本項は「
其の瑞鶴は千代に麗し ~プリンス・グロリア(S6系)の生涯~ --③-- 」の続編です。
-◆S6系グロリアの変遷(1969年10月以降)--
-●1969年10月(2度目のイヤー・チェンジ)--
”人生の晴れの日にふさわしい、あたらしいグロリア”
1969年10月、前回から丁度1年を経て2度目のマイナー・チェンジが実施された。
6気筒エンジンの換装(G7型→L20A型)を主とした、ビッグ・マイナーチェンジであった。
2度目のフェイス・リフトではグリル・パターンが縦フィンとなり、精悍さと端正さが増した

グリルとバンパーの間に挟まるパネルを、クローム仕上げでは無くシルバーの塗装とすることで
アクセントを加え、単調にならないように考慮されている。
前後のデザインが大きく変更され、インストゥルメント・パネルを中心に内装も一新された。
エンジン換装に伴い、6気筒車の型式も「”P”A-30」から「”H”A-30」へと変更された。
エンジン出力の向上に加え、従来は2バレル・キャブレターでも4バレル・キャブレターでも
差の無かった出力表示が変更され、グレード間の差別化が図られた。
圧縮比も変更され、8.8のハイ・コンプレッション仕様/ハイオク指定であったPA30-Dに対して
HA30-Dは8.6のレギュラー対応へと改められた。
HA30-QMは圧縮比を高めて9.5とし出力向上を図ったが、圧縮比8.6仕様も用意された。
プリンス自製のG7型は、設計の古さ(1963年・5ベアリング・鋳鉄ヘッド)が発展性に欠けるとされ
L20A型(1969年・7ベアリング・アルミヘッド)に換装されたが、L20型は1965年に登場した後
1969年に大改修を受けL20”A”型となったものであり、G7型も同じように改良を
施されたのならば、問題なく発展させることが可能なポテンシャルを持っていた。
G7型の廃止理由は、もっともらしい「設計の古さ」や「発展性の欠如」にはあらず
”嫡流”たる日産製エンジンを優先するという、政治的理由から下されたものであった。
当然ながら、6気筒OHCという同じ機構を有するエンジンの生産ラインを統合することも
目的とされていたが、その際の取捨選択は純粋な性能や将来性の比較でなく
傍流を潰すという事が真の狙いであった。
1970年代、日産は他社と共に厳しい排ガス規制に苦しめられたが、それらを打破し
落ち込む一方であった出力を再び向上させ得たのは、皮肉にも日産の設計したエンジンを
プリンス技術陣が改良したツイン・プラグのZ型や、DOHC機構が与えられたFJ型であった。
”日産製”DOHCエンジンは、S20型もFJ20型もプリンスの技術によって生み出されたものであった。
--以下、カタログより引用--
あたらしいグロリアを、おとどけします。
乗用車が、次第次第に、より上級な車へ移行しつつあることは
ひろく指摘されている通りですが、あたらしいグロリアは
この傾向を正確に反映した、文字通りの上級車として誕生しました。
その、設計のすみずみにまで生かされた高度な性能は
より高級な車を目指す人の目を奪わずにはおかないでしょう。
壮麗な印象がよりつよくなった外観、厚みと深みを増した内装、そしてパワーアップ、
安全装備の充実など、オーナーの栄光を物語るに足る性能美です。
日本の乗用車に誇りをもっていただく、あたらしいグロリア。
それは、乗ることが誇りである栄光の乗用車なのです。
--カタログ引用終わり--
1970年を直前に控え、日本は高度経済成長のピークを迎えようとしていた。
東洋の奇跡と謳われた戰後半世紀に渡る日本の急成長は、1971年の
ニクソン・ショック(ドル・ショック)と1973年のオイル・ショックによって安定期へと移行する。
経済成長の恩恵により所得が増加し、モータリゼーションの普及が進むと人々は
軽自動車から小型車へ、小型車から中型車へと、より上級の車を望むようになった。
1965年に小型車の本命と云うべきサニー、翌1966年にカローラが相次いで登場すると
マイカー族の主流も1000ccクラスへと移行し始めた。
高級車に於いても、より豪華に、より快適に、よりパワフルにという声が高まる中
時宜を得て、グロリアのビッグ・マイナーチェンジが敢行されたのであった。
「日本の乗用車に誇りをもっていただく、あたらしいグロリア」という一文は
國産車はまだまだ、外國車が一番だという風潮を決然と否定した
プリンス技術陣の矜持が込められたものであった。
-以下、セールス向け社内報より抜粋--
”次はグロリアだ!!中型セダン市場に新型グロリア旋風を巻き起こそう!!”
