドギヤ 減速比:4.675
オプション:BW-35型 3速AT コラムセレクター
エアクリーナー:濾過式 燃料ポンプ:ダイヤフラム式 潤滑装置:全圧送式(フルフロー式)
冷却装置:強制循環式 ワックスペレット式
バッテリー:12V-35AH ジェネレター:12V-45A(交流式) スターチングモーター:12V-1.4kw
クラッチ:乾燥単板式
主ブレーキ:前 ディスク式 後:リーディングトレーリング式 油圧真空サーボ付独立2系統式
駐車ブレーキ:機械内拡式後2輪制動
最高速度:160km/h 登坂能力(Sinθ%):40.8% 最小回転半径:5500mm
制動距離13m(初速50km/h)
価格:111万円
車輛価格はS41D-2型/110万7千円→PA30-QM/111万円、PA30-D/101万5千円となっている。
PA30-QMはS41D以上S44P未満といった位置付けとなっており、PA30-DはS41Dと
概ね同じ位置付けであった。
日産との合併に伴い、3ナンバー大型車及び5ナンバー乗用ワゴンは廃止された。
最高速度は、急速に発展する高速道路網に対応し155km/h→160km/hと更なる余裕を持たせた。
登坂能力は(Sinθ%)37%→40.8%に向上、最小回転半径はWB延長に
伴い5400mm→5500mmとやや大きくなった。
制動距離は12m→13m(初速50km/h)となっている。
-●デザイン--
--カタログより引用--
”現代の風貌ロイヤルライン”
近代美たたえる最新鋭グロリア・スーパー・デラックス
シャープな個性と端正な品格が見事に融和したグロリア・スーパーデラックスは
車のフォーマルウエアと呼ぶにふさわしい紳士専用車です。
長く、巾広く、重心の低い風貌の「ロイヤル・ライン」。
直線を基調にしたデザインが近代的な格調をたたえています。
ロイヤル・ラインは、建築的な構成を背景にして生まれた斬新な造形です。
端正で、落着きはらったその風貌にはヨーロッパの中型車に見られるような
リゾートな雰囲気とは、対照的な風格があります。
フロント・グリルの中央を上下に2分する水平のラインは、そのまま、ヘッド・ランプから
サイドのモールに貫かれ、近代的なシャープな個性を強調しています。
フロント・グリルのパネルは亜鉛ダイカストのクローム仕上げで、
いつまでも美しい輝きを失いません。
グレーのパターンとの組合せが、新鮮な落着きを見事に定着させました。
ヘッド・ランプはタテ型4ランプ。車巾の広さを強調しています。
黄色の方向指示ランプはスタイルのバランスを尊重して、
乳白色のレンズでカバーされるなど細かい神経が行届いています。
リア・ランプもタテ型。上下に赤いテール・ランプ、ストップ・ランプを配して、その中間に
アンバーのフラッシャー・ランプを独立してはさみ、判別しやすくされています。
大型である上に、新設計のレクトアングル・カットのレンズが採用されているので白昼でも、
豪雨でも、後続車からはっきりと識別できる安全設計です。
リア・ランプの間には彫りの深い豪華なリア・グリルが格調の高さを示して取付けられています。
--引用終わり--
デザイン上の最大の特徴は愛称ともなった「タテグロ」の名の示す通り、縦型4ランプである。
縦目4灯ヘッドライトは、開発がスタートした直後の1962年9月にGMが「新しいトレンド」として
提唱した、1963年型ポンティアックに刺激を受けて採用が検討されたものであった。
縦目4灯ヘッドライト、アイブロウ、スプリット・グリルが特徴的な1963年型ポンティアック・カタリナ
車巾一杯に延ばされたリヤ・ガーニッシュもまた、S6系のデザインに影響を与えた
”ワイド・トラック”で知られるポンティアックは、視覚的なワイド感の演出も実に巧みであった。
ボディを実際以上にワイドに見せる効果を持つ縦目4灯ヘッドライトは、1960年代中盤の
デザイン・トレンドとなり、GMはポンティアックの続いて旗艦たるキャディラックに採用した。
これらは大変高い評価を獲得し、フォード、プリマス(クライスラー)、ランブラー(AMC)らが
追従するに至る一大ムーブメントとなった。
1965年型ランブラー・アンバサダー、各所にS6系と通じるデザインを持つ
車巾を実際の数値以上にワイドに感じさせる縦目4灯配置、その効果が見て取れるフロント
走行ビームを受け持つ上側のライトは、すれ違いビームを受け持つ下側のライトよりも