スカイラインが、プリンス車種イメージであるとするならば、グロリアは高級車志向への先鞭を
つけたプリンスの企業イメージを代表するものであるといえるでしょう。
既にご承知のようにスカイラインの好調ペースは、需要そのものが目ざましく伸展していることに
よりますが、遂に10月のスカイライン系の販売実績は、10223台を登録するに至りました。
一方、グロリアの販売は月平均1150台、占有率10%と低迷を続けています。
中型セダン市場は既に3銘柄に限定され、中でもグロリアが極端に低いシェアを占めている
わけですが、58%のシェアを持つクラウンの攻勢を阻止するためには、セドリックはもとより
グロリアの拡販なくしては不可能でありましょう。
販売の第一線を担うセールスマン諸氏におかれては、これまでの販売方針に則り
スカイラインの重点的拡販を展開してきたわけですが、その効あってスカイラインが
1万台販売ペースに乗りつつあることは増々、販売意欲をかき立てられる思いでありましょう。
ややもすれば二の次になりがちだったこれまでのグロリア販売をこの辺で
再び見直す必要があるのではないでしょうか。
プリンスの企業イメージを象徴する車種として、一般に記憶されているグロリアの低迷が
そのままプリンスに対する信頼度の低下につながるようなことがあっては一大事です。
以上からもわかるように、グロリアの果たす役割は重大です。
2000ccフェスティバル’70は、新型グロリアの発売を契機として
その拡販の重要さをしっかりと胸に備え、スカイラインに次いで早く拡販ペース
乗せていただくところに、その最大の狙いがあります。
-抜粋終わり--
月販1万台の大台に乗り、飛ぶ鳥を落とす勢いのスカイラインに対し
グロリアは1000台程度に留まり、市場占有率も1割と低迷していた。
これは、社内報にもあるようにセールスの比重がスカイラインに傾けられたことや
全國に網の目のように張り巡らされた、強力なディーラー・ネットワークを持つトヨタ・日産に対し
後発のプリンスはディーラー数、販売力で劣るということが原因であった。
特にクラウンは市場占有率58%という、単独で過半数を抑える驚異的な数字を叩き出しており
グロリアとセドリックを合計しても、なお届かない状態であった。
130セドリックのフルモデル・チェンジ時期が近づく中、グロリアは統合・廃止されることが予想され
プリンス側としては、ビッグ・マイナーチェンジを契機として拡販を実現し
独自のモデル存続を図ろうという意図もあったものと思われる。
-●グロリア・スーパーデラックス(HA30-QM/HA30-QMA)3型の変更点--
”現代の、都会のイメージをもつフロント。その内部に秘められた125馬力の強いパワー。”
フロント・グリルのパターンは細かな縦フィンとなり、バンパーにはプリンス車の多くに採用された
左右対称のスリットが設けられ、表情にアクセントを加えている。
オチキス(ホチキス)の針のように隙間なく並べられた縦フィンは、直線基調のフォルムに
よく溶け込んでおり、凝った形状によって高級感を演出すると共に凛々しい表情を形作った。
バンパーに設けられたスリットは、S7系スカイラインやライトコーチといった
同時期のプリンス車に好んで採用されたディティールである。
”重厚なバンパー。そのメタリックな輝きが、リアグリルを包みこんでしまう流麗な尾部。”
リヤ廻りはフェンダー、テールランプ、トランクフード、バンパーの総てが一新された。
左右独立した縦長のテールランプに代わり、ガーニッシュで繋がれたH型のテールランプに変更。
ターンシグナル・レンズはアンバーからレッドに変更されオールレッド・テールとなった。
視認性が悪くなった、と言われるが発光面積は大きくなっているので必ずしもそうとは言えない。
刷新されたにも関わらず、違和感なく纏められたデザインの妙を魅せるリヤ・エンド
スパッと断ち切られた1~2型のテールと比較し、トランクフードが