外側かつ前側に張り出して配置されており、繊細かつ複雑な表情を創りだしている。
「吊り目」のヘッドライトは、歴代プリンス車に引き継がれてきたアイコンである。
ヘッドライト・ベゼルの頂部には、前照灯を光源とし点灯するクリアランス・ソナーが備わっている。
これはALSIスカイライン/BLSIPグロリアから続く装備で、高い実用性を優れた発想で実現している。
その一方で、S6系グロリアのデザインに大きな影響を与えたのが
プリンス自らが手掛けた國産初の皇室御料車「プリンス・ロイヤル」(S390-1)の存在であった。
威風堂々でありながら、静謐な雰囲気を湛えるプリンス・ロイヤル
ボディ・サイズは全く違うが、基本的なシルエットを共有する2台
ロイヤルは全長6155mm、全幅2100mm、全高1770mmという桁外れの巨躯を
均整のとれたプロポーションに纏めるべく、必然のデザインとして縦目4灯ヘッドライトが採用された。
巨躯ながら決して威圧的でなく、どことなく温和な表情と感じさせるプリンス・ロイヤルのフロント
中央に十文字を据え、細かな格子によって形成された繊細なフロント・グリルの構成は
PA30-D/VPA30(2型)にそのまま受け継がれることとなった。
御料車に随伴する供奉車としての重責を担うグロリアは、ロイヤルと共通したデザインを
採用することにより、車列の完成度を高める意図もあり縦目4灯が採用されたのであった。
天皇陛下のお乗りになられた御召艦プリンス・ロイヤルの直衛を務める3台のプリンス・グロリア
この一葉からも、S390-1とS6系の基本のデザインを共通した成果が見て取れる。
それ故に、S6系を単純に「アメ車の真似」と呼ぶのは、特徴的なデザインの採用に至る
経緯を踏まえておらず、的を得ていないと云わざるを得ない。
フロントのデザインを反復する、縦型のテールライト配置
ヘッドライトと同じくテールライトの頂部にも、光を導いて点灯するクリアランス・ソナーが備わる
リヤ・グリルと呼ばれる、繊細な彫刻が施されたガーニッシュはボディ両端に置かれた
縦型テールライトと相俟って、より一層ワイド&ローを強調する視覚的効果を生みだしている。
サイドビューは、セダンの正統と云うべき端正なボックス・スタイルを採用。
長いノーズ、スクエアなキャビン、長いフードで構成される”富士山”型のシルエットは
正に、日本の風土が生んだ黄金比で形成されたスタイリングであった。
セダンの理想、正統とは斯くあるべしといった趣の美しいサイドビュー
基本的なシルエットは、1963年9月にデビューしたS5系スカイラインとの近似性が強く
ボディサイド中央を真一文字に走るベルトラインは、S4系とS5系それぞれのベルトラインを
巧く纏めたものとなっており、凛とした緊張感と格式を感じさせるものである。
上端をベルトラインと合致させたフロントのウィールハウス、少しだけタイヤに被さるリヤの
ウィールハウスや、フロントバンパーから始まりリヤバンパーへと伸びるストレートかつ
彫りの深いプレスラインは、スカイライン・スポーツやS5系スカイライン、S4系グロリアらの
歴代プリンス車が採用し続けてきた伝統のアイコンでもある。
S6系グロリアのデザインは、歴代プリンス車の集大成とも云うべきもので
密度が高く、一切の破綻無く、比類なき完成度を誇るものであった。
-●ボディ/シャシー関係--
S6系の機構面に於ける最大のトピックは、ボディ構造の刷新である。
基本設計を1957年登場のALSIスカイライン(S2系)から継承せる、トレー型の独立フレームを持つ
S4系から、新たにユニット・コンストラクション・ボディ(応力外皮構造体)を採用したのである。
S4系では車体の剛性不足(フレームとボディが別体式)と振動、騒音が弱点とされたので
S6系では一体式ボディに剛性を持たせることで振動を抑え、それにより騒音を軽減した。
S6系に先立つこと3年余、プリンスは1963年9月12日デビューのスカイライン(S5系)に
ユニット・コンストラクションを初採用していた。
※ユニット・コンストラクションは一般的に「モノコック」と呼ばれるが、厳密には正しくない。
応力外皮構造を説明する、スカイライン(S5系)のスケルトン・ボディ写真
この方式はボディ・オン・フレームと比較して、軽量かつ剛性に優れるメリットがあり