スラントしたことにより、スムースな面構成となった。
リヤ・バンパーは米國で流行していたボディ一体式となり、テールレンズを組み込んだ
複雑で凝った形状に特徴がある。
スムースなラインを優先した為、テールレンズに備わっていたクリアランス・ソナーは廃止された。
リヤ・グリルにはテールレンズとの連続性を持たせ、細長くブラックアウトされたものに
変更されたことによって、低重心がより強調された。
リヤ・グリルとバンパーの間の部分をグレイッシュ・シルバーで塗装し
リヤ・ビューを引き締める効果を持たせた。
フロントでも、総てをクローム仕上げとせずにグリルとバンパーの間にシルバー塗装の
「余白」を持たせることで、退屈な構成となることを巧みに回避している。
前後のバンパー下端にはジャッキ・アップ用の孔が用意され、カバーを装着することによって
外観の美しさと機能を両立していた。
プリンスの乗用車は、米車流のバンパーに掛けるタイプのポール・ジャッキを採用している。
複雑な形状のテール・レンズ廻り、ウィール・キャップはノン・オリジナル
サイドから3型を識別するには、縦に長くなったリヤ・バンパーに着目すると容易である
内装も完全な新設計を与えられ、インストゥルメント・パネルは天地幅が広くなり
造型自体も1970年代の主流となる、逆スラント形状となった。
各種のクラッシュ・パッドもより厚みが増し、ソフトな表皮へと改良され安全性が向上した。
一新されたインストゥルメント・パネル、「CROWN」のフロアマットはもちろんノン・オリジナル
従来は天地巾が狭く、横方向のワイド感を強調したデザインであったが
3型では厚みや重厚感を強調したものへと変更された。
ラジオ、空調レバー類の配置といった基本レイアウトに変更はなく、機能的には
既に玉成の域に到達していたことがわかる。
新たに、ラジオのオート・チューナー・スイッチの横に「GLORIA」の文字が刻まれた。
空調コントロール・パネルの下には、純正エア・コンディショナーのセンター・アウトレットが見える。
プリンスは1962年に國産初となる車載エア・コンディショナーを開発、その際に
重点を置いた事項として、軽量コンパクトという点があった。
当時のカークーラーは、ユニット・吹き出し口ともに大型であったことが問題のひとつであった。
ユニットはトランクを占領し、吹き出し口はグローブ・ボックスもしくは助手席側の足元空間に
大きく浸食し、不便さや窮屈さを感じさせる原因となっていた。
この点をクリアするべく、プリンスはユニット/吹き出し口/補機類をコンパクトに納めるよう努め
室内空間への張り出しを最小限に抑えることに成功した。
このS6系のインストゥルメント・パネルを見てもわかるように、エア・コンディショナーは
極めてコンパクトに纏めらている。
シート及び内張りのパターンも、従来の雰囲気を踏襲しながらも新デザインに改められた。
デザイン的には殆ど変っていないが、ステアリングも刷新されている。
組込式ヘッド・レスト、アーム・レスト、シート・ベルトを備えるHA30-QMのセミ・ベンチシート
ロング・ウィールベースによって後席の足元は広々としており、前席シート・バックには
灰皿/空調ファン・コントロール/シガー・ライター/ラジオ・チューナーとマガジン・ラックが設けられ
Cピラーにはパーソナル・ランプ(読書灯)が備わるなど、ショーファー・ドリブンとしても
申し分ない、充実したアクセサリーが奢られていた。
V・I・Pの為に用意されたリヤ・シート、中央には大型のアーム・レストが収納されている
各種スイッチは各社でバラバラであったアルファベット表記から、新たに統一規格として制定された
JASO(日本自動車技術会規格)規格の図形マークに変更された。
エンジンはプリンス自製のG7型に代わり、日産製L20A型が搭載された。
圧縮比はG7型の8.8から9.5に上げられ、125psの高出力を発揮した。