特に、国産5ナンバー・フルサイズのような中型車には絶大なる効果を発揮せるもので
現代の乗用車の主流となった機構である。
ボディ・サイズは、5ナンバー規格の中で最大のサイズを求めてS4系よりも拡大され
全長は4650mm→4690mmに、ウィールベースは2680mm→2690mmに延長され
ボックス・スタイルと相俟って室内空間、特に後席の足元が大幅に拡大された。
また、従来は平面ガラスであったサイド・ウィンドウにプリンス車としては初となる曲面ガラスを採用。
これにより室内空間の幅、特に肩周りの余裕が拡大された。
それに対して全高は1480mm→1445mmと一段と低くなり、前面投影面積を小さくし
空気抵抗を減少させ、見るからに精悍で安定性が高く
重心の低さを感じさせるアピアランスを得た。
車輛重量は軽量な応力外皮構造を採用したことにより、独立フレーム構造を持つ
S41D-2型/1320kg→PA30-QM/1295kgと、25kgもの軽量化を果たしている。
S6系の開発に於いてプリンス技術陣は、数値には表せない人間の感じる「心地良さ」や
「安心感」といった抽象的な部分に至るまで完璧を追い求めた。
「あなたが最初に触れる部分・・・」
クルマの品質水準を端的に示すドアに関しては、人間工学に基づいて設計された
握りの確かさ、開ける時の軽快さ、閉めた時の確かな感触、重厚な音、ドアの開閉に伴う
室内の音の反響までを追求し、気の遠くなるような回数のドア開閉テストが行われた。
車体が受け持つパッシブ・セーフティ(受動安全)についても、様々な新機構が採り入れられた。
堅牢なボディと共に、大きな衝撃を受けても外れないセーフティ・ドアラッチの採用。
ソフトパッドで覆われたダッシュボード及びインナー・ピラー、出来る限り突起物を減らした室内など。
操舵機構はS4系から変更なく、リサーキュレーティング・ボール式を採用した。
ギヤ比も同じく19.8:1であったが、ステアリング・ウィールの径が一回り小さくなり
一クラス下のS5系スカイラインと同径としたことによって、軽快なハンドリングを実現した。
燃料タンク容量はS40/41系と変更なく50リッターで、プリンス乗用車の伝統である
リヤシートとトランクルームの間に設置された背負い式としている。
給油口は左Cピラー根元に上向きで設置されている。
スペアタイヤはトランクフロア埋め込み式として、6人分のゴルフバッグを収納しても
なお余裕のある、大きなトランクルームを実現している。
トランクルームの床面や壁面は、フォーム材の内張りでカバーされ
積載した荷物が傷まないように配慮されている。
競合するトヨペット・クラウンが、吊り下げ式燃料タンクとトランク室内収納式スペアタイヤを
採用したことにより、トランクルーム容積が比較的小さいのと好対照である。
-●エンジン--
”日本の水準を3年リードしているOHC・6気筒2000cc・105PS”
1963年6月20日、国産初となる直列6気筒オーバーヘッドカムシャフト(OHC)エンジン「G7」が登場。
国産車中最強となる105psという高出力を実現し、
リッターあたり出力も52.5psと初めて50psを突破した。
S6系ではこの傑作エンジンを小改良し、継続して搭載した。
4気筒エンジンについては、プリンス自製のG2型から日産製H20型へと変更を余儀なくされた。
残念ながら、1969年10月には整理統合によってG7型が生産中止、6気筒車に搭載される
エンジンも日産製L20A型に換装されてしまった。
エンジンは当初、6気筒にプリンス製のG7型、4気筒に日産製H20型の2種が設定された。
滑らかなカマボコ型のヘッドカバーに特徴がある、G7型・直列6気筒OHCエンジン外観
ヘッドラインの「日本の水準を3年リードしている」とは、直列6気筒OHCエンジンに関して
ニッサン・セドリックは1965年10月、トヨペット・クラウンは1965年11月の投入であったのに対して
プリンスは1963年6月に、グロリア・スーパー6でこれらに先駆けていたことを誇るものである。
整然と纏められた美しいエンジンルーム、絹のように滑らかと云われたG7型エンジンが鎮座する
G7H型はPA30-QMとPA30-Dに搭載され、PA30-QMには4バレル・キャブレターが、
PA30-Dには2バレル・キャブレターが組み合わされた。
いずれも圧縮比8.8/最高出力105psのハイ・コンプレッション仕様で、ハイオク指定となっている。
VPA30に搭載されるG7型は、圧縮比8.3のレギュラー対応となり型式もG7L型となっている。
それぞれの型式の末尾に付く”H”は高圧縮比(8.8)、”L”は低圧縮比(8.3)を意味している。
G7H型 直列6気筒OHC 総排気量:1988cc(ボア・ストローク:75×75) 圧縮比:8.8
最高出力:105ps/5200rpm 最大トルク:16.0kgm/3600rpm
G7L型 最高出力:100ps/5200rpm 最大トルク:15.4kgm/3600rpm
PA30-QM:G7H型(ハイオク指定/105ps/4バレル・キャブ)
PA30-D:G7H型(ハイオク指定/105ps/2バレル・キャブ)
VPA30:G7L型(レギュラー対応/100ps/2バレル・キャブ)
國産車として初となる、OHC機構を備えた先進的な直列6気筒エンジンであった
G7型エンジンは型式こそ変更なしだが各部に改良が施され、S4系ではカマボコ型であった
カム・カバーの形状が僅かに角張ったものとなり、スタットボルトの位置もオフセットされた。
オイル・フィルターがカートリッジ式(インナーフィルター交換式)からスピンオン式(一体式)に
変更され、交換・整備が容易となった。
スペース効率を高め、ボンネット高を抑えるべくエア・クリーナーは薄型とされた。
深刻な問題となっていた公害対策として、従来は大気開放式であったブローバイ・ガスを
エア・クリーナー還元式に改めた。
エア・クリーナーのエレメントはビスカスタイプを採用、2年または4万km無交換を実現した。
当時は砂埃の多い非舗装路を走った後は清掃が必要であったが、その手間も省かれた。
ラジエーターはセミ・パーマネント方式を採用し、2年または4万kmまで
冷却液の交換が不要とされた。
防錆、オーバーヒート及び凍結防止に特に重点が置かれていた。
4気筒エンジンはS4系ではプリンス自製のG2型が搭載されていたが、日産製H20型に換装された。
H20型は最初期仕様である1900cc版が1960年に登場、原型となったエンジンは更に遡って
東急くろがね工業時代に開発されたという、当時でも既に旧態化を隠せないものであったが
日産との合併に伴い、生産エンジンの整理・統合を求められ、新型OHC4気筒エンジンを
鋭意開発中であったプリンスとしては、不本意ながらもこれを搭載することになった。
プリンスが開発を進めていた新型4気筒エンジンは、クロスフロー吸排気・OHC・
半球形燃焼室(ヘミスフェリカル)構造を持つ、極めて意欲的かつ先進的な設計で
圧倒的な最高出力(1500ccで88ps)や、他車よりも進歩的なメンテナンス・フリーシステムなどが
高く評価され、1968年度の自動車技術会・技術賞を受賞した傑作であった。
プリンスでは、第1回日本GPの雪辱を果たすまでは市販車の開発凍結も辞さずという覚悟で
レース活動にエンジニアを総動員していた為、市販車用G15型の開発は滞っていた。
だが、結果的にサーキットで鍛えられたワークス用チューニング・エンジンたる
GR1A型(98ps/6400rpm)やGR7B型(165ps/6400rpm)の経験が、G15型に
生かされることになった。
G15型は当初の予定より遅れ、合併後の1967年8月にS57D(スカイライン1500デラックス)に
搭載されてデビューした。
S6系のデビューは1967年4月であったので、残念ながら間に合わなかった。
A30-Sに搭載予定であった2000ccのG20型は、C30ローレルに搭載されて
日の目を見ることとなった。
参考 G20型 直列4気筒OHC クロスフロー ヘミスフェリカル
総排気量:1990cc(ボア×ストローク:89.0×80.0) 圧縮比:8.3 2バレル・キャブレター仕様
最高出力:110ps/5600rpm 最大トルク:16.5mkg/3200rpm
ツイン・キャブレター仕様 圧縮比:9.7 最高出力:125ps/5800rpm
最大トルク:17.5mkg/3600rpm
A30-S/VA30:H20型(レギュラー対応/92ps/2バレル・キャブ)
H20型:直列4気筒OHV 総排気量:1982cc(ボア×ストローク:87.2×83) 圧縮比:8.2
最高出力:92ps/4800rpm 最大トルク:16.0mkg/3600rpm