HA30-QMはハイオク仕様が標準だが、環境問題に対応して圧縮比を9.5から8.6に
落としたレギュラー対応の120ps仕様も設定された。
”OHC・6 2000CC 125PS”
日本にOHC時代の夜明けをつくり日本の水準をリードしてきた伝統の技術が
ついにとらえた高性能エンジンです。
高速走行に余裕を生む125馬力のハイ・パワー。
さらに、グロリア独自の「静粛設計」が一段と密度を高めています。
無給油記録でもグロリアは独走。
車検から車検までの2年間、グリスアップのための余分な費用と手間がかかりません。
L20A型は斜めにマウントされ、エンジン・ベイに納められた
車輛重量は1305kg→1290kgと軽量化され、1型の1295kgよりも軽くなった。
AT車も15kg減となる1305kgに抑えられている。
これはG7型195kg(整備重量)、L20A型178kg(同)という17kgの差によるものである。
ただしG7型は國産初となる直列6気筒OHCエンジンということで、軽くすることよりも
信頼性、耐久性を重視しており、かなり余裕を持たせた設計となっていた。
プリンスは信頼性/耐久性を重視し、エンジンの重量増や大型化に対しては寛容であった。
この余裕がのちにレース・シーンに於ける発展性を産み、ワークス仕様のG7R型は
高度なチューニングや連続高回転にも耐えうる高性能エンジンに成り得たのであった。
後発の日産L型、トヨタM型はいずれもG7型を分解・研究しており
プリンスの切り拓いた航跡をトレースしたものであった。
重量の軽減には、内装を主として軽量な樹脂素材の使用割合が増したことも効果的であった。
1960年代後半から、安全性の為にソフトな樹脂が多用されるようになっていった。
新たに125psエンジンを得たことによって、MT車の最高速度は170km/hに到達した。
これは先代S4系のフラッグシップ・モデル、グランド・グロリア
(S44P・G11型・2500cc・130psエンジン搭載)と並ぶ高性能であった。
出力は向上したがギヤ比に変更はなかったので、AT車の最高速度は150km/hのままであった。
-●スーパーデラックス・ロイヤル仕様--
”豪華車の中の豪華車------ロイヤル仕様”
追加モデルとして、更なる豪華車「スーパーデラックス・ロイヤル仕様」が登場した。
高度経済成長によって飛躍的に豊かになっていく中で、顧客の更なる
豪華仕様を求める声に応えて登場したものである。
”豪華車のなかの豪華車”と銘打たれたロイヤル仕様は、スーパーデラックス(HA30-QM)を
ベースにオプショナル扱いであったパワー・ステアリング、パワー・ウィンドウ、
コラプシブル・ステアリングを標準装備としたものであった。
なおトランスミッションはATのみと、米車的な性格のプリンスらしい設定となっている。
ただしHA30-QMとの外観上の差別化は図られず、エンブレム等も追加されていない。
「ロイヤル」という名は、言うまでもなく御料車プリンス・ロイヤルに肖って選ばれたである。
-●グロリアの二人--
プリンスでは、有名な「愛のスカイライン」及び、それに続き社会現象にまでなった
「ケンとメリーのスカイライン」の広告キャンペーンを打ち出し、大きな成功を収めた。
グロリアに於いても「グロリアの二人」というヘッド・コピーを掲げ、アドバタイジングを展開した。
スカイラインがユーザー層に合わせて、若いカップルを広告に出演させたように
グロリアでも顧客層にマッチしたキャスティングが行われた。
「グロリアの二人」は「愛のスカイライン」のソノシートのカップリング曲であった
一連のシリーズ広告である「グロリアの二人」に於いては、2人の為のパーソナル・カーとして
アピールされており、ショーファー・ドリブンの4ドア・セダンでありながら
オーナー自らがステアリングを握るという、プリンスの高級車ならではの伝統が感じられる。
この広告には、雨の日でも不安なく快適なドライブが可能だというアピールも込められている