H20型には日本気化器との共同開発による、タクシーキャブ(A30-P)用のLPG仕様も設定された。
こちらはガソリン仕様の92psから12psダウンとなる、80psを発生した。
1969年10月にはG7型が廃止され、新たに日産製L20A型に換装された。
日産では、プリンスとの合併によりプリンス自製のG7型と、日産の開発した初期L型の
2種のOHC6気筒エンジンを製造していたが、これを一本化することによって
生産ラインの統合、効率化が図られた。
当然ながら外様であるプリンス製G7型が廃止され、日産製L20A型に切り替えられた。
L型6気筒OHCエンジンは1965年に登場、1969年に従来は共通性の無かったL型4気筒系と
部品の互換性を持たせ、メインベアリングを4ベアリングから7ベアリングに変更することを
中心とした改良を実施し、型式も識別の為にL20”A”型と改められた。
S7系スカイライン(GC10)の初期型には、G7型と良く似たカマボコ型のヘッドカバーを持つ
初期L型が搭載されていたが、L20A型になると角型のヘッドとなり、プリンスの香りは薄れた。
L20A型には2つの仕様が設定され、HA30-QMには圧縮比9.5の高圧縮比仕様、HA30-Dには
圧縮比を8.6に抑えた標準仕様の2種類が用意された。
ただし当時、省エネムードや暴走族問題などから高性能車への風当たりが強くなっており
それらへの対策として、HA30-QMにも圧縮比8.6のレギュラー仕様が設定されていた。
当初からS6系への搭載を前提に開発されたG7型は、エンジンベイに垂直に置かれていたが
日産によって開発され、本来はS6系への搭載を予定していなかったL20A型は
ボンネットとの干渉を避ける為に、斜めにマウントされている。
クーリング・ファンはG7型では鉄製の羽根であったが、L20A型はカップリング付の
樹脂製のファンに変更され、安全性が向上した。
L20A型(HA30-QM用) 水冷直列6気筒OHC 1998cc ボア×ストローク 78×69.7
圧縮比:9.5 最高出力:125ps/6000rpm 最大トルク:17.0mkg/4000rpm
※圧縮比8.6のレギュラー仕様もあり
HA30-D用 圧縮比:8.6 最高出力:115ps/5600rpm 最大トルク:16.5mkg/3600rpm
6気筒エンジンが日産製に集約されたことで、開発が進んでいたプリンス自製の
新型直列6気筒エンジンの計画は凍結された。
レースでの経験を存分に注ぎ込んだG15型エンジンと同じく、クロスフロー吸排気、
ヘミスフェリカルヘッドを備えた高性能なものになったと予想され、惜しまれる存在であった。
-●キャブレター--
キャブレターは、日本気化器製ダウンドラフト式4バレル/2ステージ及び2バレル/2ステージで
小改良が施されているものの、S4系からのキャリーオーバーとなっている。
PA30-QMにのみ4バレル・キャブレターが設定され
その他には2バレル・キャブレターが設定された。
PA30-QMに組み合わされるキャブレターは、日本気化器製210260-831型であった。
これは、1964年4月13日にデビューしたグランド・グロリア(S44P)用に開発された
4バレル/2ステージ機構を備える2D3030A-1A/B型(110300-812)を小改良したもので
始動が容易な排気熱式オートチョークを備えていた。
1969年10月から搭載されたL20A型には、排気熱式オートチョークを電気式に改め
作動をより確実とした改良型の210260-854型が組み合わされた。
また、燃料配管が銅パイプから耐油ゴムホースに変更され安全性が向上した。
PA30-QM以外には1963年6月15日に登場したS41D-1用 D3232A-1型の
小改良型である2バレル・キャブレターが組み合わされた。
なお、LPGには専用設計となる日本気化器製シングルバレル・キャブレターが組み合わされた。
プリンスでは当初は、三国工業と共同でLPGユニットの開発を進めていたが
いすゞとの共同開発により、既にLPGに関する技術を蓄積していた
日本気化器が採用されることになった。
なお、プリンスのLPGユニット開発はブリヂストン液化ガスとの共同開発であった。
-●トランスミッション--
変速機は当初、プリンス製と日産製の2系統のMTと、BW製の3速ATが設定された。
1968年10月にATが日産製に換装され、1969年10月にはMTも変更され、総てが日産製となった。
当時、スポーティなフロア・シフトが流行の兆しを見せていたが、プリンスは
フォーマルなグロリアの性格、車格、顧客層から鑑みて総てコラム・シフト配置としている。
PA30-QM/PA30-D(G7H型)・・・プリンス製OD付4速コラム・マニュアル/BW-35型・3速コラムAT
VPA30(G7L型)・・・プリンス製OD付4速コラム・マニュアル
A30-S(H20型)・・・日産製3速コラム・マニュアル
VA30(H20型)・・・OD付4速コラム・マニュアル
PA30系に搭載されるG7型に組み合わされたMTは、エンジン本体と同様にS4系の改良型である。
ギヤ比は変更され
(S4系) (S6系)
Low2.693→2.957
2nd1.632→1.572
3rd1.000→1.000
OD0.762→0.785
Rev3.358→2.922
減速比:4.875 (変更無し)
となり、より高速向きのセッティングとなった。
当初は、S4系で採用されたボルグワーナー製BW-35型3速ATを引き続き設定していたが
1968年10月には、日産自製の「ニッサン・フルオートマチック」3速ATに変更された。
1969年10月には、6気筒エンジンがプリンス製G7型から日産製L20A型に換装されたことに
伴いMTも日産製に変更されたが、ギヤ比の変更は行われなかった。
日産製H20型を搭載するA30-Sには、同じく日産製3速コラムMT(OD無し)が組み合わされたが
同じH20型を搭載するVA30には、OD付4速コラムMTが組み合わされている。
ライトバンであるVPA30/VA30ともにセダンと共通のギヤ比を採用しており、貨物の搭載よりも
加速性能や巡航性能を重視した、乗用車的なセッティングとなっていることが伺える。
共通のエンジンを搭載するA30-SがOD無しの3速MTなのに対し、VA30がOD付4速MTを
採用している点からも、S6系グロリアのバン・モデルは、多くの荷物を積載する商用車というよりも
大きなトランクを有する高速乗用車としての性格を狙っていたことがわかる。
※ボルグワーナー製BW-35型3速全自動変速機について
BW-35型はL・D・N・R・Pの5ポジション、前進3段6レンジを持つ完全自動変速機で
S4/S6系に設定されたコラム・セレクター仕様の場合、Pポジションではセレクター・レバーが
10時半の方向にセットされる。
BW-35型は、AMC・ランブラーやスチュードベーカーといった200cu.in(3200cc)程度の
(米国では)比較的小さな排気量の、アメリカ製コンパクト・カーの為に開発されたものである。
1960年にボルグワーナー社がイギリスに工場を建設し、当地で生産を始めたことに伴い
BW-35型は欧州車にも設定されるようになった。
本来はコンパクト・カー用に開発されたATであったが、米国ではコンパクト扱いとなる3000cc級車は
欧州では大型車に相当したこともあり、採用した車種の多くが中型以上の車種であった。
BW-35型はATの技術が発展途上であった欧州や日本などで、高性能を誇る汎用ATとして
高い評価を獲得し、様々なメーカー・車種に設定された。
主な採用メーカーは、BMC、MG、シトローエン、ジャガー、ルーツ・グループ、ローバー、
トライアンフ、ボルボ、オーストラリア・フォード、日産などであった。
1968年10月より採用された日産製「ニッサン・フルオートマチック」は、このBW-35型を
基に国産化したと云える内容のものであった。
H20型を搭載するA30-S/VA30及び、6気筒エンジンを搭載するバンのVPA/VHA30には
MTのみが組み合わされ、ATの設定はなかった。
-●サスペンション--
フロント・サスペンションはS4系から変更なく、ダブル・ウィッシュボーン/コイルを採用したが
リヤ・サスペンションはプリンスの特徴であったド・ディオン・アクスルに代わり
コンベンショナルなリーフリジッド・サスペンションが採用された。
これは一般的にコスト削減や、セドリックとの部品共通化によるものと云われているが
130セドリックとS6系グロリアでは、形式こそ同一だがアッセンブリーとしての共通点は殆ど無い。
それよりも、1963年のS5系スカイラインにリーフリジッドを採用している点に留意すべきであろう。