広告に掲載されている車輌はスーパー・デラックスで、色はグロリア・ホワイト。
オプションの黒のレザー・トップが組み合わされることで、ツートーン・カラーとなっている。
極めてパーソナルな雰囲気を湛えたその姿は、多くの男性にとって正に憧れであった。
爽やかな高原と、純白のグロリアという素晴らしいロケーション
「愛のスカイライン」キャンペーンの陰に隠れて、知名度の低い「グロリアの二人」であったが
パーソナルな高級セダンという、プリンスの血統に相応しいアピールであった。
グロリア・スーパーデラックス(HA30-QM/HA30-QMA)仕様
車輛重量:1290kg/AT車:1305kg 乗車定員:5/6名
エンジン:L20A キャブレター:4バレル/2ステージ 直列6気筒OHC
総排気量:1998cc(ボア・ストローク:78×69.7) 圧縮比:9.5 ※ハイオク指定
最高出力:125ps/6000rpm 最大トルク:17.0kgm/4000rpm
変速機:4速コラム・マニュアル/3速AT(ニッサン・フルオートマチック)
最高速度:170km/h AT車:150km/h 車輛価格:111万円 AT車:118万5千円
-●グロリア・スーパー6(HA30-D/HA30-DA)3型の変更点--
”長距離にも余力をのこし、高速走行にも余裕をたもつ。”
”OHC・6 2000CC 115PS”
OHCの特性がフルに生かされ長時間の連続運転でもビクともしない耐久性です。
HA30-DもG7型からL20A型に換装されたが、HA30-QM用とはセッティングが違い
圧縮比を8.6に抑えレギュラーガソリンに対応、キャブレターも4バレルに対し2バレルが
組み合わされ、出力はHA30-QMに対し10psダウンの115psとなっていた。
PA30-QM/Dからは10psアップとなっている。
G7型では、HA30-QMもHA30-Dも等しく圧縮比8.8のハイオク指定であったが
グレード毎の差別化を図ることに加え、省エネ・アンチ高性能ムードの世相に
配慮する形で出力を抑えたものと思われる。
組み合わされるのは、従来通りの日本気化器製2バレル・キャブであったが
オートチョークが排気熱式から電気式に変更され、作動性が向上した。
G7型では、2バレル仕様でも4バレル仕様でも出力の表記に差が無かったが
このマイナーチェンジを機に115ps/125psと、出力の差が明記されるようになった。
従来、4バレル仕様のG7型の性能が故意に低く発表されていたのは
出力で劣る「本家」のセドリックに対する配慮であったと云われている。
「本家」と共通のL20A型に換装したことによって、出力の表記に抵抗がなくなったことで
正規の数値が表記されるようになったと思われる。
また、日産側がプリンスの開発していた新型6気筒エンジンの計画を破棄することと引き換えに
高出力であることを大々的に宣伝に使用することを認めたとも言われている。
日産とプリンスの合併後、両社それぞれのエンジンを比較し、優劣を検証することになった。
鶴見(日産側)と荻窪(プリンス側)の技術陣は激しく対立し、泥仕合の様相を見せた。
鶴見からすれば荻窪は吸収された「敗戰企業」であり、荻窪からすれば
経営・販売では負けたが、技術では完全に優越しているという自負があった。
これには、合直前に行なわれた第3回日本グランプリでの圧勝という裏付けもあった。
出力やレース戰績といった明確な数字で劣る鶴見側は必死になって
荻窪側へのネガティブ攻撃を行った。
荻窪側も激しく反発し険悪なムードが漂った為、比較検討は中止されるに至った。
日産では、当時2人の有力者が存在した為(川又社長/塩路労組会長)クルマの本質とは
無関係な部分でのロスが非常に多かった。
デザインの選定に於いては、川又社長がA案を選び正式なデザインに決定した後
塩路労組会長が対案のB案を選んだ為、いずれも決定できないという事態がたびたび発生した。
この場合社員では決められず、2人のどちらかが折れるまで待つのみであった。
デザイナーや責任者は、デザインのコンペティションにも関わらず
川又社長もしくは塩路労組会長が現れ意見するまで一切発言せず、天からの「鶴の一声」で
決まってからはじめて「これは良い」などと言い出す有様であった。
上司・部下の関係なく、喧々諤々と遠慮なく意見をぶつけ合い
上司もそれを受け止めるという、自由闊達な社風であったプリンス側は驚いたという。
出身大学ごとに学閥を形成し、技術に優れアイディアの豊富な技術者よりも
上司へ取り入るのが巧い人間が出世するという、日産の体質に嫌気が差して退社する
プリンス側の社員は多く、プリンスと同じように自由な社風であったホンダへと
優秀な人材が多数流失することとなった。
出力向上により、最高速はG7型搭載車から10km/h向上となる165km/hとなった。
最高出力125psのHA30-QMとは5km/hの差があった。
フロントのグリル・パターンはHA30-QMと同じだが、QMではクローム仕上げとなる縦フィンが
HA30-Dで黒塗装となる為、遠目にはA30-Sのような黒のメッシュ仕上げにも見える。
リヤのデザインも一新されたが、リヤ・グリルがテールレンズと一体となったデザインに
変更されたことに伴い、従来のようなグレード間の差は殆ど無くなった。
インストゥルメント・パネルをはじめとした内装のデザインも一新され
シート・パターンも変更、両端に通気性発泡ビニールレザーを奢ったファブリック地が採用された。
車輛価格は、1967年4月のデビュー時から3千円高の101万8千円に改定された。
AT車は2万円高の103万8千円であった。
車輛重量:1270kg/AT車:1285kg 乗車定員:6名(ベンチ/セミ・セパレート選択可)
エンジン:L20A型 キャブレター:2バレル/2ステージ 圧縮比:8.6
最高出力:115ps/5600rpm 最大トルク:16.5kgm/3600rpm ※ レギュラー対応
最高速度:165km/h AT車:150km/h 車輌価格:101万8千円/AT車:103万8千円
-●グロリア・スタンダード(A30-S)3型の変更点--
”すぐれたメリットをそのままに。魅力に満ちた経済車。”
”OHV・4 2000CC 92PS”
5ベアリング方式を採用した静粛なエンジン。
オイルの燃焼室への防止などロスを防ぐ技術は類を見ません。
グロリアは、魅力と実力を秘めたこのシリーズの経済車。
造形美と安全性を見事に調和させた大型リア・ランプやメッシュのパターンをもつ
格調高いフロント・グリルが印象的な高速車です。
エンジンはH20型・4気筒・2000cc。
5ベアリング方式採用の静かな高出力エンジンです。
都会のノロノロ運転でもハイウェーでも無類の実力を発揮します。
明るい色調で統一された車室は、ゆったりとした6人乗り。
それも高級車にふさわしい静かで、快適な乗心地です。
運転席にはヘッド・レストと安全ベルトを標準装備、機能的な集中配置方式の
計器パネルをはじめ、運転のしやすさ、「安全」が高い水準で設計されています。
6気筒車はL20A型に換装されたが、A30-Sは従来通りH20型を継続して搭載する。
従来、全車種で共通であったフェンダー・ミラーの鏡面が角型から丸型に変更された。
なお、VHA30/VA30も同じく丸型に変更されている。
リヤのデザインは大きく印象が変わったが、フロントには殆ど変更が加えられなかった。
従来ウィールは13インチであったが、上級車種と共通の14インチに変更された。
ただしタイヤ・サイズは異なり、6.95-14-4PののHA30よりも細い6.40-14-4Pとされた。
なお、従来は7.00-13-4Pであった。
車輛重量は2型と同じく1185kgで、新型エンジンによって軽量化を果たした
6気筒車に対し変化はなかった。。
車輛重量:1185kg タイヤサイズ:6.40-14-4P 車輌価格:75万8千円