S5系ではメンテナンス・フリーを開発の主眼に置いており、保守的ながらトラブルの起き難い
リーフリジッドを採用したが、理由はそれだけでは無かったと思われる。
乗り心地に優れ、コーナリング性能に於いてもリジッドより優越したド・ディオン・アクスルであったが
コストが高く、コモリ音の問題が起きやすかったことも確かであった。
特に、100km/hオーバーの長時間連続高速走行が多かった輸出先ではコモリ音が
問題視されやすく、リーフリジッドの採用は1965年10月の貿易自由化を睨んでの
決定であったとも推測される。
ド・ディオン・アクスルの図解、リジッドの堅牢さと独立懸架のしなやかさを両立していた
1968年10月に追加されたスカイライン2000GT(GC10)では、リヤ・サスペンションにリーフリジッド
でもなく、ド・ディオン・アクスルでもなく、セミ・トレーリング式を採用し4輪独立懸架としている。
この点からも、プリンスではド・ディオン・アクスルを既に
過渡期的技術であると見ていた可能性もある。
タイヤサイズは7.00-13から6.95-14に変更され(PA30-D/QM)、ウィールが1インチ大きくなると共に
道路環境の整備が進んだことに合わせて、悪路走行から舗装道路の高速走行に重点を置いた
ロープロフィル(低扁平)タイヤを採用した。
-●ブレーキ--
高性能化、高速化に対応して、それを受け止める制動装置も大幅に強化された。
PA30-D/QMにはフロント・ディスクブレーキ(住友ダンロップMK63)が奢られ
パワー・ブレーキ(マスターバック/倍力装置)も備わった。
万全を期すべくタンデム・マスターシリンダーを採用し、前後ブレーキ配管を独立させ
万一の際にも全輪のブレーキが効かなくなる事態が起こりえないように、制動系が強化された。
後輪ブレーキはサーボ付ドラムで、パーキングブレーキはステッキ式であった。
-●内装・装備--
”端正でフォーマルな装い、豪華な室内装備”
S5系の時代から追求してきた計器盤の
誤読防止(反射防止)策として、透過照明式無反射メーターを開発し
安全運転の基本中の基本である、ヒューマンエラーの根絶を目指した。
フロントに設けられたセカンダリー・ベンチレーターと、リヤに設けられたリヤ・ドラフター
(エア・アウトレット)の効果により、室内は常に新鮮な空気で満たされ、窓の曇りや
雨天時の湿気、煙草の煙になどによる不快さを追放した。
内装や装備に於いてもプリンスが次々と生みだし、特許を取得し
手を休めることなく改良にあたってきた優れたものが、惜しみなく投入された。
S50D-2から採用された、フェイス・レベルに設置されたセカンダリー・ベンチレーター。
安全を確保すると共に、後退時や後席からの視界を遮らないスマートな組込式ヘッドレスト。
ロング・ウィールベースが実現した、広々としたレッグスペースと相俟って
如何なる身長・体格のドライバーにも、最適なポジションを提供するリクライニング・シート。
人間工学に基づいて、細部まで考え抜かれたルーミーで快適な室内
手廻り品を納めておくのに便利で、アームレストとしても役立つ大型センターコンソール・ボックス。
キー・照明・コンセント付と、至れり尽くせりのグローブ・ボックス(リッドにはグラス溝付)。
ワンタッチで昼夜の切換えができるグレアープルーフ(防眩)ミラー。
誤読の心配のない、整然と纏められた無反射・透過照明式メーター。
ワイパー連動式の定量噴霧式ウィンドウ・ウオッシャー。
常に後方視界を確保し、如何なる気象・天候に於いても安全運転に資するリヤデフロスター。
清廉な雰囲気のカラーリングで纏められたことによって、より開放的な寛ぎを感じられる後席
まるで応接室の如く、ゆったりとした姿勢で寛げる格納式アームレスト。
地図や本を整理するのに便利なシートバック・ポケット。
モデルの美しい女性や、清楚な白手袋が車格の高さを感じさせる
運転の妨げとならないように、照明の方向調節が可能な後席パーソナル・ランプ(読書灯)。
後席からの操作の為に備えられたラジオ・空調ファンコントロール・シガーライター・灰皿(照明付)。
機微な調整も可能で、後席からも聴き取り易いリヤ・スピーカー。
最高級車とはいえ、1967年当時はパワー・ウィンドウ、エアーミックス式エア・コンディショナーは
まだまだ普及しておらず、依然として高額なオプション品であった。