-●グロリア バン・デラックス(VHA30)3型の変更点--
”魅惑のスタイルをもつ、プリンスの最新鋭商用車。それも、無類の実力を秘めた快速タイプです。”
セダンと同じく6気筒エンジンを搭載するバン・デラックスも、L20A型に換装された。
商用車という性格上、L20A型でも従来と同じく経済性の高い低圧縮比の
レギュラー仕様が引き続き採用された。
フロント・グリル/バンパー、インストゥルメント・パネルの変更などは概ねHA30-Dに準じる。
リヤのデザインが大きく変更されたセダンに対し、バンのリヤ・セクションに大きな変更はなく
ターン・シグナルも、レッドではなくアンバーのままであった。
新たに、スリット付のバンパーや丸型鏡面のフェンダー・ミラーが与えられた
バン・デラックスのウィール・キャップは一度も変更されることが無かった
リヤ・グリルが新型となり、従来のPA30-QM(1型)と近似したものから
バン・デラックス専用デザインのものが採用された。
リヤ・グリルは一部がグレー塗装となり、よりクロームが映えるデザインとなった。
VPA30(2型)では、リヤ・ゲートのハンドルがリヤ・グリルに溶け込むようにデザインされた
小型のものに変更されたが、VHA30では再度1型及びVA30に採用された大型の
ハンドルが採用され、操作性が向上した。
新型のリヤ・グリルは、ハンドルとの一体感を重視した造形となっており
ファスト・バックスタイルのリヤ・ビューを、より一層美しく見せる効果を持っていた。
新デザインのリヤ・グリルが備わるリヤ・ゲート、バンパーやフェンダーに変更はない
-●グロリア バン・スタンダード(VA30)3型の変更点--
”密度の高い安全性を結晶させたバンの傑作です。”
変更点は概ねA30-S及びVHA30に準じる。
フェンダー・ミラーは新たに丸型の鏡面となった。
センター・キャップなどの専用の艤装に変更は無かった。
-●1970年10月 グロリア・スーパーデラックスGL(モデル追加)--
”言葉の形容をこえたグロリアのGL。新しいニッポンの豪華車です。”
”豪華車種であるグロリアのそのなかでも、一段と豪華をきわめたオールパワーの装備。”
翌年2月にフル・モデルチェンジ(事実上のグロリア消滅)を控えた秋、その輝かしい生涯を
締め括るに相応しい、”最期にして最高”のモデルが登場した。
1969年10月に登場したスーパーデラックス・ロイヤル仕様を、更に豪華に仕立て上げた
最上級グレード「スーパーデラックス GL」である。
GLは、パワー・ステアリング パワー・ウィンドウ コラプシブル・ステアリング ATを標準装備した
ロイヤル仕様をベースに、外観をより豪奢に装うダブルリボン・タイヤ、専用エンブレム、
確実かつ安定した整流効果を持つ最新鋭のICレギュレーター内蔵ACジェネレーター、
雨天時に便利な間欠作動式ワイパーなどを新たに追加採用した、至れり尽くせりの豪華車である。
ダブル・ホワイトリボン・タイヤは、彫刻的なウィール・キャップと共に豪奢な雰囲気を演出した
GLのインストゥルメント・パネル、パワーウィンドウ・スイッチやATセレクター・レバーに注目
画像中央には、純正オプションであるエアー・コンディショナーのセンター・アウトレットが見える。
大容量のパーセル・シェルフ(アンダー・トレー)は、手廻り品の整理に便利であった。
内装には、GL専用となるウェルダー模様の刺繍が施されたトリコット布地と
通気性発泡レザーのコンビネーションによる、シート表皮/ドア内張りが奢られた。
従来のロイヤル仕様では専用エンブレムなどの追加が無く、外観上の差別化が無かったのが
エクストラ・コストを支払った顧客から不評であったらしく
GLでは、ボディ各所に最上級グレードであることをアピールするエンブレムが装着された。
十文字の垂直のラインに「GL」の名が刻まれた専用フロント・グリル
最上級グレードを誇示すべく、フロント・グリル中央及びリヤ・グリル下段右端に
「GL」のエンブレムが装着された。
フロント・フェンダーは、中世の貴族の紋章の如き瀟洒なエンブレムで飾られた。
内装に於いても、ドア・パネルに「GL」のオーナメントが追加され
オーナーのプライドを満たすものとなっている。
リヤ・グリル下段の塗装が、グレーイッシュ・シルバーからブラックに変更されたことにより
より引き締まった精悍なリヤビューとなっている。
カタログ・カラーは、煌びやかなグロリア・ゴールドメタリックであった。
プリンスらしいパーソナル感の溢れる塗色で、大変高い人気を得た。
当時、このクラスの高級車はその殆どが「黒塗り」であり、「白いクラウン」のキャッチコピーで
個人オーナー向けを大々的に打ち出したトヨタ・クラウンでさえ、決して派手とは言えなかったが
従来よりプリンス車は、パーソナル感の強いスタイリングもあってシャンパン・ゴールド・メタリックや
ライトブルー・メタリックといった、米車的な派手なカラーが高い人気を誇っていた。
10月に発売、翌年2月にはS6系の生産が終了となった為、生産期間は4ヵ月余りと短かった。
フル・オプション車であったので、車輌価格も大変高価(129万6500円/6人乗)であったが
プリンス最期のグロリアになると予想され、日産やトヨタでは満足し得ない富裕層が買い求めた。
参考として、競合車種の価格を挙げておく。
※1970年型トヨペット・クラウン(MS50)セダン・スーパーデラックス(AT) 122万7500円
その後も高級車であったことから大事にされた為、販売台数及び現存台数は比較的多い。
エアー・コンディショナーはオプションであり、その価格も高額なものであったが
車輛価格帯的に装着率が高く、現在残存している車輌も多くがAC付である。
-●グロリア・スーパーデラックス GL(HA30-QMA)--
車輛重量:1330kg 最高速度:150km/h
変速機:コラムシフト・3速AT(ニッサン・フルオートマチック)
車輌価格:128万6500円(5人乗)/129万6500円(6人乗)
最上級車「GL」はS6系最期の輝きにして、日産との合併により旗艦モデルたる
グランド・グロリア後継の3ナンバー大型最高級車をラインナップすることを
許されなかったプリンスの、矜持が込められたモデルであった。
もし日産との合併が無ければ、プレジデントやセンチュリーのような完全独自設計の
プリンス製大型最高級乗用車が誕生していたことだろう。
競合車種を圧倒する高性能を誇ったグランド・グロリアと同じように、欧米の名立たる
一級車と堂々と渡り合える、日本でもっとも優れた性能の乗用車として君臨したことであろう。
参考:1964年のドメスティック・ハイエンド・モデルのスペック一覧
S44P プリンス グランド・グロリア 2500cc 130ps 最高速170km/h
VG10 トヨタ クラウン・エイト 2600cc・115ps 最高速150km/h
H50 日産 セドリック・スペシャル 2800cc 115ps 最高速150km/h
※この3車種の中でS44Pはもっとも小さい排気量だが、出力及び最高速はもっとも優れている。
「GL」は、1956年3月に華々しく開催された第3回全日本自動車ショウに出品された
試製大型乗用車BNSJ以来連綿と続いてきた、石橋正二郎会長及びプリンス陣営の目指した
世界最高級の大型乗用車という見果てぬ夢を託した、最期の光芒であった。
-●1971年2月22日 販売終了--
3代目S6系を最期に、プリンス・グロリアは消滅。
栄光に満ちた其の生涯に、静かに幕を下ろした。
以後は、ニッサン・セドリックのバッジ・エンジニアリングに過ぎないものが販売されることとなった。
なお、ニッサン・セドリック(及び”名ばかりのグロリア”)も2004年に消滅している。
※本項は「 其の瑞鶴は千代に麗し ~プリンス・グロリア(S6系)の生涯~ --⑤-- 」に続く。