それでも、エア・コンディショナーは多くのオーナーが装着しており
そういった部分からも、車格の高さが窺い知れる。
操作系統がリーチ内に納められた、整然として合理的なインストゥルメント・パネル
任意で速度を設定することが可能な速度超過警報ノブ。
曇天時や昼間の雨天時、トンネル内などで重宝する計器盤照明調整。
2スポークのスリムなステアリング・ウィールは、プリンス伝統のアイコンである
星の輝きを模した、十字のオーナメントを埋め込んだ透明の樹脂で飾られている。
-●メンテナンス・フリーの高度化--
プリンスでは、メンテナンス・フリーの実現も大きな目標として掲げられていた。
これは頻繁なオイル交換やグリースアップが当然だった時代に、極めて先進的な試みであり
誰もが思い付くが多くの難題が山積している為、他社では実現に至っていなかった分野であった。
時間と手間、金銭的な負担を軽減しユーザー本位のクルマ造りを心掛けるという
プリンスの「血の通うクルマ」というコンセプトに基づくものであった。
プリンスの掲げた「技術に挑戦し、生活に奉仕する」というキャッチコピーには、レース活動などが
単なる宣伝・広告では無く”すべてはユーザーの為に”という強い想いが込められているのである。
プリンスは、S5系スカイラインで各部ジョイントの給油期間の大幅な延長を実現した。
従来は1000~2000km毎の頻繁なグリースアップが必要で、ユーザーにとって大きな負担と
なっていたが、新方式の無給油ジョイントの開発によって
これを一挙に1年間・3万キロまで無給油としたのである。
グロリアもS4系の2型から無給油ジョイントを採用、S6系グロリアでは更に期間を延長し
2年間・6万キロまでのメンテナンス・フリーを実現した。
これらの努力の積み重ねによって、S7系スカイラインでは遂に10万キロ無給油を達成した。
-●静粛性--
優秀なるプリンス技術陣の不断の努力によって、S6系は極めて高い静粛性を実現。
N・V・H(ノイズ・ヴァイブレーション・ハーシュネス)の原因となる、風切り音やロードノイズ、
路面からの衝撃、プロペラシャフトの回転に伴う振動などを徹底的に追求し改善にあたった。
これらの研究成果は、アメリカの国際技術会議に招かれて発表を求められたほどであり
カタログに謳われる「国際レベル」の表現が、大言壮語ではないことを証左するものである。
これらの優れた装備や性能は、単に快適さを求めたに留まらず、些細な設計の不親切が齎す
危険を未然に防止し、長時間の運転による疲労を少しでも軽減することによって
安全性を向上させるという、人間工学と「あたたかなハート」「血の通ったクルマ」という
プリンス独自の発想から産み出されたものであった。
1965年7月1日に名神高速道路が全線開通、時速100km/hで100km以上の距離を走るという
未だかつて経験したことのない高速連続走行に際して、安全かつ快適にドライブ出来るかどうかは
車の性能に懸っていたと云っても過言ではなかった。
S6系グロリアは、余裕あるエンジン、静粛性、能動安全、受動安全、種々の疲労軽減策によって
車が人間をサポートすることにより、人車一体の総合性能を実現し
我が國にいよいよ訪れたハイウェイ時代に適応してみせた「理想の乗用車」であった。
-●あたたかなハートという概念--
加速・巡航・追越のすべてに余力を持ち、静かで滑らかなエンジン。
静粛で燃費に優れるオーバードライブによって、高速走行の負担を軽減するMT。
煩わしいクラッチ・ギヤ操作から解放し、混雑した都会の中でも安楽なAT。
優れた防音性を持つ、広々としたルーミーな室内と至れり尽くせりの快適装備。
エンジン・シャシー・ボディの極めて高い遮音性によって実現した静謐な室内。
危険を未然に回避する俊敏な運動性と操作性、高速性能に見合った制動能力。
万一の際、乗員の命を保護する堅牢なボディと数多の安全機構。
これらすべての技術は、それを採用すること自体が目的ではなく、運転手及び同乗者の為に
最上級の安全と快適を捧げるという、冷たい「機械(グロリア)」を挟んだ
「人(技術者)」と「人(乗員)」の暖かな交流であり、その時、冷たい機械にも両者の
血が通い、確かな手応えのある”あたたかなハート”を持った車が生まれたのであった。
「 其の瑞鶴は千代に麗し ~プリンス・グロリア(S6系)の生涯~ --②-- 」に続